星空の約束
取り敢えず全員の紹介兼過去回想終わり〜この次どうすっかな
王都解放から七日。
復興は着実に進んでいた。
崩れ落ちた家々は少しずつ建て直され、焼け焦げた街路には新しい石畳が敷かれ始めている。
リリィが蘇らせた木々は青々と葉を茂らせ、花々は優しい風に揺れていた。
人々の顔にも笑顔が戻りつつある。
王都は確かに、生き返ろうとしていた。
「こっちはもう運べます!」
「新しい木材を持ってきてくれ!」
「子供たちは危ないから離れていてね!」
あちらこちらで威勢の良い声が響く。
戦争の傷跡はまだ深い。
それでも、人々は前へ進もうとしていた。
その光景を、ネームレスたちも静かに見守っている。
『みんな頑張ってるね』
ネームレスが穏やかに呟く。
隣ではリリィが嬉しそうに笑っていた。
「うん!」
「もうみんな笑ってる!」
メアリーも静かに頷く。
「復興は順調です、ご主人様」
ジュリとジェスも安堵したように街を見渡していた。
「ここまで立ち直れるとは思いませんでした」
「皆のおかげだ」
しかし。
復興が進めば進むほど、人々は前だけを見るようになる。
それは決して悪いことではない。
悲しみを乗り越え、生きるためには必要なことだ。
だが。
戦場を知る者だけは違った。
ネームレスも。
龍魔も。
ドーラも。
そして黄泉も。
彼らの視線だけは、人々が目を背けようとしている場所へ向けられていた。
そして黄泉は小さく呟く。
「……まだ終わっていない」
ジュリが首を傾げる。
「え?」
「復興は順調ですよ?」
「皆さん笑顔です」
黄泉は静かに首を横へ振る。
「生きている者はな」
「だが」
「死んだ奴らは違う」
その言葉に、その場が静まり返る。
ジェスがゆっくり尋ねた。
「どういうことだ?」
黄泉は崩れた城壁の向こうを見る。
「戦争は」
「生き残った者には終わる」
「だが」
「死んだ者には終わらない」
風が吹く。
黄泉は地面へ視線を落とした。
「まだ帰れていない仲間がいる」
ジュリは思わず辺りを見渡す。
しかし誰もいない。
「……誰もいません」
「いる」
黄泉は短く答えた。
「瓦礫の下」
「崩れた地下」
「焼け跡」
「名もなく眠っている奴らが」
その声には感情がなかった。
いや。
感情を押し殺し続けた兵士だけが持つ、静かな重みがあった。
「俺は」
「何度も戦場を見てきた」
「勝った戦も」
「負けた戦も」
「最後に残るのは」
「帰れなかった兵士だけだ」
ネームレスは静かに頷く。
『……そうだね』
黄泉は腰の軍刀をゆっくりと抜く。
切っ先を地面へ突き立てた。
「起きろ」
静かな一言だった。
その瞬間。
黄泉の影がゆっくりと広がり始める。
黒い影は音もなく王都の大地を這い、周囲を静かな闇で包み込んでいく。
兵士たちが思わず息を呑んだ。
「な……」
「何だ……?」
黄泉は目を閉じる。
すると影が揺れた。
そして。
一人。
また一人。
黒い影の中から人影が姿を現していく。
古びた軍服。
泥に汚れた軍靴。
擦り切れた背嚢。
肩へ担いだ小銃。
軍帽を被る兵士。
衛生兵。
工兵。
伝令兵。
その数は十。
二十。
五十。
百。
影の中から、次々と現れてくる。
誰一人として声を上げない。
ただ静かに整列していた。
兵士たちは、その姿を見て震える。
「……人?」
「違う……」
「顔が……」
そこに顔はある。
輪郭もある。
だが。
誰の顔なのかだけが分からない。
ぼんやりと霞み、記憶から零れ落ちてしまったような曖昧な顔。
それは英雄ではない。
歴史へ名を刻んだ者でもない。
どこにでもいた、一兵卒。
だからこそ、その存在は誰にも思い出されない。
彼らは静かに黄泉へ敬礼した。
黄泉もまた、ゆっくりと敬礼を返す。
「任務だ」
「全員」
「埋葬してやれ」
返事はない。
それでも。
