↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
40/57

第40話「助けてはいけなかった」


トン。


トン。


トン。


地下から返ってきた三回の振動。


アルトは地面に手を触れたまま、目を閉じていた。


「間違いない。リナだ」


「場所は?」


ゲンダが尋ねる。


「この真下じゃない。もっと遠い。地下を伝わって、ここまで届いている」


「どうやって追う?」


「振動が返ってくる方向を探す。カイ、境界を作れるか?」


「今は無理だ。能力は失ったままだ」


「分かった。ゲンダ、地下の配管や通路に詳しいよね」


「この辺りならな。だが、振動だけで場所が分かるのか?」


「分かるようにする」


アルトは地面に手を置いた。


小さな振動を送り込む。


地中へ。


壁へ。


水道管へ。


異なる経路を通った振動が、次々と戻ってくる。


アルトはそれを聞き分けていた。


「こっちだ」


「何が聞こえる?」


セナが尋ねる。


「空洞がある。そこから、三回ずつ振動が返ってくる」


「リナが叩いているの?」


「いや。あの振動は、リナが残したものだ。何度も繰り返し再生されている」


アルトは立ち上がった。


「急ごう。リナは待っているわけじゃない」


地下へ続く通路は、古い排水設備の奥にあった。


ゲンダが錆びた扉をこじ開ける。


その向こうには、壁も床も天井もない空間が広がっていた。


いや、正確には、壁も床も天井もあった。


ただし、どれも同じ景色だった。


正面に扉がある。


右にも扉がある。


左にも扉がある。


天井にも扉がある。


そして、そのすべての向こう側に、同じ部屋が見えていた。


「なんだ、ここは……」


ゲンダが呟く。


「観測空間だ」


アルトは一歩踏み出した。


その瞬間、無数の扉が一斉に開いた。


扉の向こうには、無数のアルトがいた。


笑っているアルト。


怒っているアルト。


傷だらけのアルト。


王冠をかぶったアルト。


そして、誰かに首を刎ねられているアルト。


「どれが本物だ?」


カイが尋ねる。


「全部、僕だ」


「冗談だろ」


「冗談じゃない」


アルトは歩き続けた。


「ここにいるのは、僕が選ばなかった可能性だ」


その先に、一人の少女が立っていた。


短い茶色の髪。


作業着。


そして、見慣れたゴーグル。


「リナ!」


アルトが駆け寄る。


「来ちゃったんだ」


リナは困ったように笑った。


「迎えに来たよ」


「帰れないよ」


「帰れる」


「帰っちゃだめ」


アルトは彼女の腕をつかもうとした。


しかし、指先が触れる直前、リナの姿が揺らいだ。


「アルト。お願いだから、話を聞いて」


「話は帰ってから聞く」


「帰ったら、世界が終わるよ」


アルトの手が止まった。


「私、ここに来てからずっと見ていたの」


リナは周囲の扉を見渡した。


「この世界の外側。あなたが追いかけていた線の向こう側」


「何があった?」


「世界が一つじゃなかった」


リナが右手を上げる。


一つの扉に、別の景色が映った。


そこには、アルトがいた。


奴隷として鎖につながれている。


別の扉には、魔王にならなかったアルト。


さらに別の扉には、神々に従い、世界の管理者になったアルト。


「これは全部、別の世界?」


セナが尋ねた。


「そう。選択が違った世界。ほんの少しの違いから、大きく分かれた世界。私たちの知らない歴史を持つ世界」


「つまり、並行世界か」


カイが言う。


「そう呼んでもいいと思う」


リナはアルトを見た。


「そして、あなたが神々の管理機構を壊したことで、世界を一つに固定していた仕組みが壊れた」


アルトは黙っていた。


「神々は、世界を一つに保つために、無数の可能性を管理していた。あなたはその仕組みを壊した。だから、可能性が溢れ出した」


「それで、観測システムが動き始めたのか」


「うん。世界をもう一度、一つに固定するために」


ゲンダが割って入る。


「待て。固定するって、どういうことだ?」


リナは答えた。


「一つを選ぶの。選ばれた世界だけを残して、ほかの世界を消す」


沈黙が落ちた。


「消すって……」


セナが言葉を失う。


「そこにいる人たちも?」


「全部。人も、街も、歴史も。そこに生きている人たちにとっては、それが唯一の世界なのに」


ゲンダが拳を握る。


「ふざけるな。誰がそんなことを決めるんだ」


「観測システム」


リナは答えた。


「そして、そのシステムが必要としているのが、アルトと私」


アルトはようやく口を開いた。


「僕が波を操り、君が世界を観測する」


「そう。あなたの能力なら、無数の世界をつなげられる。私の能力なら、その中から一つを確定できる」


「二人が揃えば、世界を一つに戻せる」


「そういうこと」


「だから、僕を呼び寄せたのか」


「違うよ。あなたが自分で来たことも、あなたが神々を倒したことも、システムは利用したんだと思う」


リナは目を伏せた。


「でも、もうすぐ完成する。世界を一つにする準備が」


「だったら、止めればいい」


アルトは言った。


「観測システムを壊す」


「もう遅い」


「遅くない」


「アルト!」


リナの声が響いた。


「私がここにいるから、今の世界は保たれているの!」


彼女の足元から、光の線が広がっていた。


線は空間全体に張り巡らされ、無数の扉をつないでいる。


「私が観測し続けているから、この世界はここに存在できている。私が観測者として残っている限り、世界は崩れない」


「なら、一緒に帰ろう。僕が代わりに何とかする」


「できないよ」


「どうして?」


「私がここを離れたら、観測が止まるから」


