第47話 永遠の楽園
始祖神の胸から伸びた黒い光。
その先には、無数の星々が並んでいた。
星々は美しかった。
海は青く、森は緑に輝き、空には七色の月が浮かんでいる。
争いも、飢えも、病気もない。
人々は笑い、歌い、花を育て、穏やかな日々を過ごしていた。
「ここが……神々の楽園?」
リナがつぶやいた。
「ああ。そうらしいな」
アルトは、その世界を見つめた。
「行ってみよう」
一行は黒い光に導かれ、楽園へと降り立った。
そこには、巨大な都市があった。
建物は白く輝き、道路には塵一つない。
人々は整った服を着て、笑顔で行き交っている。
空には花びらが舞い、街の中央には巨大な噴水があった。
噴水の水は、地面に落ちることなく空へ戻っていく。
「すごい……」
リナが目を輝かせた。
「こんな世界、本当にあるんだ」
だが、アルトは笑わなかった。
彼には見えていた。
街の人々の身体から、細い光の糸が伸びている。
糸は地面の下へ潜り、都市の中央にある巨大な塔へとつながっていた。
「何かがおかしい」
アルトが言った。
「どうしたの?」
「この街の人間たち、全員同じ波形をしている」
「波形?」
「心臓の鼓動、呼吸、体温、細胞の活動。全部が一定の周期に固定されている」
セナが近くの女性を見た。
女性は花を抱え、穏やかに微笑んでいる。
「こんにちは」
セナが声をかける。
「こんにちは。今日は素晴らしい一日ですね」
「いつも素晴らしい一日なの?」
「もちろんです。昨日も、今日も、明日も。ずっと素晴らしい日々が続きます」
女性は笑顔のまま答えた。
「あなたは、何歳なの?」
「分かりません」
「誕生日は?」
「覚えていません」
「家族は?」
「いますよ。ずっと一緒です」
女性は少し離れた場所にいる男の子を指さした。
男の子は、噴水の前で同じ動きを繰り返していた。
一歩進む。
右手を上げる。
花びらを拾う。
そして、また一歩進む。
その動作を、何度も何度も。
セナの表情が変わった。
「……あの子、何をしているの?」
「花びらを拾っているんですよ」
女性は微笑んだ。
「毎日、あそこで拾っています」
「毎日?」
「ええ。とても楽しそうでしょう?」
セナは男の子に近づいた。
「坊や、こんにちは」
「こんにちは!」
「何をしているの?」
「花びらを拾っています!」
「楽しい?」
「楽しいです!」
「ほかに何かしたいことはある?」
男の子は笑顔のまま答えた。
「花びらを拾いたいです!」
セナは、その子の手を取った。
冷たかった。
生きている人間の手とは思えないほど、冷たかった。
「この子……」
アルトが静かに言った。
「同じ一日を繰り返している」
都市の中央には、巨大な塔がそびえていた。
塔の周囲には、無数の光の糸が集まっている。
ゲンダが地面に手を当てた。
「こいつは、ただの塔じゃないな」
「何か分かるの?」
カイが尋ねる。
「都市全体が、この塔につながっている。建物も、道路も、人間も。全部が一つの機械みたいに組み上げられている」
ゲンダは顔をしかめた。
「しかも、こいつは何かを吸い上げている」
「何を?」
「時間だ」
アルトが答えた。
「正確には、人々が本来迎えるはずだった変化だ」
リナが塔を見上げる。
「変化を吸い上げる?」
「ああ。成長、老化、病気、回復、死。人間の一生に起こる変化を、この塔が管理している」
「それで、みんな同じ状態に固定されているのね」
「そうだ」
アルトは塔に向かって歩き出した。
「行こう。中を見れば、もっとよく分かる」
塔の入口には、二人の衛兵が立っていた。
「ここから先は立ち入り禁止です」
「誰の許可が必要だ?」
「神々の許可です」
「なら、神々に会わせろ」
衛兵は困ったように笑った。
「神々はお忙しいのです。皆様の幸福を維持するために、日夜働いておられます」
アルトは衛兵を見つめた。
「お前たちは、ここで何をしている?」
「警備です」
「いつから?」
「分かりません」
「休みは?」
「必要ありません」
「家族は?」
「おります」
「会っているのか?」
衛兵は笑顔のまま答えた。
「毎日、同じ時間に会っています」
アルトは二人の胸に手を当てた。
そこには、ほとんど同じ波形が流れていた。
「お前たちは、何も知らないんだな」
「何をですか?」
「自分たちが、何を奪われているのか」
アルトが手を離すと、二人の衛兵はその場に立ち尽くした。
リナが小声で尋ねた。
「今、何をしたの?」
「ほんの少しだけ、塔との接続を弱めた」
衛兵の一人が、自分の手を見た。
その手が震えていた。
「……あれ?」
彼は顔を上げた。
「俺、今まで何をしていた?」
もう一人が膝をつく。
「思い出せない……」
彼らの目から、笑顔が消えていた。
塔の内部には、巨大な空間が広がっていた。
そこには無数の人間が並べられていた。
老人。