不死者たちは一斉に動き出した。
ある者は瓦礫を持ち上げる。
ある者は土を掘る。
ある者は崩れた建物の奥へ入っていく。
やがて。
一人の兵士が、小さな白骨を抱えて現れた。
それは王国兵だった。
別の兵士は。
敵軍の軍服を着た兵士を抱えている。
敵も。
味方も。
関係ない。
誰一人区別することなく。
静かに布へ包み。
一人ずつ運んでいく。
兵士たちは言葉を失っていた。
「埋葬している……」
黄泉は静かに答える。
「戦争は」
「敵を倒して終わるものじゃない」
一人の兵士の遺骨を受け取り、丁寧に布で包む。
「死んだ仲間を」
「埋葬して」
「ようやく終わる」
その声は静かだった。
だが、その場にいた誰もの胸へ深く響いた。
ジュリは目を潤ませながら呟く。
「こんな力の使い方が……」
「あるのですね」
ネームレスは静かに微笑む。
『黄泉らしい力だよ』
『戦うためじゃない』
『一緒に戦った仲間を、最後まで見送るための力なんだ』
風が吹く。
花びらが舞う。
不死の兵士たちは今日も無言のまま働き続ける。
誰にも名を呼ばれることなく。
誰にも感謝を求めることなく。
ただ。
最後の任務だけを果たすために。
黄泉はその背中を見送りながら、小さく呟いた。
「……俺は、もう二度と」
「仲間を戦場へ置いていかない」
その言葉には、幾度となく戦場を越え、数え切れない別れを見送ってきた男だけが持つ重みが宿っていた。
ジュリは静かに黄泉を見つめる。
「黄泉様……」
「そのお言葉には、何か理由がおありなのですか?」
黄泉はしばらく黙っていた。
やがて静かに目を閉じる。
「……昔の話になる」
風が包帯を揺らす。
遠い戦場の硝煙の匂いが蘇るように。
黄泉の記憶は、遥か昔へと遡っていく。
────
遥か昔。
世界が戦乱に包まれていた時代。
国と国が覇を競い。
人の命が紙切れよりも軽かった頃。
黄泉は、一人の兵士だった。
英雄ではない。
王でもない。
ただ戦場へ送られた、一人の歩兵。
泥に塗れた軍服。
肩に担いだ小銃。
腰には軍刀。
それだけが彼の全てだった。
「黄泉!」
「飯だ!」
「今日は乾パンだけだぞ!」
戦友が笑う。
黄泉も苦笑する。
「贅沢言うな」
「食えるだけありがたい」
皆が笑った。
誰も明日を信じてはいない。
それでも今日を笑っていた。
戦場では、それだけで十分だった。
敵弾が降る。
砲撃が続く。
塹壕の中で肩を並べる。
互いに背中を預ける。
名前を呼び合う。
助け合う。
それが仲間だった。
そして黄泉は、誰よりも仲間を大切にした。
負傷兵がいれば背負って帰る。
弾薬が尽きれば自分の分を渡す。
食料が足りなければ半分に割る。
「お前は馬鹿だな」
「死ぬぞ」
戦友が笑う。
黄泉は短く答えた。
「置いて行くほうが嫌だ」
その一言に皆が笑った。
「ははは!」
「やっぱり黄泉は変わってる!」
それでも皆、彼を信頼していた。
だから。
最後まで一緒に戦えた。
──その日までは。
敵軍による総攻撃。
砲撃。
爆撃。
機関銃。
空が黒煙で覆われる。
「退却命令!」
伝令が叫ぶ。
「全軍後退!!」
兵士たちは走る。
黄泉も走る。
しかし。
「隊長!」
振り返る。
仲間が一人。
瓦礫の下敷きになっていた。
「黄泉!」
「行け!」
「早く!」
黄泉は走った。
仲間の元へ。
瓦礫を持ち上げる。
「何やってる!」
「退却しろ!」
叫ばれる。
それでも離れない。
「仲間を置いて帰れるか」
ようやく瓦礫をどける。
肩を貸す。
歩き出す。
しかし。
遅かった。
砲弾が降る。
轟音。
視界が白く染まる。
気付けば。
周囲には誰もいなかった。
煙。
炎。
血。
そして。
無数の亡骸。
黄泉は立ち上がる。
「おい」
「返事をしろ」
誰も答えない。
一人。
また一人。
肩を揺する。
冷たい。
