第十話 訪れと再会
「お~ほほほほほほ!ちょっと見ない間になんだかとっても落ちぶれたのではなくって?!」
相変わらずのテンション。
相変わらずの高圧的な物言い。
流石は典型的な貴族の姫君を地で行く彼女。
いや、この表現は清く正しく慈愛に溢れた『典型的な貴族の姫君』達に失礼だ。
なんて事を心の中で突っ込みつつも、芙蓉はそれを言葉にする事は出来なかった。
ただ、ぼんやりと檻の外側に居る彼女を見る。
そんな芙蓉の様子に、彼女もまた違和感を感じたのだろう。
「……本当に、変わりましたわね、あなた」
「そう?」
決して大きな声では無いのに、彼女はきちんと聞き取ったらしい。
本当に凄い地獄耳、いや、鍛えられた聴覚である。
「というか、このような良い天気には似つかわしくないやつれっぷりです事!!まるでくたびれた老神みたいではなくって?」
「……」
「こんなのが元王妃だなんて信じられませんわ!ああ、こんなのだから王妃を廃されたのかしら?」
くすくすと笑う彼女に芙蓉も薄い笑みを浮かべた。
確かに――今の自分には、前以上に王妃の片鱗など無いだろう。
絶望に染まった心は今も血を流し、『ただ生きるだけ』の生活を送っている。
夢も希望もない。
生きたいという気持ちもない。
ならば生きる事すら止めてしまえば良いのに。
芙蓉は『物を食べ』、『着替えをして』、『整容を整え』――と、日々の自分の行動を思い出して笑った。
それらは、全て彼らから差し入れられたものであり、『生きたくない』としながらも自分はそれを使用し続けている。
にも関わらず、『生きたくない』と思う自分こそが……本当は、一番……。
「本当に不細工な顔ですわね」
「……」
「前はもう少し見られた顔でしたけど、今は見る影もありませんこと」
「……そうね」
だが彼女は一つ勘違いしている。
前よりではなく、最初から不細工なのだ。
芙蓉の容姿はそもそも十神並である。
街を探せば、いや探す必要もないぐらい、芙蓉程度の容姿を持つ者達はごまんと居るだろう。
しかしそれは平穏に、一介の民として暮らしていくならば何の問題もなかった。
ようは王妃になってしまったから。
王妃という立場が、本来であればそれほど責められるものでもない現象を罪深いものとしている。
ってか、神の顔に文句をつけるな。
平凡顔で何が悪い。
むしろ平凡顔が居るからこそ、美しい者達の顔がより目立つのではないか。
全てが同等の美しさであれば、それこそ平凡という事になるではないか。
なんだこの理不尽。
少しだけ芙蓉の瞳に力が戻った。
思えば、いつもそうだった。
あれらの傍に居れば、やれ『醜い』だの、『相応しくない』だの、『分をわきまえろ』だの、と。
お前の様な輩が彼らの傍に居て言い訳が無いと声高に責められた。
しかし奴らは誤解している。
平凡顔が傍に居るからこそ、彼らの美貌はより引き立つのだ。
彼らの美貌を引き立てるものこそ、平凡顔。
平凡顔こそ、美にとって無くてはならない物。
確かに彼らは美しい、色っぽい、それこそこの世の物とは思えぬほどの物体だ。
だがそれらが最大限引き立つのは、平凡顔に囲まれてこその事である。
凄いではないか、平凡顔。
欠かせない存在ではないか、平凡顔。
というか、自分達は彼らに相応しい相手、選ばれたもののみが傍に入る事が赦されると言いつつその赦された相手に入っていると思い込んでいる奴ら。
何よりも、彼らにこそ敵わないものの、自分達の美を信じて疑わない奴ら。
けれどその美を引き立てているのも平凡顔達だという事を忘れるな。
いっその事、周囲を全て美形で囲んでやろうか。
そして意気消沈、いや、プライドも全てズタボロにされてしまえばいいのだ。
え?鬼だって?
