第177話 本物の家族
◆
「あなたの輝かしい未来を、これからは一人のファンとして応援しています」
あの日の言葉を今も思い出す。
あの子を未知の世界へ送り出す激励の言葉。
そして、自分に言い聞かせる誓約の言葉。
自分はもう、あの子の側に居てはならないと。
異迷ツムリとしてデビューした彼女を見守り続けた。
最初は配信を追うだけでハラハラしたものだ。
およそ思いつく限りの配信ミスをし尽くし、この先彼女はやっていけるのだろうかと。
けど次第に大きなミスは減り、小さなミスは笑って許される、そんな居場所を手に入れた。
後に灰羽メイに話を聞いたところ、全てはマネージャーの手腕だと。
彼女を紹介する際に数回話した程度で、男に任せて大丈夫だろうかと不安に思ったこともある。
しかし彼ほど献身的に尽くしてくれる人は他に居なかっただろう。
今ではファン全員が異迷ツムリのマネージャーに頭の上がらない想いだ。
配信上の話と、灰羽からのリーク、2つの経路で妹の様子を伺う生活。
最初の半年こそ順調で、純粋にファンとして楽しんでいた。
そう、平和に感じていたからだろう。
人間という生き物は、小さな幸せに慣れてしまうとより大きな幸せを求めてしまう欲望の化身。
見方によってはあの頃が一番、私が荒んでいた時期とも言える。
ここ半年の苦しげな彼女を見てる間は、同情で満たされ忘れていた感情。
再び平穏が訪れ、間隙を埋めるように蠢き出した汚濁。
大罪と呼ばれるほどに醜悪な、誰にも見せられない本当の自分。
…………嫉妬だ。
◆
◇
(異迷ツムリ)《お待たせしましたぁ。正式な復帰配信は明後日になりますぅ。えっと……色々とご迷惑おかけしたので無理にとは言いません。けど……暇だったら見に来てくれると嬉しいですぅ》
《配信告知助かる》
《今暇にしてきたぞ》
《行くに決まってるよなぁ!!》
《復帰おめでとう!(素振り)》
異迷ツムリのSNSアカウントから告知があった。
メン限配信から1週間ほど休み、正式な復帰日も決まったと。
しかし配信がなかっただけで、異迷ツムリに動きはあった。
むしろ彼女のSNSは今までで最も活発に動いていると言える。
(異迷ツムリ)《ところで最近、「異迷ツムリのファンはヤバい奴らの集まり」って噂聞いたんですけどぉ。皆さん何やらかしたんですかぁ??》
《あ、やっぱその噂も知ってるかwエゴサするようになった弊害だなぁ》
《俺も詳しく知らんけどいつの間にかそう言われてたな。解せぬ》
《ソンナー。ヤベー奴ダナンテ人聞キ悪イナー》
《私達は普通に推し活してるだけデスヨ?》
《おい、心当たりありそうなカタコト共がいるぞw》
最近になって流れ始めた噂、もちろん自分も耳にしたことがある。
要約すると、「マイ迷子がアンチを集団リンチして叩き潰した」というもの。
もちろん詳細まで把握してるし、なんなら噂を流したのも我々だ。
そもそもあの会員制サイト襲撃自体、世間向けのパフォーマンスが目的だったのだから。
あの後四条ルナから首謀者達の懐柔に成功したと連絡があり、実際に直接会って謝罪までされた。
本当はマイ迷子を集めてあんな大掛かりなことをしなくとも、四条ルナだけで丸く収められたのだろう。
しかし火元を秘密裏に処理しても炎上は鎮火しない。
異迷ツムリに悪意を向ける残り火達を対処する必要がある。
だからこそ、あの子に危害を加えようとすればファンが黙っていないという抑止力が必要ではないかと、四条ルナから提案があった。
先の先まで見据えた指摘、彼女が導化師として名を馳せたというのも頷ける。
そんな騒動を経て、ようやく異迷ツムリの活動環境が整った。
まだ風当たりの強い部分もあるけど、ゆっくり進めばいい。
あの子を支えてくれる人はたくさんいる。
あの子の幸せを、自分の幸せに思える者達が。
……私は、その一員になれてるだろうか?
