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第39話「僕の能力は、鳴き声だった」


「まずいな」


ゲンダが空を見上げた。


街の向こう側に、アルトと同じ顔をした人間たちが並んでいる。


十人。


百人。


数え切れないほどのアルト。


その誰もが、こちらを見ていた。


「いつ攻めてくるんだ?」


カイが尋ねる。


「分からない」


アルトはリナのゴーグルを握っていた。


「ただ、今すぐには来ないと思う」


「どうして分かる?」


「僕たちを観測しているからだ」


「観測?」


「僕たちが何をするのか、何を考えるのか。それを見ている」


ゲンダがため息をついた。


「見られてるだけで、こっちは何もできんのか」


「そんなことはない」


アルトはゴーグルを見た。


「むしろ、今が最後の機会かもしれない」


「何の?」


「僕のことを知ってもらう」


セナが首を傾げる。


「今さら?」


「今さらだ」


アルトは仲間たちを見渡した。


「僕は、君たちに自分のことをほとんど話していない」


「そうね」


セナが答える。


「あなたが何者なのか、私たちは断片的にしか知らない」


「僕がどこから来たのか。何をしてきたのか。どうして波を操れるのか」


アルトは一度、空を見上げた。


「全部話す」


ゲンダが腕を組む。


「こんなときに昔話か?」


「こんなときだからだ」


アルトは地面に座った。


「相手は僕を知っている。僕の能力も、過去も、考え方も。だったら、君たちにも知っておいてほしい」


少し間を置いて、彼は言った。


「僕が、何を間違えてきたのかも」


「僕の最初の能力は、鳴き声だった」


「鳴き声?」


ゲンダが聞き返した。


「ああ。キュイイイイイッ、ってね」


アルトは実際に声を出した。


カイが眉をひそめる。


「……それが能力なのか?」


「そう評価されていた。僕のいた世界では、能力にランクがあった。僕はE級。最低ランクだった」


「それで、何ができたんだ?」


「大きな声が出せる」


「……それだけ?」


「そう思われていた」


ゲンダが笑った。


「そりゃ、E級にもなるわな」


「だから奴隷にされた」


笑いが止まった。


アルトは淡々と続ける。


「役に立たない能力だと思われていたから、僕には価値がないと判断された。働かされて、命令されて、必要がなくなれば捨てられる。そんな生活だった」


セナが静かに尋ねる。


「その能力が、本当は違ったのね?」


「ああ。あるとき、僕は気づいたんだ」


アルトは地面に落ちていた小石を拾った。


「声を出すと、空気が震える」


「まあ、音だからな」


ゲンダが言う。


「そう。声は音だ。音は波なんだ」


「波?」


「まず、これを見て」


アルトは近くの水桶を引き寄せた。


水面に小石を落とす。


ポチャン。


水面に円形の波紋が広がった。


「これが波だ」


カイが水面を覗き込む。


「水が広がっている?」


「そう見える。でも、水そのものが桶の端まで移動しているわけじゃない」


アルトは水面に浮かんでいた小さな木片を指差した。


「見ていて」


波紋が木片を通り過ぎる。


木片は上下に揺れたが、ほとんど同じ場所に浮かんでいる。


「水はその場で上下に動いている。波は外へ進んでいる。つまり、波が進むことと、物質そのものが進むことは違うんだ」


「じゃあ、何が進んでいるんだ?」


ゲンダが尋ねる。


「水面の揺れが、隣の水へ伝わっている。揺れが次々と伝わることで、波が進んでいく」


アルトは木片を指でつついた。


「波は、変化が伝わっていく現象なんだ」


セナが頷く。


「水そのものではなく、揺れが伝わる」


「そう。波はエネルギーや情報を運ぶこともある。でも、物質そのものが波と一緒に移動するとは限らない」


アルトは水面を見た。


「これが、僕の最初の発見だった」


「音も同じなの?」


セナが尋ねた。


「ああ。音は空気の波だ」


アルトは手を叩いた。


パンッ!


