第16話「魔王討伐軍」
魔王が討たれた。
その報せは、瞬く間に世界中へ広がった。
三百年にわたり人類を恐怖に陥れてきた魔王が、ついに滅びたのだ。
人々は歓喜した。
だが、その歓喜は長く続かなかった。
魔王を倒した者が、新たな魔王になった。
その名はアルト。
かつてEランクと鑑定され、騎士団から追放され、奴隷商人に売られた少年だった。
人類は恐怖した。
新たな魔王が、かつての魔王よりも強い可能性がある。
そして各国は、決断した。
新たな魔王が世界を支配する前に、討伐しなければならない。
王都。
大聖堂の会議室には、各国の代表が集まっていた。
「魔王アルトを討伐する」
王が宣言する。
「各国の騎士団、魔導師団、聖教会の戦力をすべて投入する。総勢三万。これをもって魔王を討つ」
「三万でも足りるでしょうか」
一人の将軍が尋ねた。
「魔王は一人だ」
王は答えた。
「数で押し切る」
その場にいた者たちは頷いた。
だが、誰もが内心では不安を抱えていた。
三百年前の魔王は、世界の半分を滅ぼした。
そして今度の魔王は、その魔王を倒した存在なのだ。
「勇者はどうだ?」
王が尋ねる。
「出陣の準備は整っています。聖剣もすでに覚醒しています」
「賢者は?」
「参加します。大魔法の準備も完了しています」
「よし」
王は立ち上がった。
「人類の総力をもって、魔王を討つ!」
その頃、アルトは魔王城の玉座に座っていた。
「魔王様」
一匹の魔物が跪いている。
「人間たちが軍を集めているようです」
「へえ」
アルトは興味なさそうに答えた。
「何人くらい?」
「約三万です」
「三万か。多いね」
「いかがいたしましょう。こちらも魔物の軍勢を集めますか?」
アルトは少し考えた。
「いや、いいよ」
「よろしいのですか?」
「僕一人で行く」
魔物は顔を上げた。
「しかし、魔王様!」
「大丈夫。ちょっと話をしてくるだけだから」
アルトは玉座から立ち上がった。
「それに、人間たちにも見せてあげたいんだ」
「何を、でございましょう?」
アルトは笑った。
「僕の能力が、どれくらいすごいのか」
王都郊外。
三万の軍勢が集結していた。
騎士団。
魔導師団。
聖教会の聖騎士。
各国から集められた精鋭たち。
その中央には、一人の若い男が立っていた。
勇者だ。
手には聖剣。
その刀身は、太陽のように輝いている。
「魔王が来るぞ!」
兵士の声が響いた。
全員が前方を見た。
荒野の向こうから、一人の少年が歩いてくる。
黒い外套。
額には黒い紋章。
武器は持っていない。
護衛もいない。
ただ一人。
「……あれが魔王?」
兵士の一人が呟いた。
「子供じゃないか」
「ふざけるな。あれが三百年前の魔王を倒したというのか?」
アルトは軍勢の前で立ち止まった。
「こんにちは」
その声は、驚くほど穏やかだった。
「僕がアルトだよ」
勇者が一歩前に出た。
「魔王アルト! 人類の平和のため、ここでお前を討つ!」
「そうなんだ」
アルトは首を傾げた。
「僕、君たちを襲うつもりはないんだけど」
「魔王の言葉など信じられるか!」
「そっか」
