転︰ 君だけの価値を抱きしめてほしい
「────ごめん、秋くん!」
待ち合わせをして朝早くから秋くんが登校するのをまっていた私達は、ついに彼を見つける。泪くんは秋くんの袖を掴み、大きな声で謝罪の言葉を叫んだ。驚いた顔をして振り返った彼は鼻から空気を流し出すと、泪くんの肩に手を添えて軽く叩く。
横目で秋くんが私の方を見た。口だけを動かして、「あいあおう」の形を作る。恐らくは「ありがとう」だ。手を貸したことがすぐにバレてしまった。
……一緒に立っていたのだし当然か。
「昨日は本当に、ごめん。酷いこと言っちゃって…………」
「少しビックリしただけ。……泪のそういうところ、ちゃんと分かってるから。気にしないよ」
「……やっぱり、酷い位優しいね…………秋くんは」
小首を傾げた秋くんに、泪くんは首を横に振る。
こちらに背を向けた彼の首元に絆創膏が貼ってあるのをみとめて、私は少しずきりとした痛みを感じた。泪くんがこちらに来るよう手を振ってきたので、それに応じて二人に近付いていく。
「おはよう、結蘭ちゃん」
「おはよう秋くん。首元、大丈夫?」
「あ……あぁ、見えてたか。全然平気だよ。痛くないし、どっちかというと痒いからね」
治りかけだったようだ。そもそも浅い傷か。
言うべきではなかったかとも思ったが、口走ってしまったのだから仕方ない。私は二人に続いて校内へ、教室へと入り席につく。
そわそわして落ち着かず、私はこの一日中動き回って……いや、この表現は正確ではない。手足をひっきりなしに絡め、離し、空気を混ぜて忙しなく動かしていた。その様子に気付いたのか否か、周囲のクラスメイトはこちらをちらりと見やるも、そのまま通り去る。
泪くんが何度か話し掛けてくれたが、この感覚は暫く収まりそうにない。
時間はその間も流れ続け、いつの間にやら帰宅を呼びかけるチャイムが校内に響いた。それをいいことに、私は机上に突っ伏して寝そべる。袖の中でモゴモゴと口を動かし、やがてスマホを取り出すと、あのメッセージアプリを開いてみる。
『ホオズキさん、なんだか落ち着かないので貴女のことを教えてもらえませんか』
『私のことを? またまたどうして、不思議なことを言うものだ』
『駄目ですか』
スマホを横目に、窓から見える外に目を凝らす。晴れているその空に欠伸を誘われてしまい、くぁと口を開く。そのまま椅子に背を預けてスマホを置き、そしてまた液晶へと視線を移した。
何を話すべきか、悩んでいるのかもしれない。ホオズキは前の返答を見るに無理なら無理だとすぐに言ってくれる筈だ。そういう人なのだろう。
────例えば、ホオズキっていう名前に由来はあるんですか? あの植物に付いている花言葉は、確か……。
そこまで書いて、思い出せずに唸る。調べる間に返信が来ても気まずいので、静かに消した。
『話せることは少ない。私はあまり面白い人間じゃないからね。だってそうだろう、言葉足らずもいいとこだ。都合が悪くなれば、君と交わした約束も破るようなヤツなのさ』
自虐なのか何なのか、哀愁の漂うその文面を見て、反応に困ってしまう。画面の向こうの人物がどんな人相なのかは知る由もなく、私と話しているときに出るこの一面を、ホオズキという人物の全てとして考えることはできない。文で話すとき、声で話すとき……それぞれでホオズキに対する印象は変わる筈だ。
生身の人間として相対したとき、私はホオズキをどう思うのだろう。
『だからこそ、私は貴方を見極める判断材料が欲しいんです』
それが嘘でなく、本心のまじる言葉であるのは本当だ。
『道理にかなっていて、自分の未知の領域を知ろうとする心がある。私にもそういった心持ちはあるのだし、君に私を信頼してもらうための情報の譲渡と考えれば、いい機会かもしれないね』
私の姿勢を評価してから、ホオズキは饒舌に言葉を羅列し、『さて何を話すべきか』と考え始める。
性別すら容易には判別できない中性的な語り方。さわりだけでいえば、私よりも年上ではないだろうか。落ち着いた口調、それこそ文章は『好きなように書き、相手に先入観や人間の多面性への気付きを与えるもの』だ。何も知らぬ初対面の、アプリ上だけの存在だと考えれば、全てが演技である可能性も否めない。
しかし、直接会って話そうなんていう案を自分の中で実行し難いのも事実だ。学校では定期的な講演にてインターネットの危険を説明されている。故に、私にはそれを行う勇気など毛頭ない。
『私には姉が居てね。とてもよく似ている容姿に、異なった性格と魂を宿す。一言で言えば善人だ。私はいつも怪我ばかりして、命をかえりみぬ行為を繰り返してきた』