「手を叩くと、周囲の空気が押される。空気が少し圧縮されて、その圧縮が隣へ伝わる。次に膨張し、その変化も伝わる」


「空気が前後に動いているのね」


「そう。音の場合、空気の粒は音の進む方向とほぼ同じ方向に振動する。これを縦波という」


アルトは地面に線を引いた。


「水面の波では、水面の高さが上下する。音では、空気が進行方向に押されたり戻ったりする。波には、いろいろな種類がある」


「地震もか?」


ゲンダが尋ねる。


「そう。地震には、地面を押したり引いたりする波もあれば、地面を横に揺らす波もある。地面そのものが波の形で進んでくるわけじゃない。地面の変形が伝わっていくんだ」


「なるほどな。だから遠くの地震でも、揺れが届くのか」


「そういうこと」


カイが腕を組んだ。


「じゃあ、光も波なのか?」


「光も波だ」


「光は空気が揺れているのか?」


「いや。そこが面白いところだ」


アルトは空を指差した。


「音や水面の波は、伝わるための物質が必要だ。水や空気や地面がなければ、そうした波は伝わらない。でも光は違う。光は電磁波で、真空でも伝わる」


「何もないところでも?」


「ああ。太陽の光が宇宙空間を通って、地球まで届くようにね」


ゲンダは空を見上げた。


「波ってのは、思ったより種類があるんだな」


「見た目は違っても、共通しているところがある。何かの変化が伝わっていくということだ」


アルトは自分の胸に手を当てた。


「僕は、その変化を操れる」


「どうやって?」


カイが尋ねた。


アルトは地面に四つの線を引いた。


「波には、いくつかの性質がある。まずは振幅」


水桶に指を入れ、少しだけ動かす。


小さな波紋が広がる。


次に、強く水を押す。


大きな波紋が広がった。


「振幅は、揺れの大きさだ。大きく揺れれば振幅が大きい。小さく揺れれば小さい」


「つまり、強さか?」


「大まかにはそう考えていい。ただし、波の種類によって振幅が表す量は違う」


次に、アルトは一定の間隔で水面を叩いた。


「次は周波数。一定時間に何回振動するかだ」


トン、トン、トン。


ゆっくり叩く。


今度は速く叩く。


トトトトトト。


「ゆっくりなら周波数が低い。速ければ高い」


セナが尋ねる。


「音の高さもそれで決まるの?」


「そう。音なら周波数が高いほど高い音になる」


アルトは地面に二つの山を描いた。


「次は波長。波の山から次の山までの距離だ」


「山と山の間隔か」


「そう。周波数が高くなると、同じ速さで進む波なら波長は短くなる」


ゲンダが首を傾げる。


「同じ速さ?」


「波には伝わる速さがある。波の速さ、周波数、波長には関係がある」


アルトは地面に式を書いた。


v=fλ


「波の速さは、周波数と波長を掛けたものになる」


「急に難しくなったな」


「簡単だよ。例えば、波が一秒間に二つ進み、山と山の間隔が三メートルなら、波は一秒間に六メートル進む」


ゲンダは式を眺めた。


「なるほど。周波数が二、波長が三なら、速さは六か」


「そう。最後に位相」


アルトは二つの波形を描いた。


「同じ波でも、山と山が重なる場合と、山と谷が重なる場合がある」


「重なるとどうなる?」


「山と山なら、揺れが大きくなる。山と谷なら、互いに打ち消し合うことがある」


アルトは二つの波形を重ねた。


「これが干渉だ」


セナが目を輝かせた。


「打ち消すこともできるの?」


「できる。波の形が同じで、山と谷がぴったり重なれば、互いを打ち消せる」


「じゃあ、音を消すことも?」


「そう。ノイズの能力に近い」


その名前が出た瞬間、全員が黙った。


アルトは地面の波形を見つめた。


「ノイズは、音を消していた。でも、彼の能力の本質は、音を消すことではなかった」


「届くはずのものを、届かなくする」


カイが言った。


「ああ」


アルトは頷いた。


「彼は、波が伝わる関係そのものを遮断していた」


「それで、どうやって強くなったんだ?」


ゲンダが尋ねた。


「一つずつ、波の性質を理解していった」


アルトは水桶に手を入れた。


「例えば反射。波が壁に当たって跳ね返ることだ」


桶の縁を叩く。


波紋が戻ってくる。


「屈折は、波の進む速さが変わる場所で進む向きが変わること。回折は、障害物の裏側などへ波が回り込むこと」


カイが尋ねた。


「俺の能力は反射に近いのか?」


「近いね。君は境界を作って、特定の波を反射させていた」


「俺の能力は、壁を作ることだと思っていた」


「物体を通さない壁じゃない。波の伝わり方を変える境界だった」


カイは自分の手を見た。


