27.箱庭の主
香ばしい焼き立てのパンの香りが鼻腔をくすぐる。目を覚ますとキッチンに紋芽の姿が見えた。身を起こして暫くぼぅとする。
「あ、起きた?おはよう」
「おはよう」
朝の挨拶を交わして洗面所に顔を洗いに行く。鏡を見て、自分が自分じゃないのを確認。ちょっとブルーな気分になる。リビングに戻って来るとトーストとコーヒーが置かれていた。
「食べちゃって、ミルクと砂糖は?」
「いらない。頂きます」
一口食べて焦げていない事に安堵する。
「美味しい」
「流石にこれぐらいはね。九時に出るから、準備してね。あ、お化粧してみる?」
「しない」
即答してトーストを齧る。そこまでしたら戻れなくなる気がする。
紋芽は先に準備があるからと部屋に戻って、俺は一人テレビを点けた。
「先日攻略が発表された群馬県榛名山魔境の続報です。現在までに判明している探索者協会発表の犠牲者は未だおらず、協会が被害を秘匿していると、政府の関係者より懸念の声が上がっています。榛名山魔境は特殊な管理体制を敷いていた為に被害の把握が難しいものになっているとの声もあり、政府は事態の収拾を急いでいる現状です。続いてのニュースです。米空母エンタープライズの沈没事故より半年が立ちました。事後の元凶と見られる洋上の魔境攻略に米特殊部隊の導入が正式に決定されました。それに先立ち、日本側への協力要請の為、大統領補佐官の来日が検討されています」
榛名山攻略は特殊な状況だったからな。政府への説明も時間が掛かりそうだ。頑張ってくれ保奈美。
今日は協会の送迎車では無くレンタカーを借りた。協会の車を私事に使うのは躊躇われたからだ。運転は俺がした。紋芽も一応免許は持っているらしいがペーパードライバーだと言う。スキルで移動出来るのも拍車を掛けていそうだ。しかし、免許証と顔が違うので職質されたらアウトだなこれ。
ナビの通りに走って一時間程。練馬区の一画にあるビルに着いた。地下に車を停める。
「それで?ここには何の目的で?」
「このビルの十五階にFOLNの運営会社が入ってる」
「FOLNの?」
「貴方のスキルはあのゲームが前提でしょ?つまりゲームの方に理由がありそうだなって」
「そういう事か、しかし、いきなり行って対応してもらえるものか?」
「アポは取ってるから大丈夫。貴方は顔を晒すわけにいかないから、スキルオン」
俺の姿が変わっていく。これは……保奈美の姿だ。
「イリュージョンフォームてスキル。接触されると解けるから気を付けてね」
「分かったわ」
「ぶふっ」
ウケたらしい。歩き方気を付けないとな。内股、内股……。
「ちょっと、あの、笑っちゃうからふ、普通に、ぷふ」
紋芽は笑いが止まらないようでエレベーターに乗っている間も腹を抱えていた。自分でスキル掛けた癖に、テルの姿とかで良かっただろ。
「ようこそ、株式会社ヘブンスマリーナへ。本日はどういった御要件でしょうか」
「広報部の永野部長さんをお願いします。アポイントメントは取ってあります」
「承りました。失礼ですが、お名前は?」
「大代紋芽です」
「大代様、暫くお待ち下さい」
受付で待つ事三分程、小太りの部長さんが急いでやって来た。額には汗が光っている。
「これは大代さん。まさか本当に来ていただけるとは。こちらにどうぞ」
部長さんに案内されるがままに応接室に通される。
「探索者協会はこちらの新作ゲームであるFutures Onlineに興味を持っておりまして、どうやらアカデミー生の間でも話題になっているようですね。中央はシュミレータとして使えるのでは無いかと検討しています」
「おお、何と、まさか探索者協会さんにそう思って頂けるとは」
口ではそう言っているが、明らかに面倒な事になったという顔をしている。必要以上の仕事は勘弁てタイプの人だな。
「そこで、開発経緯等を聞かせていただければと思って伺わせて頂きました」
「なるほど、なるほど。それは弊社としても是非お話したいところなのですが、こちらのゲームは開発元が別でして」
「そうでしたか、表記には有りませんよね?」
「はい、秘匿契約をしておりまして、開発元は公表しておりません」
「そこを何とか繋ぎをお願い出来ませんか?」
「は、はぁ……あの少々お時間を頂いてよろしいですか?」
紋芽の圧に負けた部長さんが下がって二十分程。疲れた様子の彼が戻って来た。
「先方は会っても良いと言っています。ただし今からなら、と」
「願ってもない事です。部長さんありがとう」
美女の微笑みに部長さんの顔が赤くなる。罪な女だな。
部長さんに案内されたのはビルの地下二階だった。これはサーバールームか?地下にあるのは珍しいな。余程優秀な空調システムでもあるのだろうか。廊下の奥には居住用の空間が広がっていた。ここに住んでるのか。
「私はここで、お待ちします」
玄関代わりの扉の前で部長さんが待機してくれるそうだ。俺と紋芽がインターホンを鳴らすと、扉のロックが開いた。入って来いって事か。
扉を押し開けるとそこは別世界だった。ギリシャを思わせるような神殿建築。奥には泉が有り、外には空が有る。泉の周りには多種多様な植物が生い茂っていた。
「ここは……」
「明らかに魔法的な空間だな」
「ああ、いらっしゃい」
声は奥から聞こえた。そちらに歩いて行くと現代風なソファに体を預けた男が一人。スウェット姿で無精髭が目立つが、若いな。俺より歳下かもしれない。プラチナブロンドの髪は自然な色だ。瞳も碧。日本人ではない?
