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第5話 勝者の値段


地下牢は暗かった。


壁には黒ずんだ染みが広がり、床には乾いた血がこびりついている。


アルトは壁にもたれ、目を閉じていた。


闘技場で勝った。


あの剣闘士に、自分の力で勝ったのだ。


けれど、何も変わらなかった。


勝っても奴隷。


負けても奴隷。


商人にとって、自分は金を生む道具でしかない。


「起きろ」


看守が牢の扉を蹴った。


「出番だ」


「試合は明後日だと聞きました」


「予定変更だ。お前に会いたい客がいる」


看守はアルトの首に鎖をつけた。


「商品に客がついたんだ。ありがたく思え」


連れてこられたのは、闘技場の奥にある部屋だった。


豪華な椅子に座った男が、アルトを眺めている。


高価そうな服。指にはいくつもの宝石。


その隣には商人が立っていた。


「こちらが例の能力者です」


「ほう。こいつが?」


男はアルトの顔を覗き込んだ。


「随分と小さいな」


「ですが、昨日の試合では剣闘士を倒しました」


「それは見た。面白い能力だ」


男はグラスを傾けた。


「一つ、試してみたいことがある」


商人が頭を下げた。


「何なりと」


男は部屋の隅を指さした。


そこには一人の奴隷が座っていた。


アルトと同じくらいの年齢の少年だった。


顔には殴られた跡があり、片腕を押さえている。


「そいつと戦わせろ」


アルトは少年を見た。


「彼は怪我をしています」


「だから何だ?」


男は不思議そうに尋ねた。


「戦えるだろう?」


商人が少年に近づいた。


「立て」


少年は震えながら立ち上がった。


「お前たちは、これから戦う。勝った方には食事を与える。負けた方には何もない」


アルトは男を睨んだ。


「そんなの、戦いじゃない」


「では何だ?」


「ただの虐待です」


男は笑った。


「言葉を知っているな。奴隷にしておくには惜しい」


二人は闘技場に連れていかれた。


観客席はほとんど埋まっていない。


どうやら正式な試合ではなく、金持ちのための余興らしい。


「始め!」


合図と同時に、少年が飛びかかってきた。


アルトは反射的に鳴いた。


「キュイイイイイッ!」


少年の拳がアルトの肩に当たる。


痛みはあった。


だが、力は弱い。


アルトは少年の腕をつかみ、押し返した。


少年は簡単に転んだ。


「そこまで!」


試合は一瞬で終わった。


観客席から拍手が起こる。


「なるほど。相手の攻撃を弱めるのか」


貴族の男は満足そうに頷いた。


「では、もう一度だ」


アルトは少年に手を差し伸べた。


「立てる?」


少年はその手を取らなかった。


「……ごめん」


「え?」


「負けたら、飯がもらえないんだ」


少年は唇を噛んだ。


「俺、昨日も食べてないんだ」


アルトの手が止まった。


「もう一度やれ」


貴族の男が命じた。


今度は少年が先に動いた。


拳を振り上げ、アルトに向かってくる。


アルトは避けなかった。


「キュイイイイイッ!」


少年の拳が胸に当たった。


弱い。


簡単に止められる。


アルトは少年の肩を押した。


少年は倒れた。


「勝者、アルト!」


拍手が起こる。


少年は地面に座り込んだままだった。


「おい、立て」


看守が少年の脇腹を蹴った。


「負けた奴に飯はないぞ」


少年は腹を抱えた。


「すみません……」


「謝っても腹は膨れない」


看守は少年の首をつかみ、引きずっていった。


アルトはその背中を見つめていた。


「待ってください!」


看守は振り返らない。


「その子にも食事を与えてください!」


貴族の男が笑った。


「お前は勝った。なぜ負けた奴の心配をする?」


「僕が勝ったからです」


「それが理由になるのか?」


「僕が勝ったから、その子が食べられない。そんなの間違っています」


男はしばらくアルトを見ていた。


やがて、商人に顔を向けた。


「こいつは面白いな」


商人も笑った。


「ええ。見世物としては最高の商品です」


「次は、もっと残酷な試合を用意しろ」


その夜。


アルトは再び地下牢に戻された。


隣の牢には、昼間の少年がいた。


少年は床に横たわっていた。


「大丈夫?」


アルトが声をかける。


少年はゆっくり顔を上げた。


「……なんで助けようとしたんだ?」


「助けたかったから」


「馬鹿だな」


少年は小さく笑った。


「自分のことだけ考えてればいいのに」


アルトは答えなかった。


自分も、そうすべきなのかもしれない。


誰かを助けようとして、ミナを救えなかった。


それでも。


あのとき、手を伸ばさなかったことを後悔している。


だから今度は、伸ばした手を引っ込めたくなかった。


「僕はアルト」


「……レオ」


少年は目を閉じた。


「俺、ここから出られるのかな」


アルトはすぐには答えられなかった。


けれど、やがて口を開いた。


「出よう」


「え?」


「一緒に、ここから出よう」


レオは何も言わなかった。


ただ、暗い牢の中で、少しだけアルトの方を向いた。


アルトは拳を握った。


勝つだけでは足りない。


自由になるだけでも足りない。


ここで苦しんでいる人間を、もう見捨てたくなかった。


そして、いつか必ず。


自分を売った騎士団長にも。


笑っていた騎士たちにも。


人を道具として扱う商人にも。


同じ絶望を味わわせてやる。


アルトは暗闇の中で、静かに目を開いた。


第5話 終

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