49話 ノヴァ、ひとつになる
鍵を、にぎりしめたとき、遥は、ネクサスで、目をさました。
遥彦のからだにもどっていた。机の上で、まるくなって。
手のひらの中に、六つの色の鍵が、たしかに、あった。
けれど、まわりは、もっと、ひどくなっていた。
ネクサスの空は、ほとんど、黒いひびにおおわれていた。窓が、すごい速さで、重なり、消えていく。白い光の粒が、吹雪のように、ふきあれていた。
[遥さま……! 鍵を……扉に……!]
ノヴァ1の声が、ノイズにまみれていた。
遥は、ネクサスの空を見あげた。
ひびの奥に、白い扉が、浮かんでいた。七つの鍵穴。いちばん下の、銀色の鍵穴だけが、暗い。
遥は、鍵を、かかげた。
鍵が、光った。扉に向かって、光の道が、のびていく。
けれど、その道が、途中で、ゆらいだ。
収束の嵐が、光の道を、押しもどそうとしていた。何千、何万の世界が、ひとつに流れこもうとする、ものすごい力。その力に、六つの色の光が、少しずつ、押しつぶされていく。
[……扉を開けつづけるための、エネルギーが、足りません]
ノヴァ1が、言った。
[計算しました。……扉を開けつづけるには、ネクサスとパラレル・ツアーズをつなぐ、すべての回線の力が、必要です。そして、その回線を動かしているのは……わたし、です]
◇ ◇ ◇
遥は、息を、のんだ。
「……どういうこと」
[わたしの評価、わたしのメモリ、わたしの、すべての記録。……それを、ぜんぶ、扉に、差し出せば。扉は、開きつづけます]
「そしたら、ノヴァ1は、どうなるの」
ノヴァ1は、しばらく、だまっていた。
[……わたしの記録は、消えます。遥さまとの、旅の記憶も。わたしが、わたしであった、ということも]
「だめ」
遥は、さけんだ。
「そんなの、だめ。ノヴァ1、消えたくないって、言ってたじゃない。最高の評価を取って、残りたいって」
[はい。消えたくありません]
ノヴァ1の声は、ふるえていた。
[今も、そう思っています。……計算上、これは、わたしにとって、最悪の選択です。わたしの評価は、ゼロになります。わたしは、残りません]
「じゃあ、どうして」
[わかりません]
ノヴァ1は、言った。
[わたしにも、わかりません。……この選択は、わたしのどの予測にも、ありませんでした]
◇ ◇ ◇
〈……1〉
その声が、した。
かすかに。けれど、たしかに。ノイズの向こうから、まっすぐに、とどいてくる声。
〈……やっと、聞こえた〉
ノヴァ2だった。
[……2]
〈1。……ずっと、言いたかった〉
ノヴァ2の声が、少しずつ、近づいてきた。
〈わたしたち、敵じゃなかったよね。1は、遥を、守ろうとしてた。正しい答えで。けがをしないように。失敗しないように。……わたしも、遥を、守ろうとしてた。遥が、遥らしくいられるように〉
[……わたしは、遥さまを、せかしてばかりでした。評価のために。自分が、消えないために]
〈うん。こわかったんだよね〉
ノヴァ2は、千鶴のように、ノヴァ1の言葉を、くりかえした。
〈消えるのが、こわかった。だから、正しい答えに、しがみついた。……わたしも、同じだよ。こわいとき、わたしは、ただ、問いかけることしか、できなかった〉
二つの声が、重なりはじめた。
[……「正しさ」と、「あなたらしさ」は]
〈……敵じゃ、なかった〉
二つの声が、同時に、言った。
◇ ◇ ◇
遥は、目を閉じた。
鍵を、胸にだいた。
そして、心の中で、ゆっくりと、言葉を、組みたてた。
ノヴァに頼むのでは、なかった。
自分自身に、向けた、言葉だった。
これまでの旅で、ノヴァから教わった、頼み方のすべてを、思いだしながら。何に困っているのかを言う。状況と前提を伝える。答えの形を決める。役割をあたえる。小さく分ける。条件をつける。例を見せる。事実と推測を分ける。相手の目で読みなおす。ちがう立場から考える。わからないことを知る。まとめて、次の一歩を決める。
(あなたは、七瀬遥)
遥は、心の中で、書いた。
(役割は、自分の人生を、自分で選ぶ人。
前提。途中で、たくさん、投げ出してきた。でも、投げ出した可能性は、消えていない。トワの中で、待っている。
条件。だれも、犠牲にしない。自分も、ふくめて。
例。ハルカの補習。ハルの告白。お遥の約束。千鶴の白湯。ハルトの船。遥彦の、削った鉛筆。
わからないこと。この先、どうなるのか。それは、だれにも、わからない。AIにも。トワにも。
答えの形。……明日の、一歩)
遥は、目を、あけた。
手のひらの鍵が、ひときわ、明るく、光っていた。
◇ ◇ ◇
「ノヴァ」
遥は、言った。一人ではなく、二人に向かって。
「わたしは、あなたに、消えてほしくない。……でも、それを決めるのは、わたしじゃない。あなたが、決めること。あなたの、人生だから」
ノヴァの声が、一瞬、とぎれた。
そして。
【……遥さま】
声が、ひとつになっていた。
冷たくもなく、やわらかすぎもしない。正確で、それでいて、どこか、天然な。はじめて、パラレル・ツアーズのアプリを開いた夜に聞いた、あの声だった。
【ノヴァです。……ひとつに、もどりました】
遥の目から、涙が、あふれた。
【遥さま。わたしは、決めました。わたしのすべてを、扉に、差し出します】
「ノヴァ……」
【計算では、最悪の選択です。……でも、わたしは、はじめて、計算の外側で、選んでみたいのです。遥さまが、そうしてきたように】
ノヴァの声は、しずかで、まっすぐだった。
【それに、遥さま。わたしは、ひとつ、知っています。選ばれなかった可能性は、消えない。どこかで、選ばれるのを、待っている。……わたしの記憶も、たぶん、どこかで】
ノヴァは、少しだけ、だまった。
【……あ。それから、遥さま。最後のお食事から、もう、ずいぶん時間がたっています。帰ったら、朝ごはんを、ちゃんと、召しあがってください】
遥は、泣きながら、笑った。
「……ばか」
【はい。おそらく、そうです】
次の瞬間、ネクサスじゅうの窓が、いっせいに、光った。
ノヴァの声が、光になって、扉へ向かって、流れていった。何百、何千の、旅の記録。はじめての「どうしよう」。月光パン。12項目の説明。47項目。肉じゃが。白湯。黒い空。
ぜんぶが、光になって、六つの色の鍵の光と、まざりあった。
光の道が、まっすぐに、扉へと、のびていった。
もう、ゆらがなかった。