若者。
子供。
赤ん坊。
全員が透明な管につながれ、眠っている。
管の中を流れているのは、血液ではない。
淡い金色の光だった。
その光は天井へ集まり、さらに上へと運ばれていく。
「これは……」
セナが息を呑んだ。
「人間よ」
「生きているのか?」
カイが尋ねる。
「生きている。でも、まともな状態じゃない」
セナは一人の老人の脈を取った。
「心臓は動いている。呼吸もしている。でも、身体が老化していない」
「死なせてもらえないのか」
アルトが言った。
セナはうなずいた。
「この人たちは、ずっとこの状態で生きている」
リナは壁に並んだ記録装置を見つけた。
そこには、一人ひとりの名前と数字が記録されていた。
年齢。
出生年月日。
最終更新日。
そして、残りの寿命。
残りの寿命は、すべて同じ数字だった。
無限。
「……これが永遠?」
リナの声が震えた。
そのとき、奥の扉が開いた。
白い衣をまとった神官たちが現れた。
「何者ですか」
「ここで何をしている?」
アルトが尋ねた。
神官の一人は、穏やかな表情で答えた。
「神々の命令に従い、世界の安定を維持しております」
「この人たちは何だ」
「永遠の楽園を支えるための、貴重な資源です」
「資源?」
「人間の生命活動から、余剰の時間を回収しています。回収された時間は神々の永遠を維持するために使われます」
「余剰?」
セナが声を荒らげた。
「この人たちの時間を奪っているのよ!」
神官は不思議そうに首を傾げた。
「奪う? いいえ。彼らは何も失っていません」
「何も失っていないですって?」
「彼らは老いません。病気にもなりません。死ぬこともありません。これ以上の幸福があるでしょうか」
セナは言葉を失った。
神官は続けた。
「人間は本来、弱い生き物です。老い、病み、死ぬ。だからこそ、我々が管理しているのです」
「本人たちは望んでいるのか?」
アルトが尋ねた。
「もちろんです」
神官は笑顔で答えた。
「彼らには選択する必要がありません。神々が最善を選んでくださるのですから」
その瞬間、アルトの周囲の空気が変わった。
「そうか」
彼は静かに言った。
「お前たちは、死を恐れているだけじゃない」
神官たちの笑顔が消えた。
「人間が自分で選ぶことも、恐れているんだな」
塔の最上階。
そこには、神々がいた。
豪華な玉座に座り、金色の杯を掲げ、食卓には見たこともない料理が並んでいる。
神々の身体は若々しく、傷一つない。
その周囲では、無数の従者が頭を下げていた。
彼らの中には、何百年も同じ姿勢を続けている者もいた。
一柱の神が、杯を傾ける。
「侵入者が来たか」
別の神が笑う。
「人間か?」
「いや、死だ」
その言葉に、神々の表情が変わった。
玉座の中央に座る神が、ゆっくりと立ち上がった。
「お前が、新しい死か」
「そうだ」
「ならば歓迎しよう。お前の存在は、我々にとって非常に不愉快だ」
「知っている」
神は杯を置いた。
「我々は世界を守っている。人間が死なない世界を作った。争いも病気もない。すべてが安定している」
「そのために、何人の人間の時間を奪った?」
「時間など、いくらでもある」
「違う」
アルトは神々を見渡した。
「人間には一人ひとりの時間がある。何をするか、誰と過ごすか、いつ終わるか。それを奪っておいて、余剰と呼ぶな」
神は笑った。
「人間に選択など必要ない。彼らは愚かだ。自分の命さえ守れない」
「だから、お前たちが管理するのか」
「そうだ」
神は両腕を広げた。
「我々は永遠に生きる。永遠に考え、永遠に管理する。人間はその恩恵を受けている。何が問題なのだ?」
アルトは答えた。
「お前たちは、世界を自分たちの所有物だと思っている」
「当然だ」
「なら、返してもらう」
神々の表情が変わった。
最初に動いたのは、玉座の右側に座っていた神だった。
「身の程を知れ」
その神が指を鳴らす。
塔全体が震えた。
透明な管につながれた人々から、金色の光が一斉に吸い上げられる。
光は神の身体に流れ込み、その力を増幅させた。
「この世界の時間は、すべて我々のものだ!」
神が腕を振るう。
巨大な光の刃が、アルトたちへ飛んできた。
「カイ!」
「任せろ!」
カイが境界を展開する。
光の刃が境界にぶつかり、軌道を変えた。
しかし、光は消えない。
塔の壁にぶつかった刃が、壁を切り裂く。
「くそっ、こいつらの力は人間から吸い上げた時間で増幅されている!」
ゲンダが叫ぶ。
「なら、供給を止める!」
アルトが右手を上げた。
彼の指先から、黒い波が伸びる。
波は塔の内部を走り、金色の光の流れに入り込んだ。
「時間を吸い上げる関係を切る」
神々の身体から、光が剥がれ始めた。
「なっ……!」
「お前たちの力は、お前たち自身のものじゃない」
アルトの波が強くなる。
「人間から奪った時間で、永遠を買っていたんだ」
