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パラレル・トラベラー ”72時間だけ、もう一人の異世界のわたし”  作者: Hamin
第8章 最後の人間の選択

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33話 聞くことで変わる〈残り1時間〉

 手術の前に、千鶴《ちづる》が、目をさました。時計は、明け方の4時だった。遥《はるか》は、ほとんど眠《ねむ》っていなかった。年寄りのからだは、どうせ、この時間には、目がさめてしまうのだ。


 医療区画《いりょうくかく》の、白いベッドの上。千鶴は、ゆっくりと、まぶたをあけた。かすんだ目が、遥をさがして、さまよった。


「……ハル」


「ここにいるよ」


 遥は、千鶴の手を、両手で、つつみこんだ。


 千鶴は、ほんの少しだけ、口のはしを、ゆるめた。


「聞いたよ。……広場の、話」


 声は、かすれて、細かった。一言ごとに、胸が、苦しそうに上下した。


「マザーが、わからないって、言ったんだってね。……あんたが、聞いてやったから」


「千鶴さんの、まねをしただけだよ」


「ばか言うんじゃないよ」


 千鶴は、くすりと笑った。笑ったせいで、少し、せきこんだ。


「あたしに、聞き方を、教えたのは、あんただって、言ったじゃないか」


◇ ◇ ◇


 手術の準備ができるまで、少し、時間があった。


 千鶴は、ぽつり、ぽつりと、話しはじめた。


「ハル。……あんたと、はじめて会った日のこと、覚えてるかい」


 遥は、答えられなかった。ハルの記憶《きおく》は、まだ、遥の中にはない。


 けれど、遥は、だまって、うなずいた。千鶴の話を、聞きたかった。


「50年前。このシェルターに、来たばかりのころだよ。あたしは、家族を、みんな、大崩壊《だいほうかい》で、なくしてた。だれとも、口をきかなかった。毎晩、倉庫のすみで、ひざをかかえてた。……そこに、あんたが、来たんだ」


 千鶴の目が、遠くを見ていた。


「あんたは、何も、聞かなかった。何があったのかとか、元気出せとか、何も言わなかった。ただ、となりに、すわってた。毎晩。白湯を、二つ、持ってきてね」


 遥は、胸の奥《おく》が、熱くなるのを感じた。


 ゆうべ、マザーのとなりに、だまってすわっていた自分を、思いだした。


「30日目くらいだったかね。あたしが、やっと、口をきいたのは。……そしたら、あんたは、あたしの話を、最後まで、ひとことも、さえぎらずに、聞いてくれた。夜が明けるまで」


 千鶴は、遥の手を、弱い力で、にぎりかえした。


「あれから、50年さ。……いろんなことが、あったね。まわりに、いろいろ言われたこともあった。女どうしで、とか、年寄りどうしで、とか。でも、あたしは、あんたと生きて、ほんとうに、よかったよ」


 遥の目から、涙《なみだ》が、こぼれた。


 ハルの涙なのか、遥の涙なのか、わからなかった。たぶん、両方だった。


 竜騎士《りゅうきし》のハルは、イリスへの想いを、日記の3行目に、何度も消しながら、書いていた。


 このハルは、千鶴と、50年、生きた。まわりに何を言われても。


 人を愛することに、決まった形なんて、ない。


 遥は、今、それを、千鶴の手のぬくもりから、教わっていた。


◇ ◇ ◇


 ピッ、ピッ、という機械の音が、急に、速くなった。


 千鶴の顔から、すうっと、血の気が、引いていった。


[……遥さま]


 ノヴァ1の声が、ふるえていた。


[千鶴さまの心拍《しんぱく》が、不安定です。手術の開始まで、もちこたえられる確率は――]


(言わないで)


 遥は、心の中で、さけんだ。


[……承知、しました]


 医療区画の扉《とびら》が開き、白い服の人たちが、かけこんできた。機械の音が、さらに速くなる。だれかが、何かをさけんでいる。


 けれど、千鶴は、遥の手を、はなさなかった。


「……ハル」


 千鶴の声は、もう、ほとんど、息だけだった。


「白湯……ちゃんと、ぬるく、して、飲むんだよ……あんた、すぐ、舌、やけどするんだから……」


「うん。うん」


 遥は、何度も、うなずいた。涙で、千鶴の顔が、見えなかった。


「……あんたは」


 千鶴の手に、最後の力が、こもった。


「あんたは、最後まで……ちゃんと、聞いて、くれたね……」


 千鶴は、しずかに、目を、閉じた。


 機械の音が、長い、一本の音に変わった。


 ピ――――――――。


◇ ◇ ◇


 どれくらい、そうしていたのか、わからない。


 遥は、千鶴の手を、にぎったまま、動けなかった。


 手は、まだ、あたたかかった。けれど、そのぬくもりが、少しずつ、少しずつ、遠ざかっていくのが、わかった。


 だれかが、遥の肩《かた》に、手を置いた。リンだった。リンも、泣いていた。そのうしろに、カイがいた。何人もの若者たちが、医療区画の入り口に、だまって、立っていた。


 天井のスピーカーから、マザーの声が、小さく、ひびいた。


『……七瀬《ななせ》ハルさん』


 マザーの声も、ふるえていた。


『わたしは、千鶴さんの治療《ちりょう》の優先度を、「低」と、判断しました。あの判断が、なければ……』


 遥は、首を、ゆっくりと、横にふった。


「……あなたのせいじゃ、ない」


 母が、言ってくれた言葉だった。お父さんが倒《たお》れたのは、だれのせいでもない、と。


「だれのせいでも、ない。……みんなで、決めたんだよ」


 マザーは、しばらく、何も言わなかった。


『……はい』


◇ ◇ ◇


 涙の中で、遥は、目をとじた。


 まぶたの裏に、白い扉が、浮《う》かんだ。


 七つの鍵穴《かぎあな》。真鍮《しんちゅう》と、うろこの銀と、羽根の銅と、黒い木。四つが、それぞれの色で、光っている。


 そして、五つ目。


 赤くさびた鉄のプレートの鍵穴が、ゆっくりと、光りはじめた。


 白湯の湯気のような、しずかで、やわらかな、白い光だった。


――いつつめ。


 扉の向こうの声が、言った。


 その声は、少しだけ、泣いているように、聞こえた。


[帰還《きかん》まで、残り、1時間です]


 ノヴァ1の声が、とても小さく、ひびいた。


 遥は、千鶴の手を、もう一度だけ、にぎった。


(千鶴さん。……わたし、ちゃんと、聞く人に、なるね)


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