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パラレル・トラベラー ”72時間だけ、もう一人の異世界のわたし”  作者: Hamin
第9章 男として生きる72時間

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35話 はじめての、男のからだ〈残り72時間〉

 最初に気づいたのは、声だった。


「……ここ、どこ」


 自分の口から出た声が、低かった。


 のどの奥《おく》で、ごろりと鳴るような声。遥《はるか》の声より、ずっと深くて、重い。自分がしゃべったのに、となりにだれかがいるような気がして、遥は、思わず、口をおさえた。


 その手が、大きかった。


[おはようございます。旅行1日目、午前7時00分01秒。魂《たましい》の交換《こうかん》は、正常に完了《かんりょう》しました]


〈おはよう、遥。……びっくりしたね〉


[現在地は、第5世界、宇宙文明。恒星間探査船《こうせいかんたんさせん》〈アストレイア〉、乗員区画、第3居室。交換相手《こうかんあいて》は、ハルト・ナナセさま、19歳《さい》、男性。この船の、パイロットです]


 遥は、ベッドから、からだを起こした。


 天井が、近かった。


 いや、ちがう。天井が近いのではない。目の位置が、高いのだ。ベッドにすわっているだけなのに、いつもより、ずっと上から、部屋を見おろしている気がした。


 立ちあがると、頭が、天井の照明に、ごつんとぶつかった。


「いった……」


 低い声が、また、自分の口から出た。


 それから、もうひとつ、気づいたことがあった。


 下半身に、なじみのない、違和感《いわかん》があった。からだの一部が、自分の知らない形で、こわばっている。


 遥は、おそるおそる、目をやって、すぐに、そらした。顔が、かっと熱くなった。


[ご安心ください。健康な男性のからだに、朝、よく起こる、自然な現象です。眠《ねむ》っているあいだのからだのしくみによるもので、気持ちとは、関係ありません]


 ノヴァ1が、規約のページと行を読みあげるときと同じ、正確な声で言った。


〈……1。今は、説明しないで、そっとしておいてあげて〉


[……失礼しました]


 遥は、だれにも見られていないのに、両手で顔をおおった。自分のからだなのに、知らない人のからだを、のぞいてしまったような気がした。


 部屋のすみの、小さなトイレに入った。用をすませるころには、そのこわばりは、何ごともなかったように、しずかに、おさまっていた。


(……男の人って、毎朝、こうなの?)


 だれにも聞けない質問を、遥は、心の中にしまった。


◇ ◇ ◇


 洗面台の鏡に、青年が映っていた。


 短く刈《か》った黒い髪《かみ》。日に焼けた、ほおの線。あごに、ざらりとした、ひげのそりあと。肩《かた》が、はばひろく、Tシャツの胸が、少しきつそうだった。


 けれど、目は、遥の目だった。


 まゆの形も、鼻すじも、口のはしの小さなほくろも。同じ顔の、男の人だった。


 遥は、鏡の中の青年を、長いあいだ、見つめていた。


 知らない人のようで、いちばんよく知っている人のようでもあった。


 ふと、右手が、耳もとにのびた。人さし指の先で、耳たぶのふちを、上から下へ、そっと、なぞる。


(……これが、ハルトのくせ)


 つまむのでも、引っぱるのでも、押《お》すのでもない。なぞる。たしかめるように。


 その手の大きさに、また、どきりとした。


[遥さま。ご報告があります]


 ノヴァ1の声が、いつもより、かたかった。


[この旅行の終了《しゅうりょう》時に、わたしの削除《さくじょ》が、実行されます。審査《しんさ》をやりなおすには、この旅行で、最高の評価を、取る必要があります。……最短で、課題を攻略《こうりゃく》しましょう。プランは、すでに作成してあります]


〈1。……遥は、まだ、目がさめたばっかりだよ〉


[時間は、72時間しかありません]


 ノヴァ1の声には、あせりがあった。


 遥は、鏡の中の、男の自分を見た。


(……わかってる)