「おっと、美女が二人か、だらしないとこを見られたな。ちょっと待っててくれるかい?その間、頼めるかなラナ」
「畏まりました」
突然背後から声がした。全く気配に気付かなかった。動揺を隠して振り返る。そこにいたのは女性だ。紺のドレススーツを身に纏い、折れそうなヒールを履いた秘書のような姿。その彼女が一礼した。俺達も思わず礼を返す。彼女が目を開くと、その違和感に気付いた。虹彩が無い。人間じゃ、無い。
「こちらへどうぞ」
促されるままに、十人は腰掛けられるだろう長テーブルの椅子に並んで座る。お待ち下さいと言うと、下がっていった。紋芽に身を寄せて小さな声で会話する。
「彼女、アンドロイドか?」
「二足歩行のロボットがやっと違和感無く作動出来るようになったばかり。あの完成度は有り得ないでしょ」
「やはり、スキルか」
「それと、この空間も多分。先程彼に鑑定を飛ばしてみたけど、弾かれちゃった。これはレジェンダリースキル保持者を鑑定した時によく見られる現象だから」
レジェンダリースキル保持者は鑑定が効かないのか。始めて知った。そして鑑定もちゃんと持ってるんだな。
女性のアンドロイド?が手に盆を持って歩いて来る。ヒールを履いているのに盆が揺れない。
「どうぞ」
「ありがとう。失礼だけど、貴女は彼の秘書か何かかしら?」
「ラナと申します。私は彼の伴侶です」
「伴侶……」
「奥様でしたか。失礼しました」
俺は疑問符で一杯だったが、紋芽はポーカーフェイスでコップを受け取っていた。一口飲んでみると何と麦茶だ。この風景に麦茶が何ともミスマッチで不思議な気分だ。
「お待たせ」
彼が戻って来た。灰色のスラックスに白のシャツに着替えている。髭も剃ってきた。中々にイケメンだ。
「僕はジョシュ・明石・クラフト」
「大代です」
「初鹿野です」
手を差し出されたが紋芽が握手をして俺が潔癖症であると言って握手を回避してくれた、危ない、接触禁止を忘れて握手するところだった。
「君達は探索者だと聞いたよ」
「そうです。さらに言えば、ゲームのユーザーでも有ります」
「なんと、それは嬉しいね」
ジョシュは大袈裟に驚いて見せる。
「この度、探索者協会ではこのゲーム、Futures Onlineについて調査を開始致しました。これは決してネガティブな意見からでは無く、現実に限り無く近いリアリティを活用出来ないかと考えた上での調査です。それを踏まえた上で単刀直入にお聞きしますが、こちらのゲームにはスキルか、もしくはそれに相当するものが使われていると判断してよろしいのでしょうか」
ジョシュは紋芽の質問に答えず、暫く考えていたかと思うと立ち上がって泉の方へ歩いて行く。俺達は顔を見合わせて仕方無くそちらに向かう。
「君達の目から見て、この部屋はどう見えた?」
そう言って手を広げてみせる。
「この部屋、ですか」
「探索者なら即座に分かっただろうが、この部屋は僕のスキルで拡張したものだ。この泉も、この花も、スキルによる創造物だ」
ジョシュは花を愛でるように撫でた。女性なら誰もが溜め息を吐くような甘い表情だ。しかし、紋芽は微笑みを崩さない。
「そうですね、端的に言わせて頂くならば、非現実的だと思いました」
ばっさりいくなぁ。
「そうだろうね。残念な事によく言われるよ」
残念そうな顔も一瞬、甘い表情に戻るとこちらに近付いて来た。
「先程の質問にお答えしよう。答えはイエスだ」
紋芽と極端に距離を詰めてきた。おい、もう一歩でも前に出たらその端正な鼻を圧し折るぞ。
「貴方のスキルですか?」
「そうだよ。箱庭と言うスキルだ。見せて上げよう、こちらにおいで」
ジョシュに導かれるままに泉の奥、石柱に囲まれた東屋のような建物に入る。中には台座が一つ、そこから幾多の電子ケーブルが地下へと伸びている。何て異質な……。台座の中央には一メートル四方程の円球があった。
「中を覗いてごらん」
促されるままに中を覗き込むと、何処かで見たような世界が広がっている。これは、バシレキス海だ、という事は手前にある大陸が東バシレキス大陸。FOLNの世界がそこにあった。
「凄い、世界がここにある」
思わず呟いた俺の言葉にジョシュが満足そうに首肯する。
「そう、これが僕の箱庭。試しの大地だ」