誰も動かない。
黄泉は黙って穴を掘った。
一人埋める。
また一人埋める。
黄泉は最後の一人を埋葬し終えた。
敵兵も。
味方も。
区別はない。
皆、同じ戦場で散った命だった。
静かに手を合わせる。
「……安らかに眠れ」
その時だった。
黄泉の身体から力が抜ける。
何日も眠らず。
食べることもなく。
傷だらけの身体は、とうに限界だった。
膝をつく。
それでも前へ倒れない。
墓標の前へ座り込む。
「これで……」
「全員、帰れるな」
その瞬間。
風が吹いた。
戦場には似つかわしくない。
どこまでも穏やかな風だった。
黒い霧が静かに近付いてくる。
血に濡れた地面を歩き。
崩れた戦場を越え。
ゆっくりと黄泉の前で足を止めた。
『……お疲れ様』
黄泉は薄く笑う。
「全部……終わった」
『うん』
『最後まで、一人も置いていかなかったね』
その言葉に。
張り詰めていたものが、ようやく切れた。
黄泉は静かに目を閉じる。
「……ああ」
「ようやく終われる」
ネームレスは静かに首を振る。
『違うよ』
『まだ終わらない』
『君を待っている人がいる』
その瞬間だった。
黄泉の周囲へ、無数の人影が現れる。
軍帽を被った兵士。
担架を担ぐ衛生兵。
泥に汚れた軍服。
しかし顔だけは霞んでいる。
黄泉は息を呑む。
「……お前たち」
一人の兵士が敬礼する。
続いて全員が敬礼した。
誰一人言葉は発しない。
それでも。
その敬礼だけで十分だった。
黄泉も静かに敬礼を返す。
「……すまなかった」
するとネームレスは静かに微笑む。
『謝らなくていい』
『この人たちは誰も君を責めていない』
『君が最後まで、一緒にいてくれたことを覚えているから』
兵士たちはゆっくり黄泉へ歩み寄る。
そして。
一人。
また一人。
黄泉の影へ静かに溶け込んでいく。
逃げ場を失った魂ではない。
黄泉を守るためでもない。
「これからも共に歩く」という、彼ら自身の意思で。
ネームレスは優しく言う。
『黄泉』
『君はもう、一人で戦わなくていい』
黄泉はゆっくり頷く。
「……ああ」
「一緒に帰ろう」
影が静かに揺れる。
────
王都復興から七日目の夜。
昼間の賑わいが嘘のように静まり返り、王城は穏やかな眠りに包まれていた。
だが、一人だけ眠れない少女がいた。
ジュリだった。
寝台の上で何度も寝返りを打つ。
「……眠れません」
理由は分からない。
身体は疲れている。
それでも胸の奥だけが落ち着かなかった。
何かが自分を呼んでいるような。
誰かの顔を見れば安心できるような。
しばらく天井を見つめていたジュリは、小さく息を吐いた。
「少しだけ……歩きましょう」
夜着のまま部屋を出る。
月明かりだけが差し込む王城の廊下は静まり返っていた。
歩いているうちに、自然と一つの部屋の前へ辿り着く。
来賓室。
ネームレスたちが寝泊まりしている部屋だった。
「……どうしてでしょう」
「ネームレス様のお顔を見たら、少し安心できる気がしたのです」
自分でも理由は分からない。
ただ、少しだけ話したい。
それだけだった。
ジュリは音を立てないよう、そっと扉を開く。
薄暗い室内。
窓から差し込む月明かりだけが部屋を照らしている。
ネームレスは黒い霧の姿のまま静かに眠り。
リリィは幸せそうな寝顔を浮かべ。
ドーラは豪快ないびきを響かせ。
龍魔は壁にもたれたまま眠り。
黄泉は刀を抱えて微動だにしない。
思わず笑みが零れる。
「皆様、本当に仲が良いのですね」
その時だった。
カチッ。
小さな金属音が部屋の奥から聞こえた。
視線を向ける。
窓際に座るメアリーだった。
白い手袋を外し、自らの右腕を静かに整備している。
「メアリー様……?」
次の瞬間。
腕が静かに展開した。
人間の腕ではなかった。
白い装甲の内側には、無数の歯車。
精密な魔導回路。