リナは笑った。


「この世界が消える」


ゲンダが叫ぶ。


「だったら、ここに残ればいいだろ! 無理に連れて帰る必要はない!」


「それもできない」


「何でだ!」


「観測システムが、もう私を維持できなくなっているから」


リナの身体が透け始めた。


「私がここにいられる時間は、もう残っていない」


セナが駆け寄る。


「待って。身体を診せて!」


リナの手を取ろうとする。


だが、触れられない。


「脈がない……いや、身体そのものが……」


セナは手を引いた。


「こんなの、患者じゃない」


「ごめんね」


リナが謝る。


「私、みんなに会いたかった」


カイが一歩前に出た。


「アルト。どうする?」


アルトはリナを見ていた。


彼女を連れて帰れば、世界が消える。


彼女を残せば、いずれ彼女自身が消える。


どちらも救いではなかった。


「リナ」


「なに?」


「君は、どうしたい?」


リナは少しだけ驚いた顔をした。


「私?」


「ああ。君はどうしたいんだ」


「……世界を一つにしたくない」


「理由は?」


「どの世界にも、そこで生きている人がいるから。私が一つを選んだら、選ばれなかった人たちはどうなるの?」


アルトは頷いた。


「分かった」


「アルト、待って」


「君を連れて帰る」


「だから、それをしたら――」


「世界が消えるんだろう」


「うん」


「それでもいい」


ゲンダが振り返った。


「おい、アルト!」


セナも叫ぶ。


「本気なの?」


アルトは二人を見た。


「この世界を残すために、リナをここに閉じ込める。それは僕がかつてやっていたことと同じだ」


「だが、世界がなくなるんだぞ!」


「分かっている」


アルトはリナに手を伸ばした。


「僕はもう、誰かを管理して自由を奪う側には戻らない」


リナは目を見開いた。


「……本当にいいの?」


「君を助けに来たんだ」


アルトは彼女の手を握った。


今度は、指先がすり抜けなかった。


その瞬間。


空間全体が震えた。


無数の扉が、内側から砕け始める。


『観測者の離脱を確認』


声が響いた。


『世界の固定を解除します』


「始まったな」


アルトはリナの手を握ったまま、仲間たちを振り返った。


「走れ!」


全員が出口へ向かう。


しかし、出口はもうなかった。


床が消えた。


壁が消えた。


その向こうに、別の世界が見える。


ゲンダが手を伸ばす。


「セナ!」


セナの身体が傾く。


カイが彼女をつかんだ。


「こっちだ!」


アルトは周囲に波を放った。


空間を支える波。


崩壊を伝える波。


すべてを読み取り、つなぎ直す。


だが、つなぎ直した先から、また世界が剥がれていく。


「くそっ!」


アルトが叫ぶ。


『世界の固定を解除します』


「黙れ!」


アルトは両手を広げた。


「波を止める必要はない。世界を一つに戻す必要もない!」


彼は、無数の世界をつなぐ線を切った。


一本ずつ。


一本ずつ。


すべての世界を一つにまとめようとする関係だけを断ち切る。


しかし、最後の一本だけが残った。


その線の先に、無数の世界がぶら下がっている。


そして、その線はアルト自身につながっていた。


「アルト!」


リナが叫ぶ。


「それを切ったら、あなたも――」


「分かっている!」


アルトは線をつかんだ。


その瞬間、無数のアルトたちが現れた。


魔王のアルト。


奴隷のアルト。


神々に従うアルト。


すべてが一斉に口を開く。


「やめろ」


「こちらを選べ」


「この世界を残せ」


「お前の世界だけでいい」


「お前が生きていればいい」


アルトは目を閉じた。


「僕は、選ばない」


そして、アルトが最後の線を断ち切った。


世界と世界をつないでいた、最後の関係。


それが消えた瞬間、無数の光が一斉に遠ざかっていった。


それぞれの光の中に、それぞれの世界がある。


もう、どれか一つに統一されることはない。


「……これで、よかったんだよね」


リナが呟いた。


「わからない」


アルトは正直に答えた。


「でも、誰かに決められるよりはいい」


ゲンダが周囲を見回した。


「で、これからどうする?」


「まずは、あの世界を――」


アルトが一つの光を指そうとした。


そのときだった。


すべての光が、同時に消えた。


「え?」


リナの声。


星も、地面も、空もない。


ゲンダが足元を確かめる。そこには何もなかった。


それなのに、彼らは落ちていなかった。


「アルト、何か見えるか?」


セナの問いに、アルトは首を横に振った。


見えない。


聞こえない。


波がない。


いや、違う。


波が存在しないのではない。


波が生まれる前なのだ。


アルトは、自分の手を見つめた。


自分の身体を構成する物質も、空間も、時間さえも、まだ存在していない。


「……ここは」


その瞬間。


一点に、小さな光が生まれた。


あまりにも小さく、あまりにも強い光。


光が膨張する。


空間が生まれる。


時間が動き出す。


あらゆる方向へ、世界が広がっていく。


アルトは理解した。


「宇宙の……始まり?」


リナが息を呑む。


その光の中心から、声が聞こえた。


「遅かったな」


全員が振り向く。


そこには、誰もいない。


声だけが続いた。


「お前たちが来なければ、この宇宙は始まらなかった」


アルトは、光の中心を見つめた。


「……お前は誰だ?」


返事はなかった。


代わりに、宇宙がもう一度、大きく膨張した。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。