第23話「世界とは何か」
アルトは、神界へ戻る前に立ち止まっていた。
目の前には、無数の世界が浮かんでいる。
人間の住む世界。
魔物の住む世界。
神々が管理する世界。
そして、それらを包み込む巨大な構造。
「……世界って、何なんだろう」
アルトはつぶやいた。
神を倒せば自由になれると思っていた。
だが、神の上には上位管理者がいた。
その上にも、何かがあるかもしれない。
どこまで行けば終わる?
そもそも、何を倒せば自由になれる?
「考えても分からないな……」
アルトは頭をかいた。
そのとき、ふと前世の記憶が蘇った。
学校の授業。
黒板。
先生の声。
『波とは何か』
アルトは目を閉じた。
「そうだ。最初から考え直そう」
アルトの頭の中
そこは、真っ白な教室だった。
黒板の前に、アルトが立っている。
そして、もう一人のアルトが机に座っていた。
「先生、波って何ですか?」
「いい質問だ」
先生役のアルトは、黒板に絵を描いた。
まず、静かな水面。
次に、そこへ石を投げる。
水面に波紋が広がった。
「石を投げると、波が広がる」
「はい」
「では、石が波になったのか?」
「違います。石は石のままです」
「では、何が変わった?」
「水面です」
「そう。水面の状態が変化した。そして、その変化が周囲へ伝わっていった」
先生役のアルトは黒板に書いた。
波とは、変化が伝わる現象である。
「なるほど」
「では、次の問題だ」
先生役のアルトは、黒板に二つの絵を描いた。
一つ目。
真っ暗な空間。
何もない。
二つ目。
真っ暗な空間に、小さな白い点が一つある。
「この二つは同じか?」
「違います」
「なぜ?」
「片方には白い点があるからです」
「つまり?」
「違いがあります」
「そうだ」
先生役のアルトは、白い点をもう一つ描いた。
今度は、白い点と赤い点。
「これは?」
「二つの点があります」
「二つの点があるということは?」
「一つのときとは違う状態です」
「では、三つになったら?」
「また違う状態です」
「位置が変わったら?」
「それも違います」
先生役のアルトは、黒板を指した。
「何かが存在するということは、何もない状態とは違うということだ。そして、何かと何かが違うということは、それらを区別できるということだ」
「……」
「では、世界とは何だ?」
生徒役のアルトは考えた。
「物が存在している場所?」
「それだけか?」
「生き物がいる場所?」
「それだけか?」
「空間と時間がある場所?」
「それだけか?」
先生役のアルトは黒板に大きく書いた。
世界=何かが存在し、何かと何かが関係している状態
「これが世界の正体なのか?」
「まだ分からない。これは考えるための仮説だ」
先生役のアルトは続けた。
「でも、少なくとも世界には、物がある。物と物の間には距離がある。物は動く。時間が経つ。変化が起こる。物同士が影響し合う」
「つまり、世界には関係がある」
「そうだ」
先生役のアルトは、今度は黒板に大きな箱を描いた。
その中に、星や人間や動物を描く。
「この箱が世界だとする」
「はい」
「では、この箱の外側は?」
「世界の外です」
「では、その外側には何がある?」
「……分かりません」
「では、外側に何かがあったら?」
「それも一つの世界になるんじゃないですか?」
先生役のアルトは笑った。
「そうだな」
黒板の箱の外側に、さらに大きな箱を描いた。
その中に、最初の箱を入れる。
「では、これを管理している者がいるとする」
「神ですね」
「では、その神はどこにいる?」
「大きな箱の中です」
「そう。神もまた、何かの世界の中にいる」
先生役のアルトは、さらに外側に箱を描いた。
「その世界を管理する者がいたら?」
「その者も、さらに大きな箱の中にいる」
「では、その箱の外側は?」
「……」
「その外側は?」
「……」
「どこまで続く?」
生徒役のアルトは、答えられなかった。
先生役のアルトは、黒板いっぱいに箱を描いた。
大きな箱。
その中に箱。
その中に箱。
さらにその中に箱。
最後には、黒板からはみ出してしまった。
「分かったか?」
「何がですか?」
「神を倒しても、その神が管理していた世界の外側が残る。上位管理者を倒しても、その管理者が存在していた場所が残る」
「……」
「つまり、管理者を倒すことと、世界の仕組みを理解することは別なんだ」
生徒役のアルトは、ゆっくりとうなずいた。
「僕は、神を倒そうとしていた。でも、神が何者なのかも、その神がいる世界が何なのかも、分かっていなかった」
「そうだ」
「じゃあ、僕は何と戦っているんだろう?」
先生役のアルトは答えなかった。
代わりに、黒板の一番外側に大きな疑問符を書いた。
この世界は、何によって存在しているのか?
