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第2話 優しさの代償


老人が死んでから、三日が経った。


アルトは老人の仕事も引き受けていた。


朝から晩まで岩を砕き、鉱石を運ぶ。


食事は一日一度。水は濁っている。


眠る時間は短く、身体中が痛かった。


それでも働かなければならない。


働けなくなれば、食事を与えられない。


食事を与えられなければ、働けなくなる。


ここでは、それが当たり前だった。


「おい、鳴き声!」


監督官の声が響いた。


アルトは顔を上げる。


「今日はお前が倍働け。昨日の採掘量が足りてねえ」


「でも、昨日も……」


「何か言ったか?」


監督官が鞭を鳴らした。


「いえ……」


「最初からそう言え」


周囲で笑い声が起こった。


アルトは黙って岩を運び始めた。


そのときだった。


「お兄ちゃん」


小さな声が聞こえた。


振り向くと、女の子が立っていた。


十歳くらいだろうか。


頬はこけ、服は汚れている。


「君は?」


「ミナ。昨日ここに来たの」


ミナは手に持っていたパンの欠片を差し出した。


「これ、半分あげる」


「いいよ。君が食べな」


「私、昨日も食べたから」


嘘だった。


アルトには分かった。


ミナの手は震えていた。


「ありがとう。でも君が食べて」


「……うん」


ミナはパンを口に入れた。


アルトはその様子を見て、少しだけ笑った。


ここに来てから、初めて笑った気がした。


昼過ぎ。


ミナは採掘場の隅で石を運んでいた。


小さな身体には重すぎる石だった。


何度も転びながら、それでも運ぼうとしている。


「おい、ガキ!」


監督官が怒鳴った。


「何度言わせる! その程度の仕事もできねえのか!」


「ごめんなさい……」


「謝るな! 動け!」


監督官はミナの持っていた石を蹴り飛ばした。


石が地面に転がる。


「拾え!」


ミナがしゃがみ込む。


その瞬間、監督官の足がミナの背中を蹴った。


小さな身体が地面に倒れる。


「うっ……」


「立て!」


ミナは立ち上がろうとした。


しかし、うまく力が入らない。


監督官は苛立ったように舌打ちした。


「使えねえな」


アルトは駆け寄った。


「やめてください!」


監督官が振り返る。


「あ?」


「その子はまだ小さいんです!」


「だから何だ?」


「もう十分働いています!」


監督官はアルトの胸ぐらをつかんだ。


「お前、自分の立場が分かってねえな」


「僕は……」


「お前はEランクの無能だろうが」


アルトは何も言えなかった。


監督官はアルトを地面に投げ飛ばした。


「今日の食事は抜きだ」


「そんな……」


「それと、そのガキもだ」


アルトは顔を上げた。


「どうしてミナまで!」


監督官は笑った。


「お前が余計な口を利いたからだよ」


その日の夕方。


監督官は奴隷たちを広場に集めた。


中央にはミナが立たされていた。


「こいつは今日、食料を盗んだ」


監督官が袋を掲げる。


中にはパンが入っていた。


「違います……!」


ミナが首を振る。


「これは、お兄ちゃんにあげようと……」


「黙れ!」


監督官の平手打ちが飛んだ。


ミナは地面に倒れた。


「盗人が言い訳するな」


アルトは前に出ようとした。


しかし、隣にいた奴隷が腕をつかんだ。


「やめろ」


「でも!」


「お前まで殺されるぞ」


監督官は周囲を見回した。


「こいつを見ろ。小さくても盗みは盗みだ」


そしてアルトを指差した。


「こいつに食べ物を分けたのも、こいつが盗んだ食料だ。つまり、お前ら全員が盗人を助けたってことになる」


誰も声を出さなかった。


「今後、勝手に食料を分け与えた者は同罪だ。分かったな?」


沈黙。


監督官は満足そうにうなずいた。


「よし。見せしめは終わりだ」


ミナは泣いていた。


アルトは拳を握りしめた。


何もできなかった。


夜。