アルトは少し残念そうにした。
「じゃあ、仕方ないね」
勇者が聖剣を掲げた。
「全軍、構え!」
三万の兵士が一斉に武器を構える。
「弓兵、放て!」
空が矢で埋め尽くされた。
数千本の矢が、一斉にアルトへ降り注ぐ。
だが。
アルトは動かなかった。
矢は彼の頭上数メートルで、すべて停止した。
一本残らず。
空中に浮かぶ無数の矢。
アルトはそれを見上げた。
「すごい数だね」
指を軽く動かす。
矢が一斉に向きを変えた。
「返すよ」
矢が弓兵たちの頭上を通り過ぎ、彼らの背後の地面に突き刺さった。
兵士たちは悲鳴を上げた。
「何だ今のは!」
「矢が止まったぞ!」
「魔法か!?」
アルトは答えなかった。
次に魔導師団が動いた。
「火炎魔法、発動!」
巨大な炎の球がいくつも生まれる。
「氷結魔法!」
鋭い氷柱が空を覆う。
「雷撃魔法!」
無数の雷が地面を走る。
三属性の魔法が、一斉にアルトへ襲いかかった。
だが、アルトの前で炎は消え、氷は砕け、雷は地面へと流れていった。
「そんな……」
魔導師の一人が呟く。
「魔法が効かない?」
アルトは手をかざした。
すると、魔導師たちの杖が一斉に震え始めた。
「な、何だ!?」
杖の内部に組み込まれた魔石が、共振を始める。
次々と杖が砕けた。
「馬鹿な! 魔石が!」
「魔法が使えない!」
アルトは小さく頷いた。
「なるほど。魔法も波として扱えるんだね」
まるで新しい発見をした子供のようだった。
「怯むな!」
勇者が叫んだ。
「全軍、突撃!」
三万の兵士が一斉に走り出した。
地面が揺れる。
砂煙が舞う。
その先頭に勇者がいた。
聖剣を構え、一直線にアルトへ向かう。
「魔王おおおお!」
聖剣が振り下ろされる。
しかし、剣はアルトに届かなかった。
勇者の腕が止まった。
「なっ……!」
剣の刀身が細かく震えている。
アルトはその剣を眺めた。
「綺麗な剣だね」
「離せ!」
「でも、ちょっと振動させると……」
聖剣に微細な振動が走る。
ピシッ。
刀身に亀裂が入った。
「嘘だろ……」
ピシッ、ピシピシッ。
次の瞬間。
聖剣は粉々に砕け散った。
勇者は剣の柄を握ったまま、呆然と立ち尽くした。
「聖剣が……」
アルトは勇者の横を通り過ぎた。
「ごめんね。悪気はなかったんだ」
その背後で、聖剣の破片が地面に落ちた。
「大魔法を使う!」
賢者が叫んだ。
彼の周囲に、巨大な魔法陣が展開される。
空が暗くなる。
雲が渦を巻き、地面が震え始めた。
「全軍、退避!」
兵士たちが後退する。
魔法陣の中心に、巨大な光球が生まれた。
「消え去れ、魔王!」
光球が放たれる。
その瞬間。
アルトが空を見上げた。
「大きいね」
そして、指を一本立てる。
光球の表面に、無数の波紋が広がった。
「でも、ちょっと無駄が多いかな」
アルトが指を動かす。
光球が変形した。
巨大な光の塊は、細長い帯となり、空中で何重にも折り畳まれていく。
そして。
賢者の頭上に、巨大な光の輪が形成された。
「な、何をした!」
「波を重ねただけだよ」
アルトが指を弾く。
光の輪が一斉に収縮した。
ドォォォォン!
