6話 ピーター・嫌な予感
>>ピーター
テンプル・ストークの商業区画から少しはずれにある坂道の終わりに公園と、その隣の元々ガスステーションだった閑古鳥の鳴いているフィットネスジム道を挟むようにして建つ教会。
来週の集会に向けたスピーチと、新しい音響設備のチェックを兼ねて集まっていた面々との雑談も終わり、帰り支度をしていた。
テーブルを運んでいる時に不倫相手のシエラが軽く目配せをしてきた。シエラは町外れのエンジニアの奥方であり、女房とも面識がある。シエラは時折あまりにも大胆になるので、出来る限り二人を鉢合わせないように気を使っている。少なくともピーターなりに。
関係を持ち始めた頃などは、妻に近づいてママ友になろうとしたし、家庭教師すら買って出たくらいに大胆な性格で、彼女には本当に肝を冷やされる。
女房は勘のいい女であり、鈍感な女ではないのはシエラも分かっているはずだが……。
マルセリーナのことだ。気づいている可能性はある。気づいていることすら気づかせないのかも知れない。女房は、何ひとつ考えていない時もあれば、非常に器用で、時に計算高いところもある女だ。結婚を決めるときにはそんな印象に変わった。最初真っ直ぐで、愛らしい女と思っていたが、意外なほど器用な所が、計算高いように思う時がある。
しかし神父でありながら、不貞を働き、あまつさえ我が子を悪魔憑き呼ばわりする自分を鑑みれば、別にそれで良かったのかも知れないとさえ思った。
カトリックなどは結婚自体が出来ない、不貞などとても許されることではないだろう。私はカトリックではないので結婚自体になんの問題もないが、しかし不貞に関しては何も思わないということはなかった。
世間では恐ろしく面の皮の厚い連中が好き勝手に、罪を重ねるように生きているようだが、自分はそいつらとは違うとも思っていたし、しかし同時に仕方ないではないか、とも思っている。
己の信仰心の薄っぺらさ、人生やコミュニティに対しての期待と現実のギャップに幻滅し、それを健全にやり過ごすためには刺激が必要だった。
(*カトリックは神父の独身制が有名。ただし結婚後の改宗など、珍しいが特例もある。結婚可能な宗派として有名なところで、正教会/聖公会/プロテスタント等がある)
しかしこの田舎村では不倫はおおごとだ。シエラが女房に近づき、不倫がバレ、離婚され、家を取られ。そのうえ親権を取られ、だなんて⋯⋯。悪い評判は立てられたくない。収入はちょっとした不動産と教会からの支給がある、心配はないが。
家の中以外にトラブルはなく、今までやってこれた。それを全て台無しにするのか。
あの家を取り上げられてしまうのか……。
と思いつつ、そもそもが、あの家はマルセリーナの親から譲り受けたものだったし、一人息子を気味悪がっているような父親がなにを言うのか。
それでも怖いものは怖いのだ。あいつの顔が、瞳が怖い。家に戻ると背筋が凍ることがある。デイビットを見るとあいつの瞳が真っ黒で、ニタニタ笑っているように見えることがある。おかしな物音や話し声が聞こえる。口にしてはいないが、本当はマルセリーナだって⋯⋯。
とにかく息子を、家から出ていかせることが出来なければ、自分は恐怖で狂ってしまう。とにかく嫌な予感がするのだ。
上手くやらなければいけない。今のところまるで出来ていないが……。
次から次へとひっきりなしに、同じような考えが浮かんできてはループする。我が子を愛せないのか、お前は! 最低な奴だ、お前は! 違う! 愛している。どこがだ! お前は保身のことしか考えていない! 違う! 俺はそんな人間じゃない! 最低だ、死んでしまえ。いやだ!
もう無茶苦茶だった。
せっかくあんな器量良しの15歳も年下のマルセリーナと結婚して。……それを台無しにして孤独な身となってたまるか。
別れたら。⋯⋯シエラはついてきてくれるだろうか? 無理だろう。そもそも旦那が浮気というか、彼女を自由にさせることに躊躇ない性格なだけだ。シエラも不満もないようだし。仮に一緒になってもむしろ関係が変わってしまうかも知れない。
そもそもが、ただ何事もなく、急速に年を取っていく自分たちを慰めるようにして、二人秘密の情事を楽しみ、それを日々の代わり映えなしない生活の刺激としてやりくりしていただけなのだ。
そのうちに互いに情が湧いただけだ。愛情もあるかも知れないが、友情も少しあるような、しかしドライな関係でもある。日々にスパイスが欲しいという互いの需要が一致しているだけ、それだけだ。
⋯⋯面倒だ。こんな事考えていても仕方ない。
だが、そこで違うことを考えようとすれば⋯⋯
クソったれの胡散臭いエクソシストが家に来てる日だった。
マルセリーナは、⋯⋯あいつは一体何を考えているんだ! 腸が煮えくり返るような怒りを覚えた。神父の家にうさん臭い霊能者など入れて! 余所者だからまだいいが……、あいつは、どう説明したんだ! まさか私があの子を悪魔憑きだと言っていることをそのまま説明などしてないだろうな! 恥をかかせやがって!
