第28話「共鳴する街」
「アルト。今日は医者に会いに行くわよ」
リナが研究所の扉を開けた。
「医者?」
「そう。あなたの能力を医療に使えるかもしれないの」
「身体の中を調べるの?」
「そうよ。昨日、金属の内部を調べていたでしょう? 人間の身体だって、同じように調べられるはずよ」
アルトは頷いた。
「できると思う。でも、見えることと、分かることは別だよ」
「だから医者に会うの。あなたは見つける。医者は判断する。いい組み合わせでしょ?」
「うん。行こう」
二人は街の西側にある診療所へ向かった。
そこは古い石造りの建物だった。
扉を開けると、薬草と消毒液の匂いがした。
「いらっしゃい。リナ」
白衣を着た女性が顔を上げた。
「セナ! 紹介したい人がいるの」
「また何か変な装置を持ってきたのかと思ったわ」
「今日は人間よ!」
「それは見れば分かるわ」
セナはアルトに視線を向けた。
「初めまして。医師のセナです」
「アルトです」
リナが説明を始める。
「この子は波を操れるの。音だけじゃない。物体の内部を伝わる波も使える。だから、身体の中も観察できるはずよ」
セナの表情が変わった。
「身体の内部を?」
「うん。超音波に近いことができる」
「それは興味深いわね」
セナは診察台を指した。
「試してみてもらえる?」
「いいよ」
そのとき、診療所の扉が乱暴に開いた。
「先生! 大変だ!」
男が一人、転がり込むように入ってきた。
「どうしたの?」
「工場で事故が起きた! 負傷者がいる!」
男の服には血がついていた。
「一人は意識がない。もう一人は腹を強く打ってる。運んでくる!」
セナはすぐに立ち上がった。
「処置室を開けて。リナ、手伝って」
「分かった!」
アルトも立ち上がる。
「僕も行くよ」
セナは一瞬だけ迷った。
「あなたに何ができるか分からない。でも、患者の身体を傷つけずに調べられるなら、力を貸して」
「分かった」
負傷者が運び込まれた。
一人は頭から血を流し、意識を失っている。
もう一人は腹を押さえ、苦しそうに呼吸していた。
「こちらは頭部外傷。呼吸はあるわ。もう一人は腹部を強く打っている。内出血の可能性がある」
セナは手際よく指示を出す。
「アルト、あなたに頼みたいことがある」
「何?」
「この人の身体の中を調べて。出血している場所が分かる?」
「やってみる」
アルトは患者の腹部に手をかざした。
波を送る。
皮膚を通り、脂肪を通り、筋肉を通る。
臓器の境界で反射した波が戻ってくる。
アルトはその反射を一つずつ拾い上げた。
「……液体が溜まっている」
「どこ?」
「腹部の右側。臓器の周囲に、通常とは違う反射がある」
「出血?」
「可能性はある。でも、僕には断定できない」
「十分よ。位置を教えて」
アルトが位置を伝える。
セナは患者の状態と照らし合わせた。
「……内出血の疑いが強いわ。すぐに処置が必要ね」
リナは息を呑んだ。
「本当に身体の中が見えるんだ……」
「リナ、感心している場合じゃないわ。器具を取って」
「はい!」
アルトは患者から手を離した。
その瞬間だった。
床が揺れた。
ガタガタガタッ!
棚の瓶が跳ね、窓ガラスが震える。
「地震!?」
リナが叫んだ。
しかし、揺れはすぐに止まった。
静寂。
セナは患者を押さえながら周囲を見回した。
「今のは……?」
アルトは床を見つめていた。
「違う」
「何が?」
「地震じゃない」
アルトはしゃがみ込んだ。
床に手をつく。
再び、揺れ。
ガタガタガタッ!
今度は壁の棚が大きく揺れた。
天井から粉塵が落ちる。
そして、揺れが止まった。
アルトの表情が変わる。
「周期がある」
「周期?」
「同じ揺れが、一定の間隔で来ている」
リナが時計を見る。
「次は?」
アルトは床に手を当てたまま答えた。
「あと六秒」
一秒。
二秒。
三秒。
四秒。
五秒。
六秒。
ガタガタガタガタッ!
