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4話 赤い壁の部屋での食事。



 「⋯⋯水を貰えますか?」


 「⋯⋯ええ。お待ちください。すみません⋯⋯」


 一瞬ためらったように彼女が言って、水差しを持ってきてくれた。礼を言って一気に飲み干す。

 と、すぐにもう一杯ついでくれる。


 「ふぅ⋯⋯」


 一息ついたのか、溜息をついたのか、自分でもわからなかった。こちらの目を覗き込むように、食い入るように大きな瞳で見てくる。唇を少し噛んでいるのが愛らしい。


「いえ、構いません。お気になさらずに⋯⋯」


 この美しい人に魅了されそうだった。フラフラしだした頭を振って、首を揉み肩を回した。

 

 いやさすがに呼んでみたエクソシストにいきなり色目を使うわけも⋯⋯。妙な勘違いをするべきじゃない。しかし、こういうところで勘違いしないから、ロマンスのひとつも書けない売れない作家だったのだ。では彼女と恋愛でもしろというのか、するわけ無い。というか腹が痛くなってきた。あの水差しの水。大丈夫だろうな⋯⋯。田舎の水があってない可能性もある。意識が少し混濁してきた気がする。


 この部屋も、部屋だ。ひどく頭をクラクラとさせられる。悪酔いしたような気持ち悪さを、かすかに感じる。スペイン料理店のように、ダイニングの壁が真っ赤に塗装されているが、マルセリーナもスペイン系なのだろう。あまりスペイン人の知り合いはいないが、自宅の一室を赤くする家もあるのかもしれない。


 しかし、今は少々堪えた。夜風にあたりにいきたい。まぁ、ダメか。我慢しよう。


「あのー、この部屋は?」


「ええと、昔からで⋯⋯。何か、見えますか?」


「何かとは?」


「⋯⋯⋯⋯」


 そこで、霊的なものだろうと合点がいった。タイミングを逃してしまった。互いに無言になり、なんとなく、それで、今更エクソシストらしい答えをひねり出すのも、野暮な気がして話題を変えようと思った。


「少し気になることはありますが。まだまだ、わかりません。しかし、気になさらないで」


 適当なことをいっておく。部屋の角のほうにマスクをした男がいる幻覚が見えていたが。いつものことで気にするようなことでもなかった。


「そうですか。デイビットではなくて、家のせいかもって、思うときもあるから⋯⋯」


 マルセリーナが、こちらの目を見てそういった。それは磁力を持っていて、目線を外そうとしても互いに戻ってきて離れない。心なしかあちらも前のめりで……。こちらを見て舌なめずりしてきた気がするが、幻覚かどうかの判断がつかない。


 頭を振って、彼女の言ったことに集中する。


「家の、⋯⋯中にって、思う時も⋯⋯」


「ええ、この家がおかしいのじゃないかって⋯⋯」


 反芻するように、声が聞こえた。視線を上げると目があった。反射した赤い灯りが、ぼうっと彼女の輪郭に赤い光のオーラとなって纏わりついていた。卓上の蝋燭の灯りが揺れて張りの良い頬をチラチラと照らす。そこだけは赤くない、健康的な肌色に見えた。


「ええ、そうかも知れませんね。しかし⋯まだ⋯」


「ええ。専門の方に、お任せします」


 欲望のブレーキが緩んでいる。彼女の瞳の動き、唇の動きを見ると。⋯⋯もう一度マルセリーナの瞳を見る。今度は確かめるために。彼女の目は壁の赤に照らされ燃えているようだった。また目があった。彼女はまた真っ赤な唇から、ピンク色の舌を出して軽く唇を舐めてから艶めかしい笑顔を作った。


「あ、それよりも。お料理を作っているんです。今持ってきますね」


 今度は可憐な少女のような顔で、彼女が席をたった。

 引き込まれる。情熱、情欲、そのようなものが発火したような感覚になり、一瞬。恋したのではないかと自分を疑った。この場でダイニングテーブルの上で彼女と、情熱的に、官能的に、交わっている映像が浮かんだところで、──横にフリオが座っていることを思い出し、イメージを頭から追い出した。フリオを見るとぼーっとして窓の外を眺めていた。


「あのー、リックさん?」


「ああ⋯⋯、大丈夫です」


「なれない土地だから⋯⋯」


「はい、少々疲れが出たのかも。まぁ、でも大したことありません。それより彼女の旦那さんは⋯⋯」


「ピーターは教会かな。あとでマルセリーナに聞きましょうか」


「⋯⋯ええ」


ちょうど、彼女が料理を持って来て。ピーターは教会の用事があるので遅くまで帰ってこないと言った。


 マルセリーナはこちらの目を見ずに素早く説明した。旦那のことを話したくないのだろうか。

 子供を悪魔憑き呼ばわりする夫。エクソシストが彼と違う主張をしたならば、自分は間違っていないと感情的になるかもしれない。それこそ子供じみているが、子供に問題をなすりつける親ならば珍しいことでもない。


