第171話 アイドルの最期
◆
「……返信、来たね」
「ですねぇ」
メッセージを送ってから、その返信は30分ほどで返ってきた。
異迷ツムリの配信を見たいか、その問いに対しマネージャーは……。
『見たいよ。異迷ツムリが帰ってくるのをずっと待ってる』
「マネージャー、配信見たいって」
「……はぁい」
「異迷ツムリになるってことは……この身体は紬のものだね」
「そう……ですねぇ」
明らかに気落ちした様子の紬。
求めてもらえた。けれどそれは自分の求めていた答えではなかった。
そんな心中だろうか。
「……無理に続けなくてもいいよ」
「え?」
「辞めたくなったらいつ辞めてもいい。紬のしたいようにしていい。もう、押しつけたりしないから」
驚いた顔でこちらを見る紬。
確かに、今まで散々アイドルの間宵紬を求めてきたんだ。
それを辞めても構わないと言われれば驚きもするか。
「それなら……私が辞めたらお姉ちゃんは……?」
「辞めても関係ない。言ったでしょ? あの人の選択でどっちの身体にするか決めるって。この身体はもう紬のものだから……あとは自由にしていいよ」
アイドルは辞めても構わない。
けど間宵紬を辞めることは容認しない。
間宵紬として最後まで生きること、これは押し付けでもなく2人で決めたことだから。
「……いいんですね? ほんとに自由にして」
「いいよ」
彼女がどんな選択をするのか、理解した上で受け入れる。
一つの身体に住まう一蓮托生の関係。
その未来の選択を彼女に託す。
その結果どうなろうと恨むことはない。
元より私は……間宵結はもう、この世を去った身だから。
「じゃあ……最後の配信、してきますぅ」
「うん。最後まで応援する」
今度はちゃんと、間宵紬の最期を見届ける。
……これがファンのあるべき姿なんだよね。導化師さん?
◆
◇
歌の途中でパソコンの電源を引き抜く。
当然配信はオフラインになる。
配信上で『落ちる』を表すならこれしか思いつかなかった。
「最後の配信、こんなこじつけみたいな理由でブツ切りちゃって申し訳ないけどぉ……」
マネージャーに配信を見たいと言われた。
姉と話し合って決めたこと。配信を求められなければ間宵結として生きる、けれど配信を求められれば異迷ツムリの役目を担う間宵紬として生きる。
けれど、姉は無理に続けなくて良いと言った。
私はもう……異迷ツムリも、間宵紬も続けられる自信がなかった。
「これが間宵紬の最期なので。あとはぁ……私が落ちれば全部終わり」
せめて最後の瞬間まで間宵紬であろうと、短慮ながらもこの計画を立てた。
忠実に再現すべきだと思ったから。
例えそれがバッドエンドでも。
ライブでスターライトの曲を披露して、突然舞台の上から転落した彼女のように。
ライブ配信で異迷ツムリの曲を披露して、突然配信を落として……私自らも転落死する。
アパートの2階、窓を開けてベランダに出る。
「……お姉ちゃん。止めるなら今ですけどぉ」
己の内側の存在に声をかける。
けど返事はない。本当に私の選択を尊重してくれるつもりらしい。
そっか……止めてくれないんだ。
「……ううん。もう決めたことだから」
ベランダと空を遮る柵、その上に立つ。
ライブステージよりはたぶん高い、よね?
この高さから頭を打ちつければ……。
想像するだけで足が竦む。
絶対痛いだろうな……怖い……怖い。
本物は怖いだなんて思う暇もなかっただろうな。
でも、怖いけど……進まなくちゃ。
私が死を選ぶのは、何も現実から逃避するためだけじゃない。
私を導いてくれた存在が言ってくれたから。
「大丈夫。これで終わりじゃない……これは《《先に》》進むための選択」
レプリカはこの世界にはまだ早い存在。だから先にいく。先で待ってる、って。
それはきっと、『先に逝って天国で待ってる』って意味。……そうだったらいいな。
この道の先であの人が待ってくれてるなら、もう何も怖いことなんてない。
「皆さん。今そっちに行きますね」
心を落ち着かせ、体の力を抜く。
ゆっくりと前に倒れ込む。
もう後戻りはできない。
「皆さん。お元気で……さよなら」
足が離れ、体は宙に浮く。
頭を地面に向けて落下する。
そして……体に強い衝撃が加わる。
ああ……これでやっと終われる。
もう逃げも隠れもしなくていいんだ。
もう誰も私を見ない。
もう誰にも嘘をつかなくていい。
もう誰も傷つけなくていい。
……誰か、傷つくのかな。私が死んで。
ファンのみんなはどうだろう。
ブイアクトのみんなはどうだろう。
マネージャーさんはどうだろう。
……お兄ちゃんはどうだろう。
みんなの中で、私ってどういう存在なんだろ。
悲しんでくれるのかな。
気になるけど、見たくない……まあ、もう見ることもできないか。
…………あれ。まだ意識ある?
