10話 なぜリビングじゃなかったのか。
三日目、朝。
夢を見ていた、あの赤い部屋から命からがら逃げ出した自分は子ども部屋に閉じこもった。場面が変わり、自分は布団に包まって寝ていて酷くうなされているのだが、ベッド横にはあの巨人がいて自分を見下ろしている。それが自分の頭をりんごのように握りつぶす所を監視カメラに録画された映像の中でみているのだ。
「ぶはぁっ!⋯、ハァ⋯、ハァ⋯⋯、夢?」
鳥の鳴き声。白いシーツ。
窓からは暖かな陽射しが差し込んでいる。
「なんだ、夢か⋯⋯」
呆然とした。魂が抜けてしまったような倦怠感。白い天井、ふたたび横を向くと窓の外に青空が見えた。上体を起こすと窓から差し込んできていた光が、ちょうど目にあたってまつげが熱くなった。
それを嫌がって身体を横にずらすように動かす。
「⋯⋯一体、なんなんだ」
顔を手で覆って呟くと──
コンコン。
ノックの音が聞こえて、返事をすると、やや間があった後。
「⋯⋯大丈夫ですか?」
マルセリーナが入ってきた。そこで、この部屋が民宿ではないことに意識が向いた。
次に、怒りで口汚く罵るような言葉が喉から出そうになる。
「ええ……、ここは?」
「2階の寝室です。あの子の。あまり使ってない」
「……なぜ私はここに?」
「昨日デイビットの部屋の前に立った瞬間から様子がおかしくなって⋯⋯」
「⋯⋯は? はい? 私が?」
嘘をつくな。そんな話を信じると思うのか! 怒りで、飛び上がりそうになった身体の筋肉に力を入れて唇をぐっと結んで耐えた。
「私が⋯⋯、昨日デイビットの⋯⋯、部屋で⋯⋯ですか?」
恐る恐る、という具合にマルセが頷いた。
「あの、部屋の前で⋯⋯、です」
いい加減にしろ、と言葉が出そうになるがこらえる。息を整えるように長めに息を吐き出した。
「私は、昨日この家に⋯⋯。いえ、何でもありません。なにが起きたか教えてください」
自分の記憶を主張しおうとして、──やめた。リック、冷静になれ。
そもそも彼らが仕掛けたことだ。突飛な話をすれば逆にこちらを気狂い扱いするかも知れない。マルセリーナが作り話を用意してるなら、言わせてやればいい。
「──昨日、リックさんが玄関に来た時。私はシャワーを浴びていて⋯⋯」
なんの話だ。ああ、玄関が開かなかったことの話か。電気がついていなかったことの説明になってないが。暗闇でシャワーを浴び続けていたとでもいう気か?
「それで、フリオが裏口から入って玄関を開けたらしいんです」
「⋯⋯ええ」
「フリオが言うには扉を開けたときには、既にかなりフラフラしていて、私が着替えてくるまでリビングのソファに寝てもらっていたと⋯⋯」
「──それで?」
「その後。ダイニングで皆で遅い夜食を少しつまみました。リックさんは落ち着かない様子で、⋯⋯手がやたらに震えていたのを覚えています。何か食べないといけない、と私たちに言ってきて冷蔵庫を開けたりして⋯⋯」
フザケた話だった。
「⋯⋯人の家の冷蔵庫を開けるなんて人生で一度も勝手にしたことはないですがね。それで、デイビットは?」
「え、いや、勝手にというわけだはなくて⋯⋯。なんでもないです。⋯⋯あの子はずっと部屋にいたはずです」
「⋯⋯それで?」
「その後はデイビットと話してくると言って、部屋の扉の前でなにか話していましたが。様子がさらにおかしくなってダイニングの窓の外に近づいていってないかと思ったら、いきなり叫んで倒れたんです。何度も表情がおかしくなって⋯⋯」
「そうですか」
その後は自分をこの部屋にフリオと運び込んで寝かせていたと言う。
話はおかしいところだらけだ。
まず彼女とフリオだけでわざわざ2階に運ぶだろうか? なんのために? 普通にリビングで寝かせれば良い。もっと楽だろう。あの怪物大男が存在して、それが運んだんじゃないだろうな。そう思うとぞっとして鳥肌がたったが、こんな嘘をこしらえる必要もない。なぜ、リビングに寝かせなかったのか。そこで気を失ったなら、そこでいいはず。⋯⋯なぜだ?