世界の外側
アルトは目を開けた。
「……そうか」
これまでの自分は、世界の中にあるものを見ていた。
石。
水。
空気。
光。
音。
神。
人間。
そして、それらを支配する法則。
だが、それらが存在するための前提は何なのか。
空間がある。
時間がある。
何かが存在する。
何かと何かが関係する。
それらを成立させているものは何なのか。
「世界の外側って、単に宇宙の外って意味じゃないんだ」
アルトは、目の前の巨大な構造を見た。
「この世界が成立するための前提。その外側を知りたいんだ」
そのとき、声が聞こえた。
「ようやく、問いを正しく立てたな」
第22話で聞いた声。
世界の外側にいた、正体不明の存在。
「君は何者なの?」
「私は、お前が知ろうとしているものを観測している」
「世界の外側を?」
「そうだ」
「じゃあ、教えてよ。世界は何によって存在している?」
「答えを与えることはできる」
「なら、教えて」
「だが、お前はその答えを理解できない」
アルトは不満そうに顔をしかめた。
「またそれかよ」
「お前はまだ、世界を物として考えている」
「違うの?」
「世界は箱ではない。箱の中に物が入っているようなものではない」
声が続けた。
「お前が世界と呼んでいるものは、物と物の関係、出来事と出来事の関係、状態と状態の関係によって成り立っている」
アルトは考えた。
「関係……」
「例えば、お前が石を投げる。石が動く。水面にぶつかる。水面が揺れる。その揺れが周囲に伝わる」
「うん」
「お前はそれを波と呼ぶ。だが、石と水面の関係がなければ、その出来事は起きない」
「……」
「物があるだけでは、世界は成り立たない。物と物が関係し、出来事が起きる。その連なりが世界を形作っている」
アルトは、静かにうなずいた。
「つまり、世界は物の集まりじゃない。関係の集まりでもある」
「一つの見方だ」
「じゃあ、その関係を管理しているのが神界軍事管理機構?」
「そうだ。あれは世界の中で起こる出来事を管理している」
「だから、僕の波を止められた」
「そうだ」
「でも、関係そのものを作ることができれば?」
声は沈黙した。
アルトは続けた。
「波は、何かの変化が伝わる現象。なら、波を作るには、まず何かと何かの関係が必要だ」
「……」
「僕は今まで、世界にある関係を利用して波を操っていた。でも、今はその関係を作り始めている」
アルトは自分の手を見た。
「僕は、波を操るだけじゃない。世界を構成する関係に干渉できるんじゃないか?」
声が答えた。
「その可能性はある」
「なら、もっと試してみる」
アルトは右手を上げた。
目の前に、一つの点が現れた。
次に、もう一つの点。
二つの点の間に、線を引く。
それだけだった。
しかし、その瞬間。
二つの点の間に距離が生まれた。
距離が生まれたことで、位置が生まれた。
位置が生まれたことで、二つの点を区別できるようになった。
アルトは息を呑んだ。
「……できた」
「何をした?」
「関係を作った」
アルトは、二つの点を見つめた。
「今までは、波を作るために世界を必要としていた。でも、世界を作るための関係に干渉できるなら……」
アルトは笑った。
「僕は、世界の中で戦う必要がない」
その瞬間、目の前の二つの点が揺れた。
線が伸びる。
縮む。
曲がる。
そして、線に沿って変化が伝わっていった。
波が生まれた。
「これが……」
アルトは自分の能力を理解し始めていた。
波を操る力。