死後の世界ってことなのかな。
それにしては妙に体が痛いけど。
強く締め付けられるような感覚があるけど。
目を開けたら何が見えるのかな。
レプリカのみんな、待ってくれてるかな。
早く会いたいな……。
「…………あの」
目を開けると、視界は何かに覆われていた。
視界だけでなく、身体全体が覆われている。
「すっっっ……ごく痛いんですけどぉ」
「奇遇だな……僕もだ」
聞き覚えのある声。
その声は、先にいってしまったレプリカの中には無い声。
この1年、最も身近に聞いた男の声。
「何でここに居るんですかぁ……マネージャーさぁん」
四条彰が、私の身体を抱きしめていた。
落下した私を受け止めたのだろう。
その際の衝撃のせいか、肩に強い痛みを感じる。
その痛みを強めるように、彼が私を強く締め付ける。
絶対に離さないと言わんばかりに。
「言っただろ。いつでも側に居るって。……昨日の夜から車中泊してた」
「えぇ……まさか今後ずっとそうやって生活するつもりだったんですかぁ? それストーカーとやってること変わんないんですけどぉ」
「はは……返す言葉もない」
冗談交じりに軽口を言い合う。
苦笑いを見せて、いつも通りの関係を続けてくれた。
「ほんとに痛くて、痛くて……涙が止まらないですよぉ……」
目から溢れ続ける液体を止められない。
彼の身体を濡らし続け、溺れそうになるほどに。
「どうして助けるんですかぁ……もう……痛いの嫌ですよぉ……」
「痛かったら泣けばいい。泣いてくれなきゃ助けに行けない」
「助けなくていいんですってばぁ……」
彼は何も言わない。
私の起こした行動について、何も聞かない。
彼が何も聞かないから、私から聞くしかない。
「なんで終わらせてくれないんですかぁ……マネージャーさんも……私に辞めるなって言うんですかぁ?」
推しに活動を続けて欲しい気持ちは分かる……痛いほど分かる。
でも、ようやく1人私を諦めてくれたというのに、また引き止められるのか。
そもそもマネージャーは……どんな気持ちで私を引き止めると言うのか。
「……アイドル辞めたいならそう言えばいい。でも、人生まで辞めることないだろ」
「それ辞めたら死ぬのと同じなんですよぉ。私はアイドルの……間宵紬の偽物なんですからぁ。アイドル辞めたら死ぬんですよ……私はぁ……」
普通に考えたらマネージャーの言葉は正論なのだろう。
でも私は普通じゃない。
私は偽物で、偽物は役目を放棄したら何者でも無くなるのだから……。
「違うよ」
そんな思考を、彼ははっきりと否定した。
それは何に対する否定か。
「……何が違うんですかぁ」
「君は――――間宵紬の偽物なんかじゃない」
私の存在そのものの否定。
その瞬間、私の中で何かが壊れる音がした。
「は……? じゃあ……なんだって言うんですかぁ? それすら否定されたら……私は誰になれるって言うんですか!?」
「うぐっ……あの、今胸ぐら掴まれるの……かなり痛い」
「言ってる場合ですか?!」
抱きとめられていた胸に強くしがみつく。
馬乗りになって彼の身体を揺らす。
でも、それ以上に揺れているのは己の精神。
信頼していた人からそんなことを言われて、自分を保てるはずがない。
「適当な気持ちで否定したんなら……いくらマネージャーさんでも……!!」
「落ち着いてくれ。ちゃんと……話す、から……」
理由を問いただそうと、勢い余って彼の胸を強く押しつけてしまう。
彼はそれを制止しようと優しく言いながら、段々と顔色を悪くして……。
「ぅぐ……ごほっ゛……」
「…………え?」
咳き込み、口から何かが飛び出す。
赤い液体が垂れ、彼の顔が青ざめる。
「なん、で…………?」
目の前の出来事が把握しきれず思考が停止する。
なんで血が? なんで彼は苦しそうなんだ?
なんで……なんで……。
(――――むぎ……紬! 落ち着いて! ……落ち着けないなら今すぐ変わって!!)
(ぇ、お姉ちゃん……? は、はい……)
内側から焦った様子の声が聞こえ、理由もわからないまま了承する。
そして身体の主導権を握った姉は、すぐさま男の衣服をはだける。
胸元を見ると、濃い赤紫に変色している部位がある。
「この肌の変色……折れてる? もしかして折れた骨が内臓に……」
「……これは、受け止めるのが下手だっただけで、君のせいじゃ……げほっ」
「黙ってて! 死んじゃうから!!」
状況から察するに、落下した少女の身体を受け止めた際に胸を強く打ち付けたのだろう。
勢いで出た『死』という言葉を、自分の中で反芻してしまう。
「死んじゃう……また、私が生きてるせいで……誰かが死ぬ……?」
どうしても思い出してしまう。
今までの人生で、人の死に際を2回も見てきたから。
自分を助けるために屋上から落下死した母。
自分を元気づけるためにアイドルになって舞台の上から落下、そして自分の自殺を止めるために病院を抜け出して息を引き取った妹。
「いや……いやだ……だれか……」
彼はもう死ぬ。
そう思い込んでしまって、思考がぐちゃぐちゃで、助ける方法が一つも思いつかない。
自分には助けられない。誰か、彼を助けてくれる人は……。
その混乱の中で、電子音が耳に届く。
「電話……マネージャーの携帯……?」
その音を辿り、彼の懐から端末を取り出す。
藁にも縋る思いで、画面に表示される名前を見る。
そこに表示されたのは自分もよく知る名前。
何故その人からマネージャーに電話がかかってきたのか、そんなこと考えてる余裕もなかった。
彼を助けてくれるなら誰でも構わないからと、迷わず電話に出る。
「助けて……お兄ちゃん……!!」
最後にその呼び名を口にしたのはいつぶりだろうか。
自分と同じ悲しみを経験してきた人物。
その者に呼びかけて……電話口からの返答はなかった。
………………。
「――――……任せてくれ」
「え……?」
電話越しでなく、背後から聞こえる声。
最後にその顔を見たのはいつぶりだろうか。
息を切らしながら近づいてくる。
「まだ間に合う。……絶対に間に合わせるから」
強い後悔と、強い覚悟を感じさせる言葉。
妹からの助けの求めに、間宵解斗はようやく駆けつけられた。