元々自分はこんな性格だ。
「何よ、元気が出てきたようね」
「ふふ、ふふふ」
元気とは違うものが沸いてきたが、彼女からはそう見えたらしい。
まあ訂正する必要性はないので、黙っておく。
「全く、心配して損したじゃないの」
「え?」
それまでとは違う小さく呟く様な声に聞き返せば、彼女はハッと我に返ったように口を手で覆った。
「な、なんでもありませんわよ!」
「そ、そう?」
納得は出来ないが、かといって質問すれば怒鳴られそうなので芙蓉は黙っておく事にした。
「ってか、今日は一体何のようでこちらに?」
「今更の質問ね。もちろん、あなたのふぬけた顔を見る為よ!!」
「そうですか」
それでは全力でふぬけた顔をしなくては。
よいしょっと頬をこねくり回してみるが、鏡が無いのでよく分からない。
しかしとりあえずウケはとったらしい。
彼女が吹き出す声が聞えた。
「ちょっ!もっと不細工になるわよ!」
「その方が美神の方達が引き立つけど」
それに世にはブサメン、キモメンという言葉がある。
あれは主にイケメン、フツメンの対比で生み出された言葉だが、女性にだって当てはまる。
そしてそういった者達が頑張ってくれるからこそ、イケメン、フツメンは輝いていられるのだ。
頑張れ、不細工と称される者達。
ミョョョ~ンと頬を伸ばしてみる。
ぶはっと彼女がまた吹き出した。
「あはははははは!何よその顔っ」
「私なりのふぬけた顔です」
それからしばらく、色々な顔を作って見た芙蓉。
それに笑い転げる彼女。
そうして一時間ほどした頃、ようやくふぬけた顔をするのを止めた芙蓉の目にそれは映っていた。
ピクピクと痙攣しながら、うずくまったまま今も笑い続ける彼女の姿が。
「大丈夫ですか?」
「誰のせいだと思ってるのよ!」
もちろん、芙蓉のせいだろう。
しかしふぬけた顔を最初に求めてきたのは彼女である。
だから供給しただけだ。
需要に対する的確な供給。
これ商売の基本である。
芙蓉は商才というものが自分にあるとは思っていなかったが、もし街に降りる事があれば商神として生きていくのも良いかもしれないと思った。
その際にはどこかの商家で見習いとして勉強する必要があるが。
そしてゆくゆくは自分で作った農作物を加工し、一大事業を立ち上げて。
「って、所詮夢は夢よね」
ここから出られないのに、そんな夢を見ればまた苦しくなる。
芙蓉は現状と提示されたこれから先の未来を思い出し、再び心が暗くなった。
その時だった。
ピィィィ――
澄んだ鳴声が耳に届く。
ふと空を見上げた芙蓉の目に映り込むのは、空を舞う鳥の姿。
それは彼らが造りだした強固な檻をものともせず、雄大な空を駆けていく。
「……」
それは、なんて事のない光景だった。
この離宮に来てからもずっと見てきた光景だ。
けれど今、芙蓉の心に浮かぶのは強い羨望。
いつか自分もはばたくと信じていた。
この檻の外に出て、王宮の外に放たれるものと思っていた。
それが無理だと思い知らされたあの日も。
そう、あの日もこうして鳥が飛んでいた。
自由に、全てのしがらみを振り切り飛ぶ姿に強い嫉妬を覚えた。
私だって――
鳥はあっという間に王宮の外へと出て行く。
自由に出入り出来る。
もちろん、鳥だとて色々な苦労はあるだろう。
鳥が自由などとは、それを見る者達が勝手に想像する幻想にしか過ぎない。
過酷な自然を息抜き、時には翼を休める場所を探せず落ちていく者達も居る。
その自然の厳しさに耐えきれず、死んでいく者達も居る。
それでも――。
実像は違っても、その何処までも広がる空を飛ぶ姿に『自由』を想像してしまう。
たとえ身勝手な思い込みでも縋ってしまう。
だから――見なくなった、聞かなくなった。
見えなくなった、聞えなくなった。
鳥の声を聞くなど、どれぐらいぶりだろう。
その姿を目にするのは、いつ以来だろう。
そしてどうして――聞えたのだろう?見えたのだろう?
と、芙蓉はふと彼女へと視線を向けた。
こちらをじっと見つめる彼女。
そう、彼女が来てから――。
淀んでいたものが薄まってきた。
停滞していたものが、少しずつ流れてきた。
「……あの」
「え?」
「お茶でも飲みますか?」
そんな提案を芙蓉は気づけばしていた。