「そうだったのか……」


「それから共振」


アルトは水桶の縁を一定のリズムで叩いた。


最初は何も起きない。


しかし、叩く間隔を少しずつ変えていくと、水面の揺れが大きくなった。


「物には、それぞれ揺れやすいリズムがある。そのリズムに合った力を繰り返し加えると、揺れが大きくなることがある」


ゲンダが頷いた。


「工場の機械でもあるな。特定の回転数になると、やたら振動するやつだ」


「そう。それが共振だ」


「じゃあ、共振させれば何でも壊せるのか?」


「そう単純じゃない。共振しても、揺れを抑える仕組みがあれば大きくならない。材料や形状によっても違う」


アルトは水桶から手を離した。


「でも、僕はそれを攻撃に使った。小さな揺れを積み重ねて、大きな破壊につなげた」


セナが顔を曇らせる。


「それで魔王を倒したの?」


「そうだ」


「魔王になった経緯を聞かせてくれ」


カイが言った。


アルトはしばらく黙っていた。


「僕は、奴隷だった」


「さっき聞いた」


「その後、僕は自分の能力を理解して、使い方を覚えた。最初は逃げるためだった。次は自分を縛る人間を倒すため。そのうち、敵を倒すために使うようになった」


「そして魔王を倒した」


「ああ」


アルトは地面を見つめた。


「魔王を倒したとき、僕は自由になったと思った。でも、魔王がいなくなった世界は、すぐに新しい支配者を求めた」


ゲンダが尋ねる。


「それで、お前が魔王になったのか?」


「そうだ。僕が最も強かったから」


「自分からなったのか?」


「必要だと思った」


アルトは淡々と答えた。


「誰かが世界を管理しなければ、また同じことが起きると思った。僕なら、誰よりも正しく管理できると思った」


セナが静かに言った。


「自分が奴隷だったのに、今度は他人を管理する側になったのね」


「そうだ」


アルトは否定しなかった。


「僕は、自分が自由になることと、他人を自由にすることを同じだと思っていた。でも、違った」


「どう違う?」


ゲンダが尋ねる。


「自分が正しいと思うことを、他人に押しつけても自由にはならない」


アルトは拳を開いた。


「僕は魔王になって、世界を管理した。争いを減らし、無駄をなくし、効率のいい世界を作ろうとした。人間を、世界を動かすための部品のように扱った」


「……」


「そして、神々と戦った」


カイが尋ねる。


「神々は何をしていた?」


「世界を管理していた。人間の能力や運命を分類し、管理し、必要なら排除する。僕はその仕組みを壊した」


「どうやって?」


「波を使って、管理機構を成立させていた関係を切った」


アルトは空を見た。


「そのとき、僕は気づいた。世界を管理する仕組みを壊しても、世界そのものが自由になるわけじゃない」


「だから、外側を見に行った?」


「ああ」


「それで、世界の外側か」


ゲンダが言った。


アルトは頷いた。


「神界の外側に、一本の線が伸びていた」


「それがさっきの線か?」


「そう。僕は、その先に何があるのか知りたかった」


セナが尋ねる。


「帰りたかったんじゃないの?」


「違う。僕は帰るために追いかけたんじゃない」


アルトは仲間たちを見た。


「知らないものがあるなら、知りたい。それだけだった」


「それで境界を越えた?」


「そう。線を追っている途中で境界が壊れた。僕はそこから落ちて、この世界に来た」


カイが首を傾げる。


「誰かに呼ばれたわけじゃないのか」


「違う。僕は自分で来た」


「じゃあ、今までの事件も、その線が原因なのか?」


「分からない」


アルトは正直に答えた。


「ただ、今なら一つ分かる」


「何だ?」


「僕が世界の外側を知ろうとしたこと。それ自体が、何かに利用されていた可能性がある」


ゲンダが舌打ちした。


「結局、最初から仕組まれていたってことか」


「いや」


アルトは首を振った。


「僕が自分で選んだことまで、誰かのせいにはしたくない」


「ねえ、アルト」


セナが尋ねた。


「波のことは分かった。でも、あなたはどうしてそんなにいろいろな波を操れるの?」


「僕の能力は、特定の波を操る能力じゃないからだ」


アルトは自分の手を見た。


「音だけじゃない。水面の波も、地面を伝わる波も、光も、電磁波も。波として扱えるものなら、いろいろなことができる」


「何でもできるのか?」


「何でもじゃない」


アルトは即答した。


「波の性質を理解していなければ、思い通りには操れない。何が伝わっているのか、どこを通っているのか、何に影響するのか。それを理解する必要がある」