今度は診療所全体が揺れた。
棚が倒れ、瓶が割れる。
患者のベッドが床の上を滑った。
セナが必死に押さえる。
「何なのよ、これ!」
アルトは床に手をついたまま、目を閉じた。
「波だ」
アルトの意識が、建物の内部へ広がっていく。
床。
壁。
柱。
梁。
基礎。
それぞれの場所を伝わる振動を観測する。
揺れは建物の外から来ている。
地下からだ。
しかも、ただの振動ではない。
一定の周期で、同じ振動が繰り返されている。
「……なるほど」
アルトは立ち上がった。
「この建物が共鳴している」
リナが叫ぶ。
「共鳴!?」
「外から伝わってくる振動の周期と、建物が揺れやすい周期が一致しているんだ」
アルトは壁に手を当てた。
「物には、それぞれ揺れやすい周期がある。そこに同じ周期の振動が繰り返し加わると、揺れがどんどん大きくなる」
「じゃあ、この建物が壊れるの!?」
「このままならね」
セナが患者を見た。
「すぐに外へ運び出したいけれど、意識のない患者がいるわ。動かすのは危険よ」
アルトは天井を見上げた。
梁が震えている。
柱の接合部から、細かな粉塵が落ちていた。
「なら、揺れを止める」
「どうやって?」
アルトは両手を広げた。
「逆の波をぶつける」
次の振動が来る。
アルトは床に両手をついた。
波を作る。
建物の基礎に、外から伝わってくる振動と反対の位相を持つ波を送り込む。
山には谷を。
谷には山を。
二つの波が重なる。
振幅が小さくなる。
ガタガタッ!
揺れが弱まった。
「止まった!?」
リナが叫ぶ。
「まだだ」
アルトは眉を寄せた。
「一部だけだ。場所によって揺れ方が違う」
建物全体が一枚の板のように動いているわけではない。
柱は柱の揺れ方をする。
梁は梁の揺れ方をする。
壁にも、床にも、それぞれの振動の形がある。
建物全体が複雑な振動をしていた。
「一つの波じゃ足りない」
アルトは床を叩いた。
その瞬間、建物の各所に異なる波が広がる。
柱には柱に合った波。
梁には梁に合った波。
床には床に合った波。
位相を少しずつずらし、振幅を調整する。
一つ一つの振動を観測しながら、逆向きの波を重ねていく。
「これが……」
リナは息を呑んだ。
「波の干渉……」
アルトの周囲で、空気が震えた。
キュイイイイイッ!
その鳴き声と同時に、建物の揺れが消えた。
棚の瓶が止まる。
天井から落ちていた粉塵が、ゆっくり床に落ちた。
静かになった。
セナは患者の様子を確認した。
「……揺れが止まった」
リナはアルトを見た。
「すごい……。建物そのものの振動を打ち消したの?」
「完全にはね。今は外から来る振動に合わせて、反対の波を送り続けている」
「そんなことができるの!?」
「できるよ。波は重ね合わせられるから」
アルトは床から手を離さなかった。
「でも、これを続けるだけじゃ駄目だ。原因を止めないと」
アルトは床に手を当て、地下へ波を送った。
今度は打ち消すためではない。
探すためだ。
地下の地層。
古い水道管。
石造りの基礎。
土の中にある空洞。
波を送る場所を変え、戻ってくる反射を比較する。
「……見つけた」
「何があったの?」
「地下に空洞がある。その中に、大きな金属の塊がある」
「金属?」
「それが振動を出している」
リナが顔を上げた。
「誰かが装置を仕掛けたの?」
「分からない。でも、自然にできたものじゃない」
アルトは目を閉じた。
金属の塊から、規則的な振動が出ている。
一秒。
二秒。
三秒。
四秒。
一定の周期。
しかも、その振動は周囲の地面を通じて街へ広がっていた。
「街全体に波を送っているのか……」
アルトは振動の伝わる方向を追った。
そして、地下にある金属の塊の形を観測する。
円筒形。
内部に空洞。
その中心に、細い金属棒が通っている。
「これは……共鳴器?」
リナが近づいた。
「何それ?」
「内部の空気と金属が特定の周期で振動している。外から力を加えると、その振動が大きくなる構造だ」
「そんなものが地下に?」
「誰かが作ったのかもしれない」
アルトは少し考えた。
「でも、止め方は分かった」
アルトは地下の金属装置に波を送った。
最初は弱い波。
装置の振動を観測する。
次に、周波数を変える。
わずかに高く。
さらに低く。
装置がどの周波数に反応するのかを探る。
「……ここだ」
装置の固有振動数。
そこに合わせて、波を送り込む。
しかし、今度は逆位相ではない。
同じ位相の波だ。
装置の振動が大きくなる。
「アルト! 何をしているの!?」
「共鳴させている」
「さっき止めたんじゃないの!?」
「止めるだけなら、外から来る波を打ち消せばいい。でも、原因そのものを止めるには、装置の内部に干渉する必要がある」
アルトの手が震えた。
装置の振動が増幅する。
金属棒が激しく揺れ始めた。
地下から、低い唸りが響く。
リナが耳を塞ぐ。
「このままじゃ壊れる!」
「壊すんだ」
アルトは波の位相を変えた。
共鳴によって蓄えられた振動エネルギーを、一気に別の振動へ移す。
金属棒の振動が乱れる。
円筒の壁に亀裂が入る。
そして。
バキンッ!
