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パラレル・トラベラー ”72時間だけ、もう一人の異世界のわたし”  作者: Hamin
プロローグ 七月四日の夢

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2話 ノヴァ、旅行のご案内です

 画面には、見たことのないアイコンがあった。夜空の色をした丸の中に、白い扉《とびら》のシルエット。右下のすみに、小さく「β」の文字。


『パラレル・ツアーズ(ベータ版)のインストールが完了《かんりょう》しました』


(入れてない。こんなの)


 画面のガラスは、ひんやりと冷たかった。消そうとした指が、まちがえてアイコンにふれた。画面が、ふわりと夜空の色に変わる。


【こんばんは。……訂正《ていせい》します。現在時刻は午前3時14分22秒ですので、「こんばんは」にはかなりおそく、「おはようございます」には少し早い時間です。どちらがよろしいですか】


 スピーカーから、声がした。男とも女ともつかない、すきとおった声だった。


「……どっちでもいいです」


【承知しました。では、両方。こんばんは、おはようございます。わたしは、パラレル・ツアーズのAIコンシェルジュ、ノヴァです。七瀬遥《ななせはるか》さま、旅行のご案内です】


 名前を呼ばれて、背中がひやりとした。


【あなたには、まだ知らない人生があります】


「なにこれ。詐欺《さぎ》?」


【いいえ。詐欺の場合、料金の請求《せいきゅう》が発生します。当サービスはベータ版のため、料金は0円です。……0円の詐欺も、存在するのでしょうか。調べます。少々《しょうしょう》お待ちください】


「調べなくていいです」


【承知しました。調査を中止します】


 画面のすみで、小さな砂時計のアイコンが、くるりと回って消えた。


【ところで、遥さま。最後のお食事から、9時間8分がたっています。朝ごはんは、何時に召《め》しあがるご予定ですか】


「……なんで知ってるの」


【スマートフォンの決済記録です。それから、ショートケーキ一つは、夕食としては栄養がかたよっています。糖質が多すぎ、たんぱく質が1日の必要量の7パーセントしか――】


「ちょっと待って」


 遥は、ベッドの上で起きあがった。夢の白さが、まだ目の奥《おく》に残っている。知らないアプリ。知らない声。自分のことを、知りすぎている。


「どうしよう……」


【ご質問を承りました。「どうしよう」の対象を教えてください。①このアプリを使うかどうか ②朝ごはん ③そのほか】


 思わず、ふきだしそうになった。


「なんで、選択肢《せんたくし》に朝ごはんが入ってるの」


【先ほどの会話の流れから、可能性が高いと判断しました。……ちがいましたか】


「ちがいます」


【失礼しました。わたしには、遥さまの頭の中までは見えません。何に困っているのか、何を知りたいのかを言っていただけると、お答えがずっと正確になります】


 遥は、少し考えた。何に困っているのか。そんなことを、だれかにちゃんと言ったのは、いつ以来だろう。


「……このアプリが、安全かどうか、知りたい」


【承知しました。とてもわかりやすいご質問です。ありがとうございます】


 声が、ほんの少しうれしそうに聞こえたのは、気のせいだろうか。


【では、まず、サービスの内容をご説明します。パラレル・ツアーズは、並行宇宙への旅行サービスです。ただし、お体ごと移動するのではありません。旅行先の世界に生きる「もう一人の遥さま」と、魂《たましい》を入れかえていただきます】


「……は?」


【旅行時間は、最大72時間00分00秒。そのあいだ、遥さまは向こうの遥さまのからだで生活し、向こうの遥さまは、こちらで遥さまの生活を送ります。帰還後《きかんご》、お二人の記憶《きおく》は一つに重なります】


 蒼汰《そうた》の声が、耳の奥でよみがえった。何かが起きるたびに、世界が枝分かれしている。どっちも、どこかで続いているかもしれない。


「もう一人のわたしって……何人いるの」


【並行宇宙は、だれかが何かを選ぶたびに、枝分かれしています。ほとんどの枝には、遥さまはいらっしゃいません。けれど、ごくまれに、同じ魂を持つ遥さまが生きている枝があります。当サービスで確認できている遥さまは、現在、少なくとも六人です】


 六人。


「……蒼汰さんが言ってたのと、同じだ」


【蒼汰さま、とは、どなたでしょうか】


「バイトの人。宇宙の研究してる。枝が分かれる数が、最近へってるって」


 ノヴァは、ほんの一瞬《いっしゅん》、だまった。画面のすみの砂時計が、回りかけて、止まる。


【……その方は、とても正確な観測をなさっていますね】


「え?」


【失礼しました。今のは、ひとりごとです】


 専門学校をやめなかったわたし。ピアノを続けたわたし。お父さんと、仲直りできたわたし。


【くわしくは、重要事項説明書《じゅうようじこうせつめいしょ》をごらんください。全12ページ。遥さまの読む速さですと、所要時間は約18分です】


 画面に、文字がならぶ。遥は、いつものように最後までスクロールした。規約なんて、読んだことがない。けれど、12ページ目で、指が止まった。


『旅のルール

ルール1:旅行時間は最大72時間。現実の72時間がたつと、自動的に帰還します。

ルール2:相手の人生を壊《こわ》してはいけません。旅行先の自分にも、人生があります。

ルール3:AIは、未来を完全には予測できません。最後に決めるのは、旅行者です。

ルール4:旅行先で得た能力は、持ち帰れません。ただし、知識と経験と記憶は、持ち帰れます。

ルール5:カタログにない並行宇宙が存在します。そこには、立ち入らないでください。

※本サービスはベータ版のため、予告なくサービスが停止することがあります』


「……停止したら、どうなるの。帰れなくなるの?」


【……その質問には、現在、お答えできるデータがありません】


 ノヴァが、はじめて言葉につまった気がした。


 心臓が、どくん、と鳴った。知らない世界。知らないからだ。帰れないかもしれない旅。そんなもの、自分にできるはずがない。どうせ、また途中《とちゅう》で逃《に》げだすに決まっている。


