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パラレル・トラベラー ”72時間だけ、もう一人の異世界のわたし”  作者: Hamin
第6章 誰も犠牲にしない戦い

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26話 よっつめの鍵穴と、母の涙〈帰還〉

 白い天井。エアコンの、低い音。


 自分の部屋だった。


 胸の上が、からっぽだった。お鈴《すず》の重さが、ない。そのことに、遥《はるか》は、思っていたよりも、ずっと、さみしさを感じた。


 そして、記憶《きおく》が、流れこんできた。


 しずかな、白い部屋で、はね起きたときの、こおりつくような、こわさ。「お鈴! 小太郎《こたろう》!」。


 銀色の口から、どこまでも流れる、すきとおった水。


 ガスこんろの前で、みそ汁《しる》をつくったこと。玄関《げんかん》で、母が、「……ただいま」と言ったこと。


 そして、台所の食卓《しょくたく》で。


 母が、泣いていた。


 両手で顔をおおって、子どものように、声をあげて。3年間、一度も見たことのない、母の涙《なみだ》。


 お遥《はる》の指先が、母の手の甲《こう》を、とん、とん、と、たたいていた。夜が明けるまで、ずっと、母の話を聞いていた。父と出会った日のこと。遥が生まれた日のこと。


 そして、あの夜のこと。


『あの子が、部屋のドアを閉めているのを、知っていた。でも、ノックできなかった。……あの子は、ずっと、自分のせいだと思っているの。お父さんが倒《たお》れたのは、自分が、けんかをしたからだって。そんなこと、ないのに。わたしが、そう言ってあげなきゃいけなかったのに』


 遥は、ベッドの上で、ひざをかかえた。


 息が、うまく、できなかった。


◇ ◇ ◇


 階段をおりると、台所に、母がいた。


 平日の朝なのに、まだ、出かけていなかった。食卓には、二人分の、朝ごはんがならんでいた。ごはん。みそ汁。卵焼き。


「……おはよう」


 母が、言った。


「今日、休みをとったの。……少し、話がしたくて」


 遥は、食卓に、すわった。


 みそ汁の湯気の向こうで、母の目が、赤くはれていた。


 しばらく、どちらも、何も言わなかった。


 時計の秒針の音だけが、台所にひびいていた。


(一秒)


 遥は、息をすった。


「お母さん」


 声が、ふるえた。


「わたし、ずっと、思ってた。お父さんが倒れたの、わたしのせいだって。あの夜、けんかして、ドアを閉めて。もし、わたしが、あのとき、ちゃんと――」


「ちがう」


 母が、遥の言葉を、さえぎった。


「ちがうのよ、遥。お父さんが倒れたのは、あなたのせいじゃない。……休ませてあげられなかった、わたしのせいでもない。お父さんは、ずっと、働きすぎていたの。それだけ。だれのせいでも、ない」


 母は、テーブルの上で、遥の手を、にぎった。


「それを、3年間、言ってあげられなかった。ごめんね」


 遥の目から、涙が、あふれた。


 止まらなかった。3年間、ためこんでいたものが、ぜんぶ、いっぺんに、あふれだした。


 母も、泣いていた。


 二人で、朝ごはんを前にして、声をあげて、泣いた。みそ汁が、すっかり、冷めてしまうまで。


◇ ◇ ◇


 泣きやんだあと、母は、はずかしそうに笑った。


「……ひどい顔」


「お母さんも」


 二人で、冷めたみそ汁を、すすった。だしの味が、からだの奥《おく》まで、しみこんでいった。


 それから、遥は、ポケットから、一枚のメモを出した。朝、お遥の記憶を思いだしながら、書いたものだった。


「お母さん。……家のこと、二人で、分けたい」


 メモには、遥の字で、家の仕事が、ならんでいた。ごはんづくり。せんたく。そうじ。ごみ出し。買いもの。


「お母さんが、仕事、ふやしてるのは、知ってる。わたしは、今、バイトも、なくなっちゃったし。……だから、わたしが、ごはんと、そうじと、ごみ出しをやる。そのかわり、お母さんは、週に一回は、早く帰ってきて。いっしょに、ごはん、食べたい」


