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「…………フリーデ?」
「あ、起こしちゃった?」
朝の支度が終わる前にロスヴィータが目覚めてしまった。エルフリートは髪をまとめようとしている手を止めて振り返る。彼女はまだ半分眠っているのか、目を閉じたまま小さなあくびを漏らしていた。
エルフリートがそんな彼女の前髪を軽く整えると、ロスヴィータの口元がゆるんだ。
「フリーデ、おはよう」
「うん、おはよう。ロス」
エルフリートの手を軽く掴み、ロスヴィータが笑う。その手に力を込めたと思えば、彼女は自分の筋肉を使って上半身を起こした。エルフリートの手を掴んでおきながら、その力を当てにしないとは。エルフリートは頼られなかった事よりも、頼る必要がなかったのに掴んできたという事実が嬉しくて笑ってしまった。
もちろんこれは、エルフリートに触れたかったのだという考えに行き着いたからだ。
ロスヴィータがこうして甘えてくる事は少ない。だからこそ、嬉しかった。
「ひとつ言っておくが」
「うん」
「私は、あなたが動く音で目を覚ましたわけではないからな」
「あ、うん……」
そこはこだわるらしい。エルフリートはロスヴィータのその意図が分からないままに頷いた。彼女は膝立ちになると自分の荷物の方へと向かった。
「ロス」
「何だ?」
「着替えるなら奥で。私がそっちに行く」
エルフリートの言葉にロスヴィータが何を言われたのか分からないといった風に瞬いた。どうしてこういう時だけ抜けているのかな。エルフリートは半分呆れながら説明する。
「誰かが急にテントを開けたらどうするの? そっち側が開くんだよ?」
「ん? ああ、それは一理ある」
彼女は自分の警戒心が不足している事を大して気にしていないようだ。さすがにエルフリートだって窘めたくなる。位置を交換して着替え始める彼女を見ないようにしていたエルフリートだったが、髪を結いながら小言を吐き出した。
「ロスはもうすぐ人妻になる自覚を持った方が良いよ」
「どうしたんだ、急に」
「というかね。ロスは王子様だけど女の子でもあるんだから、ちゃんとそういうところを気にした方が良いの」
「そういうところ……」
ロスヴィータはピンと来ていないらしい。エルフリートはこういう話をするのに慣れていないから、どうすれば彼女が自覚してくれるのかが分からなかった。
普段よりも雑な仕上がりになった編み込みに小さなため息を漏らし、それを解く。
「ロスは無防備すぎるんだってば」
「無防備ではないと思うが」
「えぇ?」
「たとえばだが――」
ロスヴィータの衣擦れが止まる。
「今、この瞬間ならあなたが近くにいる」
「えっと、それと何が関係しているの?」
「何かが起きる前に、あなたが何とかしてくれるだろう?」
ロスヴィータが何を言わんとしているのか、エルフリートにも分かった。対応できる人が側にいるから気を抜いても問題ないと言いたいのだ。エルフリートの存在がロスヴィータにとっての安心であるのは悪くはない。嬉しいとも思う。だが、そういう話ではない。
エルフリートは、自分が伝えたい事を理解してもらえないかもしれないと思いながら、彼女への説得を始める。
「私がいなかったらどうするの?」
「もちろん、そういう隙を見せないようにする」
「具体的には?」
ロスヴィータが「何だかテストを受けているみたいだ」と笑いながら答える。それは、エルフリートにとっての及第点ではなかった。
「ロス……!」
「んっ、どうした?」
「ロスが全然分かってないから怒ってるの」
エルフリートの主張はロスヴィータには響いていない。それはおそらく、ロスヴィータ自身に女性としての認識が甘いからなのだろうが、それは理解してはいても納得できるものではない。たとえ、ロスヴィータが王子様のようにかっこ良くても、女性である事は確かなのだ。少しだって油断して良いものではない。
本当は、エルフリート相手にだって警戒してほしい。エルフリートはロスヴィータの事を大切に思っているし、外見で言うのならばほとんど女性みたいなものである。それでも、婚約者という立ち位置にいる異性なのだ。
少しくらいは警戒して然るべきだ。
「いつだって、女性っていうだけでリスクはあるんだよ。このテントの周囲には同性の騎士しかいないんだって分かっていて油断しているというのもあるかもしれないけど、急に誰かが侵入してくる事が絶対にないとは言い切れないんだよ」
「あり得ない話ではないな」
「そうでしょう? だから――」
「あなたと共に過ごしていない時は、しっかり警戒する。常に帯剣するし、出入り口付近で着替えたりもしない。こういった薄いテントでは、防御力もないからテントの中心で着替えるようにする。これで満足か?」
ロスヴィータの言い方はまるで投げやりになっているかのようだった。神経質になるな、とロスヴィータがエルフリートに対して考えているのが伝わってくる言い方だ。
「そうしてくれると、私は嬉しい。私は、ロスに嫌な思いをしてほしくないから」
「……その気持ちだけはありがたく受け取っておこう」
エルフリートはより強く言いたくなる気持ちを抑えた。これ以上伝えようとしても、今のロスヴィータには届かないだろうから。
穏やかに始まるはずだった朝は、ぎこちない空気に変わってしまっていた。




