第21話「世界を削除する者」
神界の奥で、巨大な歯車が回り始めた。
無数の神々が跪いている。
その中心に立つのは、神界軍事管理機構。
無数の腕。
無数の眼。
無数の口。
その全身には、世界の情報が絶え間なく流れていた。
アルトは血のついた口元を拭った。
「君が、神々の親玉ってわけ?」
「私は神々を統合する管理機構。個別の神格を超えた戦闘能力を有する」
「ふうん。つまり、君を倒せば神界は終わり?」
「誤認だ。私は神界の一機能にすぎない」
「じゃあ、君を倒したあとに考えるよ」
アルトは右手を上げた。
「まずは君からだ」
その瞬間、アルトの周囲に無数の波が発生した。
音波。
電磁波。
弾性波。
重力波。
あらゆる波が重なり、巨大なエネルギーの渦を形成する。
「HIFU」
複数の波が一点に集束する。
これまで魔王すら粉砕した必殺技。
アルトは狙いを定めた。
「消えて」
光が走った。
だが。
何も起きなかった。
焦点が形成されない。
波は確かに存在している。
エネルギーもある。
位相も調整されている。
それなのに、集束しない。
「……あれ?」
アルトはもう一度、波を放った。
今度は周波数を変える。
波長を変える。
振幅を変える。
位相を変える。
伝播方向を変える。
それでも、焦点が生まれない。
軍事管理機構の声が響いた。
「攻撃を確認。対象領域の伝播条件を変更した」
「伝播条件?」
「お前が使用する波の伝播速度、媒質特性、境界条件を変更した。集束条件は成立しない」
アルトは眉をひそめた。
「そんなことができるの?」
「可能だ。ここは私の管理領域である」
アルトは別の攻撃に切り替えた。
今度は神界の床に波を送り込む。
床を構成する物質を共振させ、軍事管理機構の巨体を崩すつもりだった。
だが、波は床に伝わらなかった。
いや、伝わったはずだった。
それなのに、振動が発生しない。
「……何をした?」
「対象物質の弾性特性を変更した。振動は伝播しない」
「そんなの、物質じゃないじゃないか」
「物質の定義は管理者が決める」
アルトは舌打ちした。
「面倒くさいな」
次の瞬間、軍事管理機構の腕が動いた。
何も見えなかった。
アルトの身体が、突然後方へ吹き飛ばされた。
「ぐっ……!」
背中が神界の床に叩きつけられる。
アルトはすぐに立ち上がろうとした。
しかし、身体が動かない。
腕が上がらない。
脚に力が入らない。
「何だ……これ」
「運動機能を停止した」
「僕の身体に……?」
「正確には、お前の身体が運動するという現象を停止した」
アルトは歯を食いしばった。
「ふざけるな!」
無理やり身体を動かす。
筋肉を振動させる。
神経の電気信号を操作する。
身体内部のあらゆる波を強制的に発生させる。
しかし、何も起きない。
「お前は波を操る能力を持つ。だが、波が存在するためには世界の物理法則が必要だ」
軍事管理機構が告げる。
「私はその物理法則を管理している」
アルトの目が見開かれた。
「……つまり」
「お前が波を操れるのは、私が波の存在を許可しているからだ」
「違う!」
アルトは叫んだ。
「僕の能力は、そんなものじゃない!」
「能力の定義を確認する。対象:アルト。能力名:鳴き声。現在の能力発動条件を解析中」
アルトの周囲に、無数の文字が浮かび上がった。
能力:鳴き声
発動条件:未定義
能力範囲:未定義
能力の根本原理:未定義
「何だよ、これ……」
「お前の能力は、世界の管理情報に登録されていない異常な権能である」
軍事管理機構の眼が一斉にアルトを見た。
「しかし、異常であることは管理不能を意味しない」
次の瞬間。
アルトの胸に穴が開いた。
血が噴き出す。
「ぐあっ!」
軍事管理機構が腕を動かしたわけではない。
攻撃の波もない。
ただ、アルトの身体に傷が生まれた。
「何を……した……」
「お前の存在状態を変更した」
アルトは傷口を押さえた。
「治せ……」
いつものように、身体の内部に波を送り込む。
細胞の活動を促し、損傷した組織を再生させようとする。
しかし、傷は塞がらなかった。
「再生を停止した」
「……!」
「細胞分裂、代謝、組織修復。生命活動に関わる現象を停止した」
アルトの身体から力が抜ける。
「ふざけるな……!」
