[EP.5-12]欲の灯は深く沈む
限られた時間を、三人は準備にすべて費やした。
レイヴンは洞窟の暗がりを見据えたまま、ダルクの言葉を反芻する。
――海賊ギルドのボス、キクリスはハーピィ族であり、石を持ち帰り今の座にいる。
それが事実ならひとつだけ確かなことがある。
“到達手段そのものは存在する”
だが同時に、それは“誰にでも再現できる道”ではないということでもあった。
「ハーピィ族の優位は飛行能力だ。 生還している以上、入手と脱出までの導線はある。
ただしそれは、空間を制御できる者の前提だ」
ギーグが眉をひそめる。
「つまり、“飛べる者”の視点で組まれた道、ということか。 じゃが、わしらはハーピィじゃないぞ?」
「別に飛ぶ必要はない、宙に“留まれれば”いいんだ。 その状況を作り出すには道具で頼るしかない」
ギーグが小さく息を漏らす。
「……道具で“飛行に近い状態”を作る、ということか」
「それに……ハーピィ族が初めてその石を手にしたとは限らないだろ?
昔に別種族が成功していたりするだろうし」
「それはおヌシの憶測じゃろうて」
「そうだな、想像の域だ。 だから宝を手にする夢を見るんだろ? 少なくとも海賊連中はな」
突き立てている海賊旗を横目に振り返った。
いつかは海風を包むはずの旗布は、今では洞窟の湿気を吸い、腐った岩肌の臭いに沈んでいた。
レイヴンは振り返る。
「シレイ、準備は?」
「あぁ、言われたモンは一通りな」
シレイは肩をすくめながら、背負っていた袋を地面に置いた。
鈍い音とともに中身がこぼれる。
ロープ、鉄製のフック、かぎ爪付きのグローブ、ランプ。
それぞれに使い込まれた跡があり、年季を感じられる。
「この町でよく揃えることができたな」
「幸い、"海賊の町"だからな。 金さえ払えば入手できたが流れモンなのは目をつぶってくれよ」
シレイが足でロープを引き寄せる。
「ロープは三本。一本は命綱、一本は固定用、もう一本は予備だ。
こっちのフックは岩に噛ませる用、 それとコレ。素手じゃ握れねぇ場所でも登れる」
鉤爪状のグローブをはめ、軽く指を曲げる。
金属が擦れる音が鳴った。
「強度は十分。……まぁ、俺の体重に耐えられりゃ、の話だけどな」
「内部は未知の場所だ。 やばくなったら引き返すことも頭に入れてくれ」
シレイは一度だけ頷く。
役割は決まった。
先行――シレイ。
中継――レイヴン。
後方支援――ギーグ。
「行くぞ」
短く告げる。
それ以上の言葉は不要だった。
洞窟の入口は、すぐ目の前にある。
闇は静かに口を開けたまま、三人を待っていた。
―――
吊るされたランプが、細い道筋をかすかに照らしている。
揺れる火は濡れた岩肌に反射し、洞窟の奥へ不規則な影を投げていた。
「くそ……歩きづれぇ……! 足元気をつけろよ、坊!」
先を歩くシレイが顔をしかめる。
足を踏み出すたび、靴底の下でまるで濡れたガラス片を踏み砕いているような感触だった。
足元の異様さは誰の目にも明らかだった。
地面一帯に、針のような鉱石が無数に突き出している。
踏み込むたび、水音に混じって硬質な擦過音が鳴る。
ランプの火が揺れるたび、鉱石の色が遅れて脈打つ。
まるで石の奥で、別の誰かが瞬きを返しているようだった。
採掘されていないのが不自然なほどの量。
にもかかわらず、削られた跡が一切ない。
(価値がないのか、採れない程の硬度なのか……)
だが、鉱石学に明るいわけではない。
考えたところで答えが出る話でもなかった。
現状、おおよそ自分たちに危害のないものであると判断し、潜行に集中する。
背中ではギーグが半ばしがみつくように体勢を保っていた。
