第41話 宇宙の最初の波
光が膨張していた。
アルトたちの目の前で、何もなかった空間に時間が生まれ、空間が広がり、光が満ちていく。
「これが……宇宙の始まり?」
リナが呟いた。
「そう見えるな」
アルトは光を見つめていた。
だが、おかしい。
宇宙は膨張している。
それなのに、何も生まれていない。
星も、物質も、熱も。
光だけが広がり続けている。
「アルト。何か変なのか?」
ゲンダが尋ねた。
「始まっていないんだ」
「始まっているだろ。目の前で光が広がっている」
「違う。広がっているだけだ」
アルトは手を伸ばした。
光に触れる。
何も感じない。
波がない。
いや、正確には、波を伝えるものがない。
空間は広がっているのに、その中に変化がない。
「この宇宙には、まだ何もない。何も区別されていないんだ」
「区別?」
リナが聞き返す。
「ここと、あそこ。前と後ろ。原因と結果。そういう違いがない」
アルトは光の中心を見た。
「このままじゃ、何も起こらない」
そのとき、声がした。
「だから、お前たちが必要だった」
全員が振り向いた。
今度は声の主がいた。
人間の姿をしていた。
年齢も性別もわからない。輪郭はあるのに、顔だけが認識できない。
「お前は誰だ」
アルトが尋ねる。
「始まりを待つ者だ」
「何を待っている?」
「最初の違いだ」
その存在は、光の中心を指した。
「この宇宙には、まだ何もない。すべてが同じだ。すべてが同じなら、何も起こらない。変化がなければ時間もない。時間がなければ、始まりもない」
「だから俺たちを呼んだのか?」
「呼んではいない。お前たちは勝手に来た」
「じゃあ、どうして俺たちが必要なんだ」
「お前たちは、すでに違いを持っている」
その存在がアルトたちを見回した。
「異なる世界から来た者たち。異なる過去を持つ者たち。同じものを見ても、同じ答えを出さない者たち」
「……」
「お前たちがここにいる。それだけで、この宇宙には最初の違いが生まれている」
アルトは眉をひそめた。
「俺たちがいるから、宇宙が始まる?」
「そうだ」
「ふざけるな。俺たちが来る前から宇宙は存在していたんじゃないのか?」
「存在していたと言えるのか?」
その存在は淡々と答えた。
「時間も空間も、まだ始まっていなかった。お前たちが知っている宇宙は、まだ存在していなかった」
リナが一歩前に出た。
「じゃあ、私たちがここに来たことで宇宙が生まれるの?」
「正確には、お前たちがここに来たことで、宇宙が生まれる可能性が生じた」
「可能性?」
「だが、まだ足りない」
その存在が手を掲げた。
光の中心に、黒い点が現れた。
それは光を吸い込んでいた。
広がっていた光が、少しずつ中心へ戻り始める。
「何をした!」
ゲンダが叫ぶ。
「始まりを取り消している」
「どうしてだ!」
「始められないからだ」
黒い点が大きくなる。
光が消えていく。
「待て。何が足りない?」
アルトが叫んだ。
「最初の波だ」
「波?」
「最初の変化。何かが何かと異なるという、たった一つの事実だ」
アルトは光の中心を見た。
そこには、まだ何もない。
「お前の能力は波だろう」
その存在が言った。
「お前なら、できるはずだ」
アルトは笑わなかった。
「波を起こせばいいのか」
「そうだ」
「それだけで宇宙が始まる?」
「そうだ」
「じゃあ、簡単だ」
アルトは手を伸ばした。
「キュイイイイイッ!」
何も起こらなかった。
音がない。
振動もない。
光にも変化がない。
「……どういうことだ?」
「波は、何かの変化だ。だが、まだ何も存在しない」
その存在が言った。
「お前の能力が扱う波は、すでに存在する何かの上に生じる。ここには、その何かがない」
アルトは拳を握った。
「なら、何かを作ればいい」
「作るための材料がない」
「関係を作ればいい」
「関係を結ぶ相手がいない」
アルトは黙った。
自分の能力が通用しない。
初めてのことではない。
だが、今回は違う。
相手が強いのではない。
相手が存在していないのだ。
そのとき、リナが口を開いた。
「ねえ。私たちが違いを持っているって言ったよね」
「そうだ」
「だったら、私たち自身が最初の違いになればいいんじゃない?」
その存在は答えなかった。
