結︰ Q,『背を焼いたあの火は青火を消したのか』
言葉よりも行動が先にでるとき、人は必ずといって良いほど強く深い感情に突き動かされていることがある。言葉が溢れ出てくるときもあるだろうが……。
「そういうことじゃねぇよ。俺が言ってんのは————」
「ねぇ、今さ、何した?」
震えている、低い声が、鼓膜から全身に冷たい何かを突き刺してくるのを感じた。男子が不満げに振り返り秋くんから意識を移したのを見て、私も泪くんを追いかける。秋くんは胸元を抑えながら、二人の方を見つめては目を見開いて固まってしまっていた。
私はどうするべきか悩んだものの、泪くんが男子の胸元を掴み壁へ乱暴にぶつけたことで思考よりも先に動き出す。秋くんの手を掴み、無理矢理にでも距離を離す。
「……っ」
教室に向かう? いやダメだ、彼が取り乱してしまっている今、それは得策じゃない。騒ぎになって、泪くんのところに更に人が集まってしまう。あまり大ごとにしてしまっては、秋くんにも泪くんにも望んでいない状況になってしまうだろう。私は方向を変えて、保健室に向かって駆けていく。秋くんは何も言わずにいたが、途中途中で息を勢いよく吸い込むヒュー、ヒューという音が聞こえてきていた。
部屋まで辿りつくと、私は手早くノックをし、名乗ってから入る。
「————どうしたの、そんな慌て……あらら?」
息を切らしている私たち、特に顔が真っ青になっている秋くんを見て、保健室の先生が首を傾げる。珍しいことだったのだろう、それでも先生は落ち着いた様子で彼を宥めつつ寝台に座らせた。
「何があったのか、聞いても良い? 結蘭さん」
「……叩かれたんです、男子に。詳細は私も分かりませんが、秋くんの行動について不満があったようで、昇降口近くの廊下で男子に詰め寄られていました」
事情をできるだけ手短に伝えて、私は机に添えられている椅子に座る。先生が私たちに水を汲んでくれ、それを渡してくれた。乾いた喉に流し込む。
「それじゃあ、その男子は今もそこに居るんだね?」
「はい。泪くんが怒っちゃって……もしかしたら、喧嘩してるかも。私、見てきます」
「ううん。先生が見てくる。結蘭さんは、秋さんを見ててあげて。何かあれば、近くの先生に」
「…………はい」
扉の閉まる音を聞いて、秋くんの様子を見る。
彼は頬に手を添えたまま、先生から渡された保冷剤も放って固まっている。口はかすかに開いており、体が少し震えているのは分かった。かなりの傷を負ってしまったらしい。おそらくは、トラウマに近いものへ触れてしまったのだろう。心配になって手を伸ばしかけるも、異性だからなのかその手は止まってしまう。躊躇して、肩をほのかに掠めるだけになった。
秋くんは息を整えながら、目を伏せる。
痛みをこらえている表情だ。下手に何か刺激するのも怖くて、私はただ「大丈夫?」と小さな声で問いかけることしかできない。
それでも小さな支えにはなったのだろう。
「……ごめん。変なとこ、見られちゃったな…………」
「ううん。私こそ、すぐ止めにいけなくてごめん。仕方ないと思うよ……私だって、あんなふうに敵意をぶつけられたら怖いから」
「…………」
「保冷剤。当てておいた方が良いよ」
おもむろに保冷剤を手に取って当てる。
「ありがとう」
それだけ言って、秋くんは微笑む。目が潤っていて、想像もできない程の痛みを我慢しているのが……改めて理解させられた。彼の深い場所にあるものを何も知らないというのに、同情なのかあわれみなのか、胸が締め付けられる。泪くんのときもそうだが、他人の苦しみとともに向き合うというのは、とても難しい。だからこそ、そういった便宜上「面倒なこと」というのを、他人は避けたがるのだ。
私は歯噛みをして、自分のことをまた一つ知って恨む。
これが優しいといえるのだろうか。いってもらって、良いのだろうか?