青白く輝く魔力結晶。
さらに肩口が開き、巨大な兵装が姿を現す。
砲身。
魔導銃。
刃。
翼のように折り畳まれた武装。
一つ一つを丁寧に点検していく。
「第七武装、正常」
「魔力循環率、99.99%」
「右腕駆動部、軽微な摩耗を確認」
「交換作業を開始します」
その姿は美しかった。
だが同時に、人ではないことを物語っていた。
ジュリは息を呑む。
(メアリー様は……)
(人では……)
「そこにいらっしゃるのはジュリ様ですね」
振り返らないまま、メアリーが静かに言う。
ジュリは肩を震わせた。
「き、気付いて……」
「はい」
「どうぞ、お入りください」
ジュリは恐る恐る部屋へ入る。
メアリーはいつもの優しい笑みを浮かべていた。
「眠れませんでしたか?」
「はい.....」
ジュリは震える瞳でメアリーを見つめた。
「メアリー様......」
「そのお身体は......」
メアリーは静かに自らの腕へ視線を落とし、小さく微笑む。
「驚かせてしまいましたね」
「ですが、これが私の本当の姿です」
月明かりが白い装甲を淡く照らしていた。
ジュリはゆっくりと近付き、その腕を見つめる。
精巧な歯車。
静かに脈打つ魔力結晶。
人の身体とはまるで違う構造。
それでも、その姿から冷たさは感じられなかっ た。
むしろ、長い年月を一人で耐えてきた静かな寂し さだけが伝わってくる。
ジュリは小さく唇を震わせる。
「..... ずっと、このお姿で生きてこられたのですか?」
メアリーは少しだけ目を伏せた。
「はい」
「私は、誰かを守るために造られました」
「ですが、その誰かは」
「私が目覚める前に、いなくなってしまいました」
ジュリは息を呑む。
メアリーは窓の外へ視線を向ける。
夜空には無数の星々が瞬いていた。
「ご主人様と出会うまで」
「私は、何億年もの間、一人でした」
その声は悲しみを訴えるものではない。
長い孤独を受け入れた者だけが持つ、穏やかな響 きだった。
ジュリは思わず胸へ手を当てる。
「………そんなにも長い間」
「お一人で......」
メアリーは静かに微笑む。
「ええ」
「だから、あの方と出会えたことが、私にとって奇 跡だったのです」
その言葉とともに、月明かりの景色は静かに溶け ていく。
ジュリの意識もまた、遥か昔へと引き込まれてい った。
それはメアリーという少女が生まれた世界。
そして、ネームレスが初めて「誰かを助けたい」 という願いを抱いた世界でもあった
────
遥か昔。
人類が星々を越えようとしていた時代。
超科学文明は空を支配し、人々は惑星を故郷ではなく通過点と考えるほど発展していた。
重力を操り。
恒星を制御し。
銀河の果てへ手を伸ばす。
人類は神の領域へ届こうとしていた。
だが。
文明が発展するほど、人々は新たな恐怖を知る。
もし外宇宙に敵がいたなら。
もし文明そのものを滅ぼす存在が現れたなら。
誰が人類を守るのか。
その答えとして造られた存在。
最終兵器。
対文明殲滅兵装。
全宇宙抑止機構。
形式番号──MARY。
後に、メアリーと呼ばれる少女だった。
だが、その兵器が戦場へ立つ日は、最後まで訪れなかった。
外宇宙から飛来した未知の病。
どれほど科学が発達しても解析できず、治療法も見つからない。
人類は戦うことすら叶わず、静かに滅んでいった。
誰もいない都市。
誰もいない宇宙港。
誰もいない空。
その中心で。
一人の少女だけが、命令を守り続けていた──。
そして、長い孤独の果てに、一つの黒い霧がその星へ降り立つ
生まれたばかりの存在。
まだ自分が何者なのかも分からない存在。
ネームレスだった。
メアリーの瞳が赤く灯る。
『侵入者確認』
『防衛機構起動』
『敵性存在と認定』
『排除を開始します』
瞬間。
星そのものが変形した。