深呼吸して、気を静める。
うまく説明される可能性は無いだろう。諦めろ。仕方ない。
今日一日、いや昨日、一昨日から考えないようにしていたことが頭に浮かんできてしまう。
自分が戻った頃には、帰っていてくれればいいが⋯⋯。デイビットはいつもとじこもっている、あいつとは今日も会わないで済むだろう。しかし、何処の馬の骨とも知らんエクソシストも、女房の叔父の何でも屋のフリオも、最近ギクシャクしている女房とも、誰とも会いたくなかった。
もう、家に帰っても見たい顔が一つもないんだな。そう、ピーターは考えて、おもわず涙が出そうになった。愛犬のポーチ。名前通りポーチがお気に入りの場所だった愛犬だけが自分を癒してくれた、その白い短毛の雑種の中型犬も先月死んでしまった。
なにか悪いものを食べたようで。
そして……、いつの間にか、死んだ犬の代わりに同じ犬種の白い犬が居座るように、入れ替わるようにしてそこにいたのだ。女房はアレをポーチだと言う。意味がわからなかった。アレは絶対にポーチじゃないっ! どちらの正気を疑えば良いのか。
頭がおかしくなりそうだったが、女房は取り合わなかった。まるで最初からポーチは死んでなどいないように⋯⋯。
それからは、家に帰るのがより億劫になった。本当にあの家は呪われているのでは、そのような考えが自分を支配する。
いや、家じゃない、デイビッドだ。この街に連れ出したときもあいつは、笑ってたじゃないか。自分がポーチについて聞こうとした時も⋯⋯。恐ろしい顔で、目つきで俺を見て笑ってた。まるで、お前の目の前にいる自分がその犯人だよ。このマヌケが。そう言われているような気分になった。
頭がフラフラしてくる、視界が歪んだところで頭を振った。
「⋯⋯家にいってどうするんだ」
己に出来ることはない。とにかくデイビットには下宿先でもどうにか見つけて大至急自分の見えない範囲まで出ていってほしいのだ。もう一緒には暮らせない。もう、聖水も悪魔祓いの儀式も秘密裏にやったのだ。
そして、そのどれもが。
なんの成果も、もたらさなかったのだから。
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──午後9時。テンプルベルの村。
赤い部屋で珈琲を啜っていた。
「Mr・デイモン。デイビーはどうでしたか」
「まずは質問させていただきたい。デイビットに実際に悪魔憑きのような行動や兆候は? 貴方は取り憑かれているとは思っていないということは、おかしなところはないのですよね?」
ここが今までの数少ない除霊依頼との違いだった。依頼人は対象はなにも取り憑かれていないと思うと、言っているのだ。だから私の口から自分の子は問題ないとお墨付きが欲しいのだと予想したのだが。
「ええ、こもりがちな事と学校に行くのを嫌がること。部屋の電気をつけないこと。あまり家族と話さないこと⋯⋯」
「学校へ行っていないのですか。」
「先月は2週間くらいは行きました。ちょこちょこ休みますけど。全くいかないわけじゃありません。でも、実質的にはホームスクールに近いかも⋯⋯」
「学校はこの辺にあるんですか?」
「車で1時間かからないところにあります、テンプル・ストークの端っこまで行かないといけないので。バスだともう少しかかります⋯⋯」
「私が滞在してる街ですね、デイビットはあの街に行くのも嫌がるんですか?」
「いいえ、街自体は好きみたいです。買い物に行くときはついてきますし、あの街で一人になりたくて、お願いしてくるくらいです」
「一人になりたいとは?」
聴くと──
「母親の買い物につきあわずにお小遣いだけもらって、ぶらぶらしたいんです。でもまだ小さいからあまり一人にはしたくなくて⋯⋯」
「あー、なるほど。そりゃ、確かに」
思わず笑ってしまった。自分だって子どもの頃はそうだったのを思い出した。母親に付き合ってデパートの女性服売り場を練り歩いててもつまらないだろう。
子供の頃はよくモールにあるアーケードで小銭をもらって時間を潰したり、おもちゃ屋に入っていったりして、暇を潰したものだ。
マルセリーナが、そのほかにも列挙していく。
だが、ほとんどが、そのような子はいるだろう。というレベルのもので、とても悪魔に取り憑かれていると解釈するような行動や言動はでてこない。
やはり、あの子は問題ではないのでは? そう思えた。
結局のところ、社会の言うことをある程度聞いていれば、問題と向き合うことから逃げられたりはする。自分だってそのようなことはある。大人になれば、だれも執拗には追求しない。
