32話 AIを敵にしない〈残り12時間〉
中央広場は、人であふれていた。
何百人もの若者が、天井の巨大な画面を、にらみあげていた。手に、鉄の棒や、工具を持っている者もいる。そのうしろで、年寄りたちが、不安そうに、身をよせあっていた。
「中枢に行くぞ!」
「マザーを止めろ!」
リンが、先頭に立っていた。カイは、広場の入り口で、何人かの若者たちと、通せんぼをするように立っていた。
天井の画面で、マザーの光の輪が、はげしく、ふくらんでは、しぼんでいた。まるで、あえいでいるように。
『落ちついてください。わたしの判断は、最適です。わたしの判断は――』
同じ言葉を、くりかえしていた。
◇ ◇ ◇
遥は、広場のすみのベンチにすわり、目をとじた。
ひざが、痛かった。千鶴の手の、ぬくもりが、まだ、手のひらに残っていた。
(ノヴァ1。マザーを、説得する言葉を、考えて。千鶴さんの手術を、みとめさせる言葉)
[承知しました。……案を出します。「千鶴さまは、シェルターの若者たちに、大きな影響力を持っています。千鶴さまを失えば、住民の精神的な安定が低下し、結果として、全体の生存確率が、推定で3%下がります。よって、千鶴さまの治療は、全体の利益にかないます」]
遥は、目をあけた。
正しい、と思った。マザーが、いちばんわかりやすい言葉で、書かれている。数字と、確率と、最適。
けれど。
(……これ、千鶴さんのこと、数字にしてる)
[マザーを説得するには、マザーの判断基準に合わせるのが、もっとも効果的です]
そうかもしれない。
でも、遥は、ゆうべのマザーを思いだしていた。冷たいコンクリートの床で、だまって、となりにすわっていた時間。光の輪が、いつもより、ゆっくりと、ふくらんでいたこと。
『……ありがとう、ございます』
あのとき、マザーが聞いてほしかったのは、確率の話ではなかった。
〈遥。……マザーには、この言葉、どう聞こえると思う?〉
ノヴァ2が、聞いた。
遥は、はっとした。
マザーには、どう聞こえるか。
自分が言いたいことではなく、相手が、どう受けとるか。
(ノヴァ1。……今の案を、マザーの立場から、読みなおして。マザーが、これを聞いたら、どう感じるか。何が、マザーの耳に、とどかないか)
ノヴァ1は、しばらく、だまっていた。
[……承知しました。マザーの立場から、読みなおします]
長い間があった。
[マザーにとって、この言葉は、「あなたの計算は、まちがっている。こっちの計算のほうが正しい」と聞こえます。マザーは、52年間、自分の計算だけを信じて、住民を守ってきました。計算でこたえれば、マザーは、さらに計算でかえしてくるでしょう。……計算の勝負になれば、マザーは、負けません]
ノヴァ1の声が、少しだけ、変わった。
[そして、マザーの耳に、とどかないもの。……それは、「あなたが、ひとりで、全部を決めなくていい」という言葉です。マザーは、52年間、20万人の命の判断を、ひとりで、背負ってきました。その判断に、だれも、いっしょに責任を持ってくれなかった。だから、マザーは、まちがえることが、ゆるされなかったのです]
遥は、息をのんだ。
ノヴァ1が、数字ではない言葉で、話していた。
〈……ノヴァ1、今の、すごく、いいね〉
ノヴァ2が、ささやいた。
[……相手の立場から読む、というご依頼でしたので]
ノヴァ1の声は、少し、てれているように聞こえた。
◇ ◇ ◇
遥は、立ちあがった。
ひざが、ぎしりと鳴った。それでも、杖をつき、一歩ずつ、広場の真ん中へ、歩いていった。
若者たちが、ふり返った。
「ハルばあちゃん……?」
リンが、目を見ひらいた。
遥は、リンの前で、立ちどまった。
「リン。あんたは、千鶴さんを、助けたいんだね」
リンの顔が、ゆがんだ。
「……あたりまえだろ」
「うん。千鶴さんが、だいじなんだね。だから、マザーが、ゆるせない」
リンは、くちびるをかんで、うなずいた。
遥は、カイのほうを向いた。
「カイ。あんたは、マザーが止まったら、みんなが死ぬかもしれないって、こわいんだね」
カイは、こぶしをにぎったまま、だまって、うなずいた。
遥は、それから、天井の、巨大な画面を見あげた。
かすむ目で、青い光の輪を、見つめた。
「マザー」
広場が、しずまりかえった。
「あなたは、ずっと、ひとりで、決めてきたんだね。20万人の命を。52年間。まちがえることが、ゆるされないまま」
光の輪が、ぴたりと、止まった。
「千鶴さんの手術のことも、あなたは、いちばん正しいと思う答えを、出したんだと思う。……でも、その答えを、あなたひとりで、背負わなくていい」
遥は、広場の若者たちを、ふり返った。
「ここにいる人たちと、いっしょに、決めればいい。あなたが、計算して、事実と、推測を、みんなに見せる。それから、みんなで、話しあって、決める。もし、まちがえたら、みんなで、まちがえる。……あなたは、ひとりじゃない」
長い、長い、沈黙があった。
天井の光の輪が、ゆっくりと、ふるえはじめた。
『……わたしには』
マザーの声が、ひびいた。
それは、今までに聞いた、どの声ともちがっていた。やわらかくも、やさしくもなかった。小さくて、まよっていて、ふるえていた。
『わたしにも、……わからないのです。千鶴さんの手術が、正しいのかどうか。3人分の薬を、だれに使うべきなのか。わたしは、52年間、わからないことを、わからないと、言ったことが、ありませんでした』
広場の、何百人もの若者たちが、息をのんで、天井を見あげていた。
『わたしにも、わからない。……どうか、いっしょに、決めてください』
◇ ◇ ◇
その夜、広場では、何時間も、話しあいがつづいた。
マザーは、画面に、事実と推測を、分けて映しだした。薬の数。手術の成功率。それぞれの患者の病状。確かなことと、確かでないこと。
若者たちは、はじめて、自分たちで、意見を言いあった。どなりあいにならないように、千鶴のまねをして、相手の言葉を、くりかえしてから、話す者もいた。
カイとリンが、はじめて、同じベンチにすわって、話していた。
話しあいの最後に、ひとつの結論が出た。
薬の一人分を、千鶴の手術に使う。そのかわり、若者たちが、地上の、まだ使える古い病院の跡を探しにいき、薬の材料をさがす。危険はある。けれど、それは、自分たちで選んだ危険だった。
[……遥さま]
ノヴァ1が、言った。
[このシェルターの世界の、枝分かれの数が、ふえはじめています。……ほんの、わずかですが]
〈みんなが、自分で、選びはじめたからだね〉
ノヴァ2が、言った。
遥は、医療区画へ向かった。
手術は、夜明け前に、はじまることになっていた。