 己と向き合えないなら、投影すれば良い。というのは全ての人間が通る道だが、それは年齢を重ねただけでは過ぎ去らない。身につけば呪いと変わらない悪癖となる。


「アヒージョはお好きですか?」


「ええ、好物です。といっても食べ慣れてはいませんが」


「あら、どうしてですか?」


「ただ……、なかなか食べる機会がないのです」


「ああ、ならいっぱい食べていってくださいね! あ、あとお水もおかわりですね」


 少しほがらかな雰囲気になった。具合もマシになってきた。マルセリーナが水を注いでくれる。心無しか先程より新鮮な水のように感じて、何杯も飲んでしまった。

 そういえば自分も他者のせいだと決めつけたことが最近あったかも知れない。上手く思い出せないが、些細なことであったはずだ。別にこの父親に共感するわけでもないが。

 今のところエクソシストの仕事で(数えるほどしかしていないが⋯⋯)本当に取り憑かれた人間などはいなかった。

 だからこそ、ピーターという父親の言い分も、現実的ではないと思っていた。


 予想は、彼に振り回された親族が、仕方無く自分に依頼した。

 そんなところではなかろうか。あまりストレートに言わないのはピーターに気を使っているか、一応建前だけでも公平にしようとしているのか。でなければ、さっさと家のこのせいじゃないと言ってください。と来るだろう。


 別に。金さえ貰えれば、彼らの事情などは知ったことではないが、想像してしまう。ああ、むしろ高額の報酬を払ってまで見てもらった、という事実がむしろ欲しいのかも知れない。


 そんな事を考えながらマルセリーナの料理を堪能した。アヒージョにパエリヤに、その他名称がよくわからないものも多かったが、教えてもらっても直ぐに忘れた。覚えているのは全て美味だったことだ。

 



「デイビットは?」


「奥の子供部屋で寝ていると思います」


「夕食は、もう?」


「いえ、多分⋯⋯」


「彼は、ここで食べないのですか?」


 聴くと、マルセは焦ったように立ち上がり、「ええ、いつもそうなんです」


「あまり人とは食べない子で⋯⋯、家族とでもです。人が家に来ている時はまず部屋にこもっちゃいます」


 緊張気味にマルセリーナが言った。


「へぇ、貴方だけのときはどうですか?」


 父親が嫌なのかも知れない。悪魔憑き呼ばわりするくらいだ、仲良くはないだろう。そう思って聞いた。


「⋯⋯気分によります。私だけでも出てこない時はよくあります」


「そのような時。彼はどこで食事を?」


「皆がいなくなったときに冷蔵庫を開けて残り物を漁っていたり、インスタント麺を作って食べていたり、です」


「彼の部屋に食べ物を持っていくことは?」


「あまり、ありません。用無く入ると嫌がるし⋯⋯ 部屋では食べていないです。リビングが2つありまして、ちょうどあっち側のほうに居ることが多いんじゃないかしら」


 そう言いながらマルセリーナが廊下の奥を指した。


「あなた達は、もっぱらこの部屋で食べるんですか? 」


「私はここか、もう一つのリビングです。ピーターも。デイビットが使うリビングはご飯をわざわざ持っていくにはキッチンから遠いし⋯⋯」


 半ば、もう一つの奥のリビングがデイビット専用になっているらしかった。良かったな、デイビット。お前専用のリビングがあって。私がその年頃の時に専用リビングなど無かったぞ。などと思いつつ、しかし、かなり内向的な子なのだろうと想像した。


「では、デイビットは誰にも会わない? 友達は? 学校は?」


「友達もほとんどいなくて。昔はいたんですけど、皆テンプル・ベルじゃなくてウェストテンプル・ベルの子たちだから少し遠いし⋯⋯。家庭教師の人がいて、最初はなつき始めたように見えたんですが⋯⋯」


「⋯⋯家庭教師?」


 友達がいないのは、いいとして。家庭教師がいるのか、と以外に思った。


「ええ、家庭教師は絶対つけたほいうがいいってピーターが言って⋯⋯」


 ピーターは都会の名門大学を卒業していることが自慢らしく、デイビットにはそれなりに学がある人を家庭教師としてつけるべきだと何年か前に主張したらしい。


「その人はもう来てない?」


「ええ、一年ほど前にはデイビットが嫌がりはじめて⋯⋯」


「どんな人ですか?」


「シエラさんという、女性です。テンプル・ストークの人で⋯⋯」


「へぇ、そのひとはデイビットについては何もおっしゃらなかった?」


「⋯⋯それが」


 マルセリーナが、こちらの顔を伺うように口を開いた。



 

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