プライベートなことは、誰かがその負担を引き受ける。典型的なのは家族だろう。火のないところに煙はたたないが、公共の場所を燃やさなければ、煙は指摘される事はあっても、火事はほうって置かれる。
そしてそれが出来るものから、誰かにせいにするのだ。
なぜ、もっと健全に生きれないのか。己も他者も、もっとマシに出来るはずなのでは? 社会の窮屈さ、環境を変える事の難しさ、己の無力感に冷笑的になりかける。
いや、こんなことを自分ごとのように感じていても仕方ない。私は金を受け取って、契約通りのことをするだけだ。頭を重くする考えなど、見て見ぬ振りをして生きれば良い。
心に目隠しをするんだ……、リック。それだけでどうにでもなるはずじゃないか。
この一家は……、家は不気味だが、なかなか裕福なようだし。すくなくとも報酬も普通の田舎者が出せるような額ではないものをポンとだせる。デイビットは災難だが、家の財力を考えれば、まだマシな方だろう。
「あとは、あとは⋯⋯」
眼の前に意識を戻せば、マルセリーナが他にもなにかないかブツブツ言っていたが。内心、もうデイビットの行動など、どうでも良かった。先ほど、あの部屋で直接見た時は異常なものを感じたが、扉越しに話した時には普通の子だと分かった。
それよりも1日ごとの報酬と、数日分の報酬についても聞こうか。
なかなかいい民宿を取ってくれたものの、全額はまだ支払われてはいない。
私が最初提示した額は5千ドルだった。しかし、マルセリーナは全く躊躇することもなく家まで来てくれるならと、3日分と滞在費を払った。全部で20000ドル以上はかかっただろう。しかもなんの成功も約束しなくとも、だ。ここにまで来て息子を3日見るだけで2万ドル。
亡くなった両親の遺産がかなりあるのか? こちらとしては嬉しいが、きちんと支払われるか怖い、と言っても前金で既に8千ドルは払われているのだから、心配は杞憂に終わるだろう。3日で8千ドルならもう元は取れてる。
「あとは?」
正直、どうでも良かったが。最後の聞いてさっさと帰ろうと思った。これ以上長居しても仕方ないだろう。
「ええと、⋯⋯一人で、ぶつぶつ話しています。よく、部屋でも⋯⋯。あと学校で先生の一人がデイビットを悪魔だ! といって騒いだんです」
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「あの、テンプル・ストークの学校?」
「はい、それでホームスクールも考えたほうが良いかもって。学校に行きたくないならしょうがないかなって。だって、先生がそんなことを言う場所、行きたくないのはわかりますから」
「先生がそういった理由は? 他の先生は?」
「わかりません、でもデイビットが先生の飲み物に何か入れた、とか⋯⋯。薬物だった可能性があるとか言うんです。もちろん誤解だと思います……。その先生だけです」
「一応聞きますが、その、……可能性はないですよね?」
「絶体にありません!」
私のの目を真っ直ぐに見てマルセリーナが言った。割と静かな女性だが、ここはハッキリと断言した。が、逆に怪しくもあった。
こんなふうに嘘をつくときは真っ直ぐに私を見る人は知っていた。そして彼女がそれとダブって見えた。
仮に嘘をついているなら、何の嘘だ? 嫌な予感がする。 しかし、それがハッキリとは分からない。教師、家庭教師、父親が、デイビッドを警戒、恐怖している? 共通点はなんだ? なにか点と点が繋がりそうな……。
「まぁ、まだ小さいですし。ありえないでしょうね。ええと一人で話してるとは?」
マルセの様子が少し変わった気がした。
「わかりません。見えない友達がいるみたいで⋯⋯ でもおままごとの延長でしょう」
「ええ、その可能性は高いです。あなたはよく目撃していますか?」
「人が来ると、話を止めてしまうんです」
「聞き取れた会話の内容は?」
「ええと⋯⋯、ほとんどまともに聞けたこと無くて⋯⋯」
「…………」
「あ、それより、リックさんは身体のお加減は大丈夫でしょうか」
「……え?」
「あの、先ほどは……」
目をそらしながらメルセがいった。さっきまで具合悪そうにしていただろう、と言いたいのだろう。が、なぜかあまり口にしてはいけない事のように濁した。
ヤバイやつだと思われたか? いや逆に罪悪感を感じている? この家か、息子のせいだと思っているから口ごもったのか?
「ええ、大丈夫です。ただの時差ボケでしょう、今日来たばかりですから……」
マルセリーナの目の逸らし方は、急で、なにかを隠しているように見えた。
ピーターの宗教、宗派は謎です。現実にはないものと考えてください。とりあえず結婚は許されているがプロテスタントの牧師ではなく神父。