「私たちは同じじゃない。アルトも、ゲンダも、セナも、カイも。みんな違う世界から来た。違う経験をして、違うものを見てきた」
リナはアルトを見た。
「アルト。あなたは世界を一つに決めないって言ったよね」
「ああ」
「だったら、ここでも一つに決めなくていい」
その瞬間、黒い点が彼らの足元まで迫った。
セナが叫ぶ。
「話は後だ! 消えるぞ!」
ゲンダがリナの腕をつかんだ。
だが、その手が透け始めていた。
カイも、自分の身体を見下ろしている。
「おい、アルト。何とかしろ!」
アルトは目を閉じた。
波とは何か。
変化だ。
変化とは、違いだ。
違いがなければ、変化はない。
ならば、最初に必要なのは、何かを動かすことではない。
何かと何かが、異なるという事実。
アルトは目を開けた。
「リナ。お前が見ているものを、俺に教えてくれ」
「何を?」
「俺には何も見えない。お前が見ているものを教えてくれ」
リナは光の中心を見た。
「小さな点がある」
「それだけか?」
「ううん。点の中に、無数のものが見える」
「どんなものだ?」
「星。海。山。人間。知らない生き物。知らない世界……全部」
リナは息を吸った。
「全部、違う」
アルトは頷いた。
「そうか」
彼は両手を広げた。
「だったら、全部始めよう」
「アルト!」
「一つだけを選ぶ必要はない。違いがあるなら、それぞれを別々に存在させればいい」
アルトの周囲に、見えない波が生まれた。
空間の波ではない。
まだ存在しない空間に、これから生まれる違いを刻み込む。
それは、彼がこれまで扱ってきた波とは違っていた。
波を伝えるものがない。
だから、伝える必要もない。
アルトは、違いそのものを生み出そうとしていた。
「キュイイイイイイイイイイイッ!」
その瞬間。
宇宙が爆発した。
光が走る。
空間が広がる。
時間が動き出す。
熱が生まれ、粒子が生まれ、無数の変化が一斉に始まった。
アルトたちの身体が光に飲み込まれる。
その中で、リナが叫んだ。
「アルト! あなたの身体が!」
アルトの右腕が崩れていた。
指先から、光の粒になって消えていく。
「問題ない!」
「問題あるでしょ!」
「これは俺の波だ! 俺が始めたんだ!」
そのとき、あの存在の声が響いた。
「違う」
アルトは振り向いた。
「お前が始めたのではない」
その存在の輪郭が崩れていく。
「お前たちが、始まりになったのだ」
「どういう意味だ!」
「宇宙が始まるためには、最初の違いが必要だった。お前たちは、その違いそのものだ」
アルトの身体がさらに崩れる。
リナが手を伸ばす。
「アルト!」
アルトは彼女の手をつかんだ。
「離すな!」
「離さない!」
「全員つかまれ!」
ゲンダがセナをつかみ、セナがカイをつかむ。
その瞬間、光が彼らを包み込んだ。
そして。
宇宙が始まった。
光が広がり、時間が動き、無数の星が生まれていく。
リナは、何も言わずに空を見上げていた。
そこには、無数の星があった。
「きれい……」
リナが呟いた。
アルトたちは、その光景を見つめていた。
「……俺たちが、宇宙を始めたのか」
アルトは右手を見つめていた。
指先が、消えている。
「アルト?」
リナが気づく。
「どうしたの?」
「いや……」
アルトは右手を握ろうとした。
だが、指は動かなかった。
痛みはない。
感覚もない。
ただ、そこにあるはずのものが、なくなっていた。
「アルト! 手が……!」
ゲンダが駆け寄る。
アルトの腕が、肘から先まで消えていく。
「何だよ、これ……」
セナがアルトの手首をつかんだ。
脈がない。
「アルト、心臓は?」
アルトは自分の胸に手を当てた。
動いていない。
「……止まってる」
リナが首を振る。
「嘘。だって、あなた喋ってるじゃない」
「そうだな」
アルトは笑おうとした。
だが、うまく笑えなかった。
彼の身体から、音が消えていく。
呼吸が消え、鼓動が消え、体温が消える。
最後に、アルトの目から光が消えた。
「アルト!」
リナの叫び声が響く。
アルトは倒れた。
セナが胸を押さえ、ゲンダが名前を呼ぶ。
誰もが、それが何を意味するのか理解していた。
アルトは死んだ。
その瞬間、宇宙のどこかで、何かが目を開けた。
「ようやく、最初の死者が来たか」
声がした。
誰の声なのか、誰にもわからなかった。




