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第9話 魔王降臨


「少年。お前の能力を、私に見せてみろ」


貴族席から声が響いた。


アルトを見下ろす男。


その声には、余裕があった。


「あなたは誰?」


「この国の王だ」


観客席がざわめいた。


王。


この国の頂点に立つ男が、わざわざ奴隷の少年を見に来ていたのだ。


「お前の能力は興味深い。私のものになれ。望むものは何でも与えてやろう」


アルトは答えなかった。


「断るのか?」


「僕には、一緒にここから出ると約束した人がいる」


アルトは観客席のレオを見た。


「その約束を守るまでは、誰のものにもならない」


王は笑った。


「なるほど。では、その約束ごと買い取ってやろう」


その瞬間だった。


ゴォォォォォォン――。


闘技場が揺れた。


最初は地震かと思った。


しかし、違う。


空気が震えている。


石壁が震えている。


人々の身体が、内側から揺さぶられている。


アルトは膝をついた。


「な、何だ……?」


耳を塞いでも意味がない。


音は空気だけを伝わっているのではない。


床から、壁から、身体のあらゆる場所から、振動が伝わってくる。


(これは……誰かが波を作っている?)


アルトは顔を上げた。


闘技場の天井が、音もなく裂けた。


巨大な黒い影が、空から降りてくる。


翼はない。


鎧もない。


ただ、人の形をした何かが、ゆっくりと地面に降り立った。


その姿を見た瞬間、観客たちの声が消えた。


王が立ち上がる。


「まさか……」


男は、王に視線を向けた。


「久しいな、人間」


その声は大きくなかった。


それなのに、闘技場の隅々まで届いた。


王の顔から血の気が引いた。


「魔王……!」


魔王。


三百年前、人類の半分を滅ぼした存在。


勇者によって封印されたはずの怪物。


その伝説は、誰もが知っていた。


だが、誰も生きている姿を見たことはなかった。


「封印は解けた。人間どもは、相変わらず争いを続けているようだな」


魔王は闘技場を見渡した。


「奴隷。闘技場。見世物。殺し合い。実に愚かだ」


そして、アルトを見た。


「お前か」


「……僕?」


「妙な波を発している人間がいると聞いた」


アルトは立ち上がった。


「僕の能力を知っているの?」


「波か。面白い」


魔王が右手を上げた。


その瞬間。


闘技場から、すべての音が消えた。


観客の悲鳴も。


石の崩れる音も。


人々の足音も。


何も聞こえない。


完全な静寂。


アルトは口を開いた。


「キュイイイイイッ!」


声が出ない。


いや、違う。


声は出ている。


喉も震えている。


しかし、音が伝わらない。


(そんな……!)


アルトは波を放とうとした。


だが、何も起こらない。


空気を揺らそうとしても、揺れない。


床を伝わらせようとしても、伝わらない。


鉄を振動させようとしても、動かない。


まるで世界そのものが、波を拒絶しているようだった。


魔王が歩き出した。


一歩。


その足が地面に触れた瞬間、闘技場の石材が粉々に砕けた。


アルトは飛び退いた。


しかし、避けきれない。


衝撃が身体を貫き、壁に叩きつけられた。


「アルト!」


レオの声が聞こえた。


音が戻ったのだ。


だが、アルトは立ち上がれなかった。


「ほう。まだ生きているか」


魔王はアルトを見下ろした。


「お前の能力は、波を生み出す力なのだろう?」


アルトは血を吐きながら、魔王を睨んだ。


「だったら……何だよ」


「波とは、何だ?」


魔王は指を一本立てた。


「振動の伝播。空間を伝わる変化。エネルギーの移動」


アルトは目を見開いた。


自分が学んだことと同じだった。


「ならば、波が伝わる世界を支配する者に、お前は勝てない」


魔王が指を下ろした。


再び静寂。


アルトの身体が動かなくなった。


いや、動けないのではない。


周囲の空気も、床も、何もかもが動きを失っている。


魔王はアルトの前に立った。


「人間よ。お前は波を作ることしか知らぬ」


魔王の手が、アルトの頭に伸びる。


「だが私は、波が存在する世界そのものを支配する」


そのとき。


「やめろおおおおおっ!」


レオが叫んだ。


鎖につながれたまま、魔王に向かって走っていた。


「レオ!」


魔王は振り向きもしなかった。


ただ、手を軽く動かした。


レオの身体が吹き飛ぶ。


壁に叩きつけられた。


「レオおおおおおっ!」


アルトは叫んだ。


立ち上がろうとした。


だが、身体が動かない。


魔王は興味を失ったように背を向けた。


「つまらぬ。やはり人間は脆い」


そのときだった。


アルトの頭に、一つの考えが浮かんだ。


(待て……)


(波が伝わらない?)


(本当に?)


音は伝わらない。


床も振動しない。


だが、魔王は見えている。


アルトの目には、魔王の姿が映っている。


光。


光もまた、波だ。


(光は……届いている)


アルトは魔王の背中を見つめた。


音波が止められても、光は届いている。


つまり、すべての波が止められているわけではない。


魔王は、波を選んで止めているのか?


それとも、波の種類によって支配できる範囲が違うのか?


(まだだ……)


アルトは震える手を伸ばした。


(僕には、まだ試していない波がある)


しかし、次の瞬間。


魔王が振り返った。


「気づいたか」


魔王の目が、アルトを捉えた。


「だが、遅い」


魔王の指先が光った。


アルトの視界が白く染まる。


轟音。


爆発。


闘技場が崩壊した。


王も、貴族も、観客も、奴隷も。


すべてが瓦礫に飲み込まれていく。


そして、静寂。


魔王は崩れた闘技場の中央に立っていた。


足元には、砕けた石と、無数の人間の身体。


「これでよい」


魔王は空を見上げた。


「人間の時代は終わった」


そのとき。


瓦礫の下から、小さな音がした。


カツン。


魔王は振り返った。


もう一度。


カツン。


瓦礫の隙間から、少年の手が伸びていた。


アルトだった。


血まみれの身体を引きずり、瓦礫の中から這い出してくる。


「……まだ」


アルトは顔を上げた。


「まだ、終わってない」


魔王は初めて、わずかに目を細めた。


「ほう」


アルトは震える手を握りしめた。


「僕は……波を作ることしか知らないんじゃない」


魔王は笑った。


「では、何を知っている?」


アルトは答えた。


「波には、いろんな種類がある」


魔王の笑みが消えた。


アルトの周囲で、かすかな光が揺れた。


「まだ、僕は全部を試していない」


魔王はしばらくアルトを見つめていた。


そして、静かに告げた。


「よかろう。ならば見せてみろ」


魔王が手を広げる。


「世界を揺らすという、その力を」


アルトは立ち上がった。


その背後には、もう闘技場も、王も、観客もいなかった。


そして、レオの姿も。


アルトは魔王を見据えた。


「絶対に許さない」


少年の声が、瓦礫の山に響いた。


第9話 終。

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