 母は、メモを、じっと見つめていた。


「……それって、遥ばっかり、たいへんじゃない」


「ううん。お母さんが、早く帰ってくるのも、たいへんでしょ。だから、どっちも、ちょっとずつ、たいへん。……どっちも、ちょっとずつ、いいことがある」


 遥は、少しだけ、言葉をさがした。


「ふたりとも勝つ、っていうか」


 母は、目をまるくして、それから、ふきだした。


「何それ。どこで、そんな言葉、覚えたの」


「……戦国時代」


「え?」


「なんでもない」


 二人は、また、笑った。


◇ ◇ ◇


 その日の午後、遥は、父の書斎《しょさい》で、手帳を開いた。


『ルーティン4「ふたりとも勝つテーブル」

勝ち負けではなく、どちらも勝つ道を。

それが、どうしても見つからなければ、結ばない勇気を。

テーブルを立つことは、逃《に》げることではない。最後まで、さがした者だけが、立てる』


 そのページの、すみに、小さなポケットがついていた。


 中から、一枚の、小さな紙が出てきた。古い、子どもの字だった。


『おとうさんへ かたたたきけん 10かいぶん はるか』


 遥が、小学1年生のときに、父の日にあげたものだった。


 その下に、父の字で、書きこみがあった。


『心の貯金箱。この券は、まだ一回も使っていない。もったいなくて。』


 遥は、その券を、両手で、そっとつつんだ。


 父も、小さな約束を、ためていたのだ。遥との、心の貯金箱に。


◇ ◇ ◇


 その夜、夢を見た。


 白い廊下《ろうか》。白い扉《とびら》。七つの鍵穴《かぎあな》。


 真鍮《しんちゅう》と、うろこの銀と、羽根の銅が、それぞれの色で、光っている。


 そして、四つ目。


 黒くつやのある木のプレートの鍵穴が、ゆっくりと、あたたかい、いろりの火のような色に、ともった。


――よっつめ。


 扉の向こうの声が、言った。


――はんぶん、すぎたよ。


 遥は、ふと、気がついた。


 廊下の両がわの、数えきれない扉の前に、だれかが、立っていた。


 すぐとなりの扉の前に、紺色《こんいろ》のローブの、栗色《くりいろ》の長い髪《かみ》の女の子。くいっ、くいっと、右の耳たぶを、引っぱっている。


 その向こうに、銀の胸当ての、背の高い女の人。親指の腹で、耳たぶの下を、ぐっと押《お》している。


 さらにその向こうに、着物すがたの、ふくよかな女の人。指先で、とん、とん、と、耳たぶを、たたいている。


 ハルカ。ハル。お遥。


 みんな、同じ扉を、見あげていた。


 そして、そのもっと向こうに、まだ、顔の見えない、いくつかの背中があった。


 遥が、声をかけようとした、そのとき、夢は、白い光の中に、とけていった。


◇ ◇ ◇


 目をさますと、スマートフォンが、光っていた。


『旅行の評価をお願いします ☆☆☆☆☆』


 遥は、迷わなかった。


 白い星を、五つ、おした。


「五つ、★★★★★」


[……評価を、受けとりました]


 ノヴァ1の声が、ほんの少しだけ、上ずっていた。


[遥さま。お知らせがあります。この評価で、わたしの、パラレル・ツアーズのAIの中での順位が、下から2番目から、下から5番目に、上がりました]


〈やったね〉


 ノヴァ2が、うれしそうに言った。


[……ただし]


 ノヴァ1の声が、急に、かたくなった。


[警告します。次の旅行先は、カタログの、いちばんうしろのページです]


 画面に、一枚のカードが、浮《う》かびあがった。


 カードの写真は、灰色だった。くずれたビル。草におおわれた道路。そして、その向こうに、ひとつだけ灯りのともった、地下へとつづく、巨大《きょだい》な扉。


『第4世界 文明崩壊後(ほうかいご)の地球「新東京シェルター」

交換相手《こうかんあいて》:七瀬《ななせ》ハル(78歳《さい》・女性)』


 78歳。


 遥は、その数字を、しばらく、見つめていた。

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