3話 テンプル・ベル村・赤い部屋のある家
テンプル・ベルの標識が見えてからはすぐだった。
村の入口が見えると車は一気に速度を落とした。森と山を抜けるとレンガ造りの低い塀が見えた、その塀こそがここより先は人間の土地なのだと示すためのものなのだと思われた。濡れた泥のついた落ち葉が歩道からはみ出すようにして積もっている。今は不気味にみえるが、昼にくればもっとマシな景観なのだろう。
テンプル・ベルは、袋小路になっている楕円形の盆地を中心とした盆地で、小山の斜面を背に、木々に囲まれた家が少しあるだけという村だった。外には、およそ人の住処たるものはなく、自然の中に集落がぽつりとある。
過疎化した限界集落のようにも見えたし、そもそも少数のカルトが移り住んだか、作った土地なのではとさえも思えた。治外法権。そんな単語が浮かんでくるような場所でもあった。
治安が悪いわけではないだろうが。この地は自分が知っている世界、いや人の社会から少し距離があるように感じさせる何かがある。
「ここがテンプル・ベル・ヴィレッジですか」
「タウンです。テンプルベル・タウンと言います。まぁ、規模的にはヴィレッジです。たぶん最初はもっと大きくするつもりでハッタリで名乗ってたのかな」
フリオは興味なさげに答えた。
「なるほど。かなり、孤立している所ですね。他の街と距離は? ここの人口は?」
「えーと、どのくらいかな。200人くらいは居ると思うけど。いや、いないかもなぁ。もしかしたらもう200人もいないかも。最近は皆子どもたちも出ていくし。ここから車で10分も行けばもう少し大きい住宅地とか、店とかありますから。そこを含めれたら600人以上はいるかな」
「そこもテンプル・ベル?」
「そうです。同じです、あっちはウエストがつくだけ」
聞くと、ここを過ぎたところにより人が住む場所があるというので、ほんの少しだけ安心した。
「そことは交流があるんですか?」
「うーん、あんまりかな。ストークの街まで行ったほうが遥かに大きいし、店も多いし。方向も正反対だし、あっちからだとストークよりは少し小さい町が30分で行けるんですよ。だから近いけど、あまり交流はないかも」
かろうじて門のような入口らしき場所にフリオがそう言いながら車で通り抜けていく。
楕円形の広場を囲むように車道と歩道があり、街路樹の黄色い落ち葉が、入口前よりも歩道を埋め尽くしていた。
広場の中心には水の出ていない噴水。馬なのか、妖精なのかよくわからない銅像が建てられている。
噴水を囲むように家々が建ち並び、うち半分の窓に灯りがなかった。複数の家の塀には赤い薔薇のような花があちこちに咲いていた。アンダルシアの花だったかバラだったか、よく覚えていないが、そんな花かも知れない。
地元の保安官のものと思われる警察車両が噴水近くに停まっていて、そこで煙草を吸っている保安官がいた。フリオが窓を開けて手を降ると、あちらもトーチをこちらに当てながら、ふりかえしてきた。
こちらの顔に何度かライトを当ててきたので眩しくて顔をついしかめた。ライトがブンブンと暗闇で動かされるだけで、保安官の顔は見えない。腹の突き出た老人としか分からなかった。
空を見上げると──満天の星空。あとから振り返ってみても、この場所の唯一の長所といえば、星空がありえないほど美しいことだった。
「お客さんを、⋯⋯連れてきたから」
フリオが保安官に言った。一応助手席から、見えているかは分からないが。「どうも」とだけ言った。
「よろしく。大丈夫とは思うが、面倒だけ起こさんでください」
車窓の外の闇から、ぼやくように老保安官の声が聞こえて会話は終わった。闇の中から、一瞬だけ白髪の口髭と眼鏡が見えた。
依頼主の住居は噴水右手の大きめの塀の屋敷に車で入っていくと、広い駐車スペースがあり、そこに2台の車が停まっていた。古めの白い4駆とやや小さめのSUVだった。
停車すると、フリオが「さぁ、着きました」と言って運転席で伸びをした。
二人で玄関ポーチまで向かった。ここも民宿と同じ、白い板張りの家でなかなかに大きい家だった。都市部郊外の平均的な家の数倍はある。
ポーチの横の影から唸り声が聞こえて、犬が繋がれているのだと知った。フリオを見るが、気にしていないようでこちらを見もしなかった。
「この犬は、ずっと繋がれているのですか?」
「気にしないでいいですよ。ただ夜深くなったら門を閉めて放し飼いにするでしょうけど」
「防犯のために?」
「ここに泥棒なんていないです。皆知り合いですし、犬は普段は放されてるけど、今日はあなたが来るから、念のために繋いでるのかな」
「はぁ」
呼び鈴を鳴らす前にドアが開いた。現れたのは黒髪の美しい女だった。依頼人のマルセリーナだった。自己紹介すると、興味津々といったような目つきでこちらを伺うように見てきた。
色白で、漆黒の瞳が赤いドレスに映える。薔薇のような色気。いや、あのアンダルシアの花のような、かもしれない。色白だが、同時に健康的な体つきは何かしらのスポーツで活躍したのであろうと想像出来た。
それが見て取れたのも彼女のシルエットがよく分かるような服装をしていたからなのと、案内するように前を歩く彼女の後ろ姿をまじまじと見てしまったからなのだが。要するに魅惑的な肢体を持つ女だった。
じろじろ見ないようにしつつ、モテてきただろうなとおもった。セクシーだし、ちょっといいな、と思った辺りで──おいおい人妻だぞ。と頭を振った。
廊下を歩きながら一言二言、言葉をかわすと、静かな猫を連想した。口数は多くなく、こちらを観察しているような瞳だった。昔デートした恋多き女を思い出した。デートした次の日には他の男と歩いているところを見かけて、次のデートは、なんとなくしなかった。
それでも彼女はセクシーで魅力的だったが、自分とは合わないのではと思ったのだ。振り回されてしまいそうだと思ったのかもしれない。ドロドロの恋愛などは自分には出来ないのは自明だった。今となってはその時の気持ちも思い出せないが。マルセリーナはその女以上に色っぽく魅惑的だった。
ダイニングに通されると、マルセリーナが──
「お茶にしますか? それとも珈琲?」
と言った。といっても彼女はすでにポットを持っていたが。
「──水、ありますか?」
今は普通の水で喉を潤したかった。それとこのダイニングにたいしてなにかコメントすべきか、迷ってもいた。
通されたのは、壁一面が──真っ赤な部屋だった。




