14話「帰宅、買い出し、安定剤」
>>リック・デイモン
ステイシーと別れて、宿に帰って来た。ドアを見るが、フリオがやってきた気配はやはりない。その証拠のように持ってる鍵でドアは開いた。
直してくれるはずだが、どうしたのだろう。律儀な人だ、口先だけで言っただけで来ないなんてケースは考えづらい。スマホを見てもSMSもない。
「どうしたんだ、一体……」
妙に落ち着かなかった。
突如ゾワッとした気配を感じて部屋の中に誰もいないか視線を走らせた。誰かがこの部屋のなかにいるような感覚。
昔、子どものころ。家で留守番をしてる時に、家に誰かが歩いているような気がしたことがあった。リアルな確信を持ったような感覚で。そしてその時確かに幻覚などではなく、人影を廊下のむこうでみて恐怖で震え上がったことがある。
あの時は親が帰ってきてから家をずっと探しても誰も見つからなかった。今回もそうであることを願いたいが。あの日だけ、あの日だけ、私は霊というものの存在を信じそうになったのを覚えてる。
一通り部屋を見て周り、玄関の鍵を横目で見ながら冷蔵庫を開けた。
……酒が飲みたい。もう既に何杯か飲んできたのに足りない。なぜか焦ってるように。もちろん冷蔵庫に酒はない。もう飲む習慣は絶っていた。
ちょくちょく飲みはするし、いまだに酒好きだが仕事で宿泊している場所で真っ先に酒を買い込んでおくほどにはもう飲まなくなっていた。それが、……なぜ今になって。
足が緊張で震えていた。まだ酒屋はやっているだろうか。今何時だ、11時過ぎ。
急いでスマホで付近の酒屋を検索する。
「──11時半までだ」
先ほど放り出していた上着に急いで腕を通して、外に出ていく。場所は歩くと8分くらいかかりそうだった。もどかしい、中途半端な距離が心を苛立たせる。
車をみて、一瞬。──どうする、のっていくか? 別にこのくらいの距離大丈夫だろう。運転するには少し飲みすぎている……。
いや、どうせこんな田舎町……。だめだ。流石に4杯以上飲んでいる。迷いが生じていた。ウーバーは? なさそうだ。
心のなかで失望混じりの怒りの雷のような声を聞いた。自分自身の声。親のように怒っていた。
乾いた笑いが口から漏れた。別に酒なんて飲んでもいい、大丈夫だ。ただ横着して3杯以上のときに飲酒運転はするようなやつになるな。昔から一定量を越えないように気をつけてたろ。そのラインから逸脱するな。
「OK、歩いていこう。……酒のために」
当時の、酒に溺れていた日々の記憶が蘇りはじめていたが、無理やりに見ないようにしていった。
酒屋につくと閉店10分前。滑り込むように入った。店員の男がわざわざドアが閉まらないようにボタンを押してくれていた。閉店間際、自動ドアが反応しないようにしてるのか。
礼を言って、急ぐ。
なににするか、あんまり選んでいられる時間はないぞ。普段飲むビールにするか。いや、チェコビールがあった。チェコバルだ、これを6本入り。本来ブドヴァルだが、ステイツではこの名前のやつ。これが美味い。いや、コゼルにするか。こっちも美味い。
……いや、両方買ってしまえ。なにをしみったれたように選ぼうとしているのか。飲み比べすれば無駄にならない。一応バーボンとワインも一本ずつ買っておく。あったまるために必要だからな。バーボンはブラントン。ワインはチリ産のにするか。
急いでカウンターに行くと、店員が気まずそうな目で見てきた。アル中だと思われているかもしれない。足も身体も震えているし、早足で来たから息も切れ切れだ。なにやってるんだか……。そんな目でみるな、と苛立ちつつ自分が情けないとも思った。
蔑みや同情的な視線を受け止め、悲観し、だがカードを財布から出す頃には冷静になった。少なくとも酒は手に入ったんだ。帰り道は、もっとしっかりとした足取りになっていた。ただ酒が手に入って落ち着いただけかもしれない。
宿の前、ビールを一本取り出してその場で飲む。
「……美味い」
宿前の塀に腰を下ろして煙草に火をつける。
スマホを見るとフリオから返事はやはりなかった。
「心配だな……」