今こうやって言葉を紡ぐホオズキは、文字を打ちながら物思いに耽り、懐かしむように過去の記憶を幻視しているのだろうか。
『その度に姉に叱られたよ。周りのことばかり気にして、必死に自分を隠すような人だった。私は姉が嫌いだったし、姉も私を好きではいられなかっただろう。人の気も知らないで、私は好奇心のまま突っ走っていくものだから』
『今の仲はどうなんですか?』
『可もなく不可もなく、かなぁ』
濁すような物言いだ。無論、家庭に口を出す権利は無い。本当に特段仲が良い訳でも、最悪にいがみ合う仲だという訳でもないならば、それが一番とさえ思う。
それでも、何といえば良いのか……。
『機会があれば、君とも会えるだろう。そのときは、素敵な反応を見られることを祈るよ』
────素敵な反応、か。
私にも家族が居る。互いの間にある関係がどう変化しようと、“家族”という括りのようなものは絶対に薄れない。血が、魂が、そういうふうに認識しているからなのか。それとも、今までの中で構築されてきた絆というものが、私達に深く刻まれているからだろうか。
頭を振る。あたりまえに従って、それを否定し拒絶する勇気が無いだけかもしれない。今の私には、孤立した際にどれだけのことが出来るのか分からない。いや、大して健闘もできないのが目に見えている。私はどうしたってまだ子供なのだから。……その免罪符もきっと、もう数年で消え失せてしまう。
ホオズキも、同じ考えを持っているだろうか。
『すまない、知り合いから呼ばれてしまった。今回の話はここまでになる』
了承のスタンプを送って、私はスマホを閉じた。
* * * * * * * * *
「ただいま」
玄関の中に父の靴が無いのを確認してから、俺は母に声を掛けた。母は開いた扉の音に驚いて少し肩を震わせたが、俺の顔を見ると安心しきったように口元を緩ませる。
「あぁ、泪。おかえりなさい」
「…………父さんは仕事?」
コクリと頷く。
「そっか」
ゆっくりと母の隣に腰を下ろす。深呼吸をして、背中を擦ってやってみた。服越しに感じ取ることのできない無数のアザが隠れていることなんて、知っている。だから、優しく、微かな温もりを届かせようとする。もしかすると、気持ちを落ち着けようと手を絡める動作と何ら変わりはなかったかもしれない。
相手を慰めるのではなく、この行動をすることで自身を落ち着けようとした……とか。
頭を微かに振る。自分の嫌な面も分かっているからこそ、偽善にも思える自らのそれに腹が立つ。
「あの、さ。…………母さん」
俺、変われるかな。あいつみたいにならずにいれるかな。
「────泪はいい子よ」
「…………」
手が止まる。
そんなはずは、ない。だって、毎日、毎日、父を怒らせては母を泣かせ、もう取り戻せないほどの傷を背負わせた。心も体も、ボロボロにした。
母さんを見る。
母さんは微笑んでいた。乾燥した唇には血色がなく、目には隈ができている。俺に手を伸ばし、頭を撫ぜては強く抱き寄せ────すぐ横で息遣いを聞きあう。
「俺は悪い子だよ。母さんも父さんも傷付けた、……悪魔の子さ」
人に対してどう思っても自由だが、それを口にするのには責任が伴う。言葉は取り消せない。そんなことは知っている。第一、黙っていればそれで良かったんだ…………あいつはそう簡単にはいかないだろうけど。少なくとも、母に緊迫した恐怖を重ねさせてしまうことはなかった。
…………分かってたんだ。
俺はいちいち言わなくていいことを言う。そして、人の心を逆撫でして状況を悪化させている。
「そんな事、言わないで。私が産んだ私の子に、そんなことは言ってほしくない」
「…………どうして?」
まただ。冗談と本音の入り交じった今の言葉が、母さんにまた傷を付ける。空気にヒビを入れさせる。息を吸え。口を開く前に考えろ。
「お母さんは泪を愛しているから、かな」
恥ずかしそうに小首を傾げて笑う母さんは、俺の頭をまた撫ぜる。その優しさに、なぜだか目頭が熱くなった。
「俺、いつも……いつも、いらない事ばっかり話して、困らせて」
「確かに、泪はすぐに口に出ちゃうのが玉に瑕だね。……でも、それで救われた子も居るんじゃないかな?」
「救われる……なんて、誰が…………」
「少なくとも────お母さんは、泪の言葉に救われてるよ」
呼吸が崩れ、喉に言葉がつっかえてしまう。
それでも、母の言葉を真意として受け取りたくて。
自分の我儘な態度が、誰かにとっての助けになるだなんて、考えたこともなかった。自己満足の延長線でしかない自らの吐露が、そんなふうに巡るのならば……俺は、
────俺は、見当違いなレッテルを張られている友人を助けることができているのだろうか?
