28話 だれも話を聞かない町〈残り54時間〉
2日目の深夜、1時すぎ。
その夜、遥は、何度も目をさました。眠りが、浅い。うとうとしたかと思うと、すぐに目がさめる。そして、そのたびに、トイレに行きたくなった。寝る前に、白湯を飲んだからだろうか。夜中の12時までに、もう2回、ベッドからおきあがって、ひざを引きずるように、トイレまで歩いた。
3回目にベッドにもどろうとしたとき、廊下の放送が、広場への呼び出しを告げた。
第7層の中央広場には、何千人もの人が、集まっていた。
地下とは思えないほど、広い空間だった。天井は高く、そのいちばん上に、巨大な、まるい画面がはめこまれている。画面には、やわらかな青い光の輪が、ゆっくりと、ふくらんではしぼんでいた。
マザーだった。
あくびが、出た。眠りたいのに、眠れなかったからだは、重く、ぼんやりしていた。
広場の空気は、ぴんとはりつめていた。若者たちが、二つのかたまりに分かれて、にらみあっている。
「マザーの言うとおりにしろよ! 区画ごとに、別の層へ移るのが、最適なんだ!」
「最適って、なんだよ! おれはB区画で、ばあちゃんはJ区画なんだぞ。勝手に、別々《べつべつ》の層に分けられて、たまるか!」
どなり声が、高い天井に、はねかえる。
何を言っているのか、遥には、半分も聞きとれなかった。何人もの声が、いっぺんに重なると、ことばの輪郭がとけて、ただの大きな音のかたまりになってしまう。耳の奥で、ぼわん、ぼわんと、音がこもる。
遥は、千鶴にささえられて、広場のすみの、ベンチにすわっていた。ひざが、ずきずきと痛む。
[状況を説明します。マザーは、きのう、「水と食料の配分を最適化するため、第7層の12の区画を、水の使用量によって四つのグループに分け、グループごとに、第5・第6・第8・第9層へ移す」と発表しました。この決定に、従う若者と、反対する若者とで、居住区が、二つに割れかけています]
天井の画面から、マザーの声が、広場いっぱいに、ひびいた。
『みなさん。落ちついてください。区画の分割は、全住民の生存確率を、最大にするための、最適な判断です。わたしの計算に、まちがいはありません』
やわらかく、やさしく、まるで子守歌のような声だった。
けれど、その声を聞いても、だれも、落ちつかなかった。従う若者たちは、もっと声を大きくした。反対する若者たちは、もっと、こぶしをにぎりしめた。
だれも、相手の話を、聞いていなかった。
みんな、自分の言いたいことだけを、さけんでいた。
◇ ◇ ◇
(ノヴァ1。マザーの言ってることって、本当なの?)
遥は、心の中で聞いた。
[マザーの計算は、とても精度が高いです。わたしのデータと比べても――]
(そうじゃなくて。本当か、うそか)
[……ご質問の意味が、少し広いです]
遥は、こめかみに指を当てた。
本当か、うそか。そんなふうに、白か黒かで、答えられることなんだろうか。遥がほしいのは、どっちの味方をすればいいか、という答えではなかった。
自分が、何を知っていて、何を知らないのか。それを、はっきりさせたかった。
(ノヴァ1。マザーの言ってることを、わかっている事実と、推測に、分けて。それぞれ、どのくらい確かなのかも)
[……承知しました]
少しの間があった。
[事実。一、シェルターの水の備蓄は、現在、必要量の62%。確かさ、ほぼ100%。二、GからLまでの6区画の水の使用量は、AからFまでの6区画より、2割多い。確かさ、95%。
推測。三、区画を分けると、水の使用量が、1割へる。確かさ、60%。四、区画を分けても、住民どうしの争いは起きない。確かさ、……18%。五、区画を分けることが、全住民の生存確率を、最大にする。確かさ、マザー自身の計算によるもので、わたしには、確かめられません]
遥は、目を見ひらいた。
マザーの言葉は、ぜんぶ、同じ重さで、「まちがいはありません」とひびいていた。けれど、分けてみると、ほとんどが、推測だった。
しかも、「争いは起きない」の確かさは、18%。
今、目の前で、争いが、起きかけているのに。
〈……マザーは、自分の推測と、事実を、分けて話していないんだね〉
ノヴァ2が言った。
