転︰ 君に君を知って貰いたいから
廊下を歩き、階段を下って辿り着いたのは、家庭科室だ。この部屋は手前に被服室、奥に調理室があって二部屋まとめて家庭科室と呼ばれているところだ。
部屋に入ると、秋くんと泪くんが先に来て椅子を運んでいる所だった。
「お、結蘭ちゃん」
部活動見学では様々な部活を見学することができた。家庭科部は秋くん泪くん二人も入部希望している。光輝くんは美術部を希望していた。二人共意外に家事が得意であるので、周囲から「おっかぁ組」なんて呼ばれていたっけ。
クラス順に、席は自由に決められるため、二人は隣同士に座っている。と、椅子を持ち上げた私に秋くんが手をこまねいた。周囲の部員達も次々に入ってくる中、彼の方に近付いていく。
「秋くんの向かい座りなよ」
泪くんが笑う。
「良いの?」
「良いよ、もちろん」
促されるまま向かいに椅子を置いて座る。
委員会のときと似た進め方で最初の部活動が進んでいく。自己紹介、名簿記入、そして目標設定……。
「一応、作るものは決まったな。明日休みだし、雑貨店とか百均でも見に行こうか」
「良いねぇ。結蘭ちゃんも来る?」
「……うん、一緒に行こうかな。案内お願いできる?」
随分と泪くんが積極的な気がする。気のせいだろうか……。
✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽
一通り買う物を揃えた後、息抜きがてらに公園に三人で来ていた。
花の交じる花壇と木々の合間、ベンチに腰を掛けて葉を眺める。寒い風が私達の頬を掠めていき、泪くんが身体を震わせた。
「うーっ、寒い……」
「まだ春本番って感じじゃないね。四月だけどさ」
秋くんがカバンからカイロを取り出して泪に手渡す。短く感謝を述べて受け取った彼は、貼るついででお手洗いに行ってくると席を立っていった。
自然、ここにいるのは私と秋くんの二人だけになる。
何かと話を切り出し辛く、どうしたものかと掌に息を吐きかけては、自分の不甲斐なさに苦笑する。
「……そういや、泪から聞いたよ。俺のために怒ってくれたんだって?」
「怒った……とは言えないかも。結局、泪くんがフォローしてくれたから、私は何も…………」
「でも、結蘭ちゃんが言わなかったら泪も何もしてなかっただろうな。だから」
秋くんが私に微笑みかけては、頭を下げた。
「────だから、ありがとう」
彼の揺れる髪を眺めながら、私は心内で焦っている。折角二人きりになったのだ。ここで聞かなきゃいつ聞けるだろう? 話しかけられる程大胆でも無いのに先延ばしにしていては、このチャンスを棒に振り後悔の波を高くするだけ。
しかし、良い方法を思いついていないのも事実。話すだけ聞くだけと言ってのけたホオズキに少し苛立つ。
✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽
「私とここまで関係が続いてるの、結蘭ちゃんしか居ないんだよ。だから……ありがとう」
人の悩みに気付いたとき、彼女は公にせずとも理解を示す瞳で見た。自分をほっぽり出してでも、人を優先して自らを隠す手はいつも口元に向いた。
私には、人の心に踏み入れる程の立場も、語彙力も、勇気も無かった。
何度も謝って、彼女は折れたのか否か私を抱きしめる。
「自分が先に全部話しちゃうの。嫌なことも、良かったことも全部ね。結蘭ちゃんは可愛いし格好良いし、優しいから……。寄り添うのも凄く良い選択肢だけど、相手に話す気にさせるのも手でしょ?」
いつも、彼女の方が上手くできているように感じた。それと同じように、彼女も私と自分を比べているのだろう。
「ねぇ結蘭ちゃん、ちょっとズルい方法でも、人を救えたらオールオッケーだからね」
✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽
フラッシュバックした友人の声が脳内でこだまする。はっとして、つい声が漏れた。
「────ぁ」
「ん、どうしたの?」
秋くんがこちらを見つめる。その赤い瞳の奥に、どんな内情が隠されているのだろうか。人の悲哀を感じることはとても恐ろしく、踏み出せない境地のものであるが、私の心が訴えかけてくるのだ。
使命感といえばかたくなりすぎな表現ではあるだろうが、それでいい。それくらいの気持ちでなけりゃ、人を本当の意味で救えることなんてできない。
