7話 暴走する古代装置〈残り8時間〉
空が、割れていた。
王都アルセリアをすっぽりと包む、うすい金色の結界。ふだんは目に見えないその膜に、今は、夜空いっぱいにひびが走っていた。ひびのすきまから、青い光が、ときどき稲妻のように噴きだす。そのたびに、王都じゅうの灯りが、ふっと暗くなった。
試験場の床が割れてから、4時間がたっていた。
生徒たちは、学校の大講堂に避難していた。何百人もの紺色のローブが、石の床にすわりこみ、身をよせあっている。だれかが泣いている。だれかが、家族の名前を呼んでいる。大講堂の高い窓がガタガタとふるえ、そのたびに、天井からほこりがぱらぱらと落ちてきた。
空気が、焦げくさい。雷が落ちたあとのような、つんとするにおいが、鼻の奥にしみついて取れなかった。
遥は、窓ぎわの柱にもたれて、割れていく空を見あげていた。
【遥さま。状況を報告します】
ノヴァの声は、こんなときでも、落ちついていた。
【地下の大時計は、王都の結界の魔力を、少しずつ吸いこんでいます。このままでは、およそ7時間後に、結界が完全に崩れます。結界がなくなると、王都の外の魔獣の森と、王都のあいだに、さえぎるものがなくなります】
「7時間後って……」
【遥さまの帰還の、約1時間前です】
「……どうしよう」
【ご質問を承りました。「どうしよう」の対象を――】
言いかけて、ノヴァは、自分で言葉を止めた。
【失礼しました。今は、そういう場合ではありませんね。……遥さま、まず、何か召しあがってください。最後のお食事から、11時間22分がたっています。大講堂の入り口で、月光パンが配られています】
「こんなときに、パン?」
【こんなときだから、です。おなかがすいていると、人の判断力は、約15%低下するというデータがあります】
遥は、思わず、ふっと息をもらした。世界がこわれかけているのに、このAIは、朝ごはんの心配をしている。
入り口でパンを一つもらい、ちぎって口に入れる。かみしめると、花の蜜のような、やさしい味が広がった。ちぎった断面から、小さな青い光のつぶが、ほたるのように指先へこぼれていく。少しだけ、胸のつかえが下りた気がした。
遥は、耳たぶをぎゅっとつまんだ。
帰還の1時間前に、ハルカの世界が、こわれはじめる。
◇ ◇ ◇
大講堂の扉が開いて、教師たちが入ってきた。先頭は、試験官のグラン教頭。そのうしろに、ローブのすそを土でよごしたオルドの姿もあった。
グラン教頭が、台の上に立って、声をはりあげた。
「静かに! 国王陛下の命により、王都の全住民は、夜明けまでに南の砦へ避難する。生徒は、教師の指示にしたがい、順に移動を始めること!」
大講堂が、ざわめいた。
「先生、大時計は、止められないんですか」
だれかがさけんだ。グラン教頭は、一瞬、言葉につまった。
「……王宮魔導師団が、全力で対処しておる。生徒が心配することではない」
遥は、オルドを見た。オルドは、何も言わずに、目をふせていた。その横顔で、遥にはわかった。止められないのだ。少なくとも、今のところは。
【遥さま。ただちに避難してください。旅行者の安全が最優先です】
ノヴァの声が、耳の奥でひびいた。
【南の砦までは、徒歩で約3時間。遥さまの帰還までに、安全な場所に到着できます。ルール2にしたがい、ハルカさまのおからだを、無事にお返しすることも重要です】
正しい、と遥は思った。
ノヴァの言うことは、いつも正しい。秒まで正確で、数字はうそをつかない。南の砦へ行けば、ハルカのからだは無事だ。72時間がたてば、遥は自分の世界に帰れる。ハルカも、自分のからだにもどれる。
ただ、そのとき、ハルカがもどってくる世界は、結界の消えた、こわれかけの王都だ。
遥は、ふと、自分の足もとを見た。
何百年も眠っていた大時計が、どうして、今日、目をさましたのだろう。よりによって、遥がこの世界に来た、3日目に。
(……わたしの、せい?)
枝と枝は、二度とまじわらない。蒼汰は、そう言っていた。……ふつうは。
けれど、遥は、まじわってしまった。ほかの枝から、魂ごと、この世界に入りこんだ。もしかしたら、そのとき、この世界の糸のどこかが、ほんの少しだけ、ゆがんだのかもしれない。だれも気づかないくらいの、小さなほつれ。そこから、何百年もかけて編まれてきた世界の成り立ちが、静かにほどけはじめたのだとしたら。
「ノヴァ。……大時計が目をさましたのって、わたしが、ここに来たから?」
ノヴァは、すぐには答えなかった。
【その可能性を否定できるデータは、ありません。……肯定できるデータも、ありません】
正確な答えだった。正確すぎて、どこにも逃げ場がなかった。
もし、そうなら。ハルカの世界をこわしかけているのは、大時計ではなく、自分なのかもしれない。
◇ ◇ ◇
避難の列が、少しずつ動きはじめた。
遥は、列のうしろのほうに並びながら、大講堂のすみに目をやった。
セレスティアが、ひとりで床にすわっていた。
金色の編みこみがほどけかけ、ローブの胸の銀の星が、ななめにかたむいている。彼女は、ひざをかかえて、両手をじっと見つめていた。さっき、試験場で、あんなにあざやかな炎を咲かせた手だった。
遥は、列をはなれて、彼女のそばに行った。
「……行かないの」
セレスティアは、顔をあげなかった。
「わたしの家は、王都の北のはずれにあるの。結界のいちばん外がわ。……父も母も、魔法が使えない。避難の知らせが、ちゃんととどいているかどうか、わからない」
それから、ぽつりと言った。
「首席なんて、何の役にも立たない。教科書どおりの炎は出せても、あんな装置ひとつ、止められない」
遥は、なんと答えればいいのか、わからなかった。
いつもなら、ここで目をそらしていた。人のつらさに、どう返せばいいのかわからなくて、聞かなかったふりをして、その場をはなれていた。
けれど、今は、なぜか、足が動かなかった。
「……わたしも、何の役にも立たないよ。3年かけて、ろうそく一本、つけられないんだから」
セレスティアが、はじめて顔をあげた。目のふちが、赤かった。
「あなた、今日は、変ね」
「よく言われる」
セレスティアは、少しだけ、口のはしをゆるめた。それは、遥がこの世界に来てから見た、彼女のはじめての笑い顔だった。
◇ ◇ ◇
列の最後に、オルドが立っていた。遥がもどってくるのを、待っていたかのように。
「ハルカ」
オルドは、低い声で言った。
「わしは、大時計のことを、少しだけ知っておる。あれは、ありえた世界の糸を読む装置じゃ。何百年も、ただ黙って、糸を数えておった。……それが、目をさました。なぜだと思う」
遥は、試験場の割れ目の中で見た光景を思いだした。何千、何万という糸。そして、音もなく消えていく、何本かの糸。
「……糸が、消えてるから?」
オルドの目が、大きく見ひらかれた。
「見たのか」
「床が割れたとき。光の中で、何本か、ふっと消えた」
オルドは、しばらくだまっていた。それから、自分に言いきかせるように、ゆっくりと言った。
「大時計は、消えていく糸を、つなぎとめようとしておるのかもしれん。だから、まわりじゅうの魔力を吸いこんで、あばれておる。……おぼれる者が、手あたりしだいに、何かにしがみつくようにな」
遥の背中に、冷たいものが走った。
蒼汰の声が、よみがえった。枝が分かれる数が、ここ何年か、へっているんじゃないか。みんなが同じものを選ぶようになると、枝は、だんだん分かれなくなる。
(こっちの世界でも、同じことが、起きてる……?)
【遥さま。避難の列が、出発しました。急いでください】
ノヴァの声が、少しだけ早口になった。
遥は、大講堂の扉を見た。南の砦へ向かう、生徒たちの背中。
それから、足もとの石の床を見た。その下の、ずっと深いところで、大時計が、ゴウン、ゴウンと、苦しそうにうなっていた。