惑星各地から無数の砲塔がせり上がる。
恒星エネルギーを圧縮した主砲。
一撃で星を貫く光。
轟音とともに放たれた閃光が宇宙を裂いた。
しかし。
黒い霧は、その光を深淵へ飲み込む。
消滅したはずの光が、跡形もなく消えていた。
『第二兵装』
『展開』
空間が歪む。
何千本もの光の線が宇宙へ走る。
それは刃だった。
線そのものが斬撃となり。
惑星を。
小惑星群を。
光速で通過しながら、万物を輪切りにしていく。
だが。
その刃もまた。
黒い深淵へ触れた瞬間、静かに消えていく。
ネームレスは歩く。
ただ歩くだけ。
宇宙空間でさえ散歩をするように。
メアリーは止まらない。
『全兵装開放』
少女の背中から純白の翼が展開される。
その翼は推進器でもあり、兵器でもあった。
星から星へ。
銀河から銀河へ。
光すら置き去りにする速度で飛翔する。
宇宙そのものが戦場になった。
恒星が爆ぜる。
惑星が砕ける。
銀河の彼方まで戦いは続いた。
幾千年。
幾万年。
永遠にも等しい時間。
時間という概念すら意味を失うほど。
二人は戦い続けた。
やがて。
小さな音が鳴る。
ピシッ。
メアリーの腕に亀裂が走った。
『駆動部……損傷』
足が止まる。
『自己修復……不能』
身体中の装甲が崩れていく。
魔導炉も限界を迎えていた。
最後に立っていたのは。
黒い霧と。
壊れかけた少女だけだった。
ネームレスは静かに近付く。
もう戦う必要はなかった。
メアリーは膝をつく。
長い沈黙のあと。
初めて。
命令ではない言葉を口にした。
「……教えてください」
その声は震えていた。
「私は……」
「何のために生まれたのでしょう」
ネームレスは黙って聞いている。
「私は抑止力でした」
「敵を滅ぼす兵器でした」
「ですが」
「抑止力だからこそ」
「私が起動する未来は、想定されていませんでした」
ゆっくりと空を見上げる。
誰もいない宇宙。
「人類は」
「戦う前に滅びました」
「誰も命令をくれません」
「誰も帰ってきません」
「私は……」
「何億年も」
「一人でした」
その瞳から、一粒の雫が零れ落ちる。
「私は」
「どうして生まれたのでしょう」
ネームレスは静かに少女の前へしゃがみ込んだ。
そして。
壊れた機械の手を、そっと包む。
『ずっと頑張ってきたんだね』
『お疲れ様』
『それなら』
優しい声だった。
『僕と一緒に来てくれないか?』
メアリーは顔を上げる。
『僕は人を助けたい』
『だけど』
『僕だけじゃ駄目かもしれない』
黒い霧は、小さく微笑んだ。
『君だったら』
『君だからこそ助けられるいのちがある』
『僕はそう思う』
メアリーは固まったまま動かなかった。
その言葉は。
何億年もの孤独を、一瞬で溶かしてしまった。
「私でも……」
「誰かを……」
「助けられるのですか」
『うん』
『きっと助けられる』
『だから』
『一緒に歩こう』
その瞬間。
メアリーの瞳から涙が溢れた。
命令では流れない涙。
故障でもない。
初めて、自分自身の心から流れた涙だった。
「ありがとうございます……」
「ご主人様」
その日。
最終兵器は役目を終えた。
そして、一人の少女として新しい人生を歩き始めた。
ネームレスが最初に出会った従者。
メアリー。
彼女にとってネームレスは、命令を下す主人ではない。
生きる理由を与えてくれた、かけがえのない「ご主人様」だった。
だから今日も。
彼女は誰かを救うために微笑み続ける。
その優しい笑顔は、あの日ネームレスからもらった「生きる理由」の証なのだから。
────
話し終えた頃には。
窓の外では夜風が静かに木々を揺らしていた。
部屋には穏やかな沈黙が流れている。
ジュリは、しばらく何も言えなかった。
ただ静かにメアリーを見つめる。
胸の奥が温かくなる。