「つまり、知識が必要ってことか」


「そう。僕は、波を理解するほどできることが増えていった」


リナのゴーグルを見つめる。


「そして、あるとき気づいた。波を操ることは、物と物の関係を変えることでもある」


カイが尋ねた。


「関係?」


「例えば、音と聞く人。光と見る人。力を伝える部品と、その力を受ける部品」


アルトは地面に二つの点を描き、線で結んだ。


「この線が、何かを伝える関係だ。僕は、その線を切ったり、つなぎ直したりできるようになった」


「それで、境界装置を止めたのか」


「ああ」


セナはしばらく考えていた。


「じゃあ、今回の敵は?」


「僕たちが世界を観測する関係を利用している」


「どういうこと?」


「僕たちは、目で光を受け取る。耳で音を受け取る。身体で振動を感じる。その情報をもとに世界を理解する」


アルトはゴーグルを握った。


「でも、今回の敵は、その情報を利用して、僕たちが認識する世界そのものに干渉している」


ゲンダが腕を組んだ。


「リナが見たものが現実になったのも、それか」


「そうだと思う」


「なら、リナはどこへ行った?」


アルトは答えなかった。


ゴーグルのレンズに浮かぶ文字。


『観測者:リナ』

『状態:未確定』


「リナは、世界を観測する側に移された」


「戻せるのか?」


「分からない」


アルトは立ち上がった。


「でも、一つだけ確信している」


「何だ?」


「リナは、まだ存在している」


そのとき、街の向こうから声が響いた。


「話は終わったか?」


全員が振り返る。


無数のアルトたちが、ゆっくりと歩いてきていた。


その先頭にいる一人が、こちらに向かって手を振った。


「ずいぶん親切な授業だったね」


アルトは目を細めた。


「聞いていたのか」


「もちろん。君の人生は、僕たちも知っている」


「なら、僕の能力も知っているな」


「知っているよ」


もう一人のアルトは笑った。


「君が波を操ることも、関係を切ることも、つなぐことも」


「だったら、僕が何をするかも分かるんだろう」


「分かるさ」


「なら、止めてみろ」


アルトが右手を上げる。


しかし、波は放たなかった。


代わりに、彼は仲間たちを見た。


「さっき話したことを覚えているか?」


ゲンダが頷く。


「波は、変化が伝わる現象だ」


「そう」


アルトは地面を指差した。


「そして、波を伝えるには、何かしらの関係が必要になる」


カイが気づいた。


「俺たちの間にも、関係がある」


「そうだ。僕が一人で戦う必要はない」


アルトは仲間たちに背を向けた。


「僕の能力を知っているだけでは、僕を理解したことにはならない」


もう一人のアルトが笑った。


「何を言っている?」


アルトは答えた。


「僕は、君たちが知らない僕を、これから作る」


その瞬間、彼の胸が鳴った。


ドクン。


仲間たちの胸も鳴る。


ドクン。


ドクン。


それぞれ違うタイミングで。


誰一人として、同じリズムではなかった。


アルトは笑った。


「同じ波に揃える必要なんてない」


彼は手を広げた。


「違う波だからこそ、重なったときに新しいものが生まれる」


もう一人のアルトの笑みが消えた。


「……何をするつもりだ」


「見せてやるよ」


アルトの足元から、波が広がった。


それは一人の人間の波ではなかった。


ゲンダの足音。


セナの呼吸。


カイの指先が地面を叩く音。


それぞれが違う振動となって重なっていく。


誰かの波を消すのではない。


誰かの波に合わせるのでもない。


違う波が、違うまま重なっていく。


その瞬間、無数のアルトたちの足が止まった。


「何だ……?」


先頭のアルトが呟く。


アルトは答えた。


「僕たちは、同じ人間じゃない」


一歩、前へ出る。


「だから、同じ答えにはならない」


彼の足元に、一本の波が走った。


そして、遠く離れた街の地下から、かすかな振動が返ってきた。


トン。


アルトの目が見開かれる。


「……リナ?」


返ってきた振動は、三回。


トン、トン、トン。


それは、以前リナが金属棒で床を叩いていたリズムだった。


アルトは笑った。


「見つけた」


無数のアルトたちが、一斉に動き始める。


だが、アルトはもう彼らを見ていなかった。


彼の意識は、地下から返ってくる小さな振動に集中していた。


「リナ。今度は僕が、君を見つける」


そして、彼は走り出した。

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