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5話 David

 


「あなたの旦那さんの主張してる、悪魔憑きを家庭教師が支持してる?」


 妙だと思った。いったいなんの問題をこの家は抱えてるんだ?


「⋯⋯はい、ピーターが連絡して聞き出したみたいで⋯⋯」


「それは普通ではないですね。その、⋯⋯具体的な理由は?」


「それが、彼女も……」


 マルセリーナが頭を振った。霊感的なものらしい。誰も彼もがこんなことばかり言っている。単なる家族の問題だろうが。⋯⋯話をややこしくして、一体なんになる? 私はいいが、子供はどうなんだ? スケープゴートにされているなら、胸糞悪い。しかし、家庭教師がデイビットをスケープゴートにする理由がない。


 溜息をつくとマルセリーナが申し訳なさそうにこちらを見た。少し疲れてきたな。目に違和感を感じる。宿に帰ったら⋯⋯、寝る前に蒸しタオルでも瞼の上にかけたほうがいいかもしれない。昔は夜型でスクリーンタイムも長く眼精疲労が気になって、たまにやっていた。最近はそう言えばやってなかった。


「あの、ハーブティーはいかがですか? 長旅でお疲れでしょうし⋯⋯」


「ええ、では一杯だけ」


 お茶を用意し始めたマルセリーナに礼を言いながら目の周りをマッサージするように軽く揉むと、──突然視界がぼやけた。


「──っ!」


 マルセリーナが「──どうしました?」息を呑んだように言った。


「いえ、お気になさらず⋯⋯」


 頭痛がした。眼球や脳の血管が普段と違う動きをしているようだった。変なやつと思われないように、姿勢をなおさなければ。嘘の霊感でも持ち出して言い訳してもいいが⋯⋯


「あの、それでデイビットと今日、お会いになりますか? 別に、明日でも⋯⋯」


「──いえ。先送りにしてもしかたないですから⋯⋯」


 目の焦点を合わせようするだけで苦労する中、返事をした。


「でも、今日はデイビットの機嫌が悪いかも知れないから⋯⋯」


「⋯⋯は? ⋯⋯機嫌?」


 何を言ってるのだ。お前が見てほしいと。ここまで、高い金を払って⋯、呼んだのだろう。


 そう思った時。


 ──窓に何かが映った。なんだ⋯⋯? 


 ガラス越し、目から泥が流れている青白い肌の少年。眼球がない。空っぽの眼孔から泥がボタボタと流れ落ちている。それが自分の背後にいて、貧乏ゆすりしているようなペースで揺れている。今にも動き出して、何か恐ろしいことをする前触れのような揺れかただった。

 悪意ある幻。幻覚。

 呼吸が、酷く、しづらい。心拍数が上がっているのが分かる。視線を窓に移すと、少年が髪を振り乱し、自分で自分の髪を引きちぎるような勢いで引っ張っている。その光景に心臓がとまりかけた、脳が酸欠になって、首筋に肉離れ仕掛ける寸前のような言いようのない違和感が起こり、唾を飲み込んだ。

 

 背中か、首の後ろが筋収縮が起こったのか、一気に背中が突っ張り、のけぞりそうになる。

 っ、マズイ!このままいくと椅子からっ、後頭部から倒れる! グググッとのけぞる己の筋肉が言うことを聞かないっ! こらえろ、これ以上のけぞるな!


「──っ!どうしました!?」


「ブハァっ! はぁ、はぁ⋯、はぁ⋯⋯」


 ふと横を見ると、マルセリーナが心配そうに覗き込んできていた。これ以上無いほどに己の目が見開かれているのが自分でも分かる。手を軽くあげて、心配ないと告げる。息をゆっくりと吐き出して、のけぞった体勢をゆっくりと戻す。フリオと目が合うと、あちらも驚いたように逸らされた。


「大丈夫。長旅の疲れでしょう、そうに違いない」


 取り繕うように口から出てきた言葉をまくしたてるように発した。


「⋯⋯無理はしないでくださいね。それとデイビットと話して来ます」


 まるで信じてないが、それに対して何も言わないことをマルセリーナは選んだようだった。そして彼女はかすかに頷いていた。デイビットはどうせ、取り憑かれていない。その証明のために私を雇ったなら、あの頷きはなんだ? 何に頷いたのだ。たった今、彼女は。⋯⋯恐ろしい想像が脳内に溢れかえりそうになり始めていた。