その正体は、単に振動や電磁波を操作する力ではない。
物と物、状態と状態の間にある関係に干渉する力。
波は、その応用の一つにすぎなかった。
新しい力
アルトは、目の前に小さな球体を作った。
球体の表面に、無数の線が走っている。
それぞれの線は、球体の内部と外部をつないでいた。
「これが世界を作る関係……」
アルトは一本の線を指でつまんだ。
そして、引っ張った。
球体が歪んだ。
「なるほど」
次に、線を一本切った。
球体の一部が消えた。
「……!」
アルトは驚いた。
線を切るだけで、そこにあったものが存在できなくなった。
逆に、線をつなぐ。
消えた部分が戻る。
「すごい……」
だが、すぐに気づいた。
これは危険な力だ。
関係を切ることは、単に物を壊すことではない。
物が物として存在するためのつながりを断つことになる。
人間の身体にも、無数の関係がある。
細胞と細胞。
神経と筋肉。
血液と組織。
心臓と全身。
それらの関係を断てば、人間は生きられない。
「……僕は、何でもできるようになるのか?」
声が答えた。
「何でもできるわけではない」
「どうして?」
「お前が作る関係には、必ず意味が生まれる。何かと何かをつなげば、そこに影響が生まれる。切れば、失われるものがある」
「それが制約?」
「制約というより、責任だ」
アルトは黙った。
責任。
また、その言葉か。
騎士団長を殺したとき。
監督官を殺したとき。
魔王になったとき。
神を殺そうと決めたとき。
自分は、その結果をどこまで考えていたのだろう。
「……僕は、もう迷わない」
アルトは言った。
「自分で決める」
「それが正しいとは限らない」
「分かってる」
「間違えるかもしれない」
「それでもいい」
アルトは拳を握った。
「誰かに決められるくらいなら、自分で間違える」
声は何も言わなかった。
アルトは目の前の球体を見つめた。
「神界に戻るよ」
「今のお前なら、軍事管理機構の物理法則に縛られることはないだろう」
「じゃあ、今度こそ勝てる?」
「それは分からない」
アルトは笑った。
「いいよ。やってみる」
彼の周囲に、無数の線が生まれた。
線は互いにつながり、巨大な網を作る。
その網が一瞬で収束し、アルトの身体を包み込んだ。
次の瞬間。
アルトは神界へ向かって飛び立った。
神界。
軍事管理機構の無数の眼が、一斉に開いた。
「対象を検知」
「管理領域外からの侵入」
「物理法則による排除を開始」
神界全域の空間が歪む。
時間が停止する。
重力が反転する。
光が消える。
音が消える。
あらゆる物理現象が、軍事管理機構の命令によって書き換えられていく。
だが。
そのすべてが、アルトの周囲で止まった。
アルトは、神界の中心に立っていた。
「やあ」
軍事管理機構が反応する。
「対象の能力変化を確認」
「うん。僕もようやく分かってきたよ」
アルトは右手を上げた。
「君は世界のルールを管理している」
「肯定する」
「でも、ルールが成立するためには、物と物の関係が必要だ」
「……」
「そして、僕はその関係に干渉できる」
アルトは、軍事管理機構の巨大な腕を見た。
「君の腕と、君の身体の関係を切ってみようか」
その瞬間。
巨大な腕が、音もなく落下した。
神々が悲鳴を上げた。
軍事管理機構の無数の眼が、アルトを見つめる。
「……新たな能力を確認」
アルトは笑った。
「今度は、僕の番だ」
神界の空に、無数の線が広がっていった。




