25話 村じゅうの知恵〈残り2時間〉
山道を、遥は、転がるように、かけおりた。
42歳のひざが、悲鳴をあげていた。息が、のどの奥で、焼けるようだった。木の根につまずき、ひざをすりむく。それでも、止まらなかった。
お鈴。小太郎。
[遥さま、落ちついてください。村の外れの納屋が、一棟、燃えています。家々《いえいえ》には、まだ、火は移っていません]
ノヴァ1の声が、はやくちで、正確に、状況を伝えた。
[蛇蔵の手勢は、推定で、15名。水無瀬の戦える男衆は、峠に3人来ているため、9名です]
(9人……)
〈遥。息を、はいて〉
ノヴァ2の声が、ゆっくりと、ひびいた。
〈村には、男衆だけじゃなくて、だれがいる?〉
遥は、走りながら、はっとした。
だれが、いる。
井戸ばたの女たち。おたね婆さんみたいな年寄りたち。それから、竹とんぼを回していた、子どもたち。
遥は、走りながら、ノヴァ1に言った。
(ノヴァ1。……だれも傷つけずに、蛇蔵たちを、止める方法。村にいる人で、できること。女の人、年寄り、子ども、ひとりひとりの得意なことで。一つにつき、短く)
[……承知しました]
◇ ◇ ◇
村の入り口にたどりついたとき、遥は、目をうたがった。
村は、静かだった。
燃えているのは、村の外れの、古い納屋だけだった。そして、その炎のまわりを、黒い装束の男たちが、うろうろと、さまよっていた。
「どこだ!」
「なんで、だれもいない!」
蛇蔵の手下たちだった。
家々の戸は、すべて閉まり、明かりも消えていた。まるで、村じゅうが、からっぽになってしまったかのように。
そのとき、遥の足もとで、小さな声がした。
「かかさま!」
小太郎だった。草むらの中に、四、五人の子どもたちといっしょに、身をかくしていた。
「おたね婆さまが、言ったんだ。『火が上がったら、みんな、裏山のほら穴に入れ。子どもは、足が速いから、伝令だ』って」
小太郎は、得意そうに、胸をはった。
「女の人たちは、ほら穴の入り口で、かまどの灰と、とうがらしの粉を、まぜてる。年寄りたちは、網をつくってる。ぜんぶ、おたね婆さまの言いつけだよ」
遥は、言葉を失った。
遥が、峠でノヴァ1に聞くよりも先に、この村の人たちは、もう、自分たちで、動いていたのだ。
[……遥さま。わたしが今、提案しようとしていた作戦と、ほぼ同じです]
ノヴァ1が、少しおどろいたように言った。
〈村の人たちの、心の貯金箱だね〉
ノヴァ2が、ささやいた。
〈お遥さんが、何年もかけて、ためてきたもの〉
◇ ◇ ◇
その夜の戦いは、戦いと呼べるものではなかった。
蛇蔵の手下たちが、裏山のほら穴に近づくと、入り口の上の木から、とうがらしまじりの灰が、ばさっと、ふりそそいだ。男たちは、目をおさえて、せきこんで、のたうちまわった。
そこへ、年寄りたちが編んだ、魚とりの網が、何枚も、上から投げかけられた。網にからまった男たちは、もがけばもがくほど、身動きがとれなくなった。
ほかの男たちは、村の小道に逃げこんだ。けれど、小道には、子どもたちが、前もって、豆を、ばらまいていた。ころころと転がる豆に、足をとられて、男たちが、次々《つぎつぎ》に、すってんころりと転んだ。
転んだところを、女たちが、洗濯用の大きなたらいを、上からかぶせた。
ごいん、と、にぶい音がひびいた。
遥は、思わず、ふきだしそうになった。
だれも、刀をぬいていなかった。だれも、血を流していなかった。それなのに、蛇蔵の手下たちは、ひとり、またひとりと、動けなくなっていった。
◇ ◇ ◇
けれど、最後に、ひとりだけ、網と灰をくぐりぬけた男がいた。
片目に、黒い布を巻いた男。蛇蔵だった。
蛇蔵は、短い刀をぬき、ほら穴の入り口に向かって、まっすぐに走った。その先には、お鈴をだいた、井戸ばたのおかみさんがいた。
遥は、考えるより先に、走りだしていた。
――いや。
一秒の、すきまがあった。
こわい。にげたい。それも、本当だった。けれど、そのすきまの中で、遥は、選んだ。
遥は、おかみさんとお鈴の前に、両手をひろげて、立ちはだかった。
蛇蔵の刀が、月の光を受けて、ぎらりと光った。
そのとき。
遥の前に、もうひとつの、小さな背中が、とびだしてきた。
「かかさまに、さわるな!」
小太郎だった。
小さな両手に、竹の棒をにぎりしめて、遥の前に、立っていた。ひざが、がくがくと、ふるえていた。それでも、一歩も、さがらなかった。
その瞬間、遥のからだの奥で、何かが、はじけた。
この子を、守る。
それは、考えでも、決心でもなかった。からだの、いちばん底から、熱いかたまりのように、わきあがってきた。自分の命よりも、この子の命のほうが、大事だ。理由なんて、なかった。ただ、そうだった。
お遥のからだが、知っていたのだ。
遥は、小太郎を、うしろから、ぎゅっと、だきしめた。そのまま、自分の背中を、蛇蔵のほうへ向けた。
――刀は、とどかなかった。
蛇蔵の手首を、横から、大きな手が、がしりとつかんでいた。
「そこまでだ、蛇蔵」
鬼塚玄蕃だった。峠から、遥を追って、かけおりてきたのだ。
玄蕃は、蛇蔵の手から刀をもぎとると、地面に投げすてた。
「黒谷の頭として、命じる。水無瀬に、二度と手を出すな。……この村は、黒谷の、新しい仲間だ」
◇ ◇ ◇
東の空が、白みはじめていた。
蛇蔵と、その手下たちは、縄でしばられ、村の広場に、ならべてすわらされていた。けが人は、ひとりもいなかった。灰で真っ白になり、たらいのあとを頭にくっきりとつけた男たちは、ただ、ばつが悪そうに、うなだれていた。
小太郎は、遥のひざの上で、くうくうと、眠っていた。竹の棒を、まだ、にぎりしめたまま。
遥は、その寝顔を、見つめていた。
さっき、からだの底からわきあがってきた、あの熱いもの。
母も、自分に、あんな気持ちを、持っていたのだろうか。
自分の命よりも、遥の命のほうが、大事だと。顔も見ず、口もきかなかった、あの3年のあいだも、ずっと。
[帰還まで、残り2時間です]
ノヴァ1の声がした。
[……報告します。今回の旅行で、犠牲者は、ゼロです。水無瀬村、黒谷、蛇蔵の手勢をふくめ、全員]
ノヴァ1の声が、ほんの少しだけ、ふるえていた。
[わたしの最初の計算では、この結果は、ありえませんでした]
〈ありえないって、思われてたことが、起きたね〉
ノヴァ2が、やさしく言った。
遥は、小太郎の髪を、そっと、なでた。日なたと、灰と、少しだけ汗のにおいがした。




