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第52話 始祖神の招待


その朝、世界から音が消えた。


鳥の鳴き声が止まった。


風が吹かなくなった。


川の水面が静止し、木々の葉が揺れることもなくなった。


人々は異変に気づき、空を見上げた。


「何だ……?」


「風が止まったぞ」


「川が……動いていない!」


アルトは街の広場に立っていた。


彼には分かった。


これは、波が止まったのではない。


世界の変化そのものが、止められている。


「みんな、動くな!」


アルトが叫んだ。


その声だけが、静止した世界に響いた。


「アルト、何が起きているの?」


リナが尋ねる。


「分からない。だが、時間神のときとは違う」


「どう違うの?」


「時間を巻き戻されているわけじゃない。変化が起きること自体を拒まれている」


そのとき、空に巨大な亀裂が走った。


亀裂の向こうには、白い空間が広がっていた。


そして、そこから声が聞こえた。


「アルト」


始祖神だった。


「来るがいい」


「どこへだ」


「私のいる場所だ」


「わざわざ招待してくれるのか?」


「お前たちが来なければ、こちらから迎えに行くことになる」


アルトは空を見上げた。


「断ったら?」


「この世界の変化を、すべて止める」


リナが息を呑む。


「そんなことをしたら……」


「人々は生きている。だが、何も変わらない。成長も、老いも、喜びも、悲しみもない。永遠に同じ瞬間を繰り返す」


始祖神の声は淡々としていた。


「それが、お前たちの望む世界なのか?」


アルトは答えた。


「違う」


「ならば来い」


亀裂の向こうに、巨大な門が現れた。


「罠だと思うか?」


ゲンダが尋ねた。


「間違いなく罠だろうな」


アルトは答えた。


「なら、行くのか?」


「ああ」


「だよな」


ゲンダは肩をすくめた。


「ここまで来て、逃げる理由もねえ」


セナが街の人々を見渡した。


「この世界を守るためにも、決着をつける必要があるわ」


「でも、始祖神のところへ行ったら、帰ってこられないかもしれないよ」


リナが言った。


カイが笑う。


「今さらだろ」


アルトは仲間たちを見た。


「無理に来る必要はない」


「またそれ?」


リナが眉をひそめた。


「私たちは、自分で決めてここにいるんだよ」


ゲンダが頷く。


「俺たちが誰なのかは俺たちが決める。忘れたのか?」


アルトは少しだけ笑った。


「そうだったな」


彼らは門へ向かった。


門をくぐると、そこは白い空間だった。


上下も左右もない。


遠近感すら曖昧だった。


だが、中央には巨大な建造物が浮かんでいた。


無数の柱が重なり、複雑な幾何学模様を描いている。


その中心に、ひとりの存在が立っていた。


始祖神。


以前よりも、その姿ははっきりしていた。


白い衣。


長い髪。


人間に似た顔。


しかし、その目には人間の感情がなかった。


「よく来たな」


アルトが前に出る。


「話があるんだろう」


「ある」


始祖神は周囲を見渡した。


「お前たちは、神々を殺してきた。永遠を望む者を殺し、時間を支配する者を殺した」


「そうだ」


「だが、お前たちは理解していない」


「何をだ」


「神々がなぜ世界を管理していたのかを」


始祖神が手を上げた。


周囲の空間に、無数の映像が浮かび上がった。


戦争。


飢餓。


疫病。


災害。


人々が争い、奪い合い、殺し合う姿。


「これが、お前たちの自由な世界だ」


アルトは映像を見つめた。


「人間は間違える。何度でも同じ過ちを繰り返す。力を持てば奪い、自由を与えれば争い、選択を与えれば自らを滅ぼす」


「だから管理するのか」


「そうだ」


始祖神は頷いた。


「私は世界を安定させていた。神々はそれぞれの領域を管理し、世界の均衡を保っていた」


「人間の時間を奪い、永遠に同じ日を繰り返させることが安定か?」


「必要な犠牲だった」


「誰が決めた」


「私だ」


アルトは一歩前に出た。


「それが腐敗だ」


始祖神の表情は変わらない。


「お前は死を司る。ならば分かるはずだ。終わりは危険だ。終わりがあれば、失敗も、喪失も、滅亡もある」


「それでも終わりは必要だ」


「なぜだ」


「終わらなければ、次が始まらない」


始祖神はしばらく黙っていた。


そして、静かに言った。


「お前は、世界を循環させたいのだな」


「そうだ」


「だが、循環には無駄がある」


始祖神の背後に、巨大な光の輪が現れた。


「生まれ、成長し、老い、死ぬ。文明は興り、滅びる。星は生まれ、消える。何度も同じことを繰り返す」


「それが世界だ」


「違う」


始祖神の声が強くなった。


「世界は、もっと完全になれる」


光の輪が回転する。


その中には、あらゆる時代の人間が映っていた。


