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烙印の子  作者: あねむん
《第五章》
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[EP.5-13]竜の騎士

分厚い鉄塊のような歯車が、滝の水流を受けてゆっくりと回転していた。


歯と歯が噛み合うたび、洞窟全体が低く震える。

重い振動が濡れた岩肌を伝い、足裏から骨の芯へじわりと響いてくる。


もし、あと一瞬でも引き戻すのが遅れていたなら――

シレイの身体はあの巨大な歯列へ呑み込まれ、肉も骨も区別なく噛み砕かれていただろう。


湿った空気の中でシレイが大きく息を吐いた。


「っはぁ……! た、助かったぜ坊! 危うくミンチになるとこだった……」


声は軽口を装っていたが、額には冷や汗が滲んでいる。

レイヴンは張り詰めていたロープをゆっくり緩めながら、小さく息を吐く。


「目の前で嫌なもの見せてくれるな。 だが、間に合ってよかった……」


短く返しながら、視線は自然と先ほどシレイが踏み込もうとしていた空間へ向いた。


視線の先では、巨大な歯車が何事もなかったかのように回り続けている。

ただ水を受け、決められた通りに動くだけの機構。

それだけのはずなのに――。


ゴギィ……ゴン……ギィィ……

軋む音が滝の轟音に混じるたび、洞窟そのものが巨大な生き物の顎のように思えた。

記憶に新しいのが大蛇ガルメロスみたいな――

そんな不吉な想像を振り払うように、レイヴンは顔を上げる。


その向こう――空洞のさらに上方。

滝の飛沫と鏡面反射の奥で、青白い光が微かに脈打っている。

その光は宝石一つの輝きとは思えないほどで、三人とも、その存在には瞬時に気づいていた。


ギーグが恍惚そうに目を細めた。

「おお……あれがそうか?」


レイヴンも視線を上げる。

「ああ。たぶんな」


恐らくあれがダルクが必要としているもの。

距離があるため正確な大きさまでは分からないが、手のひらに収まる程度だろうか。

だが、あれほど目立つ宝石は、自国に流れる交易品の中でも見たことがなかった。


まるで空洞そのものが、極小の、あの一点から光を受けているようだった。

濡れた鏡面は青く染まり、水面は星空のように揺れ、巨大な歯車の輪郭さえ白く浮かび上がっている。

もしあの光が消えれば、この空間は一瞬で闇に沈むだろう。


そう思わせるほど、その存在は圧倒的だった。

シレイが口の端を吊り上げる。


「へっ、取ってくださいって言わんばかりに目立ってやがる」


そう言いながら荷袋を下ろし、鉤爪付きのロープを取り出した。


「だがあの高さ、20mくらいか? 届くじゃろうか?」

「とりあえずやってみる!」


言うが早いか、シレイは鉤爪のロープを大きく振りかぶった。

竜人の膂力で放たれた鉤爪は風を裂きながら一直線に飛んだ。

狙いは悪くなかった。


だが――ガランッ!