やっとあの子が幸せになれる世界を見つけた。
それこそ私の望んだ世界なんだ。
これで良かったんだ。
物語はハッピーエンドに向かっている。
じゃあ……この胸の奥に渦巻く靄はなんだ?
私は一体、何が気にいらないんだ?
この感情が特に大きくなるのは彼女の取り巻く環境を見たとき。
試しにSNSで同担達の声を見てみる。
《エゴサするようになったせいで下手なこと呟けなくなったんだけどw》
うるさいな……文句風に自慢をするな。
認知マウントのつもりか?
そんなもの今は誰でも貰ってる。
特別なのはお前だけじゃない。
《グッズ買ったぞ! たくさん買ったぞ! 財布空っぽにして痛バ組むぞ! #異迷ツムリ》
かけた金額。たかが数万程度がお前らの本気か?
グッズ、投げ銭、自主的な応援企画。今までどれだけ異迷ツムリに投資したか。
それにあの子が大人になるまで、親が居ない間親代わりとして生活費を稼いだのは私だ。
お前らは私の何百分の一になれてる?
《1年分のアーカイブ見返してきた。もう一周行ったって良い。いくらでも時間費やせる》
かけた時間。たかが数十、数百時間程度がお前らの本気か?
アーカイブの周回なんて当たり前、私はこの1年異迷ツムリのことだけ考えて生きてきた。
それどころか私は妹のために人生を捧げたと言っても過言ではない。
20年以上、生まれた瞬間からずっとあの子達に尽くしてきたんだ。
《最近"らしさ"が戻ってきていいね。おかえりツムリ》
理解者ヅラするな気色悪い。
あの子が裏でどれだけ苦悩したか知ってるのか?
配信で言えない過去も、あの子の持つ特殊な性質も。
ファンの中で私だけが、あの子の抱えるモノ全部知った上で応援できる。
お前らごときに何がわかる?
お前らに人生捧げる覚悟はあるのか?
文字だけじゃなく行動で証明できるか?
私は覚えている。
異迷ツムリが苦しんでいるとき、周りと一緒になって石を投げていた奴ら全員の名前を。
そこの何食わぬ顔で応援しているお前、過去の呟きを消しても私の記憶からは消えない。
今後一生、私は心の中でお前に石を投げ続けるだろう。
確かに私はあの子のファン、マイ迷子だ。
けどただの一ファンとして一括りにされるのは釈然としない。
彼らと同じ目線であるはずがない。
趣味レベルの奴らと一緒にするな。
気分次第でファンを辞めれるお前達と一緒にするな。
私にとってあの子は人生なんだ。
……ああ、やっぱりダメだ。
一度吹き出すと溢れ続ける汚い感情。
全てに悪意を向けてしまう。
例え感謝すべき存在でも悪意の対象になってしまうほどに。
ほら。ちょうど思い浮かべた対象から着信だ。
私が一番感謝し……一番目障りに思ってる存在から。
『解斗さん。お忙しいところすみません。一つご相談がありまして……』
四条彰マネージャー……私はあなたが羨ましい。
あの子を側で支えて、結にまで信頼されて。
どうして私はそこに立ってない? どうして私じゃダメだったんだ?