「そうですか、にわかには⋯⋯、信じられない話です」
「──あの私っ、この家が呪われてるんじゃないかって!」
突発的にマルセが叫んだ。大声ではないが、意を決したような声だった。
とうとう本題に入ったな、と思った。大掛かりで悪趣味ないたずらを仕掛けられている身としては、彼女の言葉を素直に聞けるはずもなかったのもある。
「⋯⋯原因はデイビットではなく、この家だと?」
「はい、⋯⋯多分主人はこの家の不思議な現象をデイビットが起こしてると思って」
「そもそも、この家では奇怪な現象が昔から起こるのですか?」
「ええ、でもここ数年でひどくなった気がして⋯⋯」
聞けば、マルセは幼少期にここに住んでいたが、後に引っ越した。
成人してから両親がこの家を買い戻し、マルセも実家に戻り、しばらくは二世帯住宅として両親とピーターとすんでいた。
「なら旦那さんはなぜデイビットだと?」
「実は、この家が呪われてるかもだなんて言えなくて⋯⋯」
「なぜ?」
「間違いなくこの家じゃないし、両親でもないって、そういう風に⋯⋯。それで主人がデイビットじゃないかって言いだした時にあまり止めれなくて⋯⋯」
「違う家で夫婦で住もうと思わなかったのですか?」
特に新婚で若かったのなら、普通二人きりになりたいだろう。
「私の両親が二人とも病気で⋯⋯。誰かが面倒みないとだから。私は一人娘なので、放っておけなかったから。彼は気難しいところもあるけど、両親の面倒や送り迎え、力仕事などもフリオと共によく手伝ってくれて⋯⋯」
両親の介護にピーターが付き合った形だった。新情報だった。結婚の決め手の一つでもあったのかも知れない。ああ、そうだ。彼女は20歳かそこらだったはずだ。この田舎村で一人、呪われた家で両親の介護はキツイだろう。話を信じれば、だが。
「何年ほど? 二人とも近いタイミングでなくなられたのですか?」
「ええ、母が2年半前に他界して、半年もせずに父も後を追うように⋯⋯」
数年は介護していたのか。
「お両親がなくなられた時にデイビットになにか変化は?」
「特にありません」
デイビットは変わってない。ならばやはりデイビットの問題ではなさそうか。
「その後変わったことは?」
「ピーターが少し不安定になりました、嫌味を言うようになったり。両親の前で気を使う日々だったから、反動だとはおもいますが⋯⋯」
変わったのはピーターか。
「一応確認ですが。嫌味というのは、あなたに対して? それともデイビットに?」
「デイビットにも少しは言うかも知れませんが。あの子はあまりピーターと顔を合わせないので。私に、です⋯⋯」
「ほかにありますか?」
「他は、フリオおじさんが家に入ると寒気がするようになったって。家の中の暖房をチェックしたりして⋯⋯。あとは特に⋯⋯」
他には変化無し。ピーターだけが少し変わった。だが大きな変化でもない。フリオが暖房をチェックしていた。寒い、寒気を感じるか。こういう時にDIYなどになれた人間はどこからチェックするんだ? 暖房システム? それとも隙間風の有無とかか。自分には分からない。
その後は、報酬の話になった。私としてはこれ以上出来ることは祓いの儀式のみなので、それが終わり次第退散したい旨を伝えた。報酬はあの恐怖体験に見合う額かはわからないが、結果の出ていない仕事の報酬としては破格と言ってもいいだろう。
謎は、深まるばかりだが。⋯⋯もう帰ろう。
@@@
>>ピーター。
──夜。
家に帰る途中、対向車線に見覚えのある車。フリオの車だった。すれ違った。
マルセリーナめ、こんな時間まで霊能力者に居座らせたのか。フリオは色々と手伝ってくれる人だが、どうにも勘が悪い。詐欺師と必要以上に馴れ合いやがって。