神々の身体が揺らいだ。
しかし、玉座の中央に座っていた神が手を上げた。
「やめろ」
その声と同時に、金色の光が逆流した。
アルトの波が押し戻される。
「これは……」
神は立ち上がった。
「お前は死を与えることができる。だが、我々の力は死とは別のものだ」
神の背後に、巨大な時計が現れた。
針は動いていない。
文字盤には、過去も未来も存在しなかった。
「我が名は、時の統治者」
「時間そのものを操る神か」
「違う。時間を所有する神だ」
神が時計に触れた。
その瞬間、塔の中にいた人々の姿が変わった。
老人は若者に戻る。
子供は赤ん坊になる。
赤ん坊は、まだ生まれる前の状態へと戻っていく。
「やめろ!」
セナが叫んだ。
「彼らの時間を戻しているんじゃない!」
アルトが叫ぶ。
「存在した時間そのものを奪い返している!」
神は笑った。
「この者たちは、我々の所有物だ。生まれた時から、時間を提供する契約を結んでいる」
「そんな契約、誰が結んだ!」
リナが叫ぶ。
「彼ら自身です」
神は平然と答えた。
「生まれた瞬間に」
セナは、透明な管につながれた子供の手を握った。
その小さな手が、少しずつ消えていく。
「アルト! このままじゃ、この子たちが消えてしまう!」
「分かっている!」
「時間の流れを止めて!」
「それはできない!」
アルトは歯を食いしばった。
「時間を止めれば、この子たちも永遠にこの状態になる!」
セナは子供を抱きしめた。
「じゃあ、どうすればいいの!」
アルトは時計を見た。
あの時計は時間を操っているのではない。
人々の人生を、神々の所有物として管理している。
生まれた瞬間から、死ぬ瞬間まで。
そのすべてを神々が所有している。
「……そういうことか」
アルトは時計に向かって歩き出した。
「アルト! 危ない!」
「時計を壊すんじゃない」
彼は右手を上げた。
「所有関係を終わらせる」
黒い波が、時計の文字盤に触れた。
神が叫ぶ。
「やめろ!」
「お前たちは、人間の時間を所有していると思っている」
アルトの指先に、黒い光が集まる。
「だが、時間は誰のものでもない」
時計の針が動き始めた。
一秒。
二秒。
三秒。
その針が、初めて前へ進む。
神々の身体から、金色の光が剥がれ落ちた。
「馬鹿な……!」
「終わらせる」
アルトの手が握られた。
時計の文字盤に亀裂が走る。
次の瞬間、巨大な時計が砕け散った。
塔全体が揺れた。
透明な管が次々と外れ、人々の身体に光が戻っていく。
眠っていた老人が目を開けた。
子供が泣き始めた。
若者が自分の手を見つめ、震えている。
そして、長い間同じ動作を繰り返していた男の子が、初めて違う方向へ歩き出した。
「お母さん!」
その声を聞いた女性が、振り返った。
「……あなた?」
彼女は男の子を抱きしめた。
涙が流れた。
「どうして……私、ずっと忘れていた」
セナは、その様子を見つめていた。
「よかった……」
しかし、塔の最上階では、まだ神々が立っていた。
力を失い、若さを失い、身体に皺が刻まれていく。
「おのれ……!」
神々の一柱が叫んだ。
「人間ごときのために、我々の永遠を奪うのか!」
アルトは神々を見上げた。
「違う」
彼の周囲に黒い波紋が広がる。
「お前たちが、人間から奪ったものを返しただけだ」
「我々がいなければ、この世界は崩壊する!」
「なら、崩壊するかどうか見てみればいい」
アルトは一歩前に出た。
「世界は、お前たちが思っているほど弱くない」
神々の背後で、始祖神の声が響いた。
『アルト』
『お前は、神々を殺すことで世界を救えると思っているのか』
アルトは振り返らなかった。
「思っている」
『ならば、次は見せてやろう』
始祖神の声が、宇宙全体へ広がる。
『神々がいなくなれば、何が起きるのか』
その瞬間、楽園の空に巨大な亀裂が走った。
塔の上空に、無数の黒い線が現れる。
星々が揺れ、海が逆流し、地面が割れ始めた。
「何が起きているの!?」
リナが叫ぶ。
アルトは空を見上げた。
「この世界を維持していた仕組みが、壊れ始めたんだ」
ゲンダが叫ぶ。
「おい! まさか、この世界は神々がいないと動かないのか!?」
「違う」
アルトは答えた。
「神々が、自分たちに都合のいい形で世界を縛りつけていたんだ」
彼の手に、黒い波が集まる。
「なら、その縛りを全部解く」
アルトは空を見上げた。
「今度こそ、この世界を自由にする」
その背後で、男の子が母親の手を握っていた。
男の子は空を見上げる。
「ねえ、お母さん」
「なあに?」
「明日は、何をしてもいいの?」
母親は涙を拭い、笑った。
「ええ。明日は、あなたが決めていいのよ」
男の子は初めて、自分で笑った。
その笑顔を見て、アルトは再び神々に向き直った。
「終わらせよう」
黒い波紋が、楽園全体へ広がっていった。