「ええ、お願いします」


 マルセリーナが立ち上がった。

 見送りつつ左肩を揉もうとすると、自分の手の下にもう一つ。私の手を凍えさせるような冷たい手がある気がした。

 もう一度生唾を飲み込み、勇気を出して揉む。冷たい手はいなくなっていた。窓ガラスの反射を見ると赤い部屋には自分とフリオだけだった。全身の力が抜けた。


「リックさん?」


 フリオが伺うような顔で言った。


「デイビットは、私について今知るのですか? それとも、もう話は⋯⋯」


「はぁ⋯⋯、ごめんなさい。知らなくて⋯⋯」


「ああ、なるほど。気にしないでください」


「うーん、どうだろう。どっちかなぁ⋯⋯。聞いてるのかなぁ?」


 気にしないで、といったのだが。フリオは首を傾げて考え出す。その間にマルセリーナが来て、一杯その場で飲んで、すぐに席を立つことにした。


「さぁ、行きましょう」



 *



 デイビットの部屋は1階にあり、彼専用のリビングとバスルームの中間に位置していた。マルセリーナが言うには2階にもう一つデイビットの部屋があるという。1階の部屋に居ることが殆どだという。この屋敷に3人なら部屋はあり余っているのだろう。リビングですら余っているのだ。


 部屋の前にたつとまずはマルセリーナがノックした。


「ハーイ、デイビー。さっきお話した、知り合いの神父さまが話したいって⋯⋯」


 マルセリーナが声をかけたが、ドアの向こうからはなんの返答もなかった。まぁ、そうだろう。

 私が子供でも碌でもないイベントだと身構える。


「じゃあ、デイビー。開けるね」


 言いながら結局マルセリーナがドアを開ける。ならば聞く意味はないではないかとも思ったし、デイビットもそう思っているだろうと思えた。

 ドアの隙間から闇が漏れた。部屋に灯りがついていない。廊下側から差し込んだ灯りでかろうじて、その子が見えた。

 その子は、膝を折りたたみ腕で自分を抱きしめるようにして俯いて、ベッドに背を預けていて顔がまったく見えない。ギコギコとしきりに身体を前後に揺らしていた。まるで、全身で貧乏ゆすりしているみたいだった。


「デイビー、こちらがね。パパとママの知り合いの神父様で⋯⋯。貴方にちょっと良くないものがついてないか、見てくれるって⋯⋯」


 ガシャン!


 その瞬間、子供部屋のロボットの玩具が机から落ちた。誰も反応しない。


 ⋯⋯っ!


 部屋に一歩踏み込もうとしたその時。一瞬、デイビットのの瞳が光って、ヴァンパイアのようにこちらに噛みつこうと飛びかかってくる幻覚をみた。落ち着け、幻覚だ。⋯⋯大丈夫。


「⋯⋯⋯⋯」


 マルセリーナもフリオも、デイビットもそれに反応することはなかった。


(慣れてるのか? 変な事が起きることに?)


 視線を床に落とし、さきほど落ちたおもちゃを探そうとするが、見当たらない。どっちだ? 私が幻覚を見て、幻覚だと分からなかったのか?


「デイビー? あの、お願い。大事なことだからね?」


「⋯⋯⋯⋯」


 自分の正気を疑っている間に、マルセリーナがデイビットに話しかけていた。


「──デイビー。ちょっとだけ、お話しましょ?」


「あのー。僕は、リビングに戻ってる」


 フリオが言って廊下を引き返していった。用が終わったら教えてくれ、という感じなのだろう。


「⋯⋯やぁ、デイビット。初めまして、リックだ。部屋に灯りはつけないのかい?」


「⋯⋯⋯」


 デイビットは俯いて返事をしない。それでもベッドの中に潜っていないだけマシなのかも知れない。


「ええ⋯⋯、勝手につけると怒るので⋯⋯」


 そっけない返事をするデイビットの代わりのようにマルセリーナが答えた。


 その瞬間、天井から、ドン!という音がした。


 天井を見上げる、今のも幻聴かわからなかった。これまで散々幼少期から存在しないものを見、音を聞き、そう生きてきて。初めての経験だった。ここまで判別がつかないことが多発することは今の今までなかった。現実に対するい錨が必要だった。何かにしがみつかなくては。バッ、とマルセリーナを見ると少し驚いたように目を丸くしていた。