地下で何かが砕けた。
同時に、街を揺らしていた振動が消えた。
完全な静寂。
アルトはゆっくり手を離した。
「終わった」
診療所の中は、ひどい有様だった。
棚は倒れ、瓶は割れ、壁には亀裂が走っている。
しかし、建物は崩れていない。
セナは患者の状態を確認していた。
「二人とも無事よ。早く治療を続けないと」
リナは床に座り込んだ。
「……本当に街を救ったの?」
「大げさだよ。僕は波を打ち消しただけ」
「街を揺らしていた波を、よ!」
アルトは窓の外を見た。
遠くの建物も、道路も、静かになっている。
「でも、誰かがあの装置を置いたのなら、また同じことが起きるかもしれない」
セナが振り返った。
「あなた、地下の装置を見たの?」
「波を使って観測した。形も分かった」
「それなら、後で詳しく聞かせて。患者の治療が終わったら、警備隊に報告するわ」
「そうだね」
そのとき、診療所の外から複数の足音が聞こえた。
扉が開く。
黒い制服の男たちが入ってきた。
胸元には、境界都市管理局の徽章がある。
先頭の男が室内を見回した。
「境界異常に関する調査です」
その視線がアルトに止まった。
「あなたが、境界漂着者ですね」
リナが前に出た。
「ちょっと待って。今は患者の治療中よ」
「承知しています。しかし、今回の異常現象について、あなたに確認したいことがある」
男はアルトを見た。
「地下の装置を破壊したのは、あなたですか?」
アルトは答えなかった。
男は続けた。
「あなたが行ったのは、建物の振動を打ち消すだけではない。街全体に伝わっていた異常振動を止めた。通常の異能者には不可能な規模です」
「何が言いたいの?」
「あなたの能力について、詳しく調べたい」
アルトは男を見つめた。
「断る」
男の表情がわずかに変わった。
「これは任意の協力要請ではありません」
「なら、なおさら断るよ」
診療所に緊張が走る。
管理局の男は、しばらくアルトを見つめていた。
やがて、口を開いた。
「……分かりました。今日は退きましょう」
男たちは診療所を出ていった。
リナが小さく息を吐いた。
「管理局……」
アルトは窓の外を見ていた。
「地下の装置のことを知っていたのかな」
「どういう意味?」
「僕が壊す前から、あれが何なのか知っていたように見えた」
リナは黙った。
アルトは再び床に手を当てた。
今度は、街の地下を探る。
壊れた装置。
空洞。
水道管。
建物の基礎。
そして、そのさらに奥。
遠く離れた場所から、微かな波が返ってきた。
「……まだある」
「何が?」
アルトは顔を上げた。
「同じ装置が、ほかにもある」
リナの顔から血の気が引いた。
「いくつ?」
「分からない。今のは遠すぎる」
アルトは立ち上がった。
「でも、街の地下に複数ある」
そのとき、アルトの耳に、あの波が再び届いた。
今度は街の北側。
一瞬だけ。
まるで、こちらの存在を確かめるように。
アルトは笑わなかった。
「誰かが、この街で波を使っている」
彼は窓の外を見た。
「僕と同じように」
同じ頃。
境界都市管理局の地下施設。
一人の男が、巨大な壁面装置を見つめていた。
そこには街の地図が表示されている。
赤い点がいくつも並んでいた。
そのうち一つが、黒く変わっている。
「共鳴器、停止」
男が報告を読む。
「原因装置の破壊を確認。対象は、異常振動を観測し、建物全体の振動を制御。さらに地下装置の構造を特定したものと思われます」
男は目を細めた。
「波を操る……か」
壁面の地図を拡大する。
そこには、街の地下に張り巡らされた無数の線があった。
水道管ではない。
電線でもない。
すべての線が、街の中心にある一つの場所へ向かっている。
男は呟いた。
「まだ、起動していない装置がある」
そして、地図の中央に指を置いた。
「次は、どこまで耐えられるかな」