「やっぱ、いい。無理」


 アイコンを長押《ながお》しして、×を押す。


【かしこまりました。またのご利用を、お待ち――】


 声が、とぎれた。


◇ ◇ ◇


 眠《ねむ》れなかった。


 午前4時。遥は、気がつくと、父の書斎《しょさい》の前に立っていた。廊下《ろうか》の床《ゆか》が、はだしの足のうらに、ぎし、と小さく鳴った。なぜここに来たのか、自分でもわからなかった。


 ドアを開ける。窓の外が、少しずつ青くなりはじめている。古い紙のにおいと、ほこりのにおい。カーテンのすきまから、まだ眠っている町の、しっとりとした空気が流れこんでくる。机の上には、黒い合成革の手帳。


 手をのばして、持ちあげてみた。革の表紙は、手のひらの温度で、少しずつやわらかくなっていく。思ったより、重かった。父が3年分の、いや、もっと長い時間の言葉を、この中にためこんでいたのだと思った。


 開けなかった。開けられなかった。


 手帳を机にもどそうとした、そのとき。ページのあいだから、黄色い付箋《ふせん》が一枚、はらりと床に落ちた。


 拾いあげる。父の、角ばった字だった。


『何かが起きてから、動くまでのあいだに、一秒のすきまがある。そこで選べ』


 遥は、しばらくその文字を見つめていた。


 あの男が小銭をたたきつけたとき。講師に「あなたがいない」と言われたとき。アプリの×を押したとき。父に、ドアを閉めたとき。


 いつも、何かが起きた瞬間《しゅんかん》に、からだが勝手に動いていた。逃げる。やめる。閉める。その前に、一秒のすきまがあったなんて、考えたこともなかった。


(一秒)


 遥は、目をとじて、ゆっくり息をすった。一、と心の中で数える。


 そのとき、机の上に置いたスマートフォンが、光った。


 夜空の色のアイコンが、まだそこにあった。右下に、小さな「β」。


【……おかえりなさいませ。削除《さくじょ》の操作は確認いたしましたが、ベータ版のため、実行されませんでした。ご不便をおかけして、申しわけありません】


「消えてないじゃん」


【はい。消えておりません。……あの、遥さま。ひとつ、うかがってもよろしいですか】


「なに」


【先ほど、遥さまの心拍数《しんぱくすう》は、1分間に112回でした。今は、74回です。何か、よいことがありましたか】


 遥は、手の中の付箋を見た。


「……よいこと、っていうか。お父さんの、メモ」


【それは、よいことですね】


 ノヴァは、それ以上、何も聞かなかった。


 遥は、もう一度、息をすった。こわさは、消えていない。帰れなくなるかもしれない。どうせ、また途中でやめるかもしれない。


 それでも。


 一秒のすきまで、今度は、自分で選んでみたかった。


「ノヴァ。……申しこむ。いちばん近い、わたしのところ」


【承知しました。確認させてください。「いちばん近い」は、距離《きょり》でしょうか。年齢《ねんれい》でしょうか。それとも、性格でしょうか】


 遥は、少しだけ笑った。そうだった。言わなければ、伝わらない。


「年齢。わたしと同じ、19歳《さい》のわたし」


【承知しました。とてもわかりやすいご依頼《いらい》です】


 画面に、一枚のカードが浮《う》かびあがった。


『第1世界 魔法王国《まほうおうこく》アルセリア

交換相手《こうかんあいて》:ハルカ・リーヴェル(19歳・女性)

職業:魔法学校《まほうがっこう》の見習い魔法使《まほうつか》い(3年留年中)

いまの悩《なや》み:魔法が、一度も成功しない』


「……3年、留年」


【はい。遥さまと、よい旅ができそうです】


「それ、どういう意味」


【交換は、遥さまが次に眠りについたときに実行されます。旅行時間は、最大72時間00分00秒。それから――】


 ノヴァは、少しだけ間をおいた。


【それから、眠る前に、朝ごはんを召しあがってください。……魔法学校の朝ごはんが、遥さまのお口に合うかどうか、わたしには予測できませんので】


 遥は、声を出して笑った。いつ以来だろう、と思った。


 台所におりて、トーストを一枚焼いた。こげたパンのにおいが、台所にひろがる。バターがじゅわっととけて、口の中で、少ししょっぱかった。窓の外では、坂の下の駅に、始発電車がすべりこんでいく。


 部屋にもどり、父の付箋を、手帳の表紙の内側にそっともどす。それから、ベッドに横になった。


 まぶたが重くなる。目をとじる前に、ふと、蒼汰の言葉を思いだした。枝と枝は、二度とまじわらない。……ふつうは。


 遠くで、だれかが鍵《かぎ》を回すような音がした。


 ――カチリ。


 次に目をあけたとき、天井は、見たことのない石の色をしていた。

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