3話 もう一人の私〈残り72時間〉
最初に気づいたのは、髪の重さだった。
まくらに広がった髪が、首のうしろで、ずっしりとからまっている。遥の髪は、肩にとどかないくらいのはずだった。指ですくうと、こしまである長い髪が、さらさらと流れおちた。色は、くすんだ栗色。窓からさしこむ光にすけて、ところどころ赤く見える。
天井は、灰色の石だった。木の梁が二本、よこぎっている。空気は少しひんやりとして、ろうそくのすすと、ラベンダーに似た、知らない草のにおいがした。
遠くで、鐘が鳴っている。カーン、カーン、と、高く、すんだ音。
【おはようございます、遥さま。旅行1日目、午前7時00分12秒です。魂の交換は、正常に完了しました】
ノヴァの声だった。けれど、スマートフォンからではない。耳の奥、頭のすぐ内側から、ささやくように聞こえてくる。
「……ここ、どこ」
【現在地は、第1世界、魔法王国アルセリア。王立魔法学校の女子寮、東棟3階、階段から数えて7番目のお部屋です】
遥は、ベッドの上で起きあがった。木のわくのベッドは、うごくたびに、ぎし、と鳴る。壁ぎわには、古い机と、山のような本。床には、羽根ペンと、丸められた羊皮紙がいくつも転がっていた。
机の上の、小さな手鏡をのぞきこむ。
自分の顔だった。目の形も、鼻の形も、口のはしの小さなほくろも。けれど、少しだけちがう。ほおがやせて、目の下にうすいくまがある。19歳の、もう一人の自分。
遥は、無意識に、右の耳たぶを、親指と人さし指でつまんでいた。考えごとをするときの、くせ。
鏡の中の自分も、同じように、耳たぶをさわっていた。あたりまえだ。同じからだなのだから。それなのに、なぜか、胸の奥がざわついた。
(このくせ、この子も、持ってるんだ)
立ちあがると、ひざの裏に、紺色のローブのすそがまとわりついた。ずっしりと重い、ウールの手ざわり。右手の中指の横には、かたいペンだこがあった。遥の指にも、同じ場所に、同じたこがある。絵を描きすぎて、できたたこだ。
(この子も、たくさん、何かを書いてきたんだ)
「ノヴァ。この子と、わたしって、どのくらい同じなの」
【お答えします。魂は、同じです。誕生日も、同じ7月4日です。顔立ち、利き手、考えごとをするとき耳たぶにふれるくせも、一致しています。……ふれ方は、少しちがうようですが。ちがうのは、生まれた世界と、これまでに選んできたこと、です】
「選んできたこと」
【はい。並行宇宙の枝は、選択のたびに分かれます。遥さまとハルカさまは、ずっと昔のどこかで、ちがう枝に進みました。……その分かれ目がどこだったのかは、わたしのデータには、ありません】
【交換相手のプロフィールを再確認します。ハルカ・リーヴェルさま、19歳。王立魔法学校の見習い魔法使い。3年留年中。いまの悩み、魔法が一度も成功しない】
「一度も?」
【はい。入学以来、一度もです。記録上、ろうそくの火をつける初級魔法も、成功例はありません】
机の上に、羊皮紙の手紙が一通、置かれていた。赤い封蝋に、杖と星の紋章。
『進級審査のお知らせ ハルカ・リーヴェル殿
3日後の黄昏の刻、最終の実技試験を行う。
不合格の場合、本校の在籍を取り消す』
文字は見たこともない形なのに、意味だけが、すっと頭に入ってきた。このからだが、覚えているのだ。
「3日後って……」
【旅行3日目の、午後7時ごろです。遥さまの帰還まで、残り12時間の時点にあたります】
遥は、羊皮紙をにぎりしめた。
退学のかかった試験。自分と同じ。途中で投げ出しそうになっている、もう一人の自分。
◇ ◇ ◇
食堂は、石造りの、天井の高い広間だった。長いテーブルに、紺色のローブを着た生徒たちがならんでいる。焼きたてのパンのにおいと、あまずっぱい果物のにおい。
【朝ごはんのデータを取得しました。本日の献立は、「月光パン」と「火トマトのスープ」です。……「月光パン」とは、何でしょうか。月の光を練りこんだパンでしょうか。それは、栄養になるのでしょうか】