硬質な音が洞窟に響いた。

鉤爪は岩肌を掠めただけで弾かれ、そのまま虚空へ跳ねる。

ロープが勢いよく引かれ、金属が岩を叩きながら落下した。

やがて、ぽちゃん。


小さな水音が滝壺へ沈んだ。


「くそ、届かねぇか。 もう一度! ……なんだこれ??」


言葉が止まった。

握ったロープの先、鉤爪の鉄が白く濁っていた。

最初は飛沫が付着しただけに見えた。


だが違う。

白いものは表面に張り付いておらず、鉄そのものから生えていた。

鉄の表面に小さな結晶が芽吹いていた。


霜のような白が鉄を覆う。

それは表面に付着しているのではなかった。

鉄そのものが、鉱石へと変わっていた。


パキ……パキパキ……

嫌な音を立てながら白い棘が四方へ伸びる。


「いかん! 手放すのじゃ!」


怒鳴るような声だった。

シレイは反射的にロープを放り投げる。


鉤爪が宙を舞い、そして滝壺へ落ちるその寸前――結晶化が爆発的に加速した。

白い鉱石が鉄爪を呑み込み、さらにロープへ、さらに空気中へ伸びようとしているように見えた。


巨大な白い花が咲くようだった。いや、獲物に食らいつく何かにも見えた。

鉱石の塊となった鉤爪は、そのまま滝壺へ沈んでいく。

やがて白い影は暗い水の底へ消えた。

残ったのは滝の轟音だけだった。

誰もすぐには口を開かなかった。


「まじかよ……。 そんなのありかよ」


シレイが顔をしかめる。

レイヴンは滝壺を見下ろしたまま言った。


「今のを見て一つ分かった。 ここ一帯の水は危険だ。 触れた瞬間、鉱石状になりうる」

「つまり?」


ギーグも難しい顔で頷いた。


「少なくとも、魔法で滝壺へ落として回収する案は消えた、ということじゃ。

 回収したものも結晶化するかもしれん」


レイヴンは小さく息を吐いた。

ここまで来て成果はない。だが無意味でもなかった。

危険な賭けをする前に、ひとつの法則を知れた。


「一度戻るぞ。 まだ引き返せる。情報を整理して――」

「駄目だぜ、坊。 それは男じゃねぇ」


シレイは即座に首を振った。


「馬鹿か?! 男とかどうこう言ってる状況でも、

 お前の根性論が通る話じゃないのは分かるだろ。 闇雲に行動するほうが愚かだ!」

「ダルクの猶予は今日までだ。 街で道具を集めてここまで来て、ようやくここまで来た」


低く息を吐く。


「今引き返しても、次に持ってこれるもんなんてたかが知れてる。

 俺たちは海賊じゃねぇ。洞窟専門家でもねぇ。 情報も人脈もねぇんだ」


シレイは天井近くで光り輝く宝石を指差し、そのまま歯車に向ける。


「上に上がれる手段は目の前にあるんだ。 力づくで取れってあの宝石も言ってるぜ」

「あの歯車を利用するのか? 足を滑らせれば終わりだ!」

「なら、戻って脚立でも作るつもりか? 拾いモンの町に高望みはできねぇよ。

 ロープもフックも揃えた。 使えるもんは全部使った。 だったら次は登る番だろ?」


滝の轟音が二人の間を流れる。

理屈としては正しい。

正しいからこそ、レイヴンは苛立った。


「上り詰めた後は、飛んであの宝石をブンどる。 

 それに俺は滝壺へ飛び込むつもりも、歯車に挟まれるつもりもねぇ。

 俺は"竜の騎士"だ。 ……俺も少しは考えてるんだぜ?」


軽く拳で胸を叩く。

レイヴンの"失いたくない"気持ちも理解している。

いや、そもそも死ぬつもりなんて考えていない。

こんなものはただの崖上りの要領だ。 なんてことない。


その横顔に一瞬だけ、故郷を思い出す色が浮かんだ。

故郷の断崖、幼い頃のダルクとの競合い、兵士時代の訓練。

御山フィレーナ山の崖上りと比べれば、マシなレベルだ。

いつも娘が自分の背中を登ってくるような、子どもの遊びなんだ。


歯車に挟まれたら? 水に触れたら結晶化する?

そんなもの、まだ起きてもいない未来だ。


「ちゃんと、帰ってくるからさ。 だから、サポート頼むぜ!」

「おい、待て!」


そういってすぐにシレイは歯車のほうへ近づくために、岩肌を使って登り始める。


レイヴンの制止は届かない。

信用していないわけではない。 むしろ逆だ。

信用しているからこそ、失いたくなかった。


レイヴンは額を押さえた。

「この馬鹿野郎が……!」


怒鳴りながらも、すでに手にはシレイに巻かれているロープを掴んでいる。

落とさないために。 見捨てないために。


「戻ってきたら減給だ! 絶対に減給だからな!!」


笑い声が返ってきた。

それは滝の轟音にも負けないほど、妙に楽しそうな声だった。

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