47話 収束の嵐
ネクサスの空が、割れていた。
黒いひびが、白い光の空を、くもの巣のようにおおっていく。
ネクサスには、風など、ふいたことがなかった。そのひびの奥から、今、つめたい風がふきおろしてくる。においも、温度もない。ただ、何かを根こそぎすいこんでいくような風だった。遥彦のうすくなった髪がゆれ、ほおの皮膚が、ぴりぴりとこわばった。
耳の奥で、ノイズが、ざらざらと鳴りつづけていた。
窓が、動いていた。
何千、何万の窓が、ひびに向かってすいよせられていく。となりあう窓がふれあい、にじみ、ひとつになる。重なるたびに、どちらかの世界が、白い光になって消えていく。
「……やめて」
遥は、窓のあいだを、走った。55歳の、遥彦のからだで。ひざが、きしむ。息が、切れる。
魔法学校の窓が、ゆれていた。
広間の高い天井が、となりの見知らぬ灰色の街の窓と重なり、少しずつ、灰色にとけていく。竜の巣のある峰が、白くかすむ。龍の口の泉がゆらぎ、マザーの青い光の輪がまたたき、〈アストレイア〉の白い輪が、ふるえている。
遥が旅をしてきた、すべての世界が、ふるえていた。
[遥さま。……収束の速度が、急激に、上がっています]
ノヴァ1の声が、ノイズまじりに、ひびいた。
[このままでは、およそ……計算、できません。速すぎて]
〈……は……る……か……〉
ノヴァ2の声が、まだ、遠かった。
遥は、魔法学校の窓に、顔を近づけた。
石造りの広間のまんなかで、白いひげの老人が、天井を見あげていた。オルドだった。オルドは、灰色にとけていく天井に向かって、ねじれた杖を、まっすぐに、かかげていた。
その横で、金色の編みこみの少女が、炎の壁を立てていた。セレスティアだった。
竜の窓では、赤い竜と、銀色の竜が、ならんで、ひびの入った空へ、舞いあがっていくのが見えた。赤い竜の背の、短い黒髪の騎士が、銀色の竜の背の騎士に、何かをさけんでいた。
山里の窓では、小さな男の子が、赤ん坊を背負って、竹の棒をにぎりしめ、村の門の前に立っていた。
地下の窓では、天井の青い光の輪が、ちらちらとまたたきながら、何かを、くりかえしていた。……わたしにも、わからない。どうか、いっしょに、決めてください。その画面の前で、背の高い青年と、少女が、手をつないで、立っていた。
結晶の窓では、シグナのからだの真ん中の、いびつな結晶だけが、ひときわ明るく、光りつづけていた。
みんな、まだ、あきらめていなかった。
遥の胸の奥で、いつもの声が、ささやいた。
(……やっぱり、わたしのせい? わたしが、あちこちの世界に、行ったから)
遥は、首をふった。
遥彦の言葉を、思いだした。こわれかけていたところに、きみが、呼ばれたんだ。
(ちがう。わたしのせいじゃない。……でも、わたしに、できることは、きっと、ある)
◇ ◇ ◇
遥は、病院の窓の前に、かけもどった。
窓の中で、遥彦が、ベッドの上に、からだを起こしていた。そのそばで、京子が、まだ、眠っていた。
「遥彦さん。……どうすれば、いいの」
遥彦は、青ざめた顔で、ネクサスの空を見あげていた。
『調停者の仕事は、選ぶ人を、ひとり、背中から押すことだ。……でも、この嵐は、ひとりを押して止められる大きさじゃない。すべての世界の、すべての人が、いっぺんに、同じほうへ、流されている』
遥彦は、くちびるをかんだ。
『止めるには、それと同じくらい、大きな「選択」が、いる。……すべての世界に、いっぺんに、枝分かれを生むような』
「そんなの、どうやって……」
遥は、言葉を、失った。
足もとが、ゆれた。
すぐそばの窓が、ふたつ重なって、ひとつ消えた。白い光の粒が、雪のように、ほおにふりかかる。冷たくも、あたたかくもない。ただ、何かがなくなった、という感じだけが残った。
[……遥さま。夢の、扉は]
ノヴァ1が、言った。
[遥さまが、毎年、7月4日の夜に見る、白い扉。……あの扉は、すべての世界の遥さまが、同じように見ていました。ハルカさまも、ハルさまも、お遥さまも、七瀬ハルさまも、ハルトさまも。……マザーも、シグナさまも]
遥は、はっとした。
白い扉。七つの鍵穴。
あの扉は、すべての世界を、つないでいるのだ。
遥は、ネクサスの空を、見あげた。
黒いひびのすきまに、一瞬だけ、白い扉の形が、浮かんだ気がした。
七つの鍵穴のうち、六つが、それぞれの色で、光っていた。
「……みんなを、呼ぶ」
遥は、言った。
「あの扉の前に。……もう一人の、わたしたちを」