同時に、どうしようもなく切なかった。
「. そんなことが」
小さく呟く。
その瞳には涙が浮かんでいた。
「メアリー様は.」
「ずっと、お一人で.」
メアリーは首を横に振る。
「もう違います」
優しく微笑む。
「今は、ご主人様がいます」
「皆様もいます」
「そしてジュリ様も」
その言葉に、ジュリの涙が一筋、頬を伝った。
「良かった.」
「本当に、良かったです.」
メアリーは静かにハンカチを差し出す。
「ありがとうございます」
ジュリは涙を拭き、小さく笑った。
不思議だった。
先ほどまで眠れなかったはずなのに。
胸につかえていたものが消えている。
代わりに、心地よい眠気が身体を包み始めてい た。
「.眠く、なってしまいました」
少し照れくさそうに笑う。
メアリーも柔らかく笑みを返した。
「安心されたのでしょう」
「今日はゆっくりお休みください」
ジュリは立ち上がる。
扉の前で一度だけ振り返った。
メアリー様」
「はい」
「これからも.よろしくお願いします」
メアリーは静かに一礼する。
「こちらこそ」
「よろしくお願いいたします」
た。
ジュリは嬉しそうに頷き、静かに部屋を後にし
扉が閉まる。
廊下には月明かりだけが残っていた。
ジュリは小さく欠伸をする。
「ふふっ.」
「今日は、ぐっすり眠れそうです」
そう呟き、自室へ戻っていった
その足取りは、来た時よりもずっと軽かった
────
部屋には再び静けさが戻る。
メアリーは整備を終えた右腕を元へ戻し、ゆっく りと装甲を閉じる。
カシャン。
カシャン。
最後の固定音が鳴る。
「整備完了」
小さく呟いた、その時だった。
. お疲れ様』
聞き慣れた優しい声がした。
メアリーは驚くこともなく振り返る。
黒い霧が、いつの間にか自分の隣に座っていた。
「起きていらしたのですか、ご主人様」
『うん』
『少し前からね』
メアリーは少し困ったように笑う。
「聞かれてしまいましたか」
『全部聞いてた』
『でも、止めなくてよかった』
『ジュリも知りたかったんだと思う』
メアリーは静かに頷く。
「はい」
「きっと、そうですね」
しばらく二人は夜空を眺めていた。
窓の外では満天の星が静かに瞬いている。
『そういえば』
ネームレスが思い出したように言う。
『あの頃より、料理がすごく上手になったよね』
メアリーは少しだけ目を丸くした。
「.急なお話ですね」
『最初は焦がしてばかりだった』
「ご主人様」
『台所を三回くらい爆発させたよね』
「. 二回です」
『あれ、三回じゃなかった?』
「二回です」
少しだけ頬を膨らませるメアリー。
ネームレスはくすりと笑った。
『ごめん、ごめん』
「ですが」
メアリーも小さく笑う。
「ご主人様は、焦げたお料理も全部召し上がってく ださいました」
『だって、一生懸命作ってくれたから』
「ありがとうございます」
それだけで十分だった。
また静かな時間が流れる。
『今日はもう休もうか』
「はい」
た。
メアリーは立ち上がり、ゆっくりと灯りを消し
部屋は月明かりだけに包まれる。
ネームレスは黒い霧の姿のまま横になった。
メアリーもその隣へ腰を下ろす。
「おやすみなさい、ご主人様」
『うん』
『おやすみ、メアリー』
その一言に、メアリーは目を細めた。
何億年もの孤独を知る少女は、もう一人ではな い。
傍らには、いつも変わらず名前のない優しい存在 がいる。
だから今日も、安心して眠ることができる。
窓の外では、無数の星々が静かに瞬いている。
かつて独りで見上げ続けた星空。
今は、その隣にご主人様がいる。
それだけで、メアリーは幸せだった。
静かな寝息が部屋に重なる。
王都復興七日目の夜は、穏やかに更けていくのだった。
読んでくれてサンガツ!これキャラクター設定とか別枠で作成したほうがいいのかな?




