9話 居なくなった依頼主。
フリオと共に車を降りた。
門をくぐりポーチにあがる、犬を警戒したが、昨晩のような唸り声は聞こえなかった。
今日は居ないのか? 正直ホッとした。
いちいち依頼人の家に来るたびに犬にビクビクしていたくはなかった。そういえば幼少期は犬が苦手だった。近所の犬の躾がなっていなくて今にも噛みつきそうなように唸りながら牙を見せるヒステリックな白い犬がいて⋯⋯。
あの犬が大嫌いだった。祖母の家の犬は好きだったが、遠かったのであまり祖母の家に行くこともなかったが⋯⋯。
「あれ、おかしいなぁ⋯⋯」
ぼやくような声が聞こえてきて、我に返った。すぐにチャイムを鳴らしても誰も出ないことにたいしてフリオが言った言葉なのだと理解した。
「⋯⋯なかなか出ないですね」
「うん、⋯⋯おかしい。リックさん、ちょっと裏へ見にいってきます」
フリオが見てくると言ってポーチから降りて裏手へまわっていった。
自分は扉の前で待つことになったが、やはり犬が気になった。ポーチの手すりに手をかけ、首を伸ばして、昨日犬が唸っていた場所をみるが何もいない。玄関前のライトがちょうど自分の頭の背後を照らして、ポーチ下を影にしてしまって、目を凝らしてもよく見えない。
リードを繋げられる場所はポーチにしかない。あの唸り声を思い出す。思えば、かなり獰猛な唸りだった気がする。あの犬はいま繋がれずに庭にいるんじゃないだろうな。フリオが噛まれることはないだろうが、私が噛まれる心配はありそうに思えた。アレからはフレンドリーな雰囲気を感じなかった。一人で待っているところで出くわしたら、あの犬に侵入者だと勘違いされてしまうかも知れない。フリオにはやく戻ってきてほしいと思った。
ポーチで立ち尽くしていると、木枯らしのように冷たい風が吹いて、思わず身をすくめた。
しかし奇妙でもあった。そもそもここに犬を夜つなぐことが。確かに犬など自前の毛皮があるしこの程度の寒さはむしろ心地よい犬種は多いだろうが、ここに繋いでおくことに違和感を覚える。
「問題を抱えた飼い主⋯⋯か」
なんとも不気味な場所だ。彼女が夜のポーチの柱に犬をくくりつけて放置するか? 犬小屋だって見えない。
「⋯⋯まだか、結構待たされてるんだが」
なにかあったのか? 電気もついていない。自分から来てほしいと言っておいて、出かけているなんて流石に無いだろうが⋯⋯。もうフリオが出ていってから4,5分は経っただろう。
家の中に入るが、まさか夫婦でとてつもない大喧嘩でもしただとか、修羅場の真っ最中などではないだろうな。包丁を持って返り血を全身に浴びたマルセリーナや、包丁を持ったまだ見ぬピーターに刺されたデイビットの姿が脳裏に浮かんでは消えていく。
悪い想像をこれ以上湧き上がらせないように深呼吸をしたあたりで、家の中から靴音が聞こえた。フリオだろうか。
ガチャ、という音とともに電気のついていない玄関の扉が開いた。
ようやくか。と思いつつ、「⋯⋯ありがとう」と言ったが。
中には誰もいない。まるでひとりでに風に吹かれたように、すぅっと扉が開いただけだった。
「⋯⋯フリオ?」
返事はない。
「⋯⋯ハロー? フリオ? 誰かいませんか?」
玄関に入り廊下の奥に向かって声をかけるも、返事がかえってくることはなかった。
壁横の電気のスイッチを押すが、なにも点かない。
「チッ、⋯⋯停電だ」
キッチンを覗くと、珈琲が2人分おいてあった。月明かりで湯気が出ているのが見えた。風と、木の枝のこすれる音以外の音がないほど静かだった。
カップから漂う湯気を見て、自分がぼうっとしていた事に気づいた。
「⋯⋯湯気」
わずかな異臭を感じた。頭が痛い。鼻の奥の粘膜が鈍く刺激されているような、そこから鼻血が込み上げてくるような気分になり、込み上げたものが脳にまで達して頭痛となっているようだった。