ここしばらくで彼の人となりはいくらか伺えたように思える。親切な振る舞いの裏に、不安を感じている様子を何度も見た。
「私、友達を失いかけたことがあるの」
「…………」
追憶する。あの日の悲しみも、不安も全て。
「凄く優しくて、周りのことばっかり気にして。秋くんみたいな人だった」
「俺みたいな……」
「私はそのとき、本当に子供だった。だから、すぐにでも謝ることができたら、寄り添えたら……きっと、もっと彼女の心を軽くすることができたハズで」
急な吐露にうろたえる彼の顔をまっすぐに見据える。
「今こそ仲が深まって、気にしないでって言われても。私はずっと、このしこりみたいな感情を抱え続けなきゃならないと思った。彼女が抱え続ける重い心情と同じように」
「…………」
「他の人の視線なんて、気にしちゃいけない。私は自分らしくありたい。あってほしい」
「そして」と、続ける。
秋くんの顔が強張った。何かを察したように、私から少し目をそらす。前のめりになって、彼の顔をよく見て、私は喉を震わせた。
「そして私は、────貴方のことも理解したいと思ってるの。親切で自分を隠さない、ありのままの貴方を」
もしかすれば、一つの表現の違いで彼の地雷を踏み抜き、一生の傷を増やすことになったかもしれない。
それでも彼は、ふっと吹き出して、私を見た。
「急に、びっくりしたなぁ。……結蘭ちゃんは優しいんだね」
「…………」
「泪にも似たようなこと言われたよ。見栄はるのやめろってさ。俺は親切な行動に、無意識に縋ってるだけの怖がりだって」
息を深く吸い、吐く。
「あはは、君はズルいよ。言わせるために自分の抱えているものを先に出すだなんて」
「……秋くん」
「無理にとは言わない。とか、今になって言わないでくれよ? 勇気を振り絞ってまで、君は俺を知りたいと思ってくれたんだから」
「…………秋くん、貴方の悩みを──教えてくれる?」
秋くんはまた深呼吸を挟んで、語りだした。空を仰ぎながら、隣に座る私────知り合ったばかりの、ただのクラスメイトの女子に。
✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽
────俺の悩みは、きっと兄ちゃんへの嫉妬だ。
コンプレックスっていうものだろう。
俺は兄ちゃんみたいにはなれない。勉強熱心な訳でも、色んな検定の賞を持っているわけでもなかったから。
親はそんな兄ちゃんを自慢に思ってた。
「夏みたいになりなさい」
「将来のために勉強しなさい」
俺に言うのはそればっかりだ。
兄ちゃんは友達が多い訳じゃなかった。というよりも、学校でも家でも勉強ばかりするもんだから、周りがそれを見て遠慮したか、気味悪がったかのどっちかだって言ってた。
よく勉強を教えてくれた。よく褒めてくれた。でも兄ちゃんのその行動が、嬉しさと共に嫉妬を俺に運んできた。
昔、一回だけ……兄ちゃんと喧嘩したことがあった。いや、あれは喧嘩とはいえないな。俺からの一方的なものだった。
親があまりにも兄ちゃんと俺を比べてばかりいて、
「どうして夏のようにできないの」
って母さんに言われたとき、何かが切れたんだ。
部屋に戻ってきた俺に兄ちゃんは優しく接してくれたけど、それが駄目だった。
震える身体に拍車をかけて、俺は膝から崩れ落ちた。心配した兄ちゃんが駆け寄ってきて、…………全部嫌になって。兄ちゃんを押し倒すときに偶然、爪が当たって頬が切れた。
小さい頃、俺はストレスを感じると爪を噛んでた。今はやらないようにしてるけど。そのときに兄ちゃんの頬を切った爪は、ボロボロで凹凸の合間に血が薄く付いてたんだ。
それを見た。
その瞬間に、自分が何をしようとしたか理解して……俺は逃げ出そうとした。
「────秋っ!」
兄ちゃんは俺の腕を掴んで引き寄せた。
抱きしめてくれた。
ずっと、俺の息が落ち着くまで。
比べられるのは嫌だ。比べるのも嫌だ。
母さんはこの件を知って父さんに俺を押し付けて離婚しようとしたけど、結局はしなかった。ただ離婚して、父さんは遠くに行った。
最後に父さんに謝られた。何か察したように見えた。
それからは勉強にひたすら打ち込んだ。兄ちゃんみたいになれないと分かっていながら、なろうとした。なろうとし続けた。結果的に友人が減った。周囲から向けられる視線に無関心では居られなくなった。
いつまでも恐怖と不安がピッタリついてくる感覚。
