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パラレル・トラベラー ”72時間だけ、もう一人の異世界のわたし”  作者: Hamin
第9章 男として生きる72時間

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38話 未知の惑星〈残り30時間〉

 3日目の朝。


〈アストレイア〉は、氷の衛星の軌道《きどう》を、ゆっくりと、まわっていた。


 遥《はるか》が、ゆうべ、四つの円を重ねてつくった航路だった。


 ブリーフィングルームで、遥は、その航路を、みんなに見せた。岩のかけらを避《さ》ける、ななめの軌道。燃料の氷をとる場所。乗員が交代で休む時間。リーフが電波を調べる、観測の窓。


 はじめ、タンガは、うたがわしそうに、腕《うで》を組んでいた。


「岩のかけらをよけて、ななめに入るのか。……遠まわりだな。そのぶん、燃料を食うぞ」


「食います。でも、氷の衛星で補給する氷の量を、タンガさんの燃料計算書に合わせました。遠まわりのぶんを入れても、補給のあとは、今より1割多く残ります」


 タンガの眉《まゆ》が、ぴくりと動いた。


「……おれの計算書、読んだのか」


「タンガさんが、ずっと、燃料のことを心配してたから。……ちがいますか」


 タンガは、目をぱちくりさせた。それから、太い腕をほどいて、がははと笑った。


「ちがわねえ。……ハルト、おまえ、いつのまに、人の話を聞くようになった」


 リーフの首すじの肌《はだ》が、うすい桃色《ももいろ》に変わった。


「わたしの観測の窓まで、入れてくれたのね。……うれしい」


 ヴェガが、目を閉じたまま、ゆっくりと、うなずいた。


「乗員の休息の時間も、ちゃんとある。……医者として、反対する理由は、ない」


 艦長《かんちょう》が、テーブルの奥《おく》で、大きな目を細めて、笑っていた。


 会議は、多数決では、終わらなかった。


 全員が、その航路に、うなずいた。


[……遥さま。ハルトさまの意見が、はじめて、採用されました]


 ノヴァ1の声が、少しだけ、ふるえていた。


[乗員の満足度も、上がっています。このままいけば、評価は――]


〈1。……今、それ、言わなくていいよ〉


[……失礼しました]


◇ ◇ ◇


 昼食の時間。食堂の長いカウンターで、遥は、トレーの上のスープを、ぼんやりと見つめていた。


 合成たんぱくのスープは、少しだけ、しょっぱかった。湯気の向こうで、タンガとリーフが、さっきの航路のことを、楽しそうに話している。


 となりに、ヴェガが、すわった。


 目を閉じたまま、ヴェガは、しばらく、遥のほうに、顔を向けていた。


「ハルト」


「……はい」


「きみの胸のあたりが、ずっと、冷たい。きのうから、ずっとだ」


 遥は、スプーンを止めた。


 ヴェガは、目ではなく、熱で、まわりを見る。


「何か、悲しいことが、あったのか」


 遥は、答えられなかった。


 千鶴《ちづる》の手のぬくもり。長い、一本の機械の音。まだ、たった数日前のことだった。


「……大事な人が、亡くなったんです」


 声が、ふるえた。ハルトの、低い声が。


「でも、おれ……パイロットだから。だいじょうぶじゃなきゃ、いけないから」


 ヴェガは、しばらく、だまっていた。


 それから、ゆっくりと、言った。


「この船の規則を、全部、知っているかね。287条ある。……その中に、男が泣いてはいけない、という規則は、一つもない」


 遥の目から、涙《なみだ》が、ぽろりと、こぼれた。


 スープの中に、落ちた。


 ヴェガは、何も言わずに、遥の背中に、そっと、手を置いた。ひんやりとした、大きな手だった。けれど、その手のひらの下で、遥の胸の、冷たかった場所が、少しずつ、あたたかくなっていくのがわかった。


