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パラレル・トラベラー ”72時間だけ、もう一人の異世界のわたし”  作者: Hamin
第2章 魔法の試練

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8話 ノヴァの答え、わたしの答え〈残り3時間〉

 南の砦《とりで》へ向かう道のとちゅうで、遥《はるか》は立ちどまった。


 王都の外へ続く、なだらかな丘《おか》の上だった。ふり返ると、王都が見えた。金色の結界は、もう半分以上がくずれおちて、ところどころ、夜空がむきだしになっている。そのすきまから、森の黒い影《かげ》が、じわじわと王都のほうへにじんでいくように見えた。


 夜明け前の風が、冷たかった。草のにおいと、遠くの焦《こ》げたにおいがまじっている。


【遥さま。立ちどまらないでください。南の砦まで、あと40分です。帰還《きかん》まで、残り3時間です】


「ノヴァ」


【はい】


「わたし、もどる」


 ノヴァは、一瞬《いっしゅん》、だまった。


【……推奨《すいしょう》しません。大時計の周辺は、現在、もっとも危険な場所です。遥さまが行っても、状況《じょうきょう》が改善する確率は、計算できません】


「計算できないってことは、ゼロじゃないってことでしょ」


【それは……】


 遥は、自分でも、何を言っているのかわからなかった。足が、ふるえていた。こわかった。逃《に》げたかった。今すぐ、南の砦へ走って、毛布にくるまって、72時間が終わるのを待ちたかった。


 いつもの遥なら、そうしていた。


 何かが起きる。こわくなる。逃げる。その三つは、いつも、ひとつながりだった。考えるひまもなく、からだが勝手に、出口のほうへ動いていた。


 ポケットの中で、指先が、何かにふれた。


 ハルカのノートの切れはしだった。ゆうべ、オルドの補習のあとで、遥がメモを書いた紙。そこには、遥の字で、こう書いてあった。


『何かが起きてから、動くまでのあいだに、一秒のすきまがある。そこで選べ』


 父の付箋《ふせん》の言葉を、書きうつしておいたのだ。


(一秒)


 遥は、目をとじた。


 息をすう。こわい。それは、本当だ。息をはく。逃げたい。それも、本当だ。けれど、そのこわさと、逃げる足のあいだに、ほんの少しだけ、すきまがあった。


 そのすきまに、ハルカのノートが浮《う》かんだ。何百回も書きなおした魔法陣《まほうじん》。『どうせ、わたしには、むり』と書きながら、3年間、一度も補習を休まなかった、もう一人の自分。


 セレスティアの、赤い目のふち。北のはずれの、魔法の使えない両親。


(わたしが、ここで逃げたら、この子がもどってくる世界は、なくなる)


