第14話「新たなる魔王」
「お前が観測しているのは、私が見せているものにすぎぬ」
魔王の声が、瓦礫の山に響いた。
アルトは魔王を見つめていた。
先ほどまで感じ取れていた反射波が、完全に消えている。
音を送っても返ってこない。
地面に波を走らせても、途中で消される。
光も、赤外線も、魔王の周囲では何もかもが支配されていた。
「どうした? もう終わりか?」
魔王が一歩踏み出す。
その足元で、石畳が砕けた。
「お前はよくやった。人間にしてはな。だが、ここまでだ」
魔王の腕が持ち上がる。
アルトの身体が宙に浮いた。
「ぐっ……!」
見えない力に全身を締めつけられる。
骨が軋む。
息ができない。
「波を知ったつもりでいたようだが、所詮は表面をなぞっただけ。世界を支配する私に、お前が勝てる道理などない」
アルトは歯を食いしばった。
勝てない。
今までの方法では、どうやっても勝てない。
観測できなければ、相手の構造を知ることはできない。
構造が分からなければ、正確に狙うこともできない。
だが。
「……ねえ」
「何だ?」
「君はさっき、世界を支配しているって言ったよね」
「それがどうした」
「だったら、どうして僕の目は見えているの?」
魔王の眉がわずかに動いた。
「何?」
「僕の目に届く光も波だ。君がすべての波を支配しているなら、僕には何も見えないはずだ」
「くだらぬ。そんなことを考えて何になる」
「そうだね。今までは、そこから先を考えられなかった」
アルトの瞳が、ゆっくりと開かれる。
「でも、今なら分かる」
魔王が笑った。
「何が分かったというのだ」
「君は、波を消しているんじゃない」
アルトの周囲で、小さな石ころが震え始めた。
「君が支配できる波だけを、支配しているんだ」
「……!」
「音も、光も、振動も。君は全部を消しているように見せていた。でも、全部じゃなかった」
アルトの身体から、淡い光が漏れ始める。
「僕はずっと、自分で波を作っていた」
空気が震える。
地面が震える。
瓦礫が震える。
「音を作って、光を作って、地面を揺らして。作った波をどう使えばいいか、ずっと考えていた」
アルトは両手を広げた。
「でも、違ったんだ」
空の彼方から、光が降り注ぐ。
太陽から届く電磁波。
大地を伝わる微細な振動。
空気中を行き交う音。
炎が放つ赤外線。
世界に存在する無数の波が、アルトの周囲に集まり始めた。
「僕の能力は、鳴き声なんかじゃない」
アルトの声が響く。
「波を作る能力でもない」
そして、はっきりと言った。
「すべての波を操る能力だ!」
瞬間。
世界が震えた。
魔王の顔から、初めて笑みが消えた。
「馬鹿な……!」
アルトの身体を締めつけていた力が、音もなく消滅する。
地面に降り立ったアルトは、軽く肩を回した。
「ふう。やっと自由に動ける」
「何をした!」
魔王が腕を振るう。
巨大な黒い衝撃波がアルトに襲いかかった。
だが、アルトは避けない。
衝撃波はアルトの目の前で停止した。
いや、停止したのではない。
波の進行方向が反転していた。
「なっ……!」
黒い衝撃波が魔王へと戻る。
魔王は片腕で受け止めた。
轟音。
地面が大きく陥没する。
「小賢しい!」
魔王が両手を広げる。
周囲の瓦礫が一斉に浮き上がった。
数百、数千もの石片が、弾丸のようにアルトへ飛来する。
しかし。
アルトが指を一本立てた。
石片はすべて空中で止まった。
次の瞬間、それらは魔王の周囲を取り囲むように整列した。
「な……」
「これ、便利だね」
アルトが指を軽く振る。
石片が一斉に魔王へ向かって飛んだ。
魔王は防御壁を展開する。
だが石片は防御壁に衝突する直前で軌道を変え、あらゆる方向から魔王を襲った。
「ぐおおおおっ!」
魔王の身体に無数の傷が刻まれる。
アルトは一歩も動いていなかった。
「まだだ!」
魔王が咆哮する。
闘技場全体が黒い光に包まれた。
地面が割れ、空間が歪み、巨大な魔力の奔流が巻き起こる。
人間ならば、近づくだけで消し飛ぶほどの力。
三百年前、世界の半分を滅ぼした魔王の本気だった。
「消え失せろおおおおおお!」
魔力の奔流がアルトを飲み込む。
爆発。
轟音。
闘技場の残骸が吹き飛ぶ。
煙が晴れる。
そこに、アルトは立っていた。
服の裾が少し揺れているだけだった。
「……嘘だ」
魔王が呟く。
「そんなはずはない。私の力を受けて、なぜ立っていられる!」
「君の攻撃、すごいね」
アルトは自分の手を見た。
「でも、波って面白いんだよ」