 この表情はどっちだ? 私が狂っていると思っている顔か、それとも狂った現象が起きているから目を丸くしたのか。


「⋯⋯今の音は、聞こえましたか?」


「──え、ええ⋯⋯」


 緊張したようにマルセリーナが言った。ということは今のは幻聴じゃない。これで、おかげで少し冷静になれた。


「デイビット。お話はしたくないのかな?」


「⋯⋯⋯⋯」


 話しかけてみるが、返事はない。まるで屍のように、口をつぐんでいる。──っ!突然、デイビットが横に転がって倒れ伏し、廊下から差し込んだ光に照らされた顔が蛆の湧いた死体に変わっていた。空っぽの眼孔から泥が出ている。

 まただ、またおかしなイメージが脳裏に浮かんできた。頭を振り、映像を振り払う。


 窓の外、青く月明かりに照らされ、ホラー映画の殺人鬼が被るようなホッケーの仮面をつけた男が外からこちらを見ているのが見えた。これも、⋯⋯幻覚との区別がつかなかった。


「⋯⋯一度、出ましょう」


 震える声を最大限震わせないように、絞り出して言った。




 扉を締めると、気持ちが幾分か楽になった。


「あの、リックさん⋯⋯」


 マルセリーナが不安げな声を出した。

 

「もう大丈夫です。私は扉越しに話します。離れてもらってよろしいですか?」


「あ、⋯⋯はい」


 言うと、マルセリーナが赤い部屋へと戻っていく。


 コン、コン。


 コン、コン。


「⋯⋯ねぇ、なんの用? ずっとノックしないで」


 部屋の中からデイビットの声が聞こえた。恐らく声の感じからドア越しにいるのが分かる。いたって普通のこどもの声だ。話し方も。変じゃない。


「⋯⋯ああ、すまない。お父さんが心配してるらしいんだ。⋯⋯聞いているかな?」


「⋯⋯そう」


「まぁ、とりあえず。私はリック。──リック・デイモン。⋯⋯君は?」


「聞いてないの?」


「どう思う?」


「名前も知らない子に二人きりで話したい大人を連れてきたなら、いよいよ親は僕を捨てたいってことだ」


 名前を聞いてたとしても、改めて紹介してもいいじゃないか。そう言おうと思っていたが、思いがけないセリフをデイビットが吐いた。


「えーと⋯⋯」


 言葉に詰まった。


「どこに連れて行く気なの? 教会に預けられるの? 違う街の? それとも病院みたいなところ?」


「どこでもない。大丈夫だ。安心してくれ」


「安心なんて出来っこないっ!」


 廊下のガラスが、びぃん!と振動した。

 そこまで大きな声でもない。声を上げただけで、ここまでガラスが震えるだろうか。デイビッドの感情のエネルギーが声に乗って空気を揺らしたのだと思った。

 私には霊感も科学の知見もない。単なる作家崩れの自称エクソシストだ。しかし、断言できることは霊などこの世にいない。居るなら、この世は霊だらけだし、悪いやつは生きてる内に不幸のどん底にまで落とされまくるほど呪われてる。実際には、恨みや、呪いなどは、それがあって欲しいと願われる理由が人間側にあるのだ。それで説明がつく。


 私がやってる事などは、ほとんどホラー系セラピストみたいなものだ。

 しかし、そんな私からしても⋯⋯


 ──そう形容するしか無いようなものを、このデイビットから感じている。悪魔が取り付いているとは思わないが、彼から普通でない何かを感じる。

 声が廊下にまで聞こえたらしく、すぐにマルセリーナとフリオがやってきた。マルセリーナは伺うような感じで、フリオは何を考えているのか、分からないような顔だった。


「また会うかも知れない。とりあえず私は敵じゃない⋯⋯」


 「あっそう」

 

 とデイビットが言った。悲しい、可哀相な状況にある子供の声のように感じた。



 

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