第46話 死を喰らう神
始祖神の胸に刻まれた黒い穴は、少しずつ広がっていた。
そこから漏れ出す黒い光が、神の身体を侵食している。
『……不愉快だ』
始祖神の声が響いた。
『終わりとは、これほどまでに不快なものだったか』
アルトは答えなかった。
彼の目には、始祖神の内部を流れる無数の波が見えていた。
心臓の鼓動は乱れている。
神々の永遠を維持するための共鳴も、少しずつ崩れ始めていた。
「もう長くはもたない」
アルトが言った。
そのときだった。
『ならば、我が終わりを引き受けよう』
別の声が響いた。
始祖神の背後から、一柱の神が現れた。
その姿は異様だった。
全身が黒い鎧に覆われ、顔の部分には大きな口だけが開いている。
口の奥には、無数の星が浮かんでいた。
『我が名は、喰死』
『終わりを喰らう者』
アルトは目を細めた。
「死を喰う神か」
『違う』
喰死神は笑った。
『死を喰らい、終わりを我が力に変える神だ』
喰死神が口を開いた。
その瞬間、始祖神の胸に刻まれた黒い穴が、急速に縮んでいく。
アルトの目が見開かれた。
「俺の死を……食ったのか」
『お前が与えた終わりは、我が糧となる』
喰死神の身体が膨れ上がる。
『死が生まれた今、我はかつてないほど強くなった』
その身体から、黒い波が放たれた。
波は周囲の神々に触れ、次々とその姿を変えていく。
倒れた神々が蘇る。
傷ついた神々が修復される。
終わりかけていた神々が、再び立ち上がる。
「まずい……!」
リナが叫んだ。
「アルトが与えた死を、全部吸収している!」
アルトは喰死神を見つめた。
「死を食べるなら、腹いっぱいにしてやる」
彼は右手を上げた。
黒い波紋が広がる。
神々の身体に、次々と終わりが刻まれていく。
だが、喰死神は大きく口を開けた。
『いただこう』
黒い波が、すべて喰死神の口へ吸い込まれていく。
『もっとだ』
喰死神の身体が、さらに巨大化した。
『もっと死を寄越せ!』
アルトは攻撃を止めた。
「なるほど」
彼は手を下ろす。
「お前は死そのものを食べているんじゃない」
『何?』
「死によって生まれた結果を食べている」
喰死神の口の中に、無数の光が渦巻いていた。
死んだ神々の残骸。
終わった能力。
消滅した存在の痕跡。
それらが、喰死神の内部で再び力に変換されている。
「死を食べることで、終わったものを自分の中に取り込んでいるのか」
『理解が早いな』
喰死神が笑った。
『ならば、見せてやろう』
その口が、宇宙全体を覆うほどに開いた。
『終わりを知らぬ者の力を!』
喰死神の口から、黒い光が放たれた。
光は波ではなかった。
波が伝わる前に、その結果だけが現れる。
ゲンダの構造線が切れた。
リナの観測が途切れた。
セナの手の中にあった生命の光が、消えかける。
カイの境界が、内側から崩れ始めた。
「何だ、こいつ……!」
カイが叫ぶ。
「攻撃が来る前に、結果が起きている!」
アルトは前に出た。
黒い光が彼に迫る。
その瞬間、アルトの身体に無数の傷が現れた。
傷はすぐに塞がる。
だが、今度は傷が塞がることも終わらされる。
身体が壊れ、修復され、また壊れる。
死と再生が、異常な速度で繰り返されていた。
「ぐっ……!」
アルトの膝が沈む。
喰死神が笑った。
『どうした、死の王よ』
『お前は終わりを与える者なのだろう』
『ならば、自分自身の終わりを受け入れてみろ』
アルトの身体が崩れ始めた。
リナが叫ぶ。
「アルト!」
だが、彼女はすぐに気づいた。
アルトの姿が、一つではない。
壊れているアルト。
修復されているアルト。
死にかけているアルト。
それらが同時に存在していた。
「違う……」
リナは目を凝らした。
「これは、アルトの身体を壊しているんじゃない」
彼女は喰死神を見た。
「アルトの死と再生の可能性を、全部同時に押しつけている!」
アルトは歯を食いしばった。
「リナ……」
「あなたは今、死ぬことも、生きることもできなくされている!」
喰死神が笑った。
『その通りだ』
『死を与える者が、死を与えられぬ状態に陥る。これほど滑稽なことがあるか』
アルトはゆっくりと顔を上げた。
「……面白いことをする」
『強がりか』
「いや」
アルトの身体から、黒い波紋が広がった。
「お前は、俺の能力をよく見ていない」
アルトは自分の身体に意識を向けた。
身体を構成する細胞。
細胞を動かす化学反応。
神経を伝わる電気信号。
心臓の鼓動。
それぞれが異なる周期で動いている。
喰死神は、それらすべてに死と再生を押しつけていた。
ならば。
「波は、重ね合わせることができる」
アルトの身体に、複数の波が走る。
「そして、重なった波は干渉する」
壊れる波。
修復する波。
死ぬ波。
生きる波。
それらが互いに干渉し、複雑な模様を作り出す。
アルトはその中から、一つの関係を見つけた。
喰死神の攻撃は、死と再生を交互に起こしているのではない。
死と再生を同時に成立させ、その差分を喰らっている。
「お前は、終わりを食べるために、終わりと始まりを同時に発生させている」
『それが何だ』
「同時に存在するなら、干渉する」
アルトは右手を握った。