魔王の周囲で、無数の光点が生まれる。
「波は重ね合わせることができる」
光点が増えていく。
「位相を調整すれば、ある場所では強め合い、別の場所では弱め合う」
光点が魔王の身体を取り囲む。
「そして、複数の波を一点に集めれば……」
アルトの指が、魔王へ向けられた。
「そこにエネルギーを集中できる」
魔王が後ずさる。
「やめろ……」
アルトの周囲に、幾重もの波が展開する。
「HIFU」
その言葉と同時に、魔王の身体に無数の焦点が形成された。
一つではない。
頭部、胸部、腹部、腕、脚。
全身の至るところに、無数の焦点が生まれる。
それぞれの焦点に向かって、波が集束していく。
「高密度焦点式超音波……」
アルトが呟く。
「僕の、とっておきだ」
「待て……!」
魔王が防御しようとする。
しかし、防御壁を構成する波そのものが、アルトの支配下に置かれていた。
防御壁が崩れる。
「待てと言っている!」
魔王が叫ぶ。
アルトは静かに答えた。
「もう遅いよ」
指を閉じる。
「HIFU――全方位同時集束!」
世界が白く染まった。
無数の焦点で、同時に膨大なエネルギーが解放される。
魔王の身体が内側から砕けた。
鎧が砕ける。
肉体が砕ける。
黒い魔力が引き裂かれる。
魔王は声を上げることすらできなかった。
次の瞬間、その身体は粉々に飛び散った。
いや、飛び散ることさえ許されなかった。
無数の波が、残された破片をさらに細かく砕いていく。
肉片も、骨片も、鎧の欠片も。
すべてが塵となり、光の中へ消えていった。
三百年にわたって人類を恐怖に陥れた魔王。
その最期は、あまりにも一方的だった。
静寂。
アルトは手を下ろした。
「……終わった」
その場に残っていたのは、立ち尽くすアルトだけだった。
そのとき。
世界中の魔物が、一斉に動きを止めた。
森の奥で獲物を追っていた魔物が立ち止まる。
山を襲っていた竜が、空中で翼を広げたまま動かなくなる。
地下深くで眠っていた古代の魔物が、ゆっくりと目を開いた。
そして、すべての魔物が同じ方向を向いた。
アルトのいる場所へ。
「……何だ?」
アルトの足元から、黒い光が立ち上る。
魔王が消えた場所に、黒い霧のようなものが集まっていた。
それはアルトの身体へと流れ込んでいく。
「うっ……!」
胸の奥が熱くなる。
頭の中に、知らない記憶が流れ込んできた。
暗闇。
果てしない大地。
無数の魔物。
そして、魔王が座していた巨大な玉座。
アルトは膝をついた。
「何だ……これ……」
声が聞こえる。
誰の声なのか分からない。
だが、それは確かに世界そのものから語りかけているようだった。
――魔王が滅びた。
――新たなる王を定める。
アルトの身体を黒い光が包み込む。
額に、黒い紋章が浮かび上がった。
そして。
遠く離れた場所にいた魔物たちが、一斉に地面へ伏した。
まるで、王に忠誠を誓うかのように。
アルトはゆっくりと立ち上がった。
自分の身体に、今までとは違う力が満ちている。
波を操る能力。
それだけではない。
魔物たちの存在を感じる。
彼らの位置も、数も、生命の鼓動さえも。
そして、彼らが自分に従っていることも。
「まさか……」
アルトは、自分の手を見つめた。
「僕が……魔王になったの?」
そのとき、瓦礫の向こうから声がした。
「アルト……?」
レオだった。
身体中に傷を負いながらも、なんとか立ち上がっていた。
アルトは振り返る。
「レオ!」
駆け寄ろうとしたアルトだったが、レオはその場で立ち止まった。
アルトの姿を見て、目を見開く。
「その額……」
アルトは額に手を当てた。
「え?」
レオの顔が青ざめていく。
「お前……まさか……」
アルトは苦笑した。
「うん。どうやら、魔王になっちゃったみたい」
レオは何も言えなかった。
アルトは空を見上げる。
かつて自分を奴隷にした者たち。
自分を見捨てた騎士団長。
ミナを殺した監督官。
そして、世界を恐怖に陥れた魔王。
すべてを思い出す。
もう、誰にも自分の人生を決めさせない。
誰にも大切なものを奪わせない。
そのために手に入れた力だった。
だが今、アルトは世界中の魔物を従える存在になっていた。
人間から見れば、魔王そのもの。
アルトは小さく息を吐いた。
「……さて」
そして、レオに向かって笑った。
「帰ろうか」
その背後では、世界中の魔物たちが、新たなる王の誕生を祝うように咆哮を上げていた。
新たなる魔王、アルト。
その名が世界に知られるまで、そう時間はかからない。