「……ね、母さん」
涙の溜まった、潤った目で母さんを見る。
「俺のことをよく考えて、言葉の持つ力を考えさせてくれた子がいるんだ。……秋くんと同じ位、優しいんだよ」
* * * * * * * * *
「それで、泪くん。呼び出した御用事って?」
数日後、泪くんからカフェに誘われた私は、妙に目の合わない彼の向かい席でこの問いの返答を待っている。かれこれ数分経っただろうか、彼は唸るばかりで、言葉を紡ぐのに苦労しているようだ。
「ごめん。こういうとき、どう話せばいいのか……」
「全然気にしなくて良いよ。いつもみたいにストレートに言ってくれても、大丈夫だから」
「うっ」
わざとらしく悩む彼が、何かを諦めたかのように息を吐き切る。
そして、私のことをまっすぐに見つめた。その顔は緊張に少し強張っていて、見ていると新鮮さがある。あのとき、秋くんに謝りにいったときくらいにしか見たことはなかったけれど……。
「あのさ。俺……もっと」
「もっと?」
「…………もっと、知りたいな、って」
それは告白と同義だった。いや、彼からしてみれば精一杯のプロポーズだった。
「結蘭ちゃんのことをもっと知れたら、俺も自分の身の振り方をかえりみて、ちゃんと向き合える気がするんだ」
返事を待つように、泪くんは唾を飲み込んだ。
私は少し考える。拒絶する理由は無い。彼を救うために、と考えている内に、彼が彼なりにしてきた努力を受け止め、惹かれていたのはこちらもそうだ。頬の熱くなるのを感じながらも、私は唇を離す。
「えぇっと、ストレートに言うと?」
意地悪かもしれないが、彼の真意を勘違いしてしまってはいけない。彼の価値観でいえば、これが付き合おうとイコールになるかは私には判断がつかないのだから。しかしそれは杞憂で、彼はつぐんでいた口を綻ばせた。
「付き合って、欲しい」
「…………こちらからも、お願いします」
* * * * * * * * *
小学生・中学生と成長していくうちに、人の内面で渦巻く色々な感情に敏感になっていく。人の心を考えるようになり、自分を抑えることも日常になっていく。そんな中で、私は一人の友人に悲しげな顔を、苦しい思いを、させてしまったと気付いた。何度も頭の中でぐるぐると巡る。「私がこうしていれば」「私がこういう人間じゃなければ」と、謝罪の言葉を並べては俯いていた。
正直いって、あの日全てを吐露したとき、彼女の見せた笑顔も優しさも言葉も、本心からのものかなんてわかる訳がないのに。
私は彼女に救われてばかりであった。
「…………」
ホオズキから見せられた写真を思い出す。
私はあの人たちを助けなければならない。そういう意志だけが、力強く私の体を突き動かしている。本能というべきか、それとも使命感をいうべきなのか……兎にも角にも、私の意欲が周囲の現象によって減退することはなかった。それだけは、私の誇っていいところ、だろうか。
おもむろに振り返る。窓の外で、誰に訴えるでもなく静かに地面をうつ雨音が響いている。
人に言えない秘密を抱えて。環境に自分を歪められて。何らかの理由で自分の人生に亀裂が入ってしまう。それはもう、変えられない生命の運命である。それでも、立ち直ることができる。支え合って、前をもう一度向こうと努力する権利だけは捨てられていないのだ。
息を吐く。
階段を下り、いつものように準備をする。母と幾らか会話を交わして鞄にものを詰め、制服に着替えて髪を結い、歯磨きをして。玄関まで向かうとき、母も見送るために後ろで足音を鳴らす。リビングへの扉が閉まる音を背中で聞きながら、私はいつも通りに鉄製の冷たい扉に手をかけ、首だけ振り返って母の顔を見た。
「いってきます」
登校路を進み、校門を潜り、俯きがちに昇降口から靴箱へ。自分の中ばきを取って履き替えると、眼前で一人の男子に囲まれた秋くんが見えた。……よく目を凝らすと、秋くんを壁際に追いやっているようにも見える。
「————」
「っと。すとっぷすとっぷ」
口を開きかけ、身を前に乗り出していた私の手首を、暖かな手が静止した。踵部分を少し潰しかけている泪くんが、私の横に来て軽く手を振った。小さく挨拶を交わすと、彼の柔らかだった表情が途端に冷たくなる。その冷かな視線は、秋くんに詰め寄る男子に注がれている。
私は何となく先が読めてしまう。このままだと冷淡な言葉が彼に飛ばされるだろう。
ただ、少しだけ状況を見守ることにはしたようだ。私たちのことは見えない位置に居るので、盗み聞きをしてから行動を決めるにはもってこいだ。……うん、できれば火に油を注ぐようなことにならないことを祈ろう。
「なぁ秋、何でいっつもいろんなやつに媚び売ってんの?」
「え……いや、っ俺は別に、そういう目的で手伝いをしてまわってる訳じゃないよ」
こちらからは男子の顔が見えないが、おそらくは睨みつけているのだろう。秋くんの顔が強張っている。
「でも、君にそう見えてたなら……気をつけないと、な。ごめ————」
——パシン。
乾いたその頬を打つ音は、同時に泪くんの冷静さと、秋くんの強がりを切り伏せるものでもあったろう。