改めて外から階段の上の建物の角の扉を見る。扉を開けた奴はあそこに立っていたのか。割と灯りもついているし目立つ場所だ。外にだれかいれば直ぐに妙なことをやっているのがバレる位置。昨日は失神してあの部屋ではなく村の家で寝た。だが、なにも部屋は荒らされてもいない。頻繁にイタズラをするにはやる側も勇気がいりそうだ。
もう来ないか。うん、多分そうだと思えてきた。
改めて宿を見る。
白い板張りの洒落た外観の宿。やはりこの外観が好きだった。板張りの感じもいい。フリオは本当に何でも出来るんだな。そう言えばガンショップの店員が銃も上手いとか言ってたな。思った以上に器用なひとなのかも知れない。
ちょっとした、なんの証拠もない発見に機嫌がよくなる。発見は心地よくすぐられているような快感をくれる。宿の階段を上がる足取りも軽くなった。
ビールを冷蔵庫に入れる。
本でも読んで過ごそうか。
本を机の上に置くと、作家を生業としていた頃を思い出す。
当時は別に他の作家の作品など読まなかったが。今はもう、人生に期待していない。肩の力を抜いて同業者の作品が読めるようになったのは、いつからだろう。
酷いのもあるが、やはり期待せずに読むと皆一様に上手い部分や、おっと思わされる部分がある。
自分には才能がない、真剣にそう思っていたし、それは多くの他の作家もある程度そうだとも思っていた。少しは売れた作品もあって、少しは脚本の仕事、シナリオに、いろいろありつけたこともあったが、8年経つ頃にはすっかり無くなっていた。
オカルト系の作家と飲んだ時に君には強力な霊感があると言われたので、それが金になるのか? と聴くとそれがエクソシストのきっかけになった。
人生とは奇妙なもので、霊を信じないのにエクソシストとしての評判はすこぶるよろしい。この調子なら、あと数年はそんなに金に困らずにやれそうだった。その後の未来は分からないが。
今は休もう。毛布を持ってきてソファに寝転がる。
証明も間接照明だけにして、持ってきた本を何冊かソファ前のテーブルに置き、そのうちの一つを手に取る。
……コツ
どのくらいか分からないが、意識が落ちていた。部屋の角で、なにかが床に落ちた音で起きた。
目を薄っすらと開けて横目で見ると、十字架のネックレストップのようなものが見えた。
「⋯⋯なんだよ」
ため息を付きながら、起き上がって確認しに行くと小石だった。部屋を見回す、誰もいない。
空調の音だけが聞こえる。窓の外は真っ暗闇。
一瞬で、二日前。鍵が開けられた記憶がフラッシュバックした。一気に警戒心が湧き上がった。
周囲を確認し人が潜んでいないか確認する。確認しながら電気をつける。
誰もいない。
十字架のペンダントップには見覚えのある傷。拾い上げると、それは小石に変わっていた。
あれは、焼けた教会の関係者からの依頼で、適当に見て回っていた時にみたネックレストップだ。その時からよく見るようになった幻覚。
どこにでも現れる幻覚で、夜寝ている時にたまに枕元にたって俺を見下ろしている男がつけている事が多い。常に両の手のひらを組んで、祈るようにしているのか。それとも人の首を絞めているのか区別できないような表情をしている。
教会が焼け落ちた後に、首の骨が折れた子供の死体がいくつか地下から見つかった、なんていう話も聞かされたが。その犯人を俺の脳が想像して作り出したのか。
小石を見て、靴底の溝に挟まったものが侵入者の靴から落ちたのだというイメージが今度は湧いた。石をキッチンのゴミ箱に捨て、ついでに玄関の鍵が開いてないか確認した。
ドンドンドン!
窓が叩かれた音。
バッと振り返ると、窓の外にアルミホイルで作られたトンネルのようなものがあって、中に悪魔なのか、妖精なのか形容しがたい存在がいた。捻れた角を側頭部から生やした毛皮のコートを裸の上から羽織っている男。下半身は毛むくじゃらで影になってよく見えない。瞳が人工的なほど黄色く、意地悪そうに口の両端を釣り上げてこちらを覗き込んでいた。
>>お前が悪いんだぞ。エクソシストなんてやってるからさ
「⋯⋯黙れ」
>>お前が悪いんだ、首を突っ込むんだから。しょうがないよなぁ。
「アルミのチューブの奥に吸い込まれて死ね、消えろ」
>>あぁ、そうするさ。でもなぁ、今日あの家でお前は襲われるかもなぁ。俺が力を貸してやってもいいぜぇ? ただし、悪魔も呪いも霊もこの世に存在することを認めたら、だけどなぁ?