 遥は、目をあけた。


「ノヴァ。わたしは、もどる。これは、わたしが選ぶ」


【……ルール3。最後に決めるのは、旅行者です。承知しました】


 ノヴァの声は、静かだった。


【では、遥さま。わたしに、何をお手伝いさせていただけますか】


◇ ◇ ◇


 王都へもどる道を、遥は走った。


 丘をくだるとちゅうで、うしろから足音が追いかけてきた。ふり返ると、セレスティアだった。ほどけた金色の髪《かみ》が、風になびいている。


「あなた、どこへ行くの」


「大時計のところ」


「ばかじゃないの」


「知ってる」


 セレスティアは、一瞬、立ちどまった。それから、遥と同じ速さで、走りだした。


「……北のはずれに行く道は、学校の地下を通るのが、いちばん近いのよ」


 それが、彼女《かのじょ》なりの、ついてくる理由らしかった。


 走りながら、遥は、ノヴァに話しかけた。


「ノヴァ、どうすればいい?」


【どうすれば、とは、どの範囲《はんい》でしょうか。避難《ひなん》の方法でしょうか。大時計の歴史でしょうか。それとも、セレスティアさまへの――】


「ちがう。ちょっと待って」


 遥は、走るのをやめずに、頭の中で言葉をならべなおした。オルドの補習のあとの夜を思いだす。何ができて、何ができないのか。何がほしいのか。


 ほしいのは、答えの山じゃない。今、この足で、すぐに使える答えだ。


「ノヴァ。大時計を止める方法を、三つ出して。一つにつき、二行で」


【承知しました。とてもわかりやすいご依頼《いらい》です】


 頭の中に、三つの文字のかたまりが、すっと浮かびあがった。


『1.大時計に、外から大きな魔力《まりょく》をぶつけて、こわす。

  →成功しても、糸を読む力が失われる。王宮魔導師団《おうきゅうまどうしだん》が失敗した方法。

2.大時計の歯車の中心に、魔力を止める封印《ふういん》の魔法陣を描《か》く。

  →教本どおりの陣では、時計の力に負ける可能性が高い。

3.大時計に、新しい糸を一本、見せる。

  →記録によれば、大時計は「まだ読んだことのない糸」に反応して止まる。ただし、方法は不明』


 遥は、三つ目の文字を、もう一度読んだ。


 まだ読んだことのない、糸。


 頭の中で、何かがかちりとはまった。ハルカのノートの、うしろのページ。教科書どおりではない、つる草と星と鳥がからみあった、あの美しい魔法陣。


 だれも選ばなかった、魔法陣。


「……あった。それ、たぶん、持ってる」


◇ ◇ ◇


 試験場は、青い光でみたされていた。


 割れた床《ゆか》の底に、巨大《きょだい》な時計が見えた。家ほどもある文字盤《もじばん》。何十もの歯車が、ギシギシと音を立てて、めちゃくちゃな速さで回っている。歯車のすきまから、糸のような光が何千本ものびて、空中でもつれあい、ふるえていた。その中の何本かが、ときどき、ふっと消える。そのたびに、大時計は、悲鳴のような音を立てた。


 熱い。肌《はだ》がひりひりする。耳の奥《おく》が、キーンと鳴っている。


 遥は、ポケットからチョークを取りだした。オルドの研究室から、こっそり借りてきたものだった。


「セレスティア。わたしが陣を描くあいだ、時計の光を、おさえてて」


「描くって、何を。教本の封印陣《ふういんじん》?」


「ちがう。ハルカの――わたしの、陣」


 遥は、割れ目のふちに、ひざをついた。


 石の床に、チョークを走らせる。外側の大きな円。内側の小さな円。そのあいだに、つる草の線をからませる。小さな星。鳥。花。


 手が、覚えていた。ハルカのノートを見たのは、たった一度なのに。いや、ちがう。このからだが、何百回も描いてきた線だった。そして、遥の手も、専門学校のスケッチブックのすみに、似たような模様を、何百回も描いてきた。


 二人の手が、重なっていた。


 背後で、セレスティアが炎《ほのお》の壁《かべ》を立てていた。青い光が、ぶつかってはくだける。彼女の息が、どんどん荒《あら》くなっていく。


「早くして! 長くは、もたない!」


 最後の線を描き終えた。


 遥は、陣のまんなかに立ち、杖《つえ》をにぎった。手のひらに、オルドの薬草のすっとするにおい。杖は、すべらなかった。


 外側の輪には、目を向けなかった。試験官も、笑い声も、3年の留年も、成功確率も。今は、手のとどかないところにある。


 内側の輪だけを見る。息。ことば。手の中の杖。そして、自分がほしい、たった一本の糸。


(大時計が、静かに眠《ねむ》る世界)


 呪文《じゅもん》は、教科書のものではなかった。口から、自然に出てきた。


「――ここに、まだだれも選んでいない道がある。どうか、それを、見て」


 足もとの陣が、光った。


 やわらかな、若葉の色の光だった。つる草の線をたどって、光は円をめぐり、星と鳥と花をひとつずつともしていく。


 大時計の歯車が、ゆっくりと、速度を落とした。


 ギシ、ギシ、ギシ。


 何千本ものもつれた糸の中から、一本の、若葉色の糸がすっとのびて、大時計の文字盤にふれた。


 時計の針が、止まった。


 静けさが、落ちてきた。耳が痛くなるほどの、静けさだった。


 遥は、その場にへたりこんだ。手のひらが、じんじんと熱い。見ると、杖の先に、小さな、本当に小さな、炎がともっていた。ろうそく一本ぶんの、炎。


「……ついた」


 セレスティアが、遥のとなりに、どさりとすわりこんだ。すすだらけの顔で、遥を見て、それから、声を出して笑った。


「3年かけて、それ?」


「うるさい」


 二人は、顔を見あわせて、笑った。


 割れた天井の向こうで、金色の結界が、ゆっくりと、つなぎなおされていくのが見えた。


【……記録します。成功しました】


 ノヴァの声が、ほんの少しだけ、ふるえていた。

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