第11話「知ることのできない波」
「ならば見せてみろ。お前がどこまで世界を揺らせるのか」
魔王の言葉に、アルトは立ち上がった。
全身が痛む。呼吸をするだけで胸が軋む。
それでも、まだ戦える。
いや、戦わなければならない。
「僕は……まだ、お前に見せていない力がある」
アルトは両手を広げた。
まずは光。
魔王の周囲を包み込むように、無数の光を発生させる。
あらゆる方向から照射し、目をくらませる。
しかし、光は魔王に届く直前で消失した。
「ならば、これだ!」
今度は赤外線。
目に見えない電磁波を魔王の身体に集中させる。熱エネルギーを与え、身体の内部から加熱する。
だが、これも消された。
「くそっ!」
アルトは歯を食いしばる。
音波も、光も、赤外線も駄目。
ならば、別の方法を試す。
「波は重ね合わせることができる……!」
アルトは複数の波を同時に発生させた。
波の山と山を重ねれば、振幅は大きくなる。
山と谷を重ねれば、打ち消し合う。
ならば、魔王の周囲に波を集中させれば、巨大なエネルギーを生み出せるのではないか。
アルトは波の位相を調整した。
一つ、二つ、三つ。
異なる方向から波を重ねていく。
しかし、結果は予想と違った。
ある場所では波が強まり、別の場所では弱まる。
魔王の周囲に生じた波は、複雑に干渉し合い、狙った場所にエネルギーを集中させることができなかった。
「なぜだ……!」
もう一度。
今度は周波数を変える。
波長を変える。
位相を変える。
何度も条件を変えて試す。
だが、思い通りにならない。
「くそっ、どうして……!」
魔王は黙って見ていた。
アルトは気づき始めていた。
波は、ただ重ねれば強くなるわけではない。
どの位置で、どの波が、どの位相で重なるのか。
それを正確に把握しなければ、望んだ結果は得られない。
そもそも、波がどのように伝わっているのかさえ、完全には分からないのだ。
「……待てよ」
アルトは自分の手を見た。
波を作ることはできる。
周波数も、波長も、振幅も変えられる。
しかし、作った波がその後どうなるのか。
それをどこまで把握できている?
波は反射する。
屈折する。
散乱する。
吸収される。
媒質が変われば伝わり方も変わる。
複雑な形状の物体に当たれば、反射した波同士が干渉する。
そして、そこに別の波が加われば、さらに複雑な現象が起こる。
アルトは魔王を見た。
魔王の身体は、どのような構造をしているのだろう。
皮膚、筋肉、骨、血液、臓器。
それぞれの密度も、弾性も、音の伝わり方も異なるはずだ。
その内部で波がどう伝わり、どう反射し、どう吸収されるのか。
自分には分からない。
「……分からない」
アルトは小さくつぶやいた。
「何が分からない?」
魔王が尋ねる。
「僕は、お前の身体の中で何が起きているのか分からない」
「そうだろうな」
「波を発生させることはできる。でも、その波が内部でどう伝わっているのか、どこにどれだけのエネルギーが届いているのか、分からないんだ」
アルトは拳を握った。
「だったら、観測すればいい。波を送り込んで、返ってきた波を調べれば……」
そこまで言って、言葉が止まった。
観測。
その言葉が頭の中で引っかかった。
人間たちは、どうやって波を研究している?
