第17話 ポーロ過去編3
ポーロは客席から弾かれたように立ち上がった。
床に倒れ込み、自分の脚を死に物狂いで抱えて悶絶する優依の姿に、脳内で思考が激しく渦巻いた。——あり得ない……こんなところで狂いが生じるはずがない……!
混乱のなか、駆けつけた救急隊員たちによって優依が舞台裏へと運ばれていく。外へ走り出したが、遠ざかっていく救急車の甲高いサイレンの音と後ろ姿を、ただ呆然と見送ることしかできなかった。
病院の病室前。優依の家族が焦燥感を露わにして行き来していた。
カチャリ——
重々しい音を立ててドアが開き、医師が曇った表情で出てくる。慌てて駆け寄り、声を震わせた。「い、優依の様子は……!?」
「君は……?」首をかしげる医師に、優依の母親が「この子も一緒についてきてくれたんです」とフォローを入れた。
医師は深く頷くと、手にした診断書を皆に見せた。
「靭帯および関節組織に、許容量を遥かに超える負荷がかかっています。今回の怪我で……彼女はもう二度と、走ることはできないかもしれません」
晴天の霹靂とも言える宣告が、脳裏を激しく撃ち抜いた。
顔から血の気が引き、震える手で医師から受け取った報告書に目を落とす。——この損傷部位。かつて自分のノートに書き留めたリスクの備考が、鮮明に脳裏をよぎった。
膝をガクガクと震わせ、数歩後退りながら喃々と言った。「そんな……あり得ない……」
焦りのままに医師の袖を掴み、取り乱した声を上げる。「先生! 本当にそんなに重症なんですか!? 何かの間違いですよね!?」
だが医師は悲しげに彼を一瞥し、「申し訳ありません」とだけ言い残して背を向けて去っていった。
病室のドアの前で足が鉛のように重くなり、どうしても中に入れずにいた。
優依の母親がそっと肩に手を置く。「入りなさい……」
深く息を吐き出し、必死に震えを抑えながらドアを開けた。
ベッドの上の優依は、瞳から完全に光を失い、ただじっと前方の一点を見つめていた。
あの毎日明るかった優依が、自信も、生きる信念すらも失っている。
心は完全に沈み切っていた。今の自分にできる言葉など存在しないと分かっていたから、ただ黙って優依の隣に腰掛けた。
息の詰まるような沈黙のまま一時間が経過した頃、優依が小さい声を話した。
「帰って……」
見つめたまま、言葉を返せない。
「帰ってよ……お願いだから」優依が繰り返す。声が絶望に震えていた。
思わず彼女の冷たい手を強く握りしめた。「あなたが一番つらい時に、見捨てるように帰れるわけないだろ!」
だが優依はその手を冷たく振り払った。目には溢れんばかりの涙が溜まっていたが、それを必死に耐えながら背を向けた。「帰って……」
病室の外のベンチに座り込み、深くうつむいた。
僕がもっとちゃんと資料を調べていれば……私が……
そんな様子を見かねた優依の母親が、隣に腰掛けた。「大丈夫よ、」
「大丈夫なわけないじゃないですか!!」抑えていた感情が爆発した。
「私がもっと確認していれば……私があの資料を渡さなければ……私が! 優依をこんな目に遭わせたんだ!」
「ううん、違うわ。あなたのせいじゃない……」母親は優しく頭を撫でた。
だが、その温もりすら耐えきれず、立ち上がるとそのまま病院を飛び出した。自分自身をどうしても許すことができなかったのだ。
深夜。彷徨い続けた末、気がつくとあの公園へと戻っていた。
かつてフォームのテストをしたベンチに腰掛け、空虚な目で夜空を見つめていると——
突如、背後で空気が歪むような異様な音が響いた!
驚いて急いで大きな木の陰に身を隠す。見ると、公園の中央の空間がまるで布地のように切り裂かれ、微かな光を放つ亀裂が生じていた。
そこから、二人の人物が歩み出てくる。
月光がそのうち一人の顔を照らし出した瞬間、息を飲んだ。——
あいつ……なんで私と全く同じ顔をしてるんだ……!?