〈だから、みんな、マザーの言うことを、ぜんぶ信じるか、ぜんぶ信じないか、どっちかになっちゃう〉
◇ ◇ ◇
広場の真ん中で、二人の若者が、つかみあいをはじめた。
まわりの若者たちが、はやしたてる。だれも、止めない。
そのとき、遥のとなりで、千鶴が、ゆっくりと立ちあがった。
「千鶴さん……?」
千鶴は、杖をつきながら、一歩、また一歩と、広場の真ん中へ、歩いていった。小さな背中が、若者たちのあいだを、すりぬけていく。
つかみあっていた二人の若者の前で、千鶴は、立ちどまった。
「カイ。それから、リン」
千鶴は、二人の名前を、しずかに呼んだ。
ふしぎなことに、千鶴の声だけは、はっきりと聞こえた。大きな声ではない。ゆっくりで、ひとことずつ、相手の顔を見て、話しているからだった。……耳の遠いハルのために、千鶴は、50年かけて、この話し方を、身につけたのかもしれない。
二人の若者が、ぎくりとして、手を止めた。
千鶴は、まず、マザーに従えと言っていた、背の高い青年――カイの顔を、見あげた。
「カイ。あんたは、区画を分けないと、みんなが水不足で死んでしまうかもしれないって、こわいんだね」
カイの顔が、こわばった。
「……そうだよ。マザーが、そう言ってるんだ」
「そうかい。みんなが死ぬのが、こわい。だから、マザーの言うことを、信じたい」
千鶴は、カイの言葉を、ゆっくりと、くりかえした。
「……ばあちゃんは、こわくないのかよ」
「こわいさ。こわいよ」
カイは、口をつぐんだ。肩から、すうっと、力がぬけていくのが、遠目にもわかった。
次に、千鶴は、反対していた少女――リンのほうを向いた。
「リン。あんたは、お母さんと、はなればなれになるのが、いやなんだね」
リンの目に、みるみる、涙がもりあがった。
「……わたしはC区画で、母さんはG区画なの。グループが、ちがうの。母さん、病気で。わたしが、毎晩、ごはんを持っていってるの」
「そうかい。お母さんのそばに、いたいんだね。それを、マザーに、決められたくないんだね」
リンは、こくりと、うなずいた。
広場が、しずかになっていた。
さっきまで、さけびあっていた若者たちが、千鶴の小さな声を聞こうとして、口を閉じていた。
◇ ◇ ◇
遥は、ベンチの上で、息をするのも忘れて、その光景を見ていた。
千鶴は、何も、解決していなかった。区画を分けるべきかどうか、答えを出していなかった。
ただ、聞いていた。
相手の言葉を、くりかえす。その奥にある気持ちを、言いあてる。こわいんだね。いやなんだね。それだけで、カイの肩から力がぬけ、リンの目から涙がこぼれた。
遥は、自分のことを、思った。
母と、口をきかなかった3年間。陽菜からのメッセージに、返事をしなかったこと。店長の前で、うつむいていたこと。
遥は、いつも、「わかってほしい」と思っていた。わかってくれない、と思っていた。
けれど、自分は、だれかのことを、わかろうとしたことが、あっただろうか。
母の言葉を、くりかえしたことは。陽菜の気持ちを、言いあてようとしたことは。
(……一回も、ない)
遥は、しわだらけの手で、耳たぶを、そっとなでた。
千鶴が、ゆっくりと、ベンチにもどってきた。遥のとなりに、どさりとすわり、ふうっと、長い息をはいた。
「やれやれ。年よりが、がんばるもんじゃないね。ひざが、がくがくだよ」
「千鶴さん。……どうして、あんなふうに、聞けるの」
千鶴は、少しおどろいたように、遥を見た。それから、しわだらけの顔で、ふっと笑った。
「何を言ってるんだい。あたしに、聞き方を教えてくれたのは、あんたじゃないか、ハル」
遥は、言葉を失った。
「50年前、ここに来たばかりのころ。あたしは、だれの話も聞かない、いやな娘だった。あんたが、毎晩、あたしの話を、だまって、最後まで、聞いてくれたんだよ。……それで、あたしは、人の話を聞けるようになったのさ」
千鶴は、天井の、まるい画面を見あげた。
マザーの青い光の輪が、ゆっくりと、ふくらんでは、しぼんでいた。
「マザーも、かわいそうにね」
「……かわいそう?」
「あの子は、20万人の話を、毎日、聞いている。でも、あの子の話を聞いてくれる人は、ひとりも、いないんだよ」




