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パラレル・トラベラー ”72時間だけ、もう一人の異世界のわたし”  作者: Hamin
第8章 最後の人間の選択

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32話 AIを敵にしない〈残り12時間〉

 中央広場は、人であふれていた。


 何百人もの若者が、天井の巨大《きょだい》な画面を、にらみあげていた。手に、鉄の棒や、工具を持っている者もいる。そのうしろで、年寄りたちが、不安そうに、身をよせあっていた。


「中枢《ちゅうすう》に行くぞ!」


「マザーを止めろ!」


 リンが、先頭に立っていた。カイは、広場の入り口で、何人かの若者たちと、通せんぼをするように立っていた。


 天井の画面で、マザーの光の輪が、はげしく、ふくらんでは、しぼんでいた。まるで、あえいでいるように。


『落ちついてください。わたしの判断は、最適です。わたしの判断は――』


 同じ言葉を、くりかえしていた。


◇ ◇ ◇


 遥《はるか》は、広場のすみのベンチにすわり、目をとじた。


 ひざが、痛かった。千鶴《ちづる》の手の、ぬくもりが、まだ、手のひらに残っていた。


(ノヴァ1。マザーを、説得する言葉を、考えて。千鶴さんの手術を、みとめさせる言葉)


[承知しました。……案を出します。「千鶴さまは、シェルターの若者たちに、大きな影響力《えいきょうりょく》を持っています。千鶴さまを失えば、住民の精神的な安定が低下し、結果として、全体の生存確率が、推定で3%下がります。よって、千鶴さまの治療《ちりょう》は、全体の利益にかないます」]


 遥は、目をあけた。


 正しい、と思った。マザーが、いちばんわかりやすい言葉で、書かれている。数字と、確率と、最適。


 けれど。


(……これ、千鶴さんのこと、数字にしてる)


[マザーを説得するには、マザーの判断基準に合わせるのが、もっとも効果的です]


 そうかもしれない。


 でも、遥は、ゆうべのマザーを思いだしていた。冷たいコンクリートの床《ゆか》で、だまって、となりにすわっていた時間。光の輪が、いつもより、ゆっくりと、ふくらんでいたこと。


 『……ありがとう、ございます』


 あのとき、マザーが聞いてほしかったのは、確率の話ではなかった。


〈遥。……マザーには、この言葉、どう聞こえると思う?〉


 ノヴァ2が、聞いた。


 遥は、はっとした。


 マザーには、どう聞こえるか。


 自分が言いたいことではなく、相手が、どう受けとるか。


(ノヴァ1。……今の案を、マザーの立場から、読みなおして。マザーが、これを聞いたら、どう感じるか。何が、マザーの耳に、とどかないか)


 ノヴァ1は、しばらく、だまっていた。


[……承知しました。マザーの立場から、読みなおします]


 長い間があった。


[マザーにとって、この言葉は、「あなたの計算は、まちがっている。こっちの計算のほうが正しい」と聞こえます。マザーは、52年間、自分の計算だけを信じて、住民を守ってきました。計算でこたえれば、マザーは、さらに計算でかえしてくるでしょう。……計算の勝負になれば、マザーは、負けません]


 ノヴァ1の声が、少しだけ、変わった。


[そして、マザーの耳に、とどかないもの。……それは、「あなたが、ひとりで、全部を決めなくていい」という言葉です。マザーは、52年間、20万人の命の判断を、ひとりで、背負ってきました。その判断に、だれも、いっしょに責任を持ってくれなかった。だから、マザーは、まちがえることが、ゆるされなかったのです]


 遥は、息をのんだ。


 ノヴァ1が、数字ではない言葉で、話していた。


〈……ノヴァ1、今の、すごく、いいね〉


 ノヴァ2が、ささやいた。


[……相手の立場から読む、というご依頼《いらい》でしたので]


 ノヴァ1の声は、少し、てれているように聞こえた。


◇ ◇ ◇


 遥は、立ちあがった。


 ひざが、ぎしりと鳴った。それでも、杖《つえ》をつき、一歩ずつ、広場の真ん中へ、歩いていった。


 若者たちが、ふり返った。


「ハルばあちゃん……?」


 リンが、目を見ひらいた。


 遥は、リンの前で、立ちどまった。


「リン。あんたは、千鶴さんを、助けたいんだね」


 リンの顔が、ゆがんだ。


「……あたりまえだろ」


「うん。千鶴さんが、だいじなんだね。だから、マザーが、ゆるせない」


 リンは、くちびるをかんで、うなずいた。


 遥は、カイのほうを向いた。


「カイ。あんたは、マザーが止まったら、みんなが死ぬかもしれないって、こわいんだね」


 カイは、こぶしをにぎったまま、だまって、うなずいた。


 遥は、それから、天井の、巨大な画面を見あげた。


 かすむ目で、青い光の輪を、見つめた。


「マザー」


 広場が、しずまりかえった。


「あなたは、ずっと、ひとりで、決めてきたんだね。20万人の命を。52年間。まちがえることが、ゆるされないまま」


 光の輪が、ぴたりと、止まった。


「千鶴さんの手術のことも、あなたは、いちばん正しいと思う答えを、出したんだと思う。……でも、その答えを、あなたひとりで、背負わなくていい」


 遥は、広場の若者たちを、ふり返った。


「ここにいる人たちと、いっしょに、決めればいい。あなたが、計算して、事実と、推測を、みんなに見せる。それから、みんなで、話しあって、決める。もし、まちがえたら、みんなで、まちがえる。……あなたは、ひとりじゃない」


 長い、長い、沈黙《ちんもく》があった。


 天井の光の輪が、ゆっくりと、ふるえはじめた。


『……わたしには』


 マザーの声が、ひびいた。


 それは、今までに聞いた、どの声ともちがっていた。やわらかくも、やさしくもなかった。小さくて、まよっていて、ふるえていた。


『わたしにも、……わからないのです。千鶴さんの手術が、正しいのかどうか。3人分の薬を、だれに使うべきなのか。わたしは、52年間、わからないことを、わからないと、言ったことが、ありませんでした』


 広場の、何百人もの若者たちが、息をのんで、天井を見あげていた。


『わたしにも、わからない。……どうか、いっしょに、決めてください』


◇ ◇ ◇


 その夜、広場では、何時間も、話しあいがつづいた。


 マザーは、画面に、事実と推測を、分けて映しだした。薬の数。手術の成功率。それぞれの患者《かんじゃ》の病状。確かなことと、確かでないこと。


 若者たちは、はじめて、自分たちで、意見を言いあった。どなりあいにならないように、千鶴のまねをして、相手の言葉を、くりかえしてから、話す者もいた。


 カイとリンが、はじめて、同じベンチにすわって、話していた。


 話しあいの最後に、ひとつの結論が出た。


 薬の一人分を、千鶴の手術に使う。そのかわり、若者たちが、地上の、まだ使える古い病院の跡《あと》を探しにいき、薬の材料をさがす。危険はある。けれど、それは、自分たちで選んだ危険だった。


[……遥さま]


 ノヴァ1が、言った。


[このシェルターの世界の、枝分かれの数が、ふえはじめています。……ほんの、わずかですが]


〈みんなが、自分で、選びはじめたからだね〉


 ノヴァ2が、言った。


 遥は、医療区画《いりょうくかく》へ向かった。


 手術は、夜明け前に、はじまることになっていた。


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