激しく高鳴る胸を押さえ、「もう一人の自分」が周囲の調査に気を取られている隙を狙って、身を低くして裂け目へ飛び込んだ!
視界が一瞬にして眩い光に包まれる。
再び目を開けた時、そこは公園ではなく、超一流企業を思わせる巨大なエントランスだった。
中央に掲げられた看板には、重厚な文字でこう刻まれていた。
——【時空警備隊】
呆然と周囲を見回していると、背後からポンと肩を叩かれた。
振り返ると、ビジネスマン風を着た男が立っていた。
「おや? 調査はもう終わったのかい? 三階に行って報告してくれ。それにしても……そんな学生服のままじゃまずいぞ。長官に見つかったら怒られるからな」
男に連れられて入った部屋にはスーツがずらりと並んでいた。「終わったら元に戻しておけよ」と言い残し、男は出て行った。
スーツに着替えて三階へと向かったものの、同じようなドアがずらりと並んでおり、どこへ入ればいいのか分からず立ち尽くしてしまう。
「何してるの?」
背後から軽やかな声がした。振り返ると、「高橋」と書かれた名札を胸につけた少女が凝視していた。
脳をフル回転させ、平静を装って答えた。「あ……報告に行こうと思ってて。良かったら一緒に行かない?」
高橋はニコッと微笑み、「いいよ」と頷いた。
二人は無言のまま廊下を歩く。道が分からないため、わざと高橋の後ろを少し遅れて歩いた。
「どうしたの? 今日はご機嫌斜め?」高橋が心配そうに尋ねる。
「え……あ、いや……」
「今日のあなた、なんだか変ね……」
報告室の前に着くと、高橋は自分のIDカードをタッチしてドアを開けた。
「ねえ、後で一緒にランチ食べない?」
「あ……うん、いいよ」
すると高橋は周囲を見回し、誰もいないのを確認すると、不意に抱きしめてきた。
胸元に顔を埋め、満足そうに息を吸う。
「エネルギー補給完了〜!」
全身が凍りつき、動揺と罪悪感でパニックになった。高橋は呆然とした顔を見てくすりと笑うと、部屋を出て行った。
一人残され、戸惑いながらも部屋の中央にある複雑なメインコンソールへと視線を向けた。
その傍らに一冊の厚い手帳が置かれている。表紙には『指導手帳』と書かれていた。
ページをめくると、目次が目に飛び込んでくる。
【時空規範】
【注意事項】
【バタフライ効果】
『バタフライ効果』のページを開くと、こう記されていた。
『職員は常に周囲に細心の注意を払うこと。その世界の住人との接触・干渉は一切禁止する。極小の行動であっても、取り返しのつかない災厄を引き起こす可能性がある。』
備考欄には、赤文字で強く書き込まれていた。
【特に——未確定の世界においては厳禁とする。】
未確定の世界……?
目次に戻り、その項目のページを開いた。
『未確定の世界とは、未だ書き込まれていない本のようなものである。そこでのいかなる行動も、未来や他の時空の行方を直接的に変え得る。』
心が激しく脈打った。直感的に操作盤を扱い、時空データベースから自分の名前を検索した。
画面に表示されたのは、1000以上のパラレルワールドの記録。情報の欄には高橋、優依、あるいは見知らぬ少女や男性の名前が並んでいた。
だがその中でただ一つ、金色の★マークが付けられたファイルがあった。
タイトル——【未確定の時空】。
その文字を見つめ、瞳に強い希望を宿した。
もし……この時空を変えることができれば、私の世界の優依も救えるかもしれない……!
思考を巡らせ、一度ここを離れようとしたその時——
カチャリ。
報告室のドアが開いた。
弾かれたように振り向くと、瞳孔が大きく見開かれた。
そこに立っていたのは、先ほど公園を調査していた、同モデルのスーツを着た「もう一人の自分」だった。
二人は言葉を失い、静寂の中でただじっと見つめ合っていた。