アルトは壁にもたれて座っていた。


隣にはミナがいた。


「お兄ちゃん、ごめんなさい」


「君は悪くないよ」


「私がパンをあげたから……」


「違う。悪いのはあいつだ」


ミナはうつむいた。


しばらく沈黙が続いた。


「お兄ちゃん」


「ん?」


「私、ここから出られるかな」


アルトは答えられなかった。


出られる。


そう言ってあげたかった。


でも、自分にも分からない。


ここから逃げる方法なんてない。


「……出よう」


アルトは言った。


「いつか、必ず」


「本当?」


「うん」


ミナは少し笑った。


「じゃあ、約束ね」


「ああ。約束だ」


その夜、ミナはアルトの隣で眠った。


翌朝。


アルトが目を覚ますと、隣にミナはいなかった。


「ミナ?」


周囲を探した。


食事場にも、採掘場にもいない。


監督官の詰所へ向かった。


「ミナを知りませんか?」


監督官は書類から目を離さなかった。


「ああ、あのガキか」


「どこにいるんですか?」


「処分した」


アルトは意味が分からなかった。


「……え?」


「昨日の罰で使い物にならなくなった。労働力にならねえ奴を置いておく余裕はない」


「どこに連れていったんですか」


「さあな」


監督官は笑った。


「そんなに気になるなら、ゴミ捨て場でも探してみろ」


アルトは詰所を飛び出した。


鉱山の裏手にある廃棄場。


そこには壊れた道具や、使い物にならなくなった資材が積まれていた。


そして、その隅に小さな布が落ちていた。


見覚えのある服だった。


アルトはそれを拾い上げた。


泥に汚れ、ところどころ赤黒く染まっていた。


「……ミナ?」


返事はなかった。


その日の昼。


アルトは採掘場で働いていた。


身体は動いていた。


だが、頭の中は真っ白だった。


ミナの笑顔が浮かぶ。


パンを差し出した手。


「じゃあ、約束ね」


あの声。


アルトは岩を砕く手を止めた。


「おい、鳴き声!」


監督官が近づいてくる。


「手が止まってるぞ」


アルトは答えなかった。


「聞こえねえのか?」


監督官はアルトの顔を蹴った。


「お前も処分されたいのか?」


アルトは地面に倒れた。


監督官はその背中を踏みつけた。


「お前らみたいな奴隷はな、代わりがいくらでもいるんだよ」


アルトの視界が揺れる。


「分かったら働け」


監督官は笑った。


「それとも、また誰かを助けるか?」


アルトの手が震えた。


「……やめろ」


「あ?」


「もう、やめろ」


「何をだ?」


監督官はアルトの髪をつかんで顔を上げさせた。


「お前が何かできると思ってんのか?」


アルトは監督官を見つめた。


何もできなかった。


父を守れなかった。


自分を守れなかった。


ミナも守れなかった。


「お前の能力は何だったかな?」


監督官は笑った。


「そうだ。鳴き声だったな」


そして、わざとらしく耳に手を当てた。


「ほら、鳴いてみろよ」


周囲の奴隷たちが笑った。


「鳥みたいに鳴いてみろ!」


「犬の真似でもしろ!」


監督官はアルトの頭を地面に押しつけた。


「お前にはそれしかできねえんだからよ」


アルトの中で、何かが切れた。


「やめろおおおおおお!!」


その叫びは、人間の声ではなかった。


「キュイイイイイイッ!!」


甲高い鳴き声が、採掘場に響き渡った。


監督官の動きが止まった。


「……何だ?」


監督官は自分の拳を見つめた。


握り直す。


力が入らない。


「おい……なんだ、これは」


アルトは地面に倒れたまま、監督官を見上げていた。


監督官が再び拳を振り上げる。


しかし、その拳は先ほどまでの勢いを失っていた。


「何をしやがった!」


アルトにも分からなかった。


ただ、今まで絶対に敵わなかった男の拳が、初めて弱々しく見えた。


監督官の顔から笑みが消えた。


第2話 終

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