(わたしに聞かないで)
遥は心の中で答えて、パンをひとつ取った。ちぎると、中が、ほんのり青白く光っている。口に入れると、ふわっとあまく、はちみつのような香りがした。
(……おいしい)
顔をあげると、高い天井の窓から、朝の光が何本もの柱になって落ちていた。石の柱の影、パンの湯気、ローブの紺色。遥の指先が、むずむずした。この広間を、描きたい、と思った。人ではなく、この場所を。
【よかったです。記録しておきます】
「あら。今日は、ずいぶん早いのね。落ちこぼれさん」
うしろから、すずしい声がした。
ふり向くと、背の高い少女が立っていた。金色の髪をきっちりと編みこみ、ローブの胸には、銀の星のブローチ。首席のしるしだと、からだが教えてくれた。
【首席のセレスティアさまです。ハルカさまとの関係は、記録上、良好ではありません】
「3日後の試験、楽しみにしているわ。あなたが最後に、何もしないで帰っていくところを、見とどけてあげる」
まわりの生徒たちが、くすくす笑った。
遥は、顔が熱くなるのを感じた。講評会の、あの教室と同じだ。壁に貼られて、見られて、笑われる。
(どうせ、わたしは――)
言いかけて、口をつぐむ。今、笑われているのは、ハルカだ。遥ではない。けれど、このからだの心臓は、まるで何度も同じことを言われてきたみたいに、慣れたリズムで、ちぢこまっていった。
◇ ◇ ◇
部屋にもどると、遥はベッドにすわりこんだ。
「ノヴァ。……どうすればいいの」
【おまかせください。攻略プランを作成しました】
頭の中に、文字が浮かびあがった。
『最適攻略プラン(成功確率の推定:34%)
1.試験官グラン教頭の好みに合わせ、「正統派の炎の型」を選ぶ
2.呪文は、教科書どおりに三つだけ暗記する
3.杖の角度は、教本の図の45度に固定する
4.残りの時間は、すべて型の反復練習にあてる』
【この旅行の評価には、わたしの評価もかかっています。……あの、できれば、星を五つ、いただけると、うれしいです】
「……評価?」
【はい。わたしは、パラレル・ツアーズのAIの中で、評価の順位が、下から2番目です】
遥は、思わずふきだした。
「落ちこぼれじゃん」
【はい。落ちこぼれです。遥さまと、おそろいです】
ノヴァの声は、なぜか、少しだけほこらしそうだった。
遥は、机の上の、ハルカのノートを開いた。びっしりと書きこまれた呪文の練習。何百回も書きなおされた魔法陣の図。ページのすみには、小さな文字で、こう書かれていた。
『どうせ、わたしには、むり』
遥は、そっとノートを閉じた。
――閉じかけて、手を止めた。
ノートのうしろのほうのページに、呪文ではないものが描かれていた。魔法陣の図だった。けれど、教本の図とはまるでちがう。円の中に、つる草のような線がからみあい、小さな星や、鳥や、花の模様が、びっしりと描きこまれている。教科書どおりではない。けれど、遥は、それを美しいと思った。
自分が、専門学校のスケッチブックのすみに、いつも落書きしていた模様に、少しだけ似ていた。
さらにページをめくる。いちばん最後のページに、一枚だけ、魔法陣ではない絵があった。
白い扉。たてにならんだ、七つの鍵穴。
その下に、ハルカの字で、小さく書かれていた。
『7月4日の夢。また、同じ扉。だれかが「トワ」と呼んでいた』
遥の指先が、冷たくなった。
「ノヴァ。……これ」
【確認しました。……遥さまが、誕生日の夜にごらんになった夢と、一致します】
「なんで、この子も、同じ夢を見てるの」
【検索します】
頭の中で、砂時計が、くるりと回った。一回、二回、三回。
【……エラーが発生しました。「トワ」に一致するデータは、どの枝にも存在しません。申しわけありません。もう一度、検索しますか】
「……いい。やめて」
遥は、ノートを、今度こそ閉じた。
窓の外で、また鐘が鳴った。残り、72時間。いや、もう、70時間を切っている。