 ハルトのからだが、泣いていた。たぶん、ずっと、泣きたかったのだ。


◇ ◇ ◇


 その日の午後、リーフが、観測の窓で、それを見つけた。


「艦長! 電波じゃない。……光よ!」


 ブリッジの、大きな画面に、映像が映しだされた。


 氷の衛星の、さらに向こう。星図にない、小さな、青白い惑星《わくせい》があった。


 その惑星の表面から、光が、明滅《めいめつ》していた。


 ちか、ちか、ちか。……ちか。ちか、ちか。


 規則正しいようで、少しずつ、ちがう。まるで、何かを、話しかけているように。


「カタログにない惑星だ……」


 ヴェガが、つぶやいた。


 遥の背すじに、つめたいものが走った。


 カタログにない。


 五つの旅のルールの、ルール5。カタログにない並行宇宙が存在する。そこには、立ち入らないこと。


 いや、ちがう。これは、並行宇宙ではない。この世界の中の、カタログにない、星だ。


[未知の惑星を、分析《ぶんせき》します]


 ノヴァ1の声が、急に、早口になった。


[大気の組成、不明。地表の温度、不明。光の信号の意味、不明。……危険度、94%と推定されます。ただちに、この宙域から、はなれることを推奨《すいしょう》します]


 ブリッジの乗員たちも、同じことを考えていた。


「近づくべきじゃない」


 タンガが言った。


「わけのわからないものには、さわらないのが、宇宙の鉄則だ」


 ヴェガも、うなずいた。


 けれど、リーフだけは、画面の光を、じっと見つめていた。首すじの肌の色が、ゆっくりと、変わっていく。うすい青から、灰色へ。灰色から、くすんだ、むらさきへ。


「……この光、悲しんでる」


 リーフが、ささやいた。


「わたしには、わかるの。この光は、助けを、もとめてる」


◇ ◇ ◇


[遥さま]


 ノヴァ1が、低い声で言った。


[この旅行で、最高の評価を取るには、乗員の安全を守り、予定どおりに任務を終えることが、もっとも確実です。未知の惑星への接近は、評価を下げる危険が、高すぎます]


 遥は、画面の光を見つめていた。


 ちか、ちか、ちか。……ちか。


[遥さま。……お願いです。この旅行だけは、わたしのプランどおりに]


 ノヴァ1の声が、ふるえていた。


〈……1〉


 ノヴァ2が、静かに、言った。


〈遥は、どうしたい?〉


 遥は、すぐには、答えが出なかった。


 ノヴァ1を、消したくない。けれど、あの光を、見すてることも、できない気がした。


 そのとき、ブリッジの画面が、ふっと、白く、光った。


 惑星からの光が、急に、強くなったのだ。


 ゴウン、と、船体が、大きくふるえた。


 船の輪の回転が、ゆっくりと、落ちていく。からだが、少しずつ、軽くなる。


 次に、足のうらから、床《ゆか》の感触《かんしょく》が、消えた。


 からだが、ふわりと、浮《う》きあがった。


「重力が、ぬけていく!」


 タンガのさけび声が、ひびいた。輪の回転が、ゆっくりと、止まった。


 艦長のコーヒーのカップから、茶色いしずくが、まるい玉になって、ゆらゆらと、宙にのぼっていった。タンガの工具が、くるくると回りながら、目の前をただよっていく。遥の短い髪《かみ》が、ふわりと、さかだった。胃のあたりが、すうっと、持ちあげられる。上も下も、わからなくなる。


 遥は、操縦席のベルトに、片手でしがみついた。もう片方の手で、浮きあがりかけたリーフの腕を、つかんだ。


[回転系統に、外部からの干渉《かんしょう》。……再起動します]


 ノヴァ1の声がひびいて、長い1分ののち。ゴウン、と、ふたたび低い音がして、輪が、少しずつ、回りはじめた。


 重さが、じわじわと、もどってきた。浮いていたものが、ゆっくりと、床へおりていく。コーヒーの玉が、床にふれて、ぱしゃりと、はじけた。


 まぶしさに、目を細める。光が、画面いっぱいに、ひろがり、やがて、ひとつの形を、えがきはじめた。


 遥は、息を、のんだ。


 長方形の、白い枠《わく》。


 その中に、たてにならぶ、七つの、小さな丸。


 白い扉《とびら》と、七つの鍵穴《かぎあな》。


 遥が、毎年、7月4日の夜に、夢で見る、あの扉の紋章《もんしょう》だった。


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