起︰ 擦り減る程気を張る君に
「──さん? ────……結蘭さん?」
「わっ」
声をかけられたことに驚いて、私はビクリと肩をはねさせ、勢い余って後ろに倒れかける。幸い後ろに机があったために、椅子はそこに支えられて何とか体勢を直すことができたのだが、眼前でこちらを覗き込む心配げな視線が痛い。
「突然目の焦点がどこかにいってしまって……驚きましたよ。大丈夫ですか?」
「えっと、あ……うん、大丈夫」
図書室の中で座っている自分を再度眺め回しつつ、立ち上がって光輝くんに笑いかけようと試みる。
が、急に姿勢を変えた反動でか視界が眩み、バランスを崩して机に手をついてしまった。彼がこちらに近付いてくるのを見て、しまった、と口に出そうになったのを抑える。……何に焦っているのだろう?
私は光輝くんの心配を振り切って鞄を持つ。
「本当に平気ですか? 風邪を引いたのでは…………」
「大丈夫大丈夫、ちょっと睡眠不足なのかも……あはは……」
疲労感がある訳ではない……と思う。視界にうつるものが、瞬き一つでまるっきり変わってしまったかのような────不可思議な感覚に目が回ったのだ。目を伏せると、そのグラリとした感覚が鮮明になる。
「あ、っと……何を話してたんだっけ?」
踵を返して聞くと、彼は胸の内の疑心を深くしたようで、目を細める。誤魔化したのがバレたのが分かり、少しばつが悪くなってしまった。彼も眉を垂れ下げた私を見てか、責めようにも踏み込めずにいるようだ。
静けさの中で、なぜだか────落ち着けずにいる。
「皆を救って欲しいんです。貴女はそれができる、優しい人だから……」
「……詳細は言えないんだよね?」
ぽつりと勝手に溢れた言葉に、自分の耳を疑った。
「————? ……はい。ごめんなさい」
首肯する光輝くんに頷き返し、しかし私は躊躇する。私の胸の奥で何かが訴えかけている。今の無意識な問いかけもそうだが、何故こうも思考がぼんやりとしてしまうのか。
……頭を振る。
考えていても仕方がない。きっと、答えは得られないのだろうから。それが何となく分かって、諦めのついたフリをして光輝くんの目を見る。黄色のひだまりのようなその双眸が、不安を織り交ぜて眼前の光景をうつしていた。
拳をつくり、握りしめる。
「任せて。そのお願い、守ってみせるから」
——とは、いったものの。
どうしよう。快く引き受けた手前、『皆』というのが誰を指すのか、全く判断ができないし、聞こうにも何だか気恥ずかしい。溜息をこぼしつつ、自分の中で心当たりを探ってみるが————、
「私引っ越してきたばかりで、そもそもの話……知り合いが居ないんだよね…………」
なす術なし、である。
もう少し考えて決めれば良かったな、などと思いつつも、気怠げに過去の選択を悔やんでも仕方がない。寝台に顔を埋めては唸った。
自分に何ができるだろう。やはり、恥を承知で光輝くんに再度話をして、確認するしか無い。それは分かっているのだが、勇気は出ない。メルンも交換し損ねてしまった。異性に対して連絡先を聞くこともできない小心者だ。なんやかんやで後ろ向きな思考を振り切れずに、暗い気持ちにズルズルと落ちる。
————と、ふいにスマホが通知音を鳴らした。
「……ん」
ロック画面から確認するが、知らないアイコンだ。ロックを外して通知がきたアプリに飛び、詳細を確認する。
『初めまして。私はカンリニンのホオズキだ。君の疑問に答え、道のヒントを与えることを目的としている』
「────」
カンリニン、疑問に答える、ヒントを与える──。
何だか、変な気分だ。頭に何かがフラッシュバックして、気持ちが悪い。口を抑え、グラグラする意識を保とうと空いた手で腕に爪を立てた。
「…………ぅ、っふ」
『結蘭?』
スマホを置いたまま、我慢しきれずに私は階段を駆け下りた。トイレの扉を開いて、思いのまま不快感を吐き出す。涙が滲み、一人嗚咽が鼓膜でこだまする。気持ち悪い、気持ち悪い、気持ち悪い…………。
「────結蘭? 大丈夫?」
「……お姉ちゃん」
水の流れる音を背に、姉が私を心配して駆け付けてきた。口をゆすぎにいく私の背を擦り、眉間にシワを寄せつつ寄り添ってくれる。
体調が安定するまでリビングに座ることにして、姉が持ってきてくれた水を飲む。
……どうして。
どうして、こんなに気持ち悪くなってしまったんだろう。思ってた高校生活の始まりと違かったから? 委員会の集会直後から、何だか様子がおかしい。
「…………そうだ、スマホ」
ゆっくりと自室に戻る。
休憩している間に、何個か新しいメールが届いていたようだ。……ホオズキと名乗った謎の人が、これまた謎なアプリからこちらに接触をしてきている。そも、このアプリをスマホに入れた覚えは一度も無い。
知らない内にこの人にスマホを乗っ取られたのだろうか? それとも、スマホの会社が勝手に入れたAIとの通話アプリか何かだろうか。
『……成程、今回は失敗したのか。それによる支障は無いし、ランダム性があることも分かった』
ホオズキは難しく理解しかねる言葉を並べている。
『君を混乱させてすまなかった。ただ、私は君の抱いている疑問を解消したくて話しかけたに過ぎない。利用価値はあると思うけど……信じられないだろうね』
『この写真を見てほしいんだが、辛いなら強要はしない。ただし、こちらにも時間が無いことは頭の片隅にでも入れておいてくれ』
『写真に写っている六人組が、君の助けるべき友人たちだ。更に混乱させてしまうようで悪いが、伝えるべき情報は伝えるべきだと判断したから、載せておくよ』
仄かな配慮と淡々とした情報の提示に、頭の整理が追いつかない。ただ、送られた写真を見てギョッとする。────知っている顔が三つも写真の中に並んでいた。
秋くん、泪くん、そして光輝くん。後の三人は入学式でも見かけなかったから、先輩なのだろう。
皆仲良しそうに笑顔で写っているのを見ると、彼等は知り合いなのだろう。
「…………光輝くんの話し方からすると、私もこの人達と知り合い、なのかな」
──幼い頃に会ったことがあるってこと?
ほんの偶然で、六人もの男子と接点があって。光輝くんはそれを覚えていて、今彼等が悩みを抱えているから、その解決を私に頼んだ────なんていうことが、有り得るのだろうか?
ただ、『使命感』に近い何かが、私を引っ張っているような気がする。
* * *
なぁ、■■■。
「なぁに?」
────私達のするべきことはハッキリしている。そうやって誤魔化しながら、私の意向を故意に、しかも黙って邪魔するのはどういうことだ?
「貴女も大概じゃないかしら。目的は確かに同じだけれど、私と貴女じゃ重きを置くところが違うのよ」
……返す言葉も無いな。
ただし、あの子の願いを忘れたとは言わせないよ。互いに互いの潔白は知っている。だからこそ、あの子の望む最適な結末に、私達は連れて行く義務がある。
私の行っていることは、君のその身勝手な生真面目さを正すためのものだ。……と、主張させてもらうよ。
「そう」
今は牙を向き合うべきじゃない。
「なら、あの子が変に周りを刺激して、空間を歪ませるという可能性を懸念していない訳じゃないのよね? ちゃんと対策はできているのかしら?」
君の言い分ももっともだね。ただ、それに関しては心配する必要もない。彼女は自分の立場をわきまえられる子だ。そんなことにはならない。
…………もし君の危惧する状況に陥ったとしても、やりようはあるんだ。
「へぇ……貴女の発言って、いつも変に信憑性があるわよね。不思議だわ……でも、分かったわ。乗ってあげる」
* * * * * * * * *
顔見知りの人から手伝っていった方が良いだろう。もしかしたら、委員会の繋がりで先輩の方の誰かとも関わりを持つことができるかもしれない。受け入れた以上、やれるだけやらなければ。最適解が出せるとは限らないけれど……。
でも何となく、光輝くんの様子にひっかかってしまう。私が現時点で秋くん・泪くん・光輝くんの三人の中で『誰が一番悩んでいそうか』と聞かれれば、間違いなく光輝くんと答えるだろう。それだけ、彼の顔や仕草一つ一つに、憂いが見え隠れしている。
自分も助けて欲しいだなんて、言えるわけがない。
——でも、人って矛盾した生き物なんだ。人の幸福を願いながら妬み、自分の不幸に酔いながら幸福に憧れる。かくいう私も、醜い程にそれに当てはまっているから……。結蘭ちゃんだって、辛かったら何でも言ってね?
「……だから、光輝くんも」
掃除を終わらせてから小走りで教室に入り、身支度をしている光輝くんに声をかける。
「光輝くん」
「は、はい」
「ちょっとだけ、場所変えて話したいの」
肩を震わせるも、すぐに微笑みを浮かべてこちらに向いた彼の手首を、思い切って掴む。引っ張って、走る。上へ上がり、階段を上り、屋上に出る扉の前で足は止まる。肩で息をしながら、光輝くんの困惑した表情を見やる。それから壁に寄りかかって、私は笑いかけた。
扉と、高い位置にある窓から日が差す。それが彼を照らして、青色にグラデーションのかかった黒髪を美しく映えさせている。
日光で照らされた、潤んでいる瞳に光を灯す。
「……っ結蘭さん、急にどうしたんですか?」
「ごめん、なんていうか……その。あ、あのね」
息が上がって、上手く伝えたいことを口にできずもどかしい。
それでも何度か深呼吸を繰り返して、私は彼に向き直った。私の顔を見て、彼も口を噤んで二の句を待ってくれる。
「前の、お願い事の話なんだけど。もし光輝くんが伝えられるって思ってくれてたら……私に、悩み事……言ってくれないかな」
「————」
彼の目が見開かれる。
階段を駆け上ったせいだろう、紅潮した頬と耳に触れて、彼は少し逡巡する。躊躇してくれるということは、少なくとも悩んでいることがあるのだろう。それでも、私には強制することはできない。助けようと試みることで相手に辛い想いをさせてしまうのは、不本意であるからだ。
ときには、それでもつっかかることが正解なこともあるのだろうけれど。
しかし、彼の答えは否定的なものであった。
「————僕は、僕は、駄目なんです。……ごめんなさい」
腕を抱え、荒く浅い息を繰り返している。
「ごめんなさい。こんな、場所も変えてくれたのに、……ごめんなさい!」
初めて、彼が大きな声を張り上げた。
光輝くんは辛そうに目を細め、踵を返して駆け出してしまった。手を伸ばしかけて、それはどこにも触れられずに宙に浮く。呼び止められない。呼び止められなかった。
乾いた器官に、呼吸する度冷たい針に刺されるような痛みを感じながら階段を一つ一つ下りていく。そのまま図書室に入り、何の気なしに椅子に座った。腕を机上で組み、その輪の中に頭を入れて、息をゆったりと繰り返していく。荒れた心音が落ち着いてくると、何だか涙が滲んできた。
勢い任せに、変な気を起こして行動した結果、罪悪感を感じて自己嫌悪に陥ってしまう。彼の性格からして、彼も同じような問題に悩まされているだろう。
溜息が震える。
「…………」
ガラガラ、と戸の開く音を聞いて、慌てて制服の袖で涙を拭い、入ってきた人影の顔を確認する。
「……ぁ」
その顔に、見覚えがあった。
「ん……? あれ、本借りに来たの?」
緑の髪は短く切り揃えられており、目は細い。糸目、といっても良い位だろう。故に虹彩の色は分からない。身長は然程高くなく、百六十センチくらい。片手に何冊か本を抱えていて、口の近くにあるホクロが特徴的な少年だ。
優しげで、中世的な声音で問いかけてきた彼の顔は、『ホオズキに見せられた写真』に写っていた少年の一人だだった。
「あ、えと……」
「あれ、違った?」
どう接するのが普通なんだったか。どうにも、一方的に相手を知っている状況下に置かれると、人は普段の身の振り方が頭から飛んでいってしまうらしい。何か言わなければと焦るもばかりで、唇だけが忙しなくパクパクと動いている。
「——ふふ、面白い子だね。僕は茉莉湊、図書委員会の二年生だよ。集会のとき、居た気がしたけど……」
「はい、図書委員会に入りました。その……」
「湊で良いよ。珍しいからって、苗字で呼ばれることが多いんだけどね。君の名前は?」
「薬根結蘭です」
ふんわりとしていて、何だか掴みどころが無いような……。
でも、これは関わりを持つチャンスとも言える。切り替えるに切り替えられないけど、あの六人の内誰か一人でも悩みを解決する手伝いをしなければならないのだから、できることはするべきだ。
「そっか、薬根さんか。よろしくね」
笑みを浮かべる彼は本をカウンターの上に置いて、返却の手続きを済ませる。それから本を棚に戻すために並べられた机の合間を通って、私の後ろの方へ歩いて行った。
すれ違う直前、軽く目で追っていたからか、近くで顔を見られていることに一つの問題を思い出し、はっとして顔ごと彼からそらす。しかしすでに遅く、潤んで水の膜を張った私の顔に、湊さんは驚いたように眉を上げていた。しかし、本をきちんと返してからこちらに寄ってくると、少し距離を置いて一つ席を空けたところに腰を掛けた。
「大丈夫? ……って、聞いても良いかな」
「……えっと」
「あぁ、ごめんね。人の内情に勝手に踏み込むって、普通駄目だよね。んー、どう言おうか…………」
「大丈夫です。友人の力になれなくて……何だか、悔しくて」
私のその応答に、湊さんの表情がすっと変わった。口を薄く閉じ、目をピクリと震わせてこちらを見る。何かを感じ取ったのか、何か察したのか……何であれ、私の今の言葉が彼の心情を揺らがせたのは確実であった。
「…………もしかして、光輝くんと同じクラスの女の子?」
「え」と、思わず声が漏れる。
湊さんは目を細いなりに開いていた。三白眼、といったらいいのだろうか、明るい緑色の瞳が私を見つめる。彼はまた自分の言葉に疑心を投げかけるように唸り、それから苦笑する。心配性なのだろう。真面目で優しい人なのだとハッキリ分かる、良い人だ。……と感じられた。