「死の位相をずらす」
身体に刻まれた黒い傷が、一斉に光る。
次の瞬間、傷と修復の波が互いに打ち消し合った。
アルトの身体が安定する。
「なに……!」
喰死神の口が閉じた。
アルトは立ち上がった。
「お前は俺の死を食べていた。だが、死と再生が同時に起きているなら、食べるものがなくなる」
『馬鹿な……!』
「終わりだけを食べることはできない。始まりと終わりが重なれば、そこには循環が生まれる」
アルトの身体から、黒と白の波紋が広がった。
「お前は循環を食べているつもりで、循環に飲み込まれているんだ」
「アルト、今よ!」
リナが叫んだ。
彼女は喰死神の内部を観測していた。
その身体の中には、無数の終わりが蓄積されている。
だが、それらは一つの場所に集まっているわけではなかった。
死んだ神々の能力。
失われた星の残骸。
終わった命の記憶。
それぞれが異なる可能性として、喰死神の中に閉じ込められている。
「こいつの中には、終わったものが全部残っている!」
「分かった!」
アルトが答えた。
「なら、残骸を解放する!」
ゲンダが両手を広げた。
「待て! そのまま解放したら、全部ばらばらに飛び散るぞ!」
彼は喰死神の身体を構造として捉えた。
「俺が支える!」
ゲンダの構造線が、喰死神の身体に食い込む。
無数の線が、閉じ込められた残骸を一つずつ支えていく。
「こいつの中身を、まとめて吐き出させる!」
カイが境界を広げた。
「外へ出す場所は俺が作る!」
巨大な境界面が開く。
喰死神の身体と宇宙の間に、出口が生まれた。
セナは、その出口の前に立った。
「待って。解放するだけじゃだめよ」
彼女の手に光が灯る。
「中には、まだ命の痕跡が残っている。すべてを消す必要はない」
「セナ、何ができる?」
「命の流れだけを拾うわ。終わったものは終わらせる。でも、次につながるものは残す」
彼女は目を閉じた。
無数の光の中から、わずかな生命の痕跡を探す。
そして、手を伸ばした。
「見つけた!」
その光を、彼女はそっとすくい上げた。
「これでいい」
アルトは仲間たちを見た。
「ありがとう」
「礼は後だ!」
ゲンダが叫ぶ。
「早くやれ!」
アルトは喰死神へ向き直った。
「喰死神」
アルトの声が響いた。
「お前は終わったものを食べてきた」
黒い波が広がる。
「死んだものを自分の中に閉じ込め、終わりをなかったことにしてきた」
喰死神が後退する。
『やめろ……』
「お前が食べたものは、お前のものじゃない」
アルトは手を前に出した。
「返してもらう」
その瞬間、喰死神の身体に亀裂が走った。
ゲンダの構造線が、内部の残骸を支える。
カイの境界が、出口を開く。
リナの観測が、解放されるべき可能性を選び出す。
セナが、命の痕跡を拾い上げる。
そしてアルトの波が、喰死神の内部に入り込んだ。
「終末解放」
黒い波が、喰死神の身体を貫いた。
口の中にあった無数の光が、一斉に外へ飛び出す。
神々の残骸。
星の破片。
終わった命の記憶。
それらは宇宙に広がり、元の場所へ戻っていくわけではない。
新しい形を得て、別の可能性へと変わっていく。
喰死神の身体が、急速に縮んでいった。
『我は……終わりを……』
「お前は終わりを食べた」
アルトは近づいた。
「だが、終わりを食べても、次は生まれない」
喰死神の口が震える。
『我は、終わりを恐れていたのか……』
「そうだ」
アルトは手を伸ばした。
「お前にも、終わりを与える」
黒い波が、喰死神を包み込む。
喰死神の身体が光の粒になって崩れた。
その粒は、二度と集まらなかった。
戦場に静寂が訪れた。
ゲンダが大きく息を吐く。
「やっと一柱か……」
「まだまだいるわよ」
リナが空を見上げた。
そこには、無数の神々が残っていた。
だが、その中に一つだけ、奇妙な光があった。
始祖神の胸に刻まれた黒い穴。
それが、今までよりも大きくなっている。
アルトは気づいた。
「喰死神が、始祖神の心臓を食べていたんじゃない」
「どういうこと?」
セナが尋ねる。
「始祖神の心臓に刻んだ終わりを、喰死神が食べていた。つまり、あいつが消えたことで、終わりが再び始祖神に戻った」
遠くで、始祖神の身体が大きく揺れた。
『……死を喰らう者が消えたか』
その声は、以前よりも弱々しい。
しかし、まだ消えてはいない。
『ならば、次は我が直接、お前たちを終わらせよう』
始祖神の胸の穴から、黒い光が噴き出した。
その光は、宇宙の彼方へ伸びていく。
アルトはその先を見た。
「……あれは」
リナが息を呑む。
黒い光の先には、無数の星が並んでいた。
いや、星ではない。
神々が作り上げた、永遠の世界。
そこでは、誰も死なない。
誰も老いない。
誰も変わらない。
すべてが、同じ姿のまま続いている。
アルトはその光景を見つめた。
「まだ、こんな世界を残していたのか」
始祖神の声が響く。
『あれこそ、我らが理想とする世界』
『終わりなき楽園だ』
アルトは静かに答えた。
「なら、そこから終わらせる」
黒い衣が揺れた。
「次は、世界そのものを救う」
神々の戦争は、さらに深い場所へ進もうとしていた。