軍事管理機構が告げた。
「お前の存在を削除する」
アルトは、自分の身体が崩れていくのを感じた。
指先が消える。
腕が消える。
足が消える。
まるで、最初からそこに存在しなかったかのように。
「僕は……」
アルトは必死に考えた。
波を作れない。
波を操れない。
身体も動かせない。
再生もできない。
これまで自分が使ってきた力が、すべて封じられている。
「……僕は、波を操る」
何度も自分に言い聞かせる。
「僕は、すべての波を操れるんだ」
だが、軍事管理機構は答えた。
「その能力は、世界の物理現象に依存している」
「……」
「波が存在しなければ、波を操ることはできない」
アルトの視界が暗くなる。
「私は世界を管理する。お前が波を操れるかどうかも、私の管理下にある」
軍事管理機構は、巨大な腕をアルトへ向けた。
「お前の敗北は確定した」
その瞬間。
アルトの身体が、完全に消えた。
神界に静寂が訪れた。
神々は跪いたまま、動かなかった。
因果の神が、片腕を失った姿で軍事管理機構を見上げる。
「……反逆者は排除されたのか?」
「対象の存在を削除した」
「これで終わりか」
「否」
軍事管理機構は答えた。
「対象の異常性は完全には消滅していない」
「何?」
「観測不能領域に、微弱な反応が残存している」
神々の間に緊張が走った。
そのころ。
アルトは、何もない場所にいた。
上下も左右もない。
光も音もない。
空気も温度もない。
自分の身体があるのかどうかすら分からない。
ただ、意識だけが残っていた。
「……ここは?」
返事はない。
「僕は……死んだの?」
何も聞こえない。
波もない。
自分の能力を使おうとしても、何も起きなかった。
「……波がない」
アルトは理解した。
ここには、波が存在しない。
媒質もない。
空間もない。
時間もない。
何もない。
ならば、自分には何もできない。
「……僕は、負けたんだ」
そのときだった。
アルトの意識に、奇妙な感覚が生まれた。
何かがある。
いや、何かが起きている。
それは音ではなかった。
光でもなかった。
振動でもなかった。
しかし、確かに何かが伝わっている。
アルトはその感覚に集中した。
「……何だ?」
何もないはずの場所に、何かが存在している。
波が存在しない世界。
そのはずなのに。
なぜ、自分はそれを感じ取れる?
アルトは考えた。
波とは何だ?
何かが変化し、その変化が空間や時間を通じて伝わる現象。
ならば。
変化そのものは?
伝播するものがなければ、変化を起こすこともできないのか?
アルトは、かすかに笑った。
「……そうか」
そのとき、何もない空間に声が響いた。
「まだ理解していないようだな」
アルトは顔を上げた。
そこには誰もいなかった。
ただ、声だけが存在していた。
「お前は世界の中に存在するものしか見ていない」
「誰だ?」
「世界の外側にあるものを、まだ知らない」
声が消えた。
アルトは、その言葉を繰り返した。
世界の外側。
その意味を考えようとした瞬間、意識が遠のいた。
神界。
軍事管理機構が再び動き始めた。
「異常反応を確認」
無数の眼が、神界の外側を向く。
「発生源を特定できない」
「管理領域外からの干渉を確認」
神々がざわめいた。
管理領域外。
それは、神界の管理権限が及ばない場所を意味していた。
軍事管理機構は、初めて沈黙した。
そして、神界の最上部にある巨大な扉が、ゆっくりと開き始めた。
その向こう側から、声が聞こえた。
「まだ、その段階ではない」
軍事管理機構が答える。
「上位管理者。反逆者アルトの排除を実行しました」
「確認している」
「対象は削除されたものと判断します」
「判断が早い」
「……何?」
「その個体は、まだ終わっていない」
扉の向こう側で、何かが動いた。
「お前たちが管理している世界の外に、何があると思う?」
軍事管理機構は答えられなかった。
「いずれ分かる」
扉が閉じた。
神界には、再び静寂が戻った。
だが、誰も気づいていなかった。
神界の管理記録に、たった一つの異常な文字列が残されていたことに。
対象:アルト
状態:削除失敗
所在:不明
備考:管理領域外に反応あり
神界軍事管理機構は、初めて自らの管理能力に疑問を抱いた。