でも……私がそこに立つとまたダメになるかもしれない。
母さんや雪車引グレイ、そして紬のように。
ああ……なぜ神は私にこのような運命を強いたのか。
何より嫌なのは、自分がこんな汚らしい感情を持っていること。
いつまでも子離れできない親みたく執着して。
役に立てないくせに一丁前に嫉妬する。
もうあの子に近づかないと決めたのに。
アイドルとただのファン、それが私達の関係なんだ。
けど……せめてファンとしてあの子の特別でありたい。
そんな最低最悪な欲求を抑えられない。
金や時間、どんな手段にも頼ってしまう。
これじゃ見栄張って認知を欲しがる、身の程を弁えない厄介オタクと何一つ変わらない。
『ツムリが貴方に会いたいと言っています』
こんな汚い存在はあの子に認識させてはならない。
私という存在は、もうあの子の幸せな世界に必要ないんだ。
もう二度と関わらないから、せめて君を応援することだけは許して欲しい。
これだけが……私の生きがいなんだ……。
……………………。
…………。
……。
『申し訳ありませんが……私の意見は変わりません。私は会いに行けないし、そもそもファンがVTuberと直接繋がるなんて間違ってる』
ダメ元で頼んでみるも、やはり色よい返事は貰えない。
間宵解斗、彼の意思は堅い。
妹の幸せを願ってるからこそ、妹に関わらないという強い信念を持っている。
『どうか私を……マイ迷子のままでいさせてください』
切実に告げ、男は通話を切った。
通話主は後ろを振り向き問いかけた。
「……聞いてたか?」
「はぁい……やっぱりダメなんですねぇ」
マネージャーに彼の説得を依頼した。
反応を見るために、後ろで聞かせて欲しいとも。
おかげで彼の気持ちはしっかり伝わってきた。
「それでも会いたいか?」
「そうですねぇ。伝えたいことはたくさんありますけど……ファンと会うべきじゃないって言うのも正論ですよねぇ」
異迷ツムリになるって決めたときから、家族との関係性をずっと考えてる。
間宵結とはずっと一緒にいて、互いに友達として認識しあえてる。
でも、あの人には近づくことすら出来ない。
もう兄じゃない。
じゃあただのファンなのか、それも違う。
このまま他のファンと同じようになんて思えない。
でも……異迷ツムリには会いたくないってはっきり言われてる。
今までのこと、たくさん感謝してるからこそ、本気で嫌われることはしたくない。
「私に会いたくないのは分かりましたぁ。でも……」
それでも、あの人に会いたいのは私だけじゃない。
それこそ本当の家族なら、会って話すべきだと思うから。
私の想いを託して、会うべき人と入れ替わる。
「……お願いマネージャー。私がお兄ちゃんに会いたいの。会って、話さなくちゃダメなの」
少女は改めて願う。
今度は彼の慕うアイドルとしてではなく、本物の家族として。
◇
暑い日差しの中、間宵解斗はとある場所に来ていた。
たくさんの小綺麗な石が並び、文字が彫られ、花が添えられている。
誰も居ないけど、ここじゃないと会えない人がいる。
この世を去った者達が集う場所……墓場。
「母さん。やっと夢が叶いそうだよ。あの子」
今日も手を合わせ、墓石に語りかける。
母を亡くしてからもう8年、毎週欠かさず会いに来て、妹達のことを語るようにしている。
きっと母もあの子達を心配してくれてると思うから。
「あの子が幸せならそれだけで十分私も幸せになれる……そう思ってたんだけどな」
溜め込んだ感情が抑えきれず漏らしてしまう。
母の前で弱音なんて吐きたくなかったのに。
「立派なアイドルになったのを見て、今更気づいたんだ。あの子を心配できるのは自分だけ、そんな自分の独占欲に……」
……いや。母の前だから抑えきれなかったのかもしれない。
「あの子の周りにはたくさん人が居て……あの子の幸せの中で私は、ファンという有象無象の一人でしかない」
昔は心労絶えない母を心配させたくなくて。
でも、本当は母に悩みを聞いて欲しかった。
会話して、自分のことを知って欲しかった。
そんな自分の気持ちに気づいたのは……母に会えなくなってから。
「私は画面の前で応援してるだけ。私は……一人だ」
家族のために生きてきた人生。
今は誰も近くにいない。
遠くを見つめて生きるだけの人生……。
「そんなことない。……と思う」
居るはずがないと、そう思ってた。
けど今耳に届いた否定の声。
聞きたかったけど、今は聞きたくなかった。