女房も大概だ。霊感なら私があると言ってるのに! よりによって胡散臭いよそ者を呼び寄せて。私の事をまるで信じていない! その上ハッキリとは言わないが、結構な額を払った可能性がある。銀行口座を確認したが金はうごいていない。あいつめ、へそくりを使ったらしい。 それなりの遺産をもらって私に隠しているのは分かっている。でなければおかしいことがあるからだ。
夫婦で介護までしたのに! そう思うと己の不貞だっお互い様じゃないか、という気にもなってくる。それにへそくりであろうと結局は夫婦の金なのだ。それを彼女は理解していない時がある。
いい加減にとっちめてやらなければいけないかも知れない⋯⋯。
いつも通り、だれも迎えにこない。期待もしていないドアを鍵を使って開けると、ポーチの脇の影から唸り声がしてゾッとした。デイビットかも知れない。あいつが、あの化物のデイビットが潜んで唸っていたのかも知れないし、あいつが野犬にでも餌付けして、呼び寄せたのかも知れなかったが、今は何かの唸り声で大騒ぎする体力などなかった。どうせ、朝になればいなくなる。
玄関のドアを開けて、暗い廊下を見ると赤い光が奥の横のダイニングから漏れていた。
忌々しい、呪われた部屋だ。ここにやってきた時から大嫌いだった部屋、今は慣れたが、それでも時折不愉快にさせられた。なぜあの部屋が赤いのか、マルセの両親も家を買った時、この家の内装を変えないことを元の持ち主と約束したとかなんとか言って、それを律儀に守っていたが、自分からしてみれば愚かでしかなかった。
その約束を破ったとして何が起きるのか。何も起きないし、だれも監視もしていないだろう。
さっさと普通の壁紙に変えるかすればいい。言っても彼女と彼女の両親は了承しなかった。自分を馬鹿だと思っているのだ、律儀でないものは低能で堕落していると彼らは思っているのだ。
だが自分から見れば彼らこそが、怠け者の田舎者根性の体現者である。
深夜に帰ってきて、真っ暗な家の中、照明に照らされぼんやりと赤く光る部屋が目に入ってくるんだぞ。ホラー以外の何物でもない。不気味なライティングだけでもどうにかすればいいのに、それすら彼女は反対する。
溜息をつきながら赤い部屋の照明を消すには部屋の奥にまで行くと。
「⋯⋯起きてたのか」
「⋯⋯うん」
デイビットが一人掛け用のソファに身を沈めてこちらをふんぞり返りながら見ていた。声をかけると、立ち上がって出ていこうとする。
「おい、窓を閉めなさい」
「⋯⋯⋯⋯」
ビクッとしたように、一瞬固まってから開け放たれた窓をデイビットが閉めた。夜は冷えるから窓をあんまり開け放しにするなと言う私にこうやってこいつは無言の反抗をする。神経過敏なやつでなにか嫌な匂いがするとかなんとかとのたまってはやたらに窓を全開にして行こうとする。そういえば自室も常に窓を全開にしていたな。
苛つきながらデイビットを睨むと、今度はこちらが固まる番だった。
猿のような顔でニタニタとしてこちらを見ていた。恐ろしくて背筋が凍りついた。喉奥から、ンフ、ンフと奇怪な音を出しながら廊下の闇に消えていった。
「消え失せろ、化物め⋯⋯。いい加減にしろよ、本当に、消え失せろ⋯⋯」
デイビットのいなくなった闇に聞こえないような小声で悪態をつく。
デイビットはしばらく部屋から出ないだろう。ずっとそうしてろとも言いたいが。インチキ霊能者のことも問題だ。どんな話になっているのか聞かねばならないだろう。
それに今日はシエラとセックス出来なかった。代わりと言っては何だが、どうにかマルセリーナとやりたい。子どものことで対立はしているが、誘えば、ほぼ断らない奴だ。そういえば、しばらくご無沙汰だったな。尻も顔もマルセのほうがいいし。肌もスタイルもそうだ。久しぶりに妻の魅力的で淫猥な肢体を想像すると、みるみる気持ちが昂ぶってきた。
やはりあいつは男好きのする女だと改めて妻の存在が己の中に蘇り始めてきた。下着の中のものを固くさせながら、2階に上がっていくと、写真立てが寝室前に落ちていた。