「お前に何かが出来たことがあるのか? 自殺しろ」
>>あぁ! ひどい言葉を使って⋯⋯。悲しいねぇ。ひどいねぇ。でもこういう時に頼れるのが悪魔だろぉ? 神が何をしてくれるっていうんだよぉ? 神は悪からお前を守ってはくれない。くれたことが一度もないんだから、お前は否定できない。⋯⋯貧困からもだ。悪なら、他の悪から守ってやれる。悪なら、てめぇの気に入らねぇ全てのものを焼き尽くしてやれる。そうだろ? いい加減本気になれよ。目のみえねぇ羊になってテメェよりも遥かに劣るゴミの餌にされて終わるのか? そんな事のために生まれて、てめぇを利用する奴らに褒めてもらうために力なき善として生きる? やめとけ、やめとけ。もったいねぇって。お前の魂が泣いてるよ。
眼球がそれぞれ動き別の方向を向いては、キュルルと元通りになるのを軽快に繰り返しながら悪魔が言った。
「なにが悪魔だ。お前なんぞ妄想の産物、馬鹿な妖精だ」
>>そう思ってるなら、なんで心の中では悪魔だと言うのか、教えてくれよ。質問だ、なぜわざわざ馬鹿な、なんてつけた? 妄想をバカにする必要があったのか? それか論点をずらしたかったのか。お前、自信あるんだろ? 本当にずる賢く、本当に悪意を持って、本当に弱肉強食に、本当になんでもありで、そうやって生きていいなら⋯⋯。どんなやつでも、どんだけ成功してるやつでも破滅させて、焼き尽くして、平らげて、気に入らねぇもん全部支配して、ぶっ殺す自信あるんだろ?
「妄言もいい加減にしろよ、クソ野郎」
>>作家業も無理やり才能ないと思い込んで逃げたんだもんな? 本当は誰よりも優れてると思っていたクセに。いまだにお前以外の作家の作品すべてたいしたことねぇ。お前と比べりゃレベルが違うと、何を読んでも感じてるくせに。でも仕事がねーんだからそう思うよりないよなぁ? じゃねぇと諦めつかねぇもんな……。
「……大ハズレだよ、三下のマインドリーダー」
>>でもお前みたいな奴らが本気でやり合ったらやばいよな。
「何を言ってる」
>>目をつけられたもんから破滅するもんな? お前はお前みたいな奴に目をつけられないために大人しくしてるだけだ。なのにお前以下のやつらがルール無視して、好き勝手やって見逃されてるのが気に食わないんだよな? ぜーんぶ分かってる、俺の仲間になれ、悪になれって。お前なら最強の悪になるって。俺が保証するからさ、いい加減本気で面白いことやろうぜ?
そう言う悪魔の満面の笑みは快楽に飲まれきった猿のようだった。蒸気を上げる涎だらけの舌が口からだらんと出て悪魔の顎の舌で振り子のように揺れる。悪魔の獣の毛だらけの下半身から一物が盛り上がっていく。
悪魔の背後から女が現れた。目隠しをしたマルセリーナだった。
>>こいつ、いい女だなぁ。つまらないマグロ女か、それともマグロでヤリマンか。それとも何も期待できないようなものか。どっちかな。手始めにこいつ犯してやるよ、この俺がよ。この女、旦那がいて子どものこと依頼してる最中にお前に発情して濡れてたんだぜ? そんな女の家庭ぶっ壊そうがどうでもいいだろ? なに安全に生きようとしてんだよ、お前バカかよ。こんなやつ犯したうえに殺してやれ、ほらあの取り憑かれたガキのせいにするかすりゃいいだろ? ギャハハ、お前エクソシストなんだから、てめぇで証言しろよ、最低すぎて面白いだろ。このガキが自分の母親をやったんですってさ。
「そんなこと面白くねぇんだよ! ぶっ殺してやろうか、この野郎!」
>>おお、こわ……。フヒヒ。
そんな事を俺が楽しむとでも思っているのか!そう叫んでやりたいような怒りが身体中を駆け巡っていた。どれどけ怠惰で欲深くともそんな事を望んだことはないからだ。
マルセリーナの身体を悪魔がまさぐり、かるく悪魔が彼女の頬を平手打ちすると。マルセリーナは悪魔の前に立ち、尻を後ろに突き出す。悪魔は笑いながら女の尻をたたき行為をはじめる。
>>お前も参加しろって! 来いよ、こっちにぃ。窓から渡って来れるからさぁ⋯⋯。さぁ、来いって
悪魔が、言いながら窓から少しずつ離れていく。幻覚の中では、窓の向こうとはアルミのチューブで地続きだが、物理的にそこへ言ってマルセリーナを触ろうとすれば、宿の窓から前庭に落ちることになるだろう。
こんなくだらない幻覚をみてるのにもかからわず意識は鮮明で、冷静だった。1階だからたいしたことはないが、それでもその誘いには乗る気はなかった。
窓際まで行って──
バン!
窓を思い切りよく閉めた。鍵を掛けカーテンを締める。
>>⋯⋯せっかく女まであてがってやろうとしたのになぁ? ちゃんと外に踏み出せばよかったのに。
「その女は主に祝福された女だぞ、俺の感が言ってる」
>>メシが不味くなることいんじゃねぇよ、このクソ野郎……。
カーテンの向こうから悪魔の声が聞こえて、すぐに気配は消えた。
煙草のパックを手に取る。が、ベランダで吸う気にならず、玄関のドアを開けたところでここが1階じゃないことに気がついた。
「ついさっきまで……、一階だと思い込んでいた。脳が、鈍ってる気がする、酔ってたからか。それとも……」