クラクラする。鼻と口元を抑えながら、部屋を見渡す。
⋯⋯さっきまで、ここに誰かいたはずだ。2人分のカップ⋯⋯。フリオとマルセリーナだろう。やつら何をしている。⋯⋯あの二人。もう、声をかける発想すら湧かなくなっていた。
廊下に出て赤い部屋を覗くが、誰もいない。この部屋のほうが安全な気がする、頭の側頭部の痛みが一瞬ひどくなった。
ガチャ⋯⋯
玄関から音が聞こえた気がした。
直後、壁の中から靴音が聞こえた。雷の音? なにか鈍い雷の音のようなものがした。廊下側からじゃない。物理的にするわけがなかったし、幻聴だろうか。背後から女の声が聞こえた。メアリーと名乗ったか、もしくはメアリー?と話しかけた気がした。驚いて振り返ったが、なにも居ない。これは幻聴で間違いない。
ただ玄関の音は幻聴ではないと思った。交互に来たから比べられた。区別出来る。
「⋯⋯おい、フリオ? ⋯⋯どこだ? あまりふざけてるんじゃないぞ⋯⋯」
言ってから後悔した。落ち着け。そうだ、デイビットが家にいるかもしれない。すぐに向かいドアをノックするが返事はない。
ノブを回すとあっさりとドアは開いた。真っ暗闇で、スイッチをつけようとして、カチカチしてから停電なのを思い出した。
ケータイのトーチで部屋を照らしていく。
惑星の描かれたノートが置かれた机。横のベッドのカバーには宇宙に浮かぶ惑星のイラストが描かれている。雑にベッドメイクされている。机に視線を戻す、お絵かきノートをペラペラとめくると、一つのページで手が止まった。
赤黒い男が女に覆いかぶさっている絵が描かれていた。包丁を持っている。女はマルセリーナが昨晩着ていたような赤いドレスを着ている、クレヨンで描かれた下手な絵だった。
「⋯⋯デイビットがこれを描いたのか?」
ガタン。
2階から物音。
首の後ろの毛が逆立つような感覚。
もう、この家から出たほうが良い。そしてもし人間がいるのなら、それは善良なものではないだろうと思えた。
しかし、こんなことをする理由はなんだ? フリオが消えた理由は? 殺人鬼が裏口で彼を斧で殺害した、殺人鬼がデイビットとマルセリーナを連れ去った光景を想像した。とたんに次は自分なのではないか、そう思った。
外に出て、急いでフリオの車まで戻ろうとすると。
──車自体がなかった。
ありえない、エンジン音など聞こえなかった。いや、さっきの雷音⋯⋯。
「⋯⋯まずいな、己の正気が試されているようだ。信仰心に目覚めそうなほどに⋯⋯」
*
敷地から出て楕円形の区画に出ると、保安官の車のヘッドライトが見えた。ここに初めて訪れた時に見えた保安官のパトカー。すぐに事情を説明して⋯⋯。思いながら近づくと──
黒と白に塗装されたセダンの警察車両は、運転席のドアが開かれたまま無人だった。
⋯⋯いや、眩しくてみえないが闇のなかで煙草をふかしているだけだ。きっとそうに違いない。という願望は角度を変えて近づくことで直ぐに粉々に崩れ去った。
保安官に事情を説明しよう。そのまま街まで送ってもらえれば。
「⋯⋯どこに」
嫌な想像だけが膨らんでいく。この胡散臭い田舎村は、いったいなんなんだ。
車両を見る。鍵はついたままだ。
「チッ、これにそのまま乗って帰ってしまいたいが。警察車両を勝手に使うのは流石に後が怖すぎる」
携帯を取り出しても圏外。ネットも当たり前のように繋がらない。タクシーやウーバーを呼べるような土地ではなかった。
帰るのか⋯⋯ 歩いて?
ここからどれだけかかるんだ?
車では、あの街から30分超だった、いや下手したら40分。フリオはどのくらいだしてた?
時速60kmくらいか。距離が30キロ以上あるとしたら。携帯で計算して確かめる、40分かかるなら40Kmだ。
徒歩で何時間だ、それは。チッ、人の歩き速度なんて知らない。どのくらいだ? ゆっくり歩いても、朝がくるまで歩くことになるんじゃないのか?