生まれたばかりの赤子。


若者。


老人。


死者。


そして、まだ生まれていない者。


「私は、世界のすべての可能性を集めた。過去も未来も、存在したものも存在しなかったものも。すべてを一つにまとめ、最も優れた世界を作る」


リナが顔を上げた。


「それって……」


「可能性を一つに固定するということだ」


始祖神は答えた。


「争いも、失敗も、悲しみもない。すべてが最適化された世界だ」


「誰にとっての最適だ?」


アルトが尋ねた。


「世界にとってだ」


「人間にとってじゃない」


「人間は世界の一部にすぎない」


アルトは始祖神を睨んだ。


「なら、お前にとって人間は何だ」


「可能性の集合体だ」


「違う」


アルトは言った。


「人間は、一人ひとりが自分の時間を生きている」


始祖神は、わずかに目を細めた。


「お前は時間神を倒し、時間に触れた。だが、それだけで世界を理解したつもりか」


「理解したとは言っていない」


「ならば、見せてやろう」


始祖神が手を広げた。


世界が変わった。


アルトたちの目の前に、巨大な都市が現れる。


そこには、かつての楽園よりも美しい街並みが広がっていた。


人々は笑い、争いもない。


病気も、貧困も、災害もない。


しかし、アルトはすぐに違和感を覚えた。


「……これは何だ」


「私が作る世界の完成形だ」


始祖神が答える。


「すべての人間に、最も幸福な人生を与える」


リナが街を見渡した。


「でも、みんな同じ方向を見ている」


「必要な選択は、私が行う」


「自分で選ぶことは?」


「不要だ」


ゲンダが拳を握った。


「ふざけるな」


「不満か?」


「当たり前だろうが!」


始祖神はゲンダを見た。


「お前たちは、自由という言葉を好む。だが、自由は苦しみを生む。選択には責任が伴い、失敗には痛みが伴う。私はそれらを取り除く」


セナが静かに言った。


「痛みを取り除くことと、生きることを奪うことは違う」


「お前たちは、苦しみを美化している」


「違うわ」


セナは首を振った。


「苦しみをなくすために努力する。でも、その人が何を大切にするかまで奪うことはしない」


カイが一歩前に出た。


「お前の世界には、境界がないんだな」


「何?」


「自分と他人の境界だ。お前は全員を一つの正解に押し込めようとしている」


始祖神は答えなかった。


アルトが前に出た。


「お前の世界には、明日がない」


「明日はある。私が最善の未来を用意する」


「それは明日じゃない」


アルトは始祖神を見据えた。


「お前が決めた昨日の続きだ」


始祖神の背後で、光の輪が大きくなった。


「ならば、お前たちに選ばせよう」


空間に二つの世界が浮かび上がる。


ひとつは、苦しみも失敗もある、今の世界。


もうひとつは、すべてが整った、始祖神の世界。


「どちらかを選べ」


始祖神が言った。


「今の世界を残せば、いずれ争い、滅びる。私の世界を選べば、永遠に幸福が続く」


アルトは答えなかった。


リナも、ゲンダも、セナも、カイも。


誰もすぐには答えなかった。


やがて、アルトが口を開いた。


「選ばない」


始祖神の目が細くなる。


「何?」


「お前が用意した二つの選択肢から選ぶ理由がない」


「ならば、どうする」


アルトは手を上げた。


その指先に、小さな波が生まれる。


「世界は、これからも変わる」


波が広がった。


「人間が間違えることもある。失敗することもある。争うこともある」


アルトは始祖神を見据えた。


「それでも、自分たちで決める」


「その結果、滅びるかもしれない」


「それでもだ」


「愚かな」


「そうかもしれないな」


アルトは静かに答えた。


「だが、その可能性までお前に奪わせるつもりはない」


始祖神の表情が、初めて歪んだ。


「ならば、お前たちに見せよう。自由を選んだ世界の、最後を」


光の輪が爆発した。


白い空間が、巨大な闇に包まれていく。


アルトたちは身構えた。


始祖神の姿が、闇の中に溶けていく。


「次に会うとき、お前たちは理解するだろう」


声だけが響いた。


「世界を救うということが、どれほど残酷なことかを」


闇が消えた。


アルトたちは、元の街に戻っていた。


空には雲が流れている。


風が吹いている。


世界は動いていた。


だが、アルトは気づいていた。


始祖神は、まだ本気ではなかった。


「……あいつは、何を見せるつもりなんだ」


リナが隣に立つ。


「分からない。でも、私たちが選ぶことを、あいつは許さないんだと思う」


アルトは頷いた。


「なら、最後まで選び続ける」


遠くの空で、また小さな光が瞬いた。


始祖神の領域。


その奥には、まだ見たことのない世界が広がっていた。

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