大爆発。
賢者の魔法陣が消滅し、地面に巨大なクレーターができた。
賢者はその場に倒れた。
「そ、そんな……」
アルトは首を傾げた。
「今の、結構強かったね」
三万の軍勢は、完全に混乱していた。
矢は通じない。
魔法は通じない。
聖剣は砕かれた。
大魔法も無効化された。
それでも、兵士たちは逃げられなかった。
後方には王の軍旗。
前方には魔王。
その間に挟まれ、誰も動けない。
アルトはゆっくりと歩いた。
「もう終わり?」
その声に、兵士たちが震えた。
「まだだ!」
一人の男が叫んだ。
「魔王を倒せ!」
だが、その声は弱々しかった。
アルトは男を見た。
「君たち、僕を倒したらどうするつもりだったの?」
誰も答えない。
「僕が死んだら、世界は平和になる?」
沈黙。
「それとも、次の魔王が現れるのを待つの?」
兵士たちは目を伏せた。
アルトは空を見上げた。
「僕はね、もう誰にも奪われたくないんだ」
その言葉とともに、地面が震えた。
アルトの周囲に無数の光点が生まれる。
「でも、君たちが僕を殺しに来るなら、話は別だよ」
光点が増えていく。
「HIFU」
アルトの周囲に、幾千もの焦点が形成された。
今度は魔王の身体ではない。
軍勢の前方、広大な荒野の地面。
「高密度焦点式超音波。複数の波を一点に集束させる」
アルトが手を下ろす。
「見ていてね」
一瞬の静寂。
次の瞬間。
大地が爆ぜた。
轟音とともに、軍勢の目の前に巨大な亀裂が走る。
土砂が空高く舞い上がり、地面が大きく陥没した。
兵士たちは全員、その場に立ち尽くした。
誰も死んでいない。
しかし、誰一人として前に進めなかった。
「これ以上は進ませないよ」
アルトは言った。
「次は、君たち自身に当てる」
そのとき、軍勢の後方から一人の老人が歩み出た。
白いローブ。
胸元には鑑定士の徽章。
老人はアルトを見つめ、震える声で呟いた。
「そんな……」
アルトは老人を見た。
「……あれ?」
老人の顔を思い出す。
「君、もしかして」
老人は膝をついた。
「アルト様……」
かつて、能力鑑定の日にアルトをEランクと判定した鑑定士だった。
「あなたは……あのときの少年……」
アルトは頷いた。
「久しぶり」
老人の顔が青ざめる。
「そんなはずはありません。あの能力は、確かにEランクだった。攻撃力も、防御力も、身体強化もない。魔力反応もほとんどなかった……」
「うん」
アルトは笑った。
「君の鑑定ではね」
老人は地面に額をつけた。
「申し訳ありませんでした!」
「謝らなくていいよ」
「え……?」
「君は間違ってないんだ」
老人が顔を上げる。
アルトは続けた。
「君は、僕の能力を測った。でも、僕の能力が何なのかは分からなかった」
老人は何も言えなかった。
「僕も分かってなかったんだから」
アルトは軍勢を見渡した。
「でも、もう分かったよ」
額の黒い紋章が輝く。
「僕の能力は、世界中の波を操る力だ」
その場にいた全員が、アルトを見つめていた。
三万の軍勢。
各国の精鋭。
勇者。
賢者。
そして、かつてアルトをEランクと判定した鑑定士。
誰もが理解した。
自分たちが相手にしているのは、もはや人間ではない。
アルトはゆっくりと背を向けた。
「今日は帰るよ」
「ま、待て!」
王の使者が叫んだ。
「お前はこれからどうするつもりだ!」
アルトは振り返らなかった。
「どうもしないよ」
「人類を支配するつもりか!」
アルトは少しだけ考えた。
「今のところはないかな」
そして、最後に言った。
「ただ、僕の邪魔をしないでね」
その瞬間、アルトの姿が消えた。
残された三万の兵士たちは、誰一人として歓声を上げなかった。
勝利したわけでも、敗北したわけでもない。
ただ、圧倒的な力の差を見せつけられた。
人類は初めて知った。
魔王とは、何なのか。
そして、自分たちが新たに生み出してしまった存在が、どれほど恐ろしいものなのかを。
魔王城。
アルトは玉座に戻っていた。
「魔王様」
配下の魔物が跪く。
「人間たちはどうなりましたか?」
「帰っていったよ」
「全滅させなかったのですか?」
アルトは笑った。
「だって、全員殺したら話ができないでしょ」
魔物は深く頭を下げた。
アルトは玉座の背もたれに身体を預ける。
「さて……」
彼は窓の外を見た。
「次は、何をしようかな」
世界はまだ知らない。
新たな魔王が、人類を滅ぼすことよりも、世界そのものを変えることに興味を持ち始めていることを。
その少年の名は、アルト。
かつてEランクと呼ばれた、世界最強の魔王だった。




