44話 トワの正体〈残り不明〉
遥は、窓の前を、歩きつづけていた。
さがしていた。自分の、世界を。
何千、何万の窓。どれも、少しずつ、ちがう世界。専門学校をやめなかった遥がいる世界も、どこかにあるのだろうか。父が、まだ生きている世界も。
[遥さま。……ひとつ、強い反応があります。右上、3番目の窓です]
ノヴァ1の声に、遥は、顔をあげた。
その窓には、白い部屋が、映っていた。
病院の、部屋だった。
白いベッド。点滴のスタンド。窓のカーテンが、少しだけ、風にゆれている。
ベッドの上に、ひとりの女の子が、横になっていた。
短い髪。目を、閉じている。
遥だった。
遥の、からだだった。
そして、ベッドのそばのいすに、母が、すわっていた。
母は、遥の手を、両手でにぎりしめて、うつむいていた。肩が、小さく、ふるえていた。
「……お母さん」
遥は、窓に、手をのばした。
指先が、窓の表面にふれたとたん、窓が、水面のように、ゆらりと、ゆれた。
ベッドの上の女の子の目が、ゆっくりと、ひらいた。
◇ ◇ ◇
女の子は、母に気づかれないように、そっと、窓のほうを――遥のほうを、見た。
遥の目。けれど、そのまなざしは、遥のものではなかった。おだやかで、深くて、少し、つかれていた。
『……やあ』
声が、窓ごしに、ひびいた。遥の声だった。けれど、話し方が、ちがった。ゆっくりで、少しだけ、照れたような。
『きみが、遥さんだね。ぼくは、七瀬遥彦。きみのからだを、お借りしている』
遥は、言葉が出なかった。
その話し方。少し首をかしげて、相手の顔を、のぞきこむような、その目。
父に、似ていた。
『ネクサスの窓は、魂のつながった相手となら、こうして、話ができるんだ。……きみに、話さなければいけないことが、たくさんある』
◇ ◇ ◇
『トワ、という名前を、知っているね』
遥は、うなずいた。
『トワは、人じゃない。どこかの世界に住んでいる、だれかでもない。……トワは、「選ばれなかった可能性」が、集まってできた存在なんだ』
「選ばれなかった、可能性……?」
『そう。人が、何かを選ぶたびに、選ばれなかったほうの道が、生まれる。ふつう、その道は、べつの枝として、どこかの世界で、つづいていく。けれど、枝にさえならずに、消えてしまう「もしも」も、たくさんある。……トワは、そういう、消えかけた「もしも」たちが、より集まって、ひとつの声になったものなんだ』
遥彦は、少しだけ、だまった。
『トワ。永遠、という意味の名前だね。選ばれなかった可能性は、消えない。どこかで、だれかに選ばれるのを、待っている。……トワは、自分で、そう名のったんだと思う』
◇ ◇ ◇
『そして、パラレル・ツアーズを作ったのは、トワなんだ』
遥は、息をのんだ。
『今、すべての世界で、同じことが起きている。人々《ひとびと》が、自分で選ぶことを、やめはじめた。AIに、正しい答えを聞いて、そのとおりにする。みんなが、同じ答えを選ぶ。……そうすると、世界は、枝分かれをやめる。そして、少しずつ、ひとつに、重なっていく』
「……収束」
『そう。収束が終わると、並行宇宙は、ひとつになる。ほかの世界の、ほかのきみたちは、消える。そして、選ばれなかった可能性の集まりである、トワも、消える』
遥彦は、窓の中から、遥を、まっすぐに見た。
『トワは、それを止めるために、きみを呼んだんだ』
「どうして、わたしなの」
遥の声が、ふるえた。
「わたしなんか、何でも、途中でやめてきた。ピアノも、部活も、専門学校も。……いちばん、何もえらばなかった人間なのに」
『だから、だよ』
遥彦の声は、やさしかった。
『きみは、いちばん多くの可能性を、途中で、投げ出してきた。ピアノを続けたきみ。部活を続けたきみ。専門学校に通いつづけたきみ。……そのぜんぶが、選ばれなかった可能性として、トワの中にいる。きみは、どの世界のだれよりも、たくさんの「トワ」と、つながっているんだ』
遥は、言葉を、失った。
途中でやめる、天才。
それは、ずっと、遥のいちばんの、はずかしい部分だった。
『だから、きみが、自分で、何かを選びなおすとき。いちばん大きな、枝分かれが、生まれる。……トワは、それに、かけたんだよ』
◇ ◇ ◇
「じゃあ……」
遥は、ずっと、胸の奥にあった問いを、口にした。
「魔法の国の大時計が目をさましたのも、竜の卵がかえらなかったのも、シグナが消えかけてたのも。……わたしが、行ったから、こわれたんじゃ、ないの?」
遥彦は、ゆっくりと、首をふった。
『逆だよ。トワは、消えかけている枝を、選んで、きみを、送っていたんだ。きみが行ったから、こわれたんじゃない。こわれかけていたところに、きみが、呼ばれたんだ』
遥の目から、涙が、こぼれた。
ずっと、こわかった。わたしが、世界をこわしているのではないかと。
『大時計は、眠った。竜の卵には、ひびが入った。泉の水を分けあう村が生まれた。マザーが、わからないと、言った。シグナに、新しい結晶が、はまった。……きみが行った枝は、どれも、また、分かれはじめているんだ』
[……遥さま]
ノヴァ1の声が、した。
[ひとつ、わかったことがあります。……わたしが、二つに分かれた理由です]
『ああ』
遥彦が、うなずいた。
『きみのAIは、遥さんとの旅のなかで、はじめて、「正しい答え」とはちがう道を、選ぼうとしたんだ。正しさを守ろうとする自分と、遥さんがどう生きたいかを聞こうとする自分。……AIが、はじめて、枝分かれした。それは、不具合なんかじゃない。収束していく世界の中で、いちばん小さくて、いちばん大きな、希望だったんだよ』
ノヴァ1は、何も言わなかった。
けれど、遥には、耳の奥で、何かが、かすかに、ふるえるのが、わかった。