音を測るためにはマイクが必要だ。
光を調べるには、光を受け取る装置が必要だ。
地震を調べるには、地面の揺れを記録する装置が必要だ。
波を発生させることと、波を観測することは別の技術なのだ。
しかも、観測した結果から、内部で何が起きているのかを推定するのは、さらに難しい。
超音波検査だって、返ってきた波から身体の内部を画像にしている。
だが、それは単純に波を送り返せば中身が見えるという話ではない。
反射の強さ、伝わる速度、減衰の程度。
さまざまな情報を集め、計算し、画像として再構成している。
それでも、すべてが分かるわけではない。
「……僕には、その装置がない」
アルトは自分の胸に手を当てた。
「いや、装置だけじゃない。僕には、波を正しく読み取る知識もない」
魔王が笑った。
「気づいたか」
「まだだ……!」
アルトは顔を上げた。
「波を観測できなくても、理論で予測すればいい!」
頭の中で計算を始める。
波の速さ、周波数、波長。
それらを使えば、伝わり方を予測できる。
だが、魔王の身体の構造が分からない。
内部の密度も、弾性も、境界面の状態も分からない。
初期条件も、境界条件も、正確には設定できない。
方程式を立てることすら難しい。
たとえ方程式を立てられたとしても、それを解けるとは限らない。
複雑な媒質の中を伝わる波は、単純な計算では予測できない。
さらに、波そのものが互いに影響し合う非線形な現象もある。
波を重ねれば、ただ足し算すれば済むとは限らない。
波の形が変わり、周波数が変化し、思いもよらない現象が起こることもある。
人間の研究者たちは、こうした現象を理解するために、何百年も研究を続けてきた。
それでも、すべてを予測できるわけではない。
「そんな……」
アルトの声が震えた。
自分は、波を作れる。
それだけで、世界のすべてを操れるような気がしていた。
だが、違った。
波には無数の性質がある。
その性質を理解するために、観測し、測定し、計算し、実験する必要がある。
そして、そのどれもが簡単ではない。
「お前の力は、確かに興味深い」
魔王が言った。
「だが、お前は波を作るだけだ。波がどこへ向かい、何にぶつかり、何を変え、何を残すのか。それを知る術を持たぬ」
「……」
「人間どもは、波を使って遠くを見ようとした。音を使い、光を使い、電波を使った。だが、観測できるものには限界がある。届かない場所もある。雑音に埋もれる情報もある。得られた情報から真実を一つに決められないこともある」
魔王はアルトを見下ろした。
「お前は、波を作ることができる。だが、波を知ることができるのか?」
アルトは答えられなかった。
「波の研究は、波を発生させれば終わりではない。観測し、解析し、理論を立て、実験で確かめる。その繰り返しだ」
魔王は一歩近づいた。
「そして、人間どもは今もなお、波のすべてを理解してはいない」
アルトはうつむいた。
「僕は……」
手のひらに力を込める。
もう一度、波を作ろうとした。
だが、何を作ればいい?
どの周波数が有効なのか。
どの波長が適切なのか。
どの方向から、どれだけの強さで放てばいいのか。
そもそも、魔王に届いているのか。
届いたとして、何が起きているのか。
何一つ分からない。
「僕は、何も知らなかった……」
その場に膝をついた。
波を知れば知るほど、自分の無知が浮かび上がってくる。
音波を知った。
光を知った。
赤外線を知った。
干渉を知った。
共振を知った。
しかし、それらは波の世界の入り口にすぎなかった。
人間たちが長い年月をかけて築いてきた研究の、その入り口に立っただけだった。
そして今、自分はその入り口から先へ進めずにいる。
魔王はアルトを見下ろしていた。
「どうした? もう世界を揺らさないのか?」
アルトは答えなかった。
「お前は、世界を揺らす力を持っている。だが、世界を理解しているわけではない」
魔王は背を向けた。
「その程度の知識で私に挑むとは、愚かなものだ」
アルトは動けなかった。
レオとの約束。
ミナとの約束。
自分を奴隷にした者たちへの怒り。
すべてが胸の中にある。
それなのに、今は何もできない。
力が足りないのではない。
知識が足りない。
観測する手段がない。
予測する理論がない。
そして、何をどう研究すればいいのかさえ分からない。
アルトは初めて、自分の能力に絶望した。
世界を揺らす力を手に入れたはずなのに。
世界のことを、何も知らなかった。