頭がくらっとした。
運動もしていないのに、急に全速力で走るからこうなる……。すこし後悔しかけて、しかしやめる。
「——あはは…………失礼しまーす」
「結蘭さん、秋さんの様子は?」
「俺なら……大丈夫ですよ」
秋くんと私は一緒に扉の方へ歩き、泪くんとともに戻ってきた先生の方を見る。
彼はスッキリとまではいかないが、先程の冷たい顔ではない。不満はあるのだろうが、それを言葉として表現することもなく、秋くんの方に歩み寄って近くの椅子に座る。
「胸倉掴んだのは怒られたけど……何というか、さほど思ったより怒られなかったのがビックリかなぁ」
「そりゃあ、先に第三者から事情を少し聞いてたからね。暴力を振るわなかったのも、『倍返しだー!』とかいって罵ることもなかったから。というかほぼ正論だったし……怒る気もでなかったというか」
「先生お優しいですねぇ。まぁ、秋くんも望まないだろうし、俺も事態大きくしたくないから……それに、あいつと同じになるのも——いや、これは関係ないか」
「さてと」と泪くんが秋くんを見やる。
「痛くない?」
「うん、平気だよ」
「そーかいそーかい。あの子許せないとかは? 返答は予想できるけど」
「あるわけない。俺のやり方がダメだったんだろうし」
外見の自分は自分の想像した通りではない、というのはよくある話。でも、今回の場合はなんというか、逆恨みに近いものを感じたんだけど……というのは、あまり突っ込まない方が良いのだろうか。とりあえず、黙っておこう。
何だか秋くんの言い分に納得していない様子で無理矢理納得した風をつくっている泪くんだが、彼の感情や思考を優先するべきと考えているようで、自分軸の強さという悩みは解消されてきているように思える。私の言葉だけが彼に影響を与えた訳ではないだろうが、泪くんの変化が最初に見られたのが秋くんに対しての言葉であるのは、なんとも長い付き合いの幼馴染らしい、……というべきか。
* * * * * * * * * *
『続いてのニュースです。昨日久瀬剛市の住宅で大人の夫婦と見られる遺体が発見され────警察は殺人事件として捜査を──』
「…………」
『家宅捜索の結果から犯人は現在行方の分かっていない夫婦の息子の男子高校生であると見られており────』
「……………………」
『警察は行方を追っているとのことで──』
何が『大丈夫』だ。何故、そんな言葉がこの世界に存在し、人間は平気でそれを口走るのか。何故、言われた側はそれで「はいそうですか」と納得して全部放って気にしないだなんて選択が取れるのだ。
立ち上がる。彼女に連絡して、■■■の様子を調べなければ────
「────メール?」
■■……か。そんなものが、俺達の人生を滅茶苦茶にして、■■■■■■■■■■■のか。
どうして、■■■■■■■■は……あそこまでしてあんなことをやり遂げたかったのだろう。■■■■■も、俺達も、どれだけのことを背負っているのか理解していたのに。
「先輩からだ。えぇと……────」
ねぇ、秋くん。
俺達、どうなるのかな。きっと良いことなんて言うほど起きてはくれないし、苦しいことが続くんだろうね。
でも、俺達は生きていかなきゃいけないんだよね。■■■■■を■■■ために。
あの子のお父さんの気持ちを、無下にしたくないから。
■■■■■■も、いつまで続くかな……。あぁ、いや……これは本当に、趣味の悪い冗談。そんなに真剣に答えないでよ。
「……行かなきゃ」
俺達の■が、俺達が■■じゃないことを示している。■■は忌むべきもので、俺達はそれを■■■■■■■■の…………。
* * * * * * * * *
「……秋くん?」
「…………」
「秋くん、だよね?」
秋くんは雨の中、レインコートを来てフードを深くかぶっていた。雨が土をふやかして、そのニオイが鼻腔にねちっこく絡みついてくる。後ろ姿から滲み出ている空気が、話しかけるのに少し躊躇う程重くて。
振り返った彼と、目があわない。
急に不安になる。
「るい……か。雨降ってるのに傘差してないけど、風邪ひくぞ、……どうした?」
「あぁ、えっ……と。先輩に呼ばれて、すぐ行かなくちゃならなくてさ。急いでたら忘れちゃった」
「そっか。まあ、俺は良いから行ってきなよ」
「……うん、じゃあまた」
何も返してくれなかったけれど、優しい声音は変わらなかった。俺は横を通り過ぎて、走る。駆けて駆けて、ただひたすらに駆ける。
『泪くん、突然メールしてごめん。光輝くんって同じクラスだったよね。あの子最近学校行ってなくて、部屋に閉じこもりきりなんだ。今朝はご飯食べたみたいだけど、きっと手紙も溜まってるだろうし、課題も出されてるかも……って先生に聞きに行ったら、どうやら薬根さんに頼んだみたい』
いつも登下校をしている道に出て、校門に向かう。そろそろ下校時刻になりそうではあるから、タイミングが合えば会えるはずだ。念の為、メールも送っておかなければ。
『でも家は知らないはずだし……多分、断りきれなくて受けちゃったんじゃないかな。柊先生、道を教えるのは苦手って言ってたことあったから……迷ってたらって考えると何だか落ち着かなくて、泪くんに頼むのも申し訳ないけど……できたら、薬根さんを見つけて家を教えてあげてほしくて。今日早退したって言ってたから……泪くんなら頼めるかもと思って声をかけたんだけど……無理はしないでね、断って、いいから』
「──数時間ぶりだね、結蘭ちゃん」
「うん、数時間ぶり。どうしたの? 今日早退してたよね」
「先輩に頼まれて、結蘭ちゃんに道案内をしにきたんだけど……要るかな?」
結蘭ちゃんは驚きつつもファイルと俺を交互に見て、息を漏らす。安心したように微笑んでは傘をこちらに寄せてくれた。俺は傘を取ってさし、結蘭ちゃんの負担を少しでも軽減させる。短く感謝を述べられたが、何とも返せずにただ歩みを進める。
「光輝くん、居る?」
「……何か、変だなぁ。結蘭ちゃん、ファイルかして」
「えっ、う……うん」
渡されたファイルを持ち、代わりに傘を返す。そのままなんの返事も聞こえない静かな家の扉に手をかけた。ドアノブは冷たく、冷気が伝わってくる。
後ろを振り返らずに、目を伏せて捻り開けた。────開いた。
「結蘭ちゃん、先帰って良いよ。お風呂入ってたり寝てたりしてたら……悪いからさ」
「…………」
「……あーぁ。やっぱりかぁ…………返しといて良かったよ。まぁ、それも時間稼ぎにしかならないんだろうけどね」
萎れた花の前で、俺は乾いた笑い声を漏らし、スマホから聞こえる発信音をよそに椅子に座った。
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エンドβ 真っ先に笑みがこぼれた。
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