48話 六人の私
遥は、遥彦の机の上に、横になった。
目を、閉じた。
ネクサスのうなり声が、遠くなる。窓のふるえる音が、遠くなる。
かわりに、しずかな、白い廊下が、浮かびあがった。
白い壁。白い床。はだしの足のうらに、ひんやりとした、冷たさ。
その先に、白い扉。
七つの鍵穴。真鍮。うろこの銀。羽根の銅。黒い木。さびた鉄。白い金属。六つが、それぞれの色で、光っている。いちばん下の、飾りのない銀色のプレートだけが、まだ、暗い。
遥は、扉の前に、立った。
いつのまにか、自分のからだにもどっていた。19歳の、遥のからだ。短い髪。細い肩。
遥は、右の耳たぶを、親指と人さし指で、つまんだ。
「……だれか、いる?」
◇ ◇ ◇
足音が、した。
ふり向くと、廊下の向こうから、ひとりの女の子が、歩いてきた。
紺色のローブ。こしまである、栗色の長い髪。くいっ、くいっと、右の耳たぶを、引っぱっている。
ハルカ・リーヴェルだった。
「……あなたが、遥?」
ハルカは、遥の顔を見て、ふっと、笑った。
「はじめまして。……ううん、はじめましてじゃ、ないか。あなた、わたしのからだで、杖の先に、炎をともしてくれたんでしょ」
ハルカの手のひらの上に、小さな炎が、ぽっと、ともった。
「あれから、わたし、魔法が、使えるようになったの。教科書どおりじゃない、わたしの魔法陣で」
その横に、もうひとり。銀の胸当て。背の高い女の人。親指の腹で、耳たぶの下を、ぐっと押している。
ハル・ヴァルトだった。
「よう、遥。わたしのせいで、コンビニを、勝手にやめさせちまって、悪かったな」
ハルは、にやりと笑った。それから、少しだけ、照れたように、目をそらした。
「……わたし、言ったぞ。イリスに。本当の名前で、呼んでほしいって」
遥は、息をのんだ。
「それで……?」
ハルは、答えなかった。ただ、ほおを、少しだけ赤くして、肩をすくめた。
「それは、わたしとイリスの、ひみつだ」
遥は、思わず、笑った。
ハルのうしろに、着物すがたの、ふくよかな女の人。指先で、とん、とん、と、耳たぶを、たたいている。
お遥だった。
「遥さん。小太郎が、毎日、あなたのことを、話していますよ。『あのときのかかさまは、すごかった』って。……わたしも、帰ってから、ちゃんと、泣きましたよ」
お遥のうしろから、ゆっくりと、杖をついた、白髪のおばあさんが、歩いてきた。手のひらで、耳たぶを、つつみこむように、なでている。
七瀬ハルだった。
「遥。……千鶴を、看取ってくれて、ありがとう」
七瀬ハルの目は、うるんでいた。けれど、しずかだった。
「あたしは、あの子の最期に、間に合わなかった。でも、あんたが、あたしのからだで、あの子の手を、にぎっていてくれた。……あんたの手の、ぬくもりは、あたしの手の、ぬくもりだよ」
遥の目から、涙が、こぼれた。
そして、最後に、背の高い青年が、歩いてきた。人さし指の先で、耳たぶのふちを、そっと、なぞっている。
ハルト・ナナセだった。
「……遥。おれの船で、泣いてくれて、ありがとな」
ハルトは、照れくさそうに、頭をかいた。
「おれ、帰ってから、はじめて、会議で、人の話を最初に聞いたよ。タンガのやつ、目を丸くしてた」
◇ ◇ ◇
五人の、もう一人の遥が、扉の前に、ならんでいた。
そして、もうひとり。
廊下のいちばん奥から、白い光の中を、ゆっくりと、歩いてくる人影があった。
55歳の、男の人。少し、背中がまがっている。けれど、その足どりは、前よりも、ずっと、軽かった。
遥彦だった。
遥彦は、右の耳たぶを、つまんでいた。つまんだまま、はなさずに。けれど、遥の前に来ると、その指を、ゆっくりと、はなした。
「……はなしても、だいじょうぶな気がしてね」
遥彦は、ほほえんだ。
「削ってもらったから」
◇ ◇ ◇
六人の、もう一人の遥と、遥。
七人が、白い扉の前に、ならんだ。
七人とも、同じ顔をしていた。けれど、七人とも、まるでちがう人生を、生きていた。
「……わたしの、扉」
遥は、扉を、見あげた。
「みんな、この扉の夢を、見てたんだよね」
六人が、うなずいた。
ハルカが、言った。
「わたしの世界の言い伝えでは、選ばれなかった道は、空の星になる。……この扉の向こうには、たぶん、わたしたちの、選ばれなかった道が、ぜんぶ、あるんだと思う」
ハルカが、手のひらを扉にあてた。若葉の色の光が、しみこんでいく。
「わたしは、どうせむりって言いながら、3年間、補習に、通いつづけた。……それが、わたしの、鍵」
ハルが、手のひらを、扉にあてた。
「わたしは、着地点を見て、飛んだ。……隠れるのを、やめた。それが、わたしの、鍵だ」
お遥が。
「わたしは、小さな約束を、何年も、ためてきました。……だれも、犠牲にしないために」
七瀬ハルが。
「あたしは、聞いた。50年、千鶴の話を。……それが、あたしの、鍵さ」
ハルトが。
「おれは、ちがうやつらと、重なった。……1+1を、3にした」
遥彦が。
「ぼくは、止まった。……そして、削った。もう一度、細い線が引けるように」
六人の手のひらから、六つの色の光が、扉に、流れこんでいった。
若葉の色。うろこの銀。羽根のあかがね。いろりの火の色。白湯の湯気の白。春の日なたの色。
六つの光が、扉の上で、うずを巻き、まざりあい、ひとつの形に、なっていく。
鍵の、形だった。
六つの色が、より合わさった、ひとつの鍵。
鍵が、ゆっくりと、遥の手のひらの上に、おりてきた。
あたたかかった。
六人の、六つの人生の、ぬくもりだった。