「どうしてここに……」
声の方を見ると、そこには妹ともう一人。
いつも彼女の側に居てくれる男性。
その男を睨みつけ、恨みを込めて言う。
「……話が違いますよ。四条マネージャー」
「さあ。僕はこの子に頼まれてお墓参りに付き添っただけですので。解斗さんが毎週この時間に来るなんて聞いてなかったからタイミングが被ってしまいましたね」
「意外と食わせ物ですね……そういうところはお姉さんに似たのか」
「侮辱として受け取っておきますよ。これでお相子ですね」
彼とこんな皮肉の応酬をすることになるなんて。
今まで尊敬し合い、良い関係で話してきただけに新鮮だった。
「それに、異迷ツムリに会わないって話でしょう? 彼女はツムリではありません」
彼の屁理屈が何を意味しているのか、そんなことは出会った瞬間から理解している。
その姿は紛れもなく私が彼に預けたアイドル、現在は異迷ツムリと名乗っている少女。
その少女には2つの人格が共存していると。
「……結、なのか?」
「うん」
1年前、別れを告げた日は偽物の妹だった。
今は本物として会いに来てくれている。
残された唯一の家族だ、会いたかったに決まってる。
「そうか……また声が聞けて嬉しい限りです。けど……」
「私も会いたかった。会って……お礼言いたかった」
遮られてしまったが、結の気持ちを知りたい気持ちが勝り耳を傾ける。
「たくさんあるけど……まずはマネージャーを助けてくれてありがとう。もし死んじゃってたら……絶対立ち直れなかったから。私も、ツムリも」
聞いて後悔した。
最初に出てくるのがそれなのか、と。
結……君にとってもその男が君の一番なのか?
「……お礼の気持ちは受け取っておきます。けど……私のことは気にせず、どうかご自分の幸せを見つけてください」
目の前にいることで余計に溢れそうになる想い。
なんとかして自分を押し殺す。
自分がこの子の人生のノイズにならないように。
「そんなに私と話したくない?」
「だって……私を恨んでいるでしょう? 私は嘘をついた。紬は声真似ができるなんて嘘を……」
結を遠ざけるためのもっともらしい理由。
実際恨まれているはずだ。
自分の嘘に気づいたことで、あんなライブにするほど荒れてしまったのだから。
「うん。嘘は良くない。でも……その嘘がなかったら、今の異迷ツムリは居ない。きっと私も塞ぎ込んだままだったから……。今幸せだから、いいの」
突き放しても離れようとしてくれない。
どうしても自分と関わろうとしてくる。
「ツムリに会いたくないだけなら私とは会ってくれてもいいでしょ?」
「同じ身体なのだから会わないようにするのは当然では?」
「違うよ。異迷ツムリの身体はVの姿。この身体で喋るツムリは、そもそもお兄ちゃんの知ってる完全な異迷ツムリじゃない」
「……その理論で言えば、ファンとVtuberの中の人が会うことこそ一番間違ってます」
「それは素顔を知らないことが大前提でしょ?」
会わない理由と、会ってもいい理由、互いに詭弁で言い争う。
やがて痺れを切らした結が質問を変えた。
「じゃあもう単刀直入に聞くけど。私の中に異迷ツムリが居なかったら私に会ってくれた?」
それなら即答できる。
妹に会いたくないわけがないのだから。
……そう思っていたのに、何故か声が出なかった。
「紬が生きてた頃から、お兄ちゃんと距離感じた。私のこと心配して、妹として最低限会話してくれたけど、ずっと紬を優先するフリして私を避けてた」
紬は自分がYESと答えられないことを知っていたかのように話す。
自分でも気づけなかった感情を、結に悟られていたと。
「それは……対応に差が出てしまったのは申し訳ありません。けど私は紬のプロデューサーだったから、どうしても一緒にいる時間が多くなってしまっただけで……」
「お兄ちゃんは、自分でも気づかないフリしてる。妹を悪く思いたくないから。責めれば私が生きるの辞めちゃうかもしれないって思ったから」
間宵結に、本物の妹に会いたくない理由。
例え思っていても言えば傷つけるって分かってたから。
でも……彼女はもう大丈夫って思ってしまった。
この気持ちをぶつけても壊れない、きっと誰かが支えてくれるって思ってしまったから。
自分より幸せな彼女を見て、いつか我慢できなくなるんじゃないかって。
「ずっと恨んでるでしょ? 私のせいで……お母さんに会えなくなったこと」
家族を傷つけてしまうかもしれない自分に……恐怖してたんだ。