今、午後9時。
今から歩き始めてたとして着くのは明け方⋯⋯。街灯も皆無と言ってい良い田舎道を携帯のトーチで照らしながら7時間? 無理だ。途中で余裕で電源が切れる。いや、切れなかったとしても嫌だ。絶対にごめんだ。
隣の家の門まで言って、呼び鈴を鳴らすが、そもそも呼び鈴が動いていない。その隣の家のドアを叩くが、誰も出ない。
「すみませーん! 誰かっ! だれもいないのか!」
「おいおい、本当に誰もいない。⋯⋯もう、あの家で夜を明かすしか無いぞ。フザケやがって、もう容赦しないぞ。家に入ったら全ての部屋のドアを蹴っ飛ばして、説教してやる」
勝手に消えたアイツラが悪い。事情を説明して、流石に勝手に寝室を使うわけにもイカないから、リビングのソファで寝るか。それと明日になったらもう帰ろう。ここの村人か保安官に頼んで送ってもらおう。チップでも払えば良い。
依頼人の屋敷に入る。
このわけのわからない状況で、自分がよく分かっていることはたった一つだ。私は霊感がない。ということだ。つまりはこれは少なくとも怪奇現象ではない。きっと、そのはず。
つまり、これは事件か。もしくはあの家族の自作自演の可能性が高い。
なぜ、こんなことをするのかは分からない。
まさかこの家を悪魔憑き認定してほしいのか? デイビットか、もしくはこの家が呪われてるとか⋯⋯。
しかしフリオが消えたってことはフリオは密かにマルセリーナに協力してることになる。この家自体を認定した場合は⋯⋯。マルセリーナとフリオはデイビットは取り憑かれてなどいないと言える。
筋が通るかも知れない。読めてきた。まぁ、いい。このクソのようなイベントに付き合う以外の選択肢が今のところないのが癪に触るが。
苛だちを覚えながら暗闇に侵食された家のリビングへ向かう。
ソファを見つけて、部屋にあった蝋燭をどんどんつけて霊的な結界を貼っているように置いていく。リビングにはそれなりの数のキャンドルがあった。20本くらいか。
一応、仮にこの狂った家族が自分を襲うフリでもしようものなら火事のリスクを負わせられる。ただで転ぶ気はない。お望み通り、この家を祓おうとしてるように見えるようにキャンドルを配置してようか。一応、携帯で少し録画しておく。適当にカメラを回して一応おかしな状況にいる証拠にして。
蝋燭に囲まれながら、ソファで寝ていると物音がした。どこだ? この部屋ではない。
私を、この部屋から釣り出して、さらに怪奇現象でも見せようとしてるのか。──どうでもいい。恐らく事件も起きてない。今何時だ、軽く深夜を回ってる。仮に殺人鬼がいたり事件が起きていたら、こんなに長い時間ここで寝てられるわけがない。
無視を決め込むだけだ。
しばらくウトウトとしていると、尿意を催してきた。
廊下に出てトイレに向かうと、廊下奥の赤い部屋の扉のガラス越しに灯りが見えていた。部屋に赤い光がぼうっとついているのが分かる。思わず固まった。
いや、気にしないでいい。トイレに行く。用を足していると……
ドンドンドン!
どこかの部屋のドアが叩かれた音がした。幸いトイレのドアノブをガチャガチャ回したり、中に入ろうとはしてこなかったが、最低の気分だ。
こちらも、思い切り叩き返してやろうかとも思ったが……。大人しくしておく。やはり殺人鬼などではない、こんなふうに私を驚かせる意味がない。私を恐怖させたいという意図を感じる。わかったからいい加減しろ!と怒鳴ってやりたい衝動に駆られた。
そのまま少しトイレに籠った。それ以上は何もおこらなかったが、これ以上こもると籠城してると勘違いしたマルセリーナやフリオが今度は悪乗りしてここのドアを叩き始める気もするので、わかりやすく水を2回流して出る。
廊下に出ると、やはりあの赤い部屋から光が見える。扉のガラス部分から背の低い棚の上に人間の顔がみえた。
「⋯⋯流石に知らんぷりは出来ないぞ⋯」
生首が見えてるのだから。
勢いよくドアを開けると、窓の外に置いてあるのだとわかった。部屋に誰か潜んでいないかさっと確認しながら近づく。
人間の頭部が瓶に入っていて何かしらの液体に浸かっている。それに近づく。味が震えるが、警戒も怠れない。本当の事件の可能性があるなら、そうせねばなるまい。
窓を開けると、夜の闇から肌を切り裂くような冷気の風が入り込んできた。
同時に微かな異臭が鼻の粘膜に届いた。顔をしかめながら外に置かれた生首入りの瓶を見ようと携帯のとライトを近づけると……。
誰かが、それを持っているのだと……、ようやく分かった。
大きな男。いや、性別はハッキリとはわからない。肩幅が、胴が、腕が人間のサイズではなかった。寸胴体型な人間離れした巨漢が漆黒の外套を羽織り、手に一つずつ生首を持っているのだった。顔は黒い革で作られた不気味などこかの民族風の面で、手は黒の手袋。肌が一切見えない。
酷く気味の悪い生きものだった。
自分には霊感がない。霊感はないのだが、目近で化物を見る耐性もないし、恐怖に強いわけでもない。フラフラになっていた意識が限界を迎え……
──そして失神した。