「ぬぉ……これは……足場としては最悪じゃな……! ワシの柔い足ではまともに立っておれんわい!」
「自慢の魔法で宙にでも浮いてればいいだろ」
「宙に留まるだけ、なんじゃのぉ……頭ぶつけるかもしれんし」
シレイ「けっ! 魔法使えるのに、器用貧乏な爺さんなこって!」
「うぅ……返す言葉もない……」
短いやり取りが、湿った洞窟に小さく反響する。
だが進むにつれ、壁に吊るされたランプの数は目に見えて減っていった。
同時に――音が変わり始める。
最初は気のせいかと思うほど微かなものだった。
遠くで絶え間なく何かが落ち続けているような、鈍い低音。
――ゴゥゥゥゥ……
洞窟の奥深くから響いてくるその音は、一歩進むごとにはっきりと輪郭を増していく。
「なんだ?……滝のような音がするな」
先頭のシレイが言う。
腹の底へじわりと響く重さがある。
大量の水が、高所から落下し続けている音だった。
やがて――最後の灯りが背後へ沈む。
その代わりに別の明るさが奥から滲み出していた。
同時に音が変わる。
滴る水音だけだった洞窟に低く、重く、規則的な何かが混じる。
――ギィ……ギィ……ギィ……
軋むような、擦れるような、だが自然の音にしてはあまりにも規則的だった。
だが音の発生源が見当たらない。
レイヴンの足がわずかに止まる。
「シレイ、何が見える?」
「なんだここは……俺が……映ってる」
「何言ってるんだ! もうすこし要領を得て……!」
レイヴンもシレイの後にたどり着く。
洞窟の空間が、一気に開けていた。
巨大な空洞だった。
その中央には広大な水溜まりが広がり、天井近くから幾筋もの滝が流れ落ちている。
落水は白い飛沫となって霧を生み、洞窟全体に薄く漂っていた。
だが異様なのは、その景色そのものだった。
壁、天井、岩肌。
その全てが鏡のように周囲を映している。
人為的に磨かれいたわけではない。
自然に形成された鉱石層が、異様なまでに滑らかな光沢を持っていた。
滝の水が流れるたび、鏡面が波打つように光を歪める。
水面にも景色が映る。
上下の感覚が狂う。
どこまでが現実で、どこからが反射なのか一瞬では判別できない。
「!! シレイ! 下がれ!!」
「うおっ?!」
レイヴンは即座にロープを引いた。
互いの腰へ結びつけていた命綱が張り、シレイの身体が強引に後ろへ引き戻される。
次の瞬間。
――ゴォンッ!!
シレイが立っていた空間を、巨大な影が横切った。
巨大な歯車だった。
自然物とは思えないほど精巧な歯車群が、滝の水流を受けながらゆっくりと回転している。
歯と歯が噛み合い、巨大な円環が幾重にも連結していた。
もし引き戻すのが一瞬遅れていたら、シレイの身体は歯車と地面の間で押し潰されていただろう。
「っぶねぇ……! みんなこれにやられたってのか?!」
シレイが冷や汗を流しながら息を吐く。
――ギィ……ギィ……
歯車が動くたび、洞窟全体が微かに震える。
その振動で鏡面の角度が変わる。
景色が歪む。
自分たちの姿が増え、砕け、繋がる。
前方にも。水面にも。天井にも。
無数の“自分たち”が映っていた。
ギーグが低く呟く。
「これが“海鏡窟”……!」
レイヴンはゆっくり周囲を見渡した。
高所へ続く歯車群。滝の裏側へ消える足場。鏡面に乱反射する光。
そして、その最奥。
巨大な歯車のさらに上――
微かに、青白く光るものが見えた。
「あれのことか?!」
だが、その呟きには確信よりも警戒が強かった。
この洞窟は、ただ危険なだけじゃない。
“認識”そのものを狂わせてくる。
一歩間違えれば、自分がどこに立っているのかすら分からなくなる。
海鏡窟。
その名の意味を、レイヴンたちはようやく理解し始めていた。