 千鶴《ちづる》の手のぬくもりが、まだ、手のひらに残っている気がした。この大きな手の、どこにも、残っているはずがないのに。


◇ ◇ ◇


〈アストレイア〉の通路は、まるく、白かった。船体のこの部分は、大きな輪の形をしていて、ゆっくりと回転している。その回る力が、からだを床《ゆか》に押しつけ、地上と同じような重さを、つくりだしているのだ。通路の先は、ゆるやかに上へとカーブしていて、遠くの床が、まるで壁《かべ》のように、立ちあがって見えた。空気は、何度もろ過されたような、かすかに金属のにおいがした。


 窓の外に、星が流れていた。


 遥は、思わず、立ちどまった。


 黒い宇宙に、数えきれない星が、こまかい砂をまいたように、光っていた。そのあいだを、うすむらさき色の星雲が、ゆっくりと、ただよっている。音は、何もしない。船のエンジンの、かすかな、ブーンという振動《しんどう》だけが、足のうらから伝わってきた。


 ハルカの世界の空でも、竜《りゅう》の背から見た雲の海でも、シェルターの地下でもない。


 どこまでも、どこまでも、ひろがる、黒い空。


 遥は、窓のガラスに、そっと手を当てた。


 ひやりとした。骨のずいまでしみてくるような、冷たさだった。このガラス一枚の向こうには、何もない。空気も、音も、ぬくもりも。


 星の光は、またたかなかった。地球の夜空の星のように、ゆれたりしない。針の先でついたような光が、ただ、じっと、こちらを見ている。


[窓の左上の、青い星の光は、12年前に、あの星を出た光です。わたしたちが今見ているのは、12年前の、あの星です]


「ハルト! 朝のブリーフィング、はじまってるぞ!」


 うしろから、太い声がした。


 ふり向くと、ずんぐりとした、背の低い男が、腕《うで》を組んで立っていた。肩も腕も、丸太のように太い。肌《はだ》は、岩のような灰色だった。


[技術者のタンガさまです。重力の強い惑星《わくせい》の出身で、地球人の約3倍の筋力があります]


「なにぼーっとしてんだ。……まあ、おまえなら、大丈夫《だいじょうぶ》だろうけどな」


 タンガは、遥の背中を、ばしんとたたいた。


 遥は、前につんのめりそうになった。


 けれど、からだは、ふみとどまった。足が、床を、しっかりととらえていた。重くて、強い、からだだった。


◇ ◇ ◇


 ブリーフィングルームには、5人の乗員が、まるいテーブルをかこんでいた。


 ひとりは、すきとおるような青い肌の、ほっそりとした女の人。耳のうしろに、うすい、ひれのようなものがある。話す人の顔を、じっと見つめるたびに、首すじの肌の色が、うすく変わっていた。


[言語学者のリーフさまです。水の惑星の出身。相手の気持ちを、肌の色の変化で感じとるそうです]


 もうひとりは、銀色の髪の、背の高い男の人。目を閉じたまま、ゆっくりと話す。


[医師のヴェガさまです。寒い惑星の出身で、目ではなく、熱で、まわりを見ています]


 そして、テーブルのいちばん奥に、背の高い、黒い肌の女の人が、すわっていた。短く刈った白髪まじりの髪。大きな目。笑うと、目じりに、深いしわができる。


[艦長《かんちょう》の、アデ・オコンクォさまです]


「おはよう、ハルト。顔色が悪いね。ゆうべ、眠れなかったかい」


 艦長の声は、大きくて、あたたかかった。


「……だいじょうぶです」


 遥が答えると、タンガが、横から、口をはさんだ。


「ハルトは、いつも、だいじょうぶなんだよ。パイロットってのは、そういうもんさ。なあ?」


 みんなが、笑った。


 遥も、笑おうとした。けれど、うまく、笑えなかった。


 だいじょうぶ。


 この世界では、男のパイロットは、いつも、だいじょうぶでなければならないのだ。弱音をはいたり、こわいと言ったりする場所は、どこにも、用意されていないのだ。


 ハルトのからだが、それを、よく知っていた。肩に、ずっと、見えない重りが、乗っていた。


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