兄ちゃんに幾ら心配されようと、親に怒られようと。
笑っていた。笑っていたかった。
✽ ✽ ✽
「ねぇ秋くん」
「どうした、また分からない問題でもあったのか?」
「いや、そうじゃなくてさ」
「…………?」
ガタ、と椅子を後ろに引く音がした。俺は机に広げた問題集を見たまま動かない。
こちらに近付いてくる。
「ここの問題は確か公式が……────泪?」
「立って」
「え、急にどうし」
「────立って」
泪の顔が暗い。上から見下され、手が止まる。おもむろに立ち上がると、手を引かれて席から一番遠い壁に押しやられる。
上にある窓から夕日が差し込んできて、泪の髪が金色に光った。
それをボンヤリと眺めながら、泪の言葉を待つ。
「勉強熱心なのはいい事だけど、様子おかしいよね? 秋くんの勉強への姿勢、普通じゃないと思う」
「これくらい、普通じゃ……」
目をそらし、苦笑する。泪の顔が一層暗くなった。細まった青色の瞳に奥底の心情を見透かされている気がして、一歩下がる。泪もにじり寄った。壁に背が当たり、気の抜けた声がもれる。
「う」
「よく言うよね、“人に教えると覚えやすい”みたいなさ。────なぁ、俺ってただ君に利用されるだけの幼馴染な訳?」
「…………は、何言って」
「なぁ、いい加減認めなよ! 自分が兄とは違うって、認めさせたかったんじゃないの!?」
壁に拳を打ち付け、胸ぐらを掴んで声を張り上げている泪の顔はクシャクシャだった。怒りとも悲しみとも取れる、歪んだ顔。
「俺が勉強に付き合ってるのは、ただ勉強するためじゃない! 君と喋って、君と笑って、君に君が────“桜田秋”が居るんだって教えたいから……っ!」
「…………」
「秋くんは秋くんでしょ、違う? 家族になんて言われようと、君は秋くんで、夏お兄さんじゃないでしょ……?」
「──…………ってる」
口をついて出たそれが、本音だった。泪の出したかったものが、それだった。
まんまと口車に乗せられて、俺はハッキリと言った。
「────そんなの分かってる!」
泪が口を噤み、ただ静かに……顔色も変えず俺を見る。
「俺は、兄ちゃんみたいになりたい訳じゃない。……兄ちゃんと比べられたくない、でも」
「でも、何?」
「俺が……何なのか、分からないんだ」
数秒の沈黙。そして、息が溢れる。
泪は吹き出した。俺に抱きつき、ぎゅっと強く抱きしめた。兄があのとき俺にしてくれたように。
「俺が思うに、秋くんは優しい人だ。優しすぎて、自分がわからなくなるくらい頑張ってきちゃったんだよ」
「…………」
「優しくて、頭が良い秀才で。でも努力は欠かさないし、人のことをよく見てる。困ってる人が居たらほっとけない馬鹿で、それが根っこのまんま枯れずに残ってる」
「泪」
「うん、俺達は最高の幼馴染で──」
続きを促される。
「────親友。だろ」
「大正解! よく分かってるじゃん」
✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽ ✽
「今も思うんだ。母さんは何で、“俺”のことも見てくれないんだろうって」
ぽつりぽつりと紡がれた過去への想いが、私の鼓膜を撫ぜ、彼の悲哀をひきたたせる。
「……でも、でもさ。泪もそうだけど、結蘭ちゃん────君も、俺を見てくれた。“俺”に、手を差し伸べてくれた」
「それは、私が秋くんのお兄さんの事を……全く知らないからだと思う」
「確かに。ただそれだけだとしても、嬉しいんだよ」
「なぁ」と秋くんは私の方を向く。
優秀な兄と比べられ、自分を見失った少年。母親からの歪んだ理想を押し付けられては、自分自身のありのままを否定される。たとえそれが彼の限界点だったとして、どれだけの熱量と声量でいえば、届くのだろう?
「結蘭ちゃんは、俺をどう思う? 俺は、どうすべきだったんだろう。確かに俺は兄ちゃんにコンプレックスを抱いているけど、自慢の兄には変わりないんだ」
「私は────」
繰り返される言葉。
『貴女なら皆を救える』『貴女は彼らの事を知るべきだ』と。
知れば救えるのか。知れば解決するのか。
無知故の愚かで悲しい過去を許す? いいや、そんな権利は私には無い。
私にできる事を。
「いや、会ったばかりの君にこんな重い話題を────」
「“ありのまま”で、“向かい合って”みよう、秋くん。その優しさを、お兄さんにない秋くんの魅力を、正しく発揮するべきだよ」




