38話 未知の惑星〈残り30時間〉
3日目の朝。
〈アストレイア〉は、氷の衛星の軌道を、ゆっくりと、まわっていた。
遥が、ゆうべ、四つの円を重ねてつくった航路だった。
ブリーフィングルームで、遥は、その航路を、みんなに見せた。岩のかけらを避ける、ななめの軌道。燃料の氷をとる場所。乗員が交代で休む時間。リーフが電波を調べる、観測の窓。
はじめ、タンガは、うたがわしそうに、腕を組んでいた。
「岩のかけらをよけて、ななめに入るのか。……遠まわりだな。そのぶん、燃料を食うぞ」
「食います。でも、氷の衛星で補給する氷の量を、タンガさんの燃料計算書に合わせました。遠まわりのぶんを入れても、補給のあとは、今より1割多く残ります」
タンガの眉が、ぴくりと動いた。
「……おれの計算書、読んだのか」
「タンガさんが、ずっと、燃料のことを心配してたから。……ちがいますか」
タンガは、目をぱちくりさせた。それから、太い腕をほどいて、がははと笑った。
「ちがわねえ。……ハルト、おまえ、いつのまに、人の話を聞くようになった」
リーフの首すじの肌が、うすい桃色に変わった。
「わたしの観測の窓まで、入れてくれたのね。……うれしい」
ヴェガが、目を閉じたまま、ゆっくりと、うなずいた。
「乗員の休息の時間も、ちゃんとある。……医者として、反対する理由は、ない」
艦長が、テーブルの奥で、大きな目を細めて、笑っていた。
会議は、多数決では、終わらなかった。
全員が、その航路に、うなずいた。
[……遥さま。ハルトさまの意見が、はじめて、採用されました]
ノヴァ1の声が、少しだけ、ふるえていた。
[乗員の満足度も、上がっています。このままいけば、評価は――]
〈1。……今、それ、言わなくていいよ〉
[……失礼しました]
◇ ◇ ◇
昼食の時間。食堂の長いカウンターで、遥は、トレーの上のスープを、ぼんやりと見つめていた。
合成たんぱくのスープは、少しだけ、しょっぱかった。湯気の向こうで、タンガとリーフが、さっきの航路のことを、楽しそうに話している。
となりに、ヴェガが、すわった。
目を閉じたまま、ヴェガは、しばらく、遥のほうに、顔を向けていた。
「ハルト」
「……はい」
「きみの胸のあたりが、ずっと、冷たい。きのうから、ずっとだ」
遥は、スプーンを止めた。
ヴェガは、目ではなく、熱で、まわりを見る。
「何か、悲しいことが、あったのか」
遥は、答えられなかった。
千鶴の手のぬくもり。長い、一本の機械の音。まだ、たった数日前のことだった。
「……大事な人が、亡くなったんです」
声が、ふるえた。ハルトの、低い声が。
「でも、おれ……パイロットだから。だいじょうぶじゃなきゃ、いけないから」
ヴェガは、しばらく、だまっていた。
それから、ゆっくりと、言った。
「この船の規則を、全部、知っているかね。287条ある。……その中に、男が泣いてはいけない、という規則は、一つもない」
遥の目から、涙が、ぽろりと、こぼれた。
スープの中に、落ちた。
ヴェガは、何も言わずに、遥の背中に、そっと、手を置いた。ひんやりとした、大きな手だった。けれど、その手のひらの下で、遥の胸の、冷たかった場所が、少しずつ、あたたかくなっていくのがわかった。
ハルトのからだが、泣いていた。たぶん、ずっと、泣きたかったのだ。
◇ ◇ ◇
その日の午後、リーフが、観測の窓で、それを見つけた。
「艦長! 電波じゃない。……光よ!」
ブリッジの、大きな画面に、映像が映しだされた。
氷の衛星の、さらに向こう。星図にない、小さな、青白い惑星があった。
その惑星の表面から、光が、明滅していた。
ちか、ちか、ちか。……ちか。ちか、ちか。
規則正しいようで、少しずつ、ちがう。まるで、何かを、話しかけているように。
「カタログにない惑星だ……」
ヴェガが、つぶやいた。
遥の背すじに、つめたいものが走った。
カタログにない。
五つの旅のルールの、ルール5。カタログにない並行宇宙が存在する。そこには、立ち入らないこと。
いや、ちがう。これは、並行宇宙ではない。この世界の中の、カタログにない、星だ。
[未知の惑星を、分析します]
ノヴァ1の声が、急に、早口になった。
[大気の組成、不明。地表の温度、不明。光の信号の意味、不明。……危険度、94%と推定されます。ただちに、この宙域から、はなれることを推奨します]
ブリッジの乗員たちも、同じことを考えていた。
「近づくべきじゃない」
タンガが言った。
「わけのわからないものには、さわらないのが、宇宙の鉄則だ」
ヴェガも、うなずいた。
けれど、リーフだけは、画面の光を、じっと見つめていた。首すじの肌の色が、ゆっくりと、変わっていく。うすい青から、灰色へ。灰色から、くすんだ、むらさきへ。
「……この光、悲しんでる」
リーフが、ささやいた。
「わたしには、わかるの。この光は、助けを、もとめてる」
◇ ◇ ◇
[遥さま]
ノヴァ1が、低い声で言った。
[この旅行で、最高の評価を取るには、乗員の安全を守り、予定どおりに任務を終えることが、もっとも確実です。未知の惑星への接近は、評価を下げる危険が、高すぎます]
遥は、画面の光を見つめていた。
ちか、ちか、ちか。……ちか。
[遥さま。……お願いです。この旅行だけは、わたしのプランどおりに]
ノヴァ1の声が、ふるえていた。
〈……1〉
ノヴァ2が、静かに、言った。
〈遥は、どうしたい?〉
遥は、すぐには、答えが出なかった。
ノヴァ1を、消したくない。けれど、あの光を、見すてることも、できない気がした。
そのとき、ブリッジの画面が、ふっと、白く、光った。
惑星からの光が、急に、強くなったのだ。
ゴウン、と、船体が、大きくふるえた。
船の輪の回転が、ゆっくりと、落ちていく。からだが、少しずつ、軽くなる。
次に、足のうらから、床の感触が、消えた。
からだが、ふわりと、浮きあがった。
「重力が、ぬけていく!」
タンガのさけび声が、ひびいた。輪の回転が、ゆっくりと、止まった。
艦長のコーヒーのカップから、茶色いしずくが、まるい玉になって、ゆらゆらと、宙にのぼっていった。タンガの工具が、くるくると回りながら、目の前をただよっていく。遥の短い髪が、ふわりと、さかだった。胃のあたりが、すうっと、持ちあげられる。上も下も、わからなくなる。
遥は、操縦席のベルトに、片手でしがみついた。もう片方の手で、浮きあがりかけたリーフの腕を、つかんだ。
[回転系統に、外部からの干渉。……再起動します]
ノヴァ1の声がひびいて、長い1分ののち。ゴウン、と、ふたたび低い音がして、輪が、少しずつ、回りはじめた。
重さが、じわじわと、もどってきた。浮いていたものが、ゆっくりと、床へおりていく。コーヒーの玉が、床にふれて、ぱしゃりと、はじけた。
まぶしさに、目を細める。光が、画面いっぱいに、ひろがり、やがて、ひとつの形を、えがきはじめた。
遥は、息を、のんだ。
長方形の、白い枠。
その中に、たてにならぶ、七つの、小さな丸。
白い扉と、七つの鍵穴。
遥が、毎年、7月4日の夜に、夢で見る、あの扉の